QJYつうしん 83号 休日は山にいます平成9年12月5日 発行 QJY通信社

神々の安らぐ宿 あすか 展望の山 豊栄町 天神嶽(758m)

あすかの里

豊栄町に初めて来たのは3年前、12月4日のこと。祭りの写真を撮るのが好きだから、子供たちが河童の格好をして町を練り歩く「どんどん淵峡まつり」を一目見たくてやって来たことがある。

このどんどん淵峡について書いていると、誌面が足らないので、是非皆さんには一度出かけてみて欲しいのだが、何しろ「河童恵比寿神社」なるものがあって、そこらじゅう河童の像が置いてある。

そして、不思議に思ったのはこの場所の名前「安宿」だ。あすか、と読む。あたりは縄文式土器が出土し、古墳は至る所にある。

そう、安宿(あすか)は飛鳥や明日香に通じる。所詮、飛鳥なんてどれも当て字だから、ここも奈良の都と同じく古い歴史を秘めているのかも知れないと思うのだ。

天神でさえあまつかみと読めば高天が原の神々を示す意味となることを、山の雑誌「ゆうゆう」で取り上げた山名考の欄で記述している。隣町の向原には大土山という高天が原伝説の山もあるからまんざら無理な考察では無いだろう。

八幡神社

豊栄町から東へ大和町に向かうR486を走ると左に聳える山が天神嶽である。

実は天神嶽という山は無い。三倉岳と同じく三つの峰を総称して天神嶽と呼ぶ。山の名に「天神」と付くからと言って、まさか天神様の菅原道真は無いだろう。

「嶽」とくれば当然この山が修験の道場であったことが想像される。

登山口は北からのてっとり早く登れる道が紹介されているが、お奨めは「安宿農村広場」からの雑木林のハイキングコース。どんどん淵峡の 手前2〜3キロくらいの所だ。

今なら何も遠慮無しに登る事が出来る。どういう意味かって? それは山全体がこの地方では当然の「松茸山」なのだ。秋は入山禁止。

山頂から見下ろすと緑濃いアカマツの二次林であることが理解できる。

登山口はトイレや駐車スペースの関係上、農村広場の左手にある「八幡神社」としたほうがいい。コウヨウザン、サカキなど神社特有の樹木も観察できる。

本日の特筆モノは神社正面右手の大木だ。残念ながら名札が消えているが、落ちている実はとにかくユニーク。へら状の葉のような苞から柄の付いた実が2〜3個、まるでハナイカダの出来損ないかと思うが、これがボダイジュだ。

釈迦が悟りを開いた菩提樹はインドボダイジュ(クワ科)、熱帯性の植物の育たない中国ではそうでは無く、シナノキ科の本種を代用した。日本に持帰ったのは臨済宗を伝えた僧「栄西」。

葉は落ちてしまいこの不思議な風鈴の実だけが風にそよぐ。

ここから山に向かって歩くとしばらくは案内の少なさで不安になるかも知れないが、天神道と呼ばれる山頂までの山道はすばらしく、石碑や地蔵様に案内されながら登る、楽なハイキングであることに気づくと楽しくなってくる。

天神道

ピンクのビニール紐が道に沿ってぶら下げてあり、道案内か松茸止めかわからなくなる。しかし間違いなくアカマツの多い山だ。シュンランが花芽を付け地蔵様が絶え間無く続く。

山道の右下に谷川の音、明るい陽射しが暖かい。水が多くヤマラッキョウなど湿地性の植物の立ち枯れが目に付く。

サワギキョウやカキラン、秋に咲いていたらしいリンドウも多い。

「名所角休」は地蔵様が一番多い場所。自分で名所と名乗るのか?「天神水」はここでは水に困らないことを改めて知らされる。

ピンク色にドライフラワー化したコウヤボウキが多く、ツルリンドウの赤い実も切れ目無くある。地蔵様の土台には建立者の名前が彫ってあり、さすがに地元安宿の地名を多く見る。

谷川は岩の下に隠れてゴーゴーと音を立てていた。岩の上に立つと足元が涼しい。

急に景色が広がった。地元の人達が枯れ草を焼いて、整備に勤しむ。サクラが植えてあり、その前に「神原池」が豊かな水を貯える。

地蔵様も多いが石碑も多い。

ここから見える天神嶽東峰を称えた歌が彫ってあった。

藍ふかき 神原池に歩をとめて

はるかに天神嶽の夫婦岩をみる

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地蔵堂が見守る神原池は静かに、また豊かに水を貯える。

大正時代ここで修行した天竜夫婦の遺徳をしのんで建てられている地蔵様はそういう意味では安宿や数ある古墳群とは関係無い物だと思うが、この地の人達の信仰の厚さを示す。

ミズゴケやカキラン、アザミ類の湿地を抜けると松林の山道となる。日当たりの良い良く整備された松林だ。もちろん松茸山なので、いろんな箇所に所有者の札がかけてある。

鳥の声が聞こえ、周囲の赤い実がよく目立つ。サルトリイバラ、ウメモドキ、ツルリンドウ、ツルシキミなど。ソヨゴも今年は多いぞ。

道は常識的な広い道を選んで歩けば迷う事は無い。

尾根筋に出ると、やっと山歩きらしくなる。ここは東峰と中峰の中間点、良く整備された山道をまず東峰までとることとする。

南の展望:東天神(三の嶽)

足元を飾るのはコウヤボウキ。良く山道を見て歩けばソヨゴやサルトリイバラの赤い実が落ちている。5分で前峰、さらに5分で東天神だ。振り返れば中峰が大岩を抱いて「早く来ないか!」と呼んでいる。しかし、ここ東峰の大岩からの展望は無視できない。

南に板鍋山、目を右に向ければ鷹ノ巣、カンノキの県央の山々を見る事が出来る。そう言えば一年前は鷹ノ巣山へ登ったっけ。(QJY49)。

北の展望:中天神(一の嶽)

一旦元の鞍部に下り、今度は中天神に向かう。高さ4メートルの地蔵菩薩が出迎えて下さる。修験の中心部でもある。山の名からもっと鎖場のあるような険しさを想像しては期待外れとなる。

人が暮らしていた歴史も思い起こされ、水場や小屋の跡が淋しさを残す。

古墳時代の墳墓群の多い北側からの登山道がここに取りつく。

山の説明をした唯一の案内板が立ててあり、背後のピークの「忠孝」と彫られた大岩にもこの地の人々の熱き思いを知らされるのだ。

ここからは北の視界が広がる。

俯瞰(ふかん)の展望:西天神(二の嶽)

さらに西天神に向かうと、道筋にコタチツボスミレが点々と花を付けていた。葉に勢いを感じないのは仕方の無い事。

そして天神嶽の最高峰、三角点のある西天神はハギとノイバラの小さな丘の上のピークだ。

世羅台地が眼下に広がる。

東天神の記憶が残っているので、展望台となっている岩もちょっとかすんでしまったが、小規模ながら味のある見晴らし台だ。岩に根を張るマツに勇気付けられる。

真南に光る水面は神原池、上流にあと二つの隠れたため池が見つかる。そして見事なアカマツ林の俯瞰図。

左に目をやると先程の東、中の二つの峰が「おつかれさん。」と声を掛けてくれていた。

帰りは「どんどん淵峡」の河童達に逢ってから、とすることを薦める。