QJYつうしん70号休日は山にいます 平成9年7月30日

日本一の山に登る 甘くないぞ 霊峰 富士山(3776m)

 QJY70

「一度も登らないのは馬鹿、二度も登るはもっと馬鹿。」

富士登山は日本の登山史の中で修験の場から現代の観光登山へとその性格を少しずつ変えて常にbPの存在感を示す。

明治五年のことだった、中山タツは史上初の女性としての富士登山を達成した。これは別に富士山に登ることが難しかった訳ではない。登りたくても江戸時代までは女人禁制の神聖な場所だったのだ。

タツは排泄物まで残すことを規制されたが女性が登っても問題が無いことを世間に知らしめた。先駆者である。

旅行社のパンフレット

新聞に折り込まれた広告を見て28人プラス添乗員という珍しく小人数が広島空港に集合した。次回募集人数は45人なのだそうだ。

ずいぶん高齢の人もいる。

富士山を舐めてるんじゃないか?と思う靴の人も。旅行社にも責任がある、普通の観光みたいに宣伝しているのだから。

ビジネスで利用するのと比べれば飛行機の中は夏休みとあって子供や女性が多く、服装がカラフルだ。

広島は快晴だったのに東京は雨、羽田からバスで一路富士山五合目へ。ガスがかかり山の姿は見えない。

ここで撮った記念写真にはちゃんと晴天の富士が写っているのは感心するが。

スバルラインの車窓からはシモツケの赤い花、ノリウツギの白い花が見えた。

本日の行程は五合目から登り、八合目で山小屋仮眠。若い添乗員は過去5回登ったと言う。戦歴は4勝1敗、つまり一回雨だった。驚いたのはバスガイドさんが毎年一合目から

登っているということ。

このバス会社では新入社員は全員そうするのだが彼女が初めて登った時、素晴らしかった体験から毎年自主参加するようになったのだそうだ。

そう、富士山は最初に良い印象を持つと何度も来たくなるらしい。天候の悪かった年の社員は辞める人の割合も高いとか。

私がこのツアーを選んだのは知人のひとりが薦めてくれた¥38、800という格安の料金のせい。通常片道で飛行機は¥21、900だから、食事、山小屋、バスでの周辺の観光を含みこの値段は絶対安い。

で、結局推薦者は一緒に来なかったが。

五合目からの登山

朝まで広島にいたのに今はもう富士山に登っている。便利な世の中。

会社の研修施設が御殿場市にあったので毎日のように富士を眺めていた。長い時で二ヶ月もいたっけ。一年に2〜3度は来ていた。

特に真冬の満月の夜、月の光で黄金に輝く富士を目にして感激したものだ。

15:00から登り始め4時間かけて八合目に向かう。ガスがかかり視界は5〜60m。

道の両側はヤマホタルブクロ、小さなコオニユリらしきオレンジの花。

ツアーの参加者は花など一切気にかける様子も無く歩き続ける。

六合目で年配の参加者がリュックを添乗員に持たせてしまった。

この人は何をしに来たのだろう?

観光用の馬で七合目まで行く人もあるそうだ。参加者がこれだから休憩はいやと言うほどとる。息切れが酸素不足を表わす。スズシロソウやベニバナイチヤクソウがたくさん咲いていた。ナナカマドも花を付けイタドリも満開。

富士山は花の種類も豊富。

山小屋は無数にあり昼夜を問わず営業していて、自販機まで完備している。ふだんは埃っぽい山だが今日は空気が湿って爽快。

標高が高くなるにつれ物の値段も高くなる。例えば酸素のガスボンベは五合目は¥1100、山頂は¥1500、と言う具合。広島のロッジでは¥700、でも飛行機は持ち込み禁止。

溶岩の道はさほど広くは無いが一方通行になっているので混乱は無い。標高はすでに3000mを越えハンノキなどの樹木は消えアカモノ、ミヤマハンショウヅルなど草木帯の植物がわずかに見える。

私は山用のステッキを持ってきたが、山は初めてという(そんなのが、いきなり富士山に来るなよ。)大部分の人は五合目で買った長い錫杖に各合の山小屋で焼き印を押す、其の度に¥200かかる。重くて持ちにくいし、長いため人に当たり、感心しない。

鈴の音が耳についてうるさい。

八合目の山小屋

夏は登山ラッシュの季節、山小屋は一年の収入を稼ぎ出す。バイトの番頭さんはひとりひとりのうなぎの寝床を指定し、気分の悪い人はいないか、決してトイレの浄化槽に吐かないでとつまらない指示を出す。

カレーの夕食が出て強制的に就寝時間。ただ次々団体や個人がやってきて、とても眠れるものではない。何しろ12:00起床の予定。そう考えると余計眠れないし、ここのうなぎは男女関係なく足と頭を交互に並べて身動き一つ出来ない。

寝入ったかと思うとすぐにがさがさと音がして番頭さんの大きな声、我々のグループは0:00出発なので23:00には起床してしまった。

0:00 さあ出発

真っ暗な山道は懐中電灯が頼り。風と霧雨、寒さは下界の人には想像つくまい。持参したのはゴアのレインウエアー、歩く時休む時ウエアーの中の一枚を脱ぐかどうかで調節する。

時折夜空を見上げると、何と星が出ているではないか。九合目あたりでは月もくっきりと。添乗員が天候の厳しさと装備のお粗末さで登山の辞退を促がした人が多くいた。体調不良で辞退した人も。

結局28人のうち14人が登山開始、うち一人は途中リタイヤでバスの待つ五合目に向かう。頭が痛いのだそうだ、高山病の症候。

富士山は甘くない。

山頂のイベント ご来光

4時間以上かけてたどりついた山頂は明るさも増し、見下ろすライトの筋が美しい。快晴だ、低い雲で日の出の時刻はやや遅れるだろうとの予測。気温は5度。ちょっと立ち眩みを覚えるが高山病の初期状態だろう。

時間が解決してくれる。

冷たくまずい弁当に山頂の山小屋の¥500の味噌汁をつけて、一層のまずさに、これで天気が悪いと二度と来たくないな、の思いがつのる。

4時半頃が「ご来光」の時刻だ。

続々あつまる人の多さ、見下ろせば光の列がジグザグに続く。

今、私は芥川龍之介の「くもの糸」のカンダタの気分。もう来るなよ、と道を閉ざしたい。

4:50 東の空から強烈な太陽の熱戦が皆の顔を照らした。一同拍手喝采。何やら宗教的な清々しさを感じる。

お鉢めぐりとブロッケンの怪

頂上からさらに6人が引き返した。結局頂上の外周を1時間半かけて回る「お鉢めぐり」には7人の参加者。四分の一になった。

しかし富士山に登った以上、剣が峰(3775.6m)の標識(二等三角点)とか富士山測候所を見なければおかしいよ。

歩き始めると火口から出てくる霧のスクリーンに後光の射した自分の姿がくっきり写っていた。ブロッケンの怪、と呼ばれる自然現象だ。高い山でしか見られない。

6:30 登りでは延べ8時間かけたが、3時間かけて五合目まで下山開始。明るい太陽のもと、贅沢なもので汗ばむほどの暑さ。

下山路は砂走りと呼ばれる砂利道を、かかと歩きで下る。イタドリが野菜畑のように点々と緑を作って印象的だった。

もう一度? うん登ってもいいな。