QJYつうしん休日は山にいます QJY53号
平成9年2月7日
登山欲をそそられる山 山口県防府市/右田ヶ岳 426m
千回登頂をする人達
山口方面へのドライブ、あるいは新幹線に乗って防府市辺りを通り過ぎる時、車窓から非常に特徴的な岩山を目にしない訳にはいかない。
大きな岩が多数露出し、主峰をジャンダルム(前衛)に守られた急峻な岩峰。少々山登りをする人ならば一目見て「登山欲」をそそられる山である。周囲をさえぎる山も無い、戦国時代は天然の要害として役立ったのは素人にも想像が付く。
その名を右田ヶ岳。右田氏歴代の居城として鎌倉末期に築城されたと言う。
我が会の内藤さんの故郷もここと聞いたことがある。大内氏の重臣であった内藤隆世は右田氏衰退のあと右田ヶ岳城を守った。その後は毛利の大内攻めに関わる歴史小説が始まる。誌面と知識の都合上、例によってこの話は省略。
登山道は麓の曹洞宗天徳寺の境内から始まる。ここに車を置かせてもらい、足の準備をしている間に次々と登山者がやってくる。山口県の人気ナンバーワンの山と言うのは、まんざらオーバーでは無いぞ。
今日は平日なのだ。
山門を入りすぐ目に付くのが左手にある大イチョウの木。周囲7.5mは山口県では徳地の妙見社の周囲8.5mの巨木に次ぐ大きさ。今は冬枯れで葉が一枚も無いが、まわりに落ちた銀杏の実から、この木が雌であることが分かる。
そしてうそか本当か頼朝を祭った廟。それも1192年,鎌倉幕府誕生の年に出来たとある。
子供たちの歓声が隣接した右田小学校から聞こえる。そしてあらためて見上げる岩峰は小学校に覆いかぶさるほどの迫力だ。ここの子らは故郷を誇る光景として右田ヶ岳を一生忘れることは無いだろう。幸せな子供たちよ。
さあ登ろうとした時、すでに下山の三人の女性グループに合った。道の様子、頂上からの風景、他の登り口、地元の方達だがここが自慢の右田ヶ岳、と胸を張って紹介して下さった。
境内にある「千回登頂記念」の碑が目に入る。凄い人もいるものだ。
回数を競う山となればここが宗教的な意味をもった山であろうことは想像される。
これから登る山をじっくり見上げるだけで首が疲れるほど急な道。境内の赤いウメが少しだけほころび、植えられたシキミの蕾が春を感じさせている。
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石船山(せきせんさん 196m)
右田ヶ岳の前嶽は石に彫られた観音像が急峻な岩尾根の山歩きのアクセントとなり足の疲れを癒してくれる。丁寧に彫られた磨崖仏は右田の町を優しく見守る。足元には気の早いシハイスミレの三人娘が歓迎してくれた。
クロキ、ヤマモモ、ヒサカキ、ソヨゴ、シラカシ、ネジキなどは広島の沿岸部の山々と似ている。
忠魂碑へ迂回してもっと急峻な山登りを目指すカップルにも会った。「この道は根性いりますよ。」「頑張って下さい。」
荒れ果てた観音堂は周防の国二十五番の札所、天井の錦絵はこのまま放置され廃れていくのだろうか。
それにしても大きな岩がたくさん。山歩きがこれほど楽しくなるのはいくつか条件が必要だ。一に、振り返ると海まで見える風景、この山の独立した立地環境による。二に今日の天気の良さ、春が完全に自分のもの。
眼下の小学校から子供たちの声が聞こえるのもいい。車が行き交う防府の町を見下ろし、「ゴオーー」と反響もすごい新幹線がトンネルを出入りする時の豪快な音、それを真上からミニチュアを見るみたいに眺めるのは他では味わえない。歴史を感じる石垣もいい。アカマツの立ち枯れの姿はまるでここが孤高の高山であるかのような錯覚を持たせてくれる。
意外と整備が進んでいて石ころが上から落ちてくる心配も無いし、かと言ってシュンランの芽が顔を出していたりする豊富な自然。
実を付けたクチナシは植えられたものかもしれないが山でお目に掛かるのは初めて、葉柄を赤く化粧したモッコクやヒメユズリハが植物観察の興味を膨らませてくれる。
急な場所ではロープを伝い、くたびれては東西の名峰を見やる。東は矢筈ヶ岳、その背後は大平山。西は西目山。いずれも登りたくなる名峰ぞろい。
稜線を登り大きな石灯籠、般若心経の彫られた石碑、もちろん好展望の一服が丁度良い配置、登山口から約30分にあるのだから、これは自然の遊園地を設計したようなもの。
松枯れと雑木林
クロキとヒサカキにヤドリギが付いていた。正確にはヒノキバヤドリギ、海草のような姿はじっくり観察しないと見つけられない。
頂上までひとときも安心できない山道だがそれだけに人気があるのだろう。
石船山を過ぎ主峰に向かうまでにピークがもうひとつあった。風が気持ちいい、冬の山歩きとは思えないくらいの気候は今日だけなのか、いつもこうなのか。
東側の林の斜面はうす緑のコシダが絨毯を形成し、西の斜面は大きな石と白骨化したアカマツが目立つ。ところどころ石の色が黒い、そうかこの山は山火事があったんだ。それなら樹皮の剥げた松枯れも納得できる。
ヤマツツジだろうネジキと混じって花の季節は楽しみだ。オオバヤシャブシは大きな実を残して鳥達を待つ。
頂上に立つ
この山の魅力は何度も言うが岩峰地形とジャンダルムに代表される登山意欲をかきたてる配置ではないだろうか。岩峰は奥秩父の「瑞牆山(みずがきさん)」、ジャンダルムは「奥穂高」と山好きは例えるそうだ。
そして山水画の中にいるようなこの落ち着いた風情、若い女性が一人で登って来たが、即ち明るく安心感のある山でもある。
頂上から下山路はもと来た道を引き返すのだが、多くの人が奥の東峰へと向かって行った。奥はササヤブがあって南側とは正反対の山容を示す。
頂上には石を積んだ塔が有り、様々なカマボコ板が置いてあったがその中にちょっと変わったプレートが何枚か掛けてあった。碁盤の目のマスが書いてあって個人の名前も書いてある。そしてマスには日付が。そう、登頂のたびに日付を書き込んでいる人がいるのだ。
最初に書いた、千回登頂を目指している人だろう、日付を見ると同じ日が3度並んでいたりする。
山口の山に詳しい土井茂則氏の著によると千回登頂を達成した人は過去3人いるという。比叡山の千日回峰を真似た一種の行である、と言う。恐れ入りました。
<編集後記>
今回寄れなかった「月の桂の庭」、夏目雅子の墓もいずれお参りしたい。三人の女性に是非登って、と言われた矢筈ヶ岳や西目山。
防府は魅力がいっぱい。いやホウフ。