QJYつうしん 第176号 休日は山にいます

春一番のスミレちゃん ナガハシスミレの咲く 鳥取県岩美町 浦富海岸

2004・3・13

きっかけ

もう何年になるだろうか?

浦富海岸に群生するナガハシスミレの写真が載っている冊子を見て心を躍らせたことがある。こんな可愛いスミレがあるのだと驚いた。鳥取で泊まったホテルに置いてあった本だった。

そのスミレはまるで兵隊が鉄砲を担いでいるように整然と並んでいた。鉄砲に見えたのはスミレのシッポの部分、「距」とい呼ばれる花びらの一部で蜜が入っているおしべの器官でもある。

スミレ類の写真をホームページに載せていることもあって、是非実物を見たいとかねがね思っていた。そしてそこに書いてあった撮影日付にも驚かされた。3月上旬となっていたのだ。暖かい広島地方でも3月上旬に咲くスミレはまず無い、まして場所はまだ雪の残っていそうな鳥取県。

それから色々調べてはみたものの、図鑑などでは4〜5月に咲くこととなっている。ではあの写真はいったい?

ナガハシスミレは北海道から島根県が本州の分布となっている(「日本のスミレ」増補版)。もっとも初版では鳥取県までとなっていた、これについて著者いがりまさしさんは島根県から標本が送られて来たので、と説明してくださった。

もともと寒い地方のスミレということで、南部にあたる山陰地方では随分早く咲くということなのか。

そして浦富海岸の中のローカルな地名(ここでは表記しないこととします)にしてもなかなか紹介した記述も無い。具体的に場所が分からないのは仕方ないとしても、時期まで不明瞭では思い切って出かけるのもためらってしまうのだ。

浦富海岸

  3月の中旬にその場所に出掛けるチャンスが出来た。寒い鳥取県で果たしてスミレが咲いているのだろうか。それとも、その場所はよほど暖かいのだろうか。この一週間前には大雪が降っている。

  兵庫県との境にある浦富海岸にその場所があることが分かった。この近辺では「熊井浜」という場所で自然観察会なども開かれているようだ。「山陰海岸自然科学館」という施設も間近にある。様々な予測と予定を立てて、あとはそのスミレが咲いているだけという希望を持って出かけることとした。

一週間前の大雪がウソのような好天に恵まれて、起点となる網代の漁港まで車を走らせる。鳥取砂丘の少し先だと思って頂きたい。つまり鳥取市内からだととても近い。


  網代地区から沿岸道路に入り、丘の上に上がったとたん大きな地図看板が掲げてあった。通りがかりの老人にその場所を聞くと、近道があるから、山道を海に向かって行きなさいと指示された。

  もとより今日は一日かけて浦富海岸を歩くつもりだ、スミレを探すのに車で移動していても見つかるわけがない。さっそくカメラを担いで歩きだす。

  山道はホトケノザやカキドオシの花が咲いて、すでに春満開の状態だ。それは今日が暖かい快晴の一日であることでもあり、ヤブツバキが見事に赤い花をたくさん付けていること、オオバヤシャブシがすでに毛虫のような雄花を垂らしていることなどでも感じられた。

  ヤブニッケイ、ソヨゴ、ヒサカキ、ヒメユズリハ、シャシャンボの多い場所だ。山陽側の沿岸部と良く似ている。そう言えば先ほどからヒサカキの花の香りが鼻をつく。

  木々の間からは青い海がすぐ近くに見えた。なるほど、ここは景勝の観光地だ。車道からでもその複雑な海岸の地形が素晴らしい。

すると道の山すそに紫色のスミレが見つかった、おお、ナガハシスミレだ。点々とではあるが、タチツボスミレにしてはやけに長い距を空に向かって立てている。これなら判別できるぞ。

  いとも簡単に見つかった。

可愛いスミレ

道に沿ってたくさんある。

しかし、海岸部に下りるとまったく見られない。そうか、海岸に生えるスミレではないのだ。あくまで山林の山すそに自生するスミレなのだから、海岸部で見つけるのは無理だろう。

  ハマニガナやハマナデシコのロゼットが見られる。きれいな海には遊覧船がすぐそばまでやって来た。波は高くはないのだが、あの揺れようはどうも好きになれそうにない。

  さらに一周して丘に上がると、今度は群生が見られるようになった。これこれ、これが写真で見た兵隊さんのスミレだ。日照を強く受ける場所では紫色も薄い、しかし花びらの模様がとてもはっきりしている。花の中央部ではそれがややボカシ気味で、側弁に毛のあるタイプかと思ったが、そうではない。日陰に咲いているものは紫色が濃く、周囲にはまだまだつぼみも多い。

  歩道をはずれて崖っぷちの危なっかしい場所にもたくさん群生していた。テリハノイバラだろうか、気がつくと手の平はキズだらけ、タラノキまで歓迎してくれる。しかしそんなケガなどどうでもいいくらい、可愛いスミレの大群、いや大軍だ。

  自動車道に出て歩いてみてもこのスミレはたくさん目についた。どうしてナガハシスミレだけがこんなに早く咲くのだろうか?

  道路の側溝にはまだ雪が残っている場所がある。陽の当たる所と、日陰の差は激しい。

  ちょっと様子が違うな、と思うと、それはうすピンクの山陰型コタチツボスミレだ。しかしナガハシスミレほど特徴を持ったスミレは他には無い。長い距を天に向かって突き出している様子は、ついQJYネームを付けたくなる。

  ヘイタイスミレ、ハタタテスミレ。これはまるで戦国時代の兵が合戦の旗を立てている様子。和名とは別にテングスミレの別名を持つが、見た感じからはむしろ顔より尻を突き出しているように見える。

  シッポスミレ、ワンワンスミレ、ボウタテスミレ、ピンピンスミレ。元気のいい男の子のようで・・・、いや下品になるから黙っていよう。

map

  熊井浜(くまや)

山陰海岸自然科学館はこの地方の自然を解説した興味ある展示がしてある。ここに車を置いてしばらく歩いてみることにしよう。自然館の裏の山道を熊井浜に向けて歩くとさっそくナガハシスミレがお出迎えだ。コタチツボスミレも多い。

尾根筋を歩くのも春爛漫だからうきうきしてくる。

つぼみをつけたシュンランがもう出番を待ちかねているぞ。

歩き始めて20分で熊井浜への分岐点だ。雪解け水を集めて浜までの道は足元が悪いが、ここでもナガハシスミレがたくさん歓迎してくれた。浜辺までの小さな小道をササの陰に隠れてトキワイカリソウやショウジョウバカマの葉が確認できる。しかし花を見せてくれているのはナガハシスミレだけのようだ。

熊井浜には戦後の孤児を育てたエリザベス・サンダーズホームの別荘もある。浜はハングル文字のボトルなどが散乱し、お世辞にもきれいとは言えない。この浜を地元の人は「くまや」と呼ぶのだそうだ。白い砂と自然の岩礁、四季を通じて咲き乱れる花は厳しい鳥取の自然の中でじっと耐えて来た。  岩礁にはタイトゴメ、海岸そばの山すそにハマウド、マルバグミなどが確認できた。

こんな小さな浜が浦富海岸ではあちこちに点在する、まるでプライベート・ビーチのように。

帰りは車道に沿って自然科学館まで戻ろう。羽尾坂トンネルの入り口に出て、想像どおりこの山すそも尻尾を立てたスミレがたくさん並んでいる。

結局、早過ぎると思ったナガハシスミレの開花は今が旬のようだった。

今回はこのスミレしか目を向ける余裕が無かった。いつかゆっくり「くまやの自然」ともお付き合いしなければ。

乳母車を押しながらおばあちゃんがゆっくり歩道を歩いている。追い越す時、目と目が合うとにっこり微笑んでくれた。

「おばあちゃん、お先に!」

畑には菜の花、青い空には雲ひとつなく・・・・。