QJYつうしん 第165号 休日は山にいます

幻の大陸が浮かび上がる    年に一度の初夏のお祭り 八重干瀬 宮古島(沖縄県)

平成14年4月13日(旧暦3月1日)

安くあげよう、個人ツアー

フェリー会社に予約を入れたのは3月はじめのことだった。ホテルの予約、全日空の一律1万円でフライトできる「超割」の申し込み、最後に空港まで送ってくれるようなレンタカーなど個人で探して旅行を計画するとなるとなかなか面倒だ。

これがツアーだと全て旅行会社がおぜん立てしてくれる。ちなみに広島からのツアーは近畿日本ツーリストの「幻の大陸 八重干瀬」のみで、3泊4日9〜10万円で募集されていた。


そんなに長い休みは取れない。個人で計画すれば半額で済む。

いつも2泊3日の休暇を取るわけは、土日プラス一日なら確実に休めることと、「もうちょっと遊びたいなあ…」という旅の良い余韻を残したいから。「やっぱり家が一番。」などという安っぽいセリフは言ったことがない。


今回の旅は「八重干瀬(やびじ)」に上陸するのが目的だ。以前は「やえびし」と呼ばれていたが地元の正式な呼び名「やびじ」を総称とすることで話がまとまったらしい。沖縄方言の基本は「アイウエオ」の「エオ」を発音しないこと。

八重干瀬は、宮古島の北東約5キロから15キロの沖合にある日本最大のサンゴ礁群。大潮になり潮が引くと、南北約10キロ、東西約7キロにわたり、大小100余りのサンゴ礁が海面に姿を現す。


この規模は世界最大とも言われ、近年観光客相手のさんご礁ツアーとして定着し始めた。

このような現象は年に一度、旧暦の3月3日前後の2日間、計4日のみと言われ、地元の漁師のあいだでは昔から、貴重な貝や逃げ遅れた魚を獲る絶好の期間だったようだ。

従って、収穫目的の人達が大勢いるのは当然で、市当局は「さんご礁ガイド」なる指導員を養成しこの船にも20人が乗り込ませ、乱獲を防止する処置をとっている。

ちなみに今日は旧暦3月1日、新月の大潮の日だ。これが土日に重なってはじめて私は休暇として利用できるわけだ。もちろん大潮の干潮時刻も調査済み。準備も大変だ。

いざ出航

朝のフェリーターミナルはごった返し、窓口で船会社と交渉している人もいたが、予約しているから安心だ。窓口の女性に「広島からですか?大変ですね。」と慰められるが、東京でも大阪でもここに来るのは大変。

ほとんどがツアー客であることはフェリー前に並んだ添乗員さんの持つ旗でわかる。こちらは個人客だからさっさと乗りこませてもらおう。

到着するまでは何もすることはない。

せめてこの時間に「さんご礁」の生態についての講義でもあると嬉しいのだが。

車載甲板にはステージが作ってあって、民謡ショーや司会の人の楽しい話が始まった。一応、ウツボやウニなどには気をつけるように注意も促す。
<陸地発見>

魚やさんごのカラー写真も掲示してある。宮古島にそれほどたくさんのフェリーが余っているわけではなく、出航したのは二隻のみ。

船員さんの話では、今日が二日目だが、スタートの昨日は天気も悪くて海の荒れようがひどく上陸しない人が半分いたそうだ。本日は雲ひとつない快晴で波もおだやか。この時期の天候は全く予想できなくて、このように荒れた日の翌日が晴天になるのは珍しくないとのこと。うーん、ラッキー。

さて、「さんご礁ガイド」のひとり、伊舎堂英樹さんと話をしてみた。伊舎堂さんは若い小学校の先生で、学校でも普段から八重干瀬について生徒に教えていると言う。
<伊舎堂英樹さん>

この船には漁師もふたり乗りこんでいること、宮古島の住民は皆、サザエを獲りに来ていることなどを話してくれた。もともとこの日は漁師のお祭りで、さんごを叩き割って海産物を獲っていたのだ。

船で配られたさんご礁の解説書はこの人達「さんご礁ガイド」の面々が独自で作成したものだ。一目で見分けられる黄色いゼッケンをつけ、首からラミネートした貝の写真をぶら下げている。


上陸

コバルトブルーの青い海がエメラルドグリーンの緑色に変わり始めた。本日の干潮はだいたい14:00前くらい、しかしすでに陸も確認できる。茶色く見えるのが浮き上がった陸だそうだ。

13:00になって、船が着岸に苦労している。
<下船>

人工の港ではないから、船員のひとりは海の中に潜って錨を下ろす場所を決めているようだ。自然を壊さないための綿密な作業。

船から下りるのに足はジャブジャブと水の中に入る。木の杖が配られ、注意深く歩き始める。

このためにサーファー用のウォーターモカシンなる靴を用意した。
<ウォーターモカシン>

歩きながらも、足元に大きなナマコが確認できる。青いヒトデ、青い魚。さっそくガイドさんのいるところに集まって、説明を聞きながらメモをとろう。危険生物のイモ貝など、触ると危ない貝も多い。シャコ貝などは強烈な圧力でふたを閉めるから指をはさまれる事故も多いとか。

団体以外では女の子のひとり旅が多いようだ。八重干瀬について、地元では漁師さん達は知っているがそれ以外はあまり知られてはいない。むしろこうして東京からの沖縄ファンのほうが八重干瀬に詳しいようだ。

<水中写真>

女の子から水中撮影も可能な「写るんです」カメラを渡されて、写真を撮ってくれと頼まれた。「記念になるように、腰まで入りなさいよ!」とふざけて言うと、素直にそうするから驚いた。もっとも浅くて、腰までとはいかなかったが。

快晴の暖かい青空と青い海だから、何も抵抗がないのかな。シャツの前をはだけておへそを出した彼女は笑いながらヒトデとジャンケンしていた。

青い海苔のついた岩礁にはヒレシャコガイ、ヒメシャコガイなどが埋まっている。逃げ遅れた魚やエビが放射状に逃げ去る。
<ヒメシャコガイ>

タカラガイやオニブシを説明してもらう。観察しやすいように、ガイドさんたちは水中メガネを準備している。これがあるのと無いのと大違いだ。

今回上陸した干瀬(びし)は一番北側の大きな陸地で、突端には船の安全のための標識も立ててある。



<ナマコをみつけた>

あちこちで小さな観察グループが出来あがる。歓声が沸きあがるのはシャコガイがピュ−っと水を吐いたり、タコやきれいな魚が隠れていたりするからのようだ。ほとんどこれは若い女の子グループ。地元のおばあたちは短時間の間にサザエなどを獲って帰ろうと必死のようだ。

スーパーで買ったほうが安いのになあ。
<完全に干上がった>

帰路のカチャーシー

実際に歩き回ったのは1時間強、予定時刻になると船が催促の汽笛を鳴らし、しぶしぶ戻り始める。ここに取り残されるとちょっと大変だ。
<汽笛が鳴って、引き上げ>


帰りの船は泡盛とサシミが配られ、さながら宴会場に変わってしまった。船会社も心得たもので、このために三線演奏と琉球舞踊のグループを呼び、帰港までのあいだ中大騒ぎとなる。

港が近づくにつれ、観客も一緒になって踊るカチャーシが始まり、演者も声がつぶれんばかりに歌いつづける。

このバカ騒ぎは沖縄独特のもの、断っても断っても船員が一升瓶を持ち出しては注いでまわる。上の階に上がり、海を見たくても動きがとれないくらい大勢の人。

市役所から来ている若い梶原博士とゆっくり話をするはずだったが、このハチャメチャ状態は港に帰るまでは終わらないだろう。

それにしても暖かい海だった。

今後の宮古の観光産業の目玉になるであろう「八重干瀬」、新たな課題も抱えていることは確かだ。人的インフラの整備と地元漁業関係者との調整、エコツアーとしての「八重干瀬」をいかに前面に出せるのか。

ダイビングの抱える諸問題と同じく、沖縄はいつも観光で潤い、観光で泣いている。
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