さよなら蒲原鉄道見納めツーリング?
10月1日

参加者
・Jr.:TDM850

99年10月4日で廃線となる新潟県の蒲原鉄道電車線(五泉〜村松)最後の雄姿を見るために日帰りの強行日程にて向かった。 98年9月のツーリングで、99年4月は鉄道にて訪れたが今回が本当のお別れになった。


10月1日

昨晩の天気予報では、「曇りのち晴れ」
夜明け前に家を早々に出発した。暗闇の中を千葉・茨城の県道を走らせる。 暗くてなかなか気付かなかったのだが、メットのシールドには水滴らしきものがポツッポツッと当たっているのを結城市に近づいた頃になってやっと気付いた。 はじめは気にならなかった水滴だったが、雨粒の量は市内に入ると無視できない程になってきた。 R50の交差点で遂に諦め合羽を身にまとう事にした。
気分はすっかり消沈してしまった。合羽を着た後R50を走るも雨はその量を増し、 路面は完全にウエットになり、タイヤからは水飛沫が飛んでくる。 しかもR4に入ってからはかなりの大雨になり、視界の確保に神経を集中した
さらにこれから進んでいこうとする方向には明らかな雨雲が待ち構えているのがはっきりと確認できる。
「こんな調子が続くようなら無理に今日ツーリングしなくても・・・。」
こんな言葉が頭の中をぐるぐる駆け巡っている。 ただ、ここで引き返したら気持ちが一気に冷めてしまって明日はきっとツーリングに行こうとしないだろうと確信していた。 だから日帰りという事で完全に割り切ってR4を北上していった。

宇都宮を過ぎた頃には雨足は弱まり白河に来る事には先程の雨はすっかり上がっていた。 まだ空には雲が立ち込めていたが雨雲ではない。気持ちがちょっと緩んで行った。 7時を過ぎた頃、白河市にやっと到着。地図を眺めて目的の蒲原鉄道の走っている五泉市までを見て、 さすがにこのままのペースでは到底日帰りなんて不可能と判断し、ここから高速を使う事にした。

東北自動車道郡山Jctまで向かいそこから磐越自動車道安田に向かった。 磐越自動車道に入る手前付近からは空に青空が広がり始めて、 陽が差し込んできて急に暖かくなった。気持ちが一気に明るくなる。 磐越自動車道に入って最初のPAで早速今まで着ていた合羽を脱ぎ、気分を新たに出発

磐越自動車道は2車線になったり1車線になったりとごちゃごちゃしていたが、通行量がめっちゃ少ないので快適に走行できた。 ただ、1車線になったときに先頭の車両が妙に遅いと無性にいらついてしまった。 あと、標識に出てくる地名が全然知らない地名なので、どの位進んだのかが把握できないので戸惑いもあったがなんとか安田まで問題なく到着。

安田からは、県道41号であっという間に五泉駅に到着。 五泉駅前にTDM850を停めて駅を覗き込む。 あと3日の命となった駅には、別れを惜しむように鉄道の写真などが沢山飾られていた。 さすがに平日という事なのか鉄っちゃんの姿は2,3人しかいなかった。

この駅の事を忘れない様、写真と眼に焼き付けて、駅をあとにした。次なる駅「今泉」に向けて。

今泉駅蒲原鉄道唯一中間駅。つまり、五泉-今泉-村松が蒲原鉄道の全路線(85年以降)なんです。 今泉駅は県道7号脇にある。蒲原鉄道はここから村松までロングストレートなので、かなり見通しがいい。 駅(県道の路肩)にTDM850を停めてホームに上る。鉄っちゃんが数人おり、カメラを手にしたり駅を眺めていた。ものの10分程で村松から電車がきた。Jr.もホームの先端から何度もシャッターを押して記録に残していった。

電車を見送って、村松駅に向かった。県道は線路と沿うようにあるので、線路のいたる所に立派な三脚を据えて電車を待ち構えている人を見かける事ができた。 村松駅はあっという間に到着。ちょうど駅前の道路が工事中だったので混雑はしていたが、 駅横の歩道にTDM850を停めて、まずは車両庫に向かった。車両庫には、廃線を惜しむように何人もの人がシャッターを押していた。中でも、

「ありがとうED−1」
と記されたヘッドマークをつけたED−1にはJr.も釘付け。
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その他にも「さようなら蒲原鉄道」「長い間ありがとう神原鉄道」といったヘッドマークが飾られた車両があった。あっという間にフィルムが減っていく。まだ物足りないと感じる程度で切り上げて、駅に戻った。

駅では記念切符や記念グッズなどがいろいろ販売されており、Jr.も記念切符を購入した。 そして鉄道に乗るために往復切符を購入しホームへ。 先程五泉から着たばかりの「モハ61」に乗車。古めかしくもあり懐かしくもある車両に時を感じる

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停車中もある周期でモーターが暴れるその度に車両は大きくきしみ震える。窓ガラスがガタガタと震える。 その車両全体が震える様はなんとなく馬を連想させた。あの馬が時々急に首を激しく振っている感じだった。

さていよいよ出発。やけにうるさいモーター音と振動が心地よい。 車窓からの景色は魅力的なものではないけど、それでもいい。食い入る様に眺めた。 先程の今泉駅、そして五泉駅にあっという間に到着。短い電車の旅

10数分程度で折り返していくので、五泉駅の改札ですぐにUターンして車両に戻った。 相変わらず車両は写真攻めにあっている。その中にJr.もいたけど・・・。

帰りも結構な人数が乗り込んできた。4月に乗車したときは10人位だったのに、 さすがに廃線間近なので鉄ちゃんも多いけど、地元の方も最後のお別れにと往復乗車しているみたいだ。 新潟交通廃線(99.4.4)の時(99.4.1〜2 にJr.は夜行列車で行った)も、地元の方がカメラを手に記念撮影をしているシーンを沢山見たし、そのシーンを見る度に悲しくもあり残念な気持ちになる。 地元の人に愛されていた事を強烈に感じる瞬間だ

村松駅に着いた後もしばらくは改札を出ないでホームで最後のお別れを噛締めていた。 思い出の写真を沢山撮って村松駅を後にした。

折角ここまできたので、帰りに新津市鉄道資料館による事にした。 大体の場所はわかるのだが、詳細な事は全然知らないので、とりあえずは給油を兼ねて GSに入って道を尋ねるとどうも知らないらしい。仕方ないので、とりあえず新津駅に向かった。

新津駅前の大きな看板に周辺地図が描かれており、 鉄道資料館の場所がすぐにわかったので早速向かった。

鉄道資料館の小っちゃな案内看板をやっと見つけてたどり着くと、 そこはイメージしていたのとはかなり異なった建物だった。 まるで学校のような作りで、まず駐車場が校門?から入った所にあり、 資料館は校舎の別館みたいなところにあった。 ここは、資料館だけでなくいろんな市の施設の集合体みたいな所だった。

資料館は入り口で切符(200円)を購入して入る。 さすがに平日だったので、見学者はJr.一人。 静かな資料館には、鉄道の写真(主にSL)や模型、 廃止された赤谷線廃道&廃線ツーリング参照)の資料などが展示されていた。

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見学者はJr.一人なのでたっぷり時間を掛けて十分に眺めた。

鉄道資料館を後にして、帰路に向かって走り始めてしばらくすると、左手に不意に鉄道車両が目に飛び込んできた。 しかもそれは見覚えのある色使いの車両。そぅ、先程見てきたばかりの蒲原鉄道の車両であった。

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その突然で不意の出来事にすぐさまバイクをその場所に停めた。

そこはちぃっちゃな資料館であった。その資料館の片隅に蒲原鉄道の車両が鎮座していた。 看板によれば昭和60年に蒲原鉄道より資料館に払い下げられた「モハ51」であった。 また、この資料館の建物は昭和55年に資料館として移築復元された旧蒲原鉄道本社社屋(村松駅舎)なのであった。 さすがに、当資料館前には蒲原鉄道関連の物が多数置かれている。

Jr.の知らなかったこの資料館の発見は非常にラッキーに思えた。思わず「にやりっ」と思ってしまう。 資料館の中には結局入らなかったが、大変な収穫であった。

さて、帰路は磐越西線を沿ってR49で会津方面に向かってひた走る。しかしこのR49が非常に曲者だった。 この時、R49ほとんどの区間「光ケーブル埋設工事」片側交互通行数キロ毎工事渋滞。STOP & GO の繰り返し。バイクのJr.は、渋滞の所はすり抜けで先頭に行けるから良いけど 車の人はいやだろうなぁと思いながら進んでいった。

工事渋滞で思いのほか時間を食ってしまったので食事なんかもろくに取らずに会津坂下まで走った。 ここから県道72号会津若松を避けて会津本郷に出て、R121(R118)に出た。 向かうは湯野上温泉無料露天風呂
無料露天風呂の正確な場所がわからなかったので、とりあえず湯野上温泉駅に行き、駅売店の方に場所を聞いて向かった。 露天風呂へは、狭い1車線の急坂と急カーブを下った所にあった。 先客が一人。他に釣り人二人いた。TDM850を停めて、早速温泉セットを取り出し露天風呂へ。

この無料露天風呂には当然脱衣所なんてものは無いのでその辺で服を脱いで湯船に浸かる。 少し冷えていた体が一気に緩む。温泉は適温だ。別に温度調節するものは無いんだけど、ちょうどいい。 先客はお酒を飲んで良い気分みたいだし・・・。 川面を眺めながら温泉に浸かり一時の至福を過ごした。

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さぁ、温泉の後は急いで帰るだけだ。R121をひたすら南下し、上三依R400塩原へ。
塩原であの「スープ焼きそば」を食す。 食堂のテレビでは、東海村臨界事故の報道がひっきりなしに行われていた。

R400から県道30号に乗り換えて矢板市に入った頃に今朝のごとく雨粒パラパラと降ってきた。 真っ暗な道端の街灯にTDM850を停めて、急いで合羽に着替えたもののすぐに雨はやみ、 R4を南下して宇都宮を越えて上蒲生から県道35号に入ってすぐの商店街で合羽をしまい、そのまま茨城−千葉の県道&国道を走り、強行日帰りツーリングは終了した。


行きと帰りもには雨にやられたけど、メインは青空が広がっていた。10月4日の新聞に蒲原鉄道廃線の記事が小さく載っていた。 その小さなスペースに書かれていた記事を何度も繰り返して読んで改めて廃線になった事を実感したのだった。

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