QJYつうしん 54号

平成9年2月14日

万葉の島に春を探す山歩き 安芸郡倉橋町/火山 408m

 

我が命 長門の島の小松原 幾代を経てか 神さびわたる

この歌の言葉の仕掛けは意味深い。

我が命、長く…と本当は詠うところ、長門の島(今の倉橋島)にこの枕言葉をかけている。原文は万葉仮名。

船旅は当時命懸けの旅であった、新羅へ向かった一行の詠んだ歌は八首、桂ヶ浜に碑が立ててある。天平八年(736)のこと。

広島市内からは平日は呉の市街地を通過するのは時間の無駄になるかもしれない。特に造船所や製鉄所の並ぶ昭和町から音戸の瀬戸を抜けるまでは道も複雑でいらいらが募る。江田島や能美へのフェリーがお奨め。

倉橋町へはかつては難所であっただろう宇和木峠のトンネルを抜ける。出口のすぐ右に展望台があり駐車場がある。そこから見上げると大岩を抱いた岩峰が登山者を待っていた。火山とはのろしを上げた場所か。

桂ヶ浜

海岸に出ると先程の歌に詠まれた小松原はすぐ分かる。

白砂青松の浜は瀬戸の気だるさと暖かさを訪れる人にいつも与えてくれるようだ。

管絃祭の御座船の収納庫を過ぎ長門の造船歴史館にも入りたい。十二支で分割された和磁石や和船の模型、海島博で見た遣唐使船の実物大模型。

マメグンバイナズナが可愛らしく咲いていた。ハマエンドウはまだまだ小さい。

車を停めるのは町の総合体育館の駐車場を借りる。

そして山を仰げば、防府の右田ヶ岳に匹敵する登山欲を刺激する山容が目に入る。

問題は登山口。なぜ問題かと言うと、見つからないのだ。これは「島」では良くある問題。島では限られた地域と人口から、特に案内を示す必要が無いからか誠にサービスが悪い。

うどん屋「万葉の里」から50m戻り桂ヶ浜荘の案内と石灯籠が二つ並んだ場所の前に左・火山遊歩道と書いた標識を確認。

崖にヒトツバが胞子を抱いて並んでいた。

登山道

古い墓(安政年間の彫字がある)の道を上がるとナワシログミがあったり大きなアベマキのドングリがたくさん落ちていた。そして島の八十八箇所霊場の小さな観音像が並ぶ。まずここには八十一番の千手観音が。

足元には秋の花のタツナミソウ、ナデシコの早春の葉が枯れ葉の下から出てきた。

下ばかり見ていると白い花びらが一枚、見上げるとウメが満開状態。

まさに万花に先駆ける木と言える。

大きな岩には八十三番の如来様が。

クズがマメの実を垂らし、ヤシャブシの実、アキノキリンソウのドライフラワーも。

登りはじめて30分以内で火山登山道の案内があった。実はここまで登り口にも案内は無く、看板と言えば山火事注意の札ばかりであった。ひとまず安心。

新しい山道

所々に大岩があり、必ず観音様などが置かれている。六十七番は薬師如来、薬壷を必ず手に持っておられる。

ネズ、コシダ、アラカシとメモしているとシュンランが花芽を二つつけて春を待っていた。アベマキの枯れ葉とドングリの殻が靴の裏で心地よい音を立てる。

タラノキが群生していたりヒサカキが並んでいたり。

展望所がいくつか作ってありベンチがある。そしてがっかりしたのはこれから新しい山道が出来ると言う事。火山歩道と書いた図面を持って若い人がふたり測量していた。

巾の広い山道、恐らく階段をつけて誰でも登れる山にするのだろう。今更文句をつけても当然どうしようもないが、ほとほと行政のやる事は目に余る。自然破壊そのものだ。木々が伐採され倒されたそばに立つ看板が空しかった。「この地域は自然保安林です。自然を壊す伐採は禁じます。」

途中から今までの山道も見つかった。

歩きにくいが自然の山歩き、荒い真砂土と岩のよじ登り道が左側から始まった(目印は赤テープ)。

map

 大岩の頂上

予想通り、難儀しながら辿り着いた頂上は快晴の天気と、暑いくらいの陽射しで汗びっしょり。もうビールがいる季節になったか、と感じるほど。ロープの垂れた大岩があり、登らない訳にはいかない。

遠く四国や広島の山、近くは能美島の陀峰山(438m)、早瀬大橋や鹿老渡の鹿島大橋も。なにより海があらためて碧い事を知らされた。北にはここより少し高い松原山(456m)、道もついている。が、その方面の下山路を選ぶと先程の工事中の広い道が待っていて駐車場まで作られていた。

もっと分かり易い登山道も見つかった。

登りでは八十一番から始まったが、ここは八十番から始まる。それにしても最初に見た左・火山遊歩道を右としてくれれば問題無かったのに。


<編集後記>

ついにめがねをかけることになった。運転には問題無いが、テレビ等を見ると疲れが激しい、乱視が入っているのだそうだ。

この年齢までめがねの経験が無いと今更億劫なのだが、会議などでOHPや黒板の発表が見えない。つまり、背に腹はかえられない、めがねを持とう。

と言う訳で出来上がっためがねはある日優しい女性店員から手渡された。「どんな具合ですか?」質問は鼻や耳の掛かり具合を聞いていたらしい。私は眉をしかめて鏡に映る自分の顔をじっと見ていた。

「醜い。」

心の中である種の驚きと諦めが瞬時に交差したのを覚えている。そのまま気絶、それは無いが、鏡の中の私の顔はコジワは多く、ヒゲものび、顔中月のクレーターみたいなぶつぶつ、自分の顔が醜かった。今まで目が悪かった分ソフトフォーカスがかかって細部まで詳しく見えていなかったのだ。

店員にしかめっ面の訳を話すと、他の客もよくそう言う、と言う。会社に戻ってその話しをすると、やはり同じ答え、めがねを新調すると人の顔が随分ふけて見えるのだそうだ。急にまわりの同僚がふけた顔に見える。コジワ、ヒゲの剃り跡。

そう、目のいい幼児は父親の顔を描くと普通にこのヒゲが目立って見えるのだから、よくある絵の中の父親はみんなヒゲ面なのである。もちろん父親を見るのは休日しかなく、休日に私のようにひげを剃らない人は多いし。

帰宅の時、見上げる夜空は満点の星を久しぶりに見せてくれた。それはそれは素晴らしい夜空だった。

めがねは何でも良く見える。

ドアを開け、妻の顔を見る前にめがねをはずしたのは言うまでもない。