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氷の芸術を見る クラゲの滝上り 作木村/(双三郡)
自然の作る造形美
「うー、寒。」などと、こたつで丸くなっていると、いつまでたっても春はやってこない。2月の連休のはじめに新聞やNHKの報道で作木村の常清滝が話題になっていた。夏はキャンプ場も開かれる山間部の避暑地。
話題になっていたのは約10年ぶりに凍り付いた滝のことだった。
滝が凍り付くのだからやはり今年は寒い冬なのか。
山陰にいたころなら、毎日雪が降るのは普通で、少しでも天気が良いと三瓶山にドライブ、スキーの休日だった。ちょっと走ると、車が洗う間も無く汚れていく。しかし、青空の雪景色は素晴らしい。枯れ枝に残った雪が青空をバックに輝くとカメラを向けないわけにはいかない。
前回ここに来たのはいつだったろう。フィールドノートをめくってみると1994年の7月2日とある。ムラサキシキブが花をつけていた。本当はアジサイが多いと聞いて来たのに、あまり無いようだ、がっかりした足元にハエドクソウが独特の姿を見せて咲いていたのを覚えている。
冬のドライブ
54号線を北へ、三次を過ぎると布野村にさしかかる。ここまでは冬道でもまったく支障の無い快適なドライブだ。問題はこれから左折し約10キロの道。対向車とのすれ違いが雪の壁で思うようにならないのだ。 歩いている人や自転車がいないのが救い。
村役場が見えてくると到着だ。役場の駐車場から双眼鏡でも滝は確認できる。ここから歩いても500メートル程度だから、混雑している常清滝入り口の駐車場は避けた方がよい。
混雑しているのは我々のようにTVや新聞を見てやってくる人が多いから。役場のトイレは開放してあるし、雪の坂道をチェーンをつけてまで登るのも大変だ。
山道を行く
案の定、滝への山道はたくさんの人ですれ違いもままならない。新しい雪にウサギの足跡がほぼ1メートルの間隔でついていた。常緑のアラカシやシロダモがある。これほどの山中なのにアベマキ、ナワシログミ。すっかり枯れ落ちた木は アブラチャン、ミツバウツギ、ウグイスカグラ、ダンコウバイ、ニワトコ(これらは標識もついている)。
山道は大勢の人出で圧雪となって、長靴は必須である。それでも滑りやすい。軽アイゼンがあった方がよいかも。
滝へ向かうのだから当然だが、流れに沿っての山道だ。所々の岩場にはがぶらさがって、めったにお目にかかれない風景に興奮してしまう。
オオバアサガラが実をつけたまま凍り付いたように渓谷を見下ろしていた。同様に実の残るツルアジサイも風情がある。あたかもドライフラワーを見ているようだ。
キヅタの花と若い実が木に絡み付いている。フユヅタとも呼ばれる所以だろう。この時期だからこそ注意して見てもらえる。紫色のブルーベリー風になるのは来年のこと。
クラゲの滝上り
凍り付いた滝は奇妙な氷の姿で印象的だ。まるで巨大なクラゲが何匹も浮かんでいるような不思議な氷の固まりががあちこちにある。
その間を水がしぶきを上げて流れ落ちる。一番寒い頃を過ぎて、今は解けているのだろう。滝を見に来た2〜30人の人たちはしばしこの景観に心を奪われて立ちすくむ。
写真を撮りに来た人は、滝がやや陽のあたらない場所にあることを残念がり、滝のそばに枯れ葉を残した木があることに腹をたてていた。恐らくヤマコウバシであろう。
常清の滝
山中は熱帯雨林
雪の山中に入ると何故か熱帯雨林という言葉を思い出してしまう。入ったことがある人は分かってくれるかもしれない。
その訳は木々の枝から落ちてくる解けた雪のポタポタ雨。結構、厚着をしていると暖かいし、まるで熱帯のジャングルの中を歩いているような感じになる。
経験したことの無い人は是非雪のあるうちに…………。
PAJEROという車今のPAJEROは3台目。車は好きだからコンセプトのしっかりした車に乗りたい。この車に乗り続ける理由はある。
2台目が壊れた訳がそれだ。ある日仕事で走っていたら突然電柱が倒れてきた。コンクリート製のその直撃を受けて、車は車輪をハの字に曲げてクラッシュしてしまった。軽い鞭打ちになったが、車体構造が強いお陰で屋根は壊れなかった。
昔乗っていたアコードとは雲泥の差である。 ダッシュボードに無線機を取り付けるのに、キリで穴をあけることが出来るくらいだからひょっとしたら「紙」でできた車だった。
その点PAJEROは車内も鉄製、バンパーなどは5ミリの鉄板だ。
人間いつでも死ねますどうしていきなりこんな話が出たかというと、この度の往復のドライブ中、ラジオで北海道のトンネル事故を報道していたから。
今走っているこの道路で次の瞬間、何が起こったか知らないままに、大岩の下敷きになって、あの世に向かうかもしれない。
明日はわからない。
はっきり言えることは、いつ死んでも良いようにしておいた方がいいよ、ということ。
縁起でも無いと言われそうだが、「電柱でござる」以来、人生観は変わった。
じたばたしたって、人間いつでも事故に遭う可能性を秘めているのは確かだから。
思えば、アストラムの事故、飛行機の事故、大地震や津波、避けられない状況で死を迎えた人は悔しかったろう。
しかし、繰り返して言う、「いつでも死ねます」って。それがいやなら休日は家にいますの会を作ってよ。
楽しいこととの引き換えがそれではたまらないが思いがけない事は決して他人事ではない。
それならいっそのこと「死」に対してもっと大胆にお付き合いをすべき。
やり残したことが多い人もそうでない人でも、「いつでも死神が訪れる」。
だから、いじめなんかで自ら命を絶つことなどとんでもない。この世は危険と隣り合わせ、人の役に立ち、今の役目を全うしておかないと悔いが残って死ねませんぞ。
平木輝夫氏のノートより
マンサクの花が上向きに咲いた年は豊作
マンサクが咲かない年や少ない年は凶作