□ 第十一回「偽りの真実・真実の過去」〜ヴァイオラの徒然日記 □

120年1月某日
新人のアルナハトは、研究員というよりむしろ被検体としてスカウトされたようだ。実際、彼には雑務程度の仕事しか任せられない。
「アルナハトには、私と同じ『匂い』のようなものを感じるのだ」
所長はそう言って、しばしば彼と二人だけで実験室に籠もるようになった。研究の方は進んでいるみたいだけど、あまり根を詰めては身体に障りますよ、所長。
 
120年1月某日
所長が変だ。虚ろな、けれど熱っぽい目で独り言を呟く。
時折、「ランバート」、「アレスト」、「アクアリュート」など、私の知らない名前が聞き取れた。……もしかして、「もう一人」の力が強くなっているの?
身震いするほどの不安に襲われる。けれど、私にはどうする事もできない。どうすればいいかもわからない。
ただ、ひとつだけ確実な事は――。
アルナハトが来てから、何かが狂い始めたのだ。
 
120年1月某日
ロー君は所長の用事で明日から出かける。このところ外出が多い。
「何か入り用な物はありやすか」
「んー、そうねぇ……」
香油に使う原料を頼もうかな、と思ったその時。

『――て……れ!』

どん、という物理的な衝撃にも似た、心と心の接触。
反射的に悲鳴をあげていた。

『――けて……くれ!』

痛い、痛い、いたい、イタイ。
心が、引きちぎられる。息が出来ない。

『リズィ……!』

頭に直接響く声。死の直前にある者の、絶望と恐怖と痛みが伝わる。あまりに強く心を掴まれて、ほとんど自分の事のよう。真紅と黒に彩られた苦しみを彼と分かち合い、共に悲鳴をあげる。その苦痛の共有に奇妙な快感を覚えながら、私は必死になって応えを返した。
「私は……ここです。ここに、居ます」
その途端、私はそこから切り離された。もう直接的な痛みはなかった。ただ、明瞭になった彼の声からその苦しみを感じ取る事が出来るだけで。

『……助けてくれ、私が私でなくなってしまう。もう時がない。私を、殺して欲しい。
私の中の何かが、目を覚ます。それに私の研究を見せてはならない』


だんだん声が遠くなる。くぐもって細くなる、彼の声。

『私を殺して、私の研究を無きモノにして欲しい。奴に渡してはならない――』

ぷつり、と糸が切れるような感触。
真っ白で空虚な静寂。

どれほどそうしていただろう。気が付くと、目の前にロー君がいた。
「姐さん……」
彼にも聴こえていたのだ。それは顔を見ればわかった。
「姐さん……」
どうしてそんな目をするの。それはあなたも悲しいから?所長がいなくなってしまっ……

嗚呼。

私は目をつむった。立っていることもできず、床にくずおれる。そんな私をロー君が慌てて支えた。
「姐さん!」
「もう、だめかもしれない」
ずっと怖れていた「その時」が来てしまった。そして、あの人はもういない。いなくなってしまった。それなのに……
「しっかりしてくだせぇ!」
ロー君が肩を掴んで揺さ振り、いつになく強い口調で言った。
「姐さんがやらなけりゃ、誰が親方の願いを叶えるんでやすか。誰が仇をとるんでやすか。……大丈夫です、あっしがついていますよ」
「……そう、そうね。その通りだわ」
彼の言うとおりだ。私が叶えるべき願いなのだ。こんなところで嘆いている暇はない。ちゃんと考えて手を打たなければ。
あの人の、最初で最後の頼みなのだから。
「……どうすればいいと思う? 相手は強力な魔術師よ」
「そうでやんすね――」

その晩、私たちは一睡もしなかった。
 
120年1月某日
その日から、所長は変わられた。
口数が減った、食事を共に取る回数が減った、ふさぎこんで何か考える時間が増えた。
傍目からは、判らないちょっとした変化。他の誰も気がつかない、些細な変化。
けれど、確実に何かが変わった。所長であったものから見知らぬ何かに。

私は日に三度、スクロールを開いて中を見る。今日もロー君からの返事はない。手頃な蛮族が見つからないのだろう。
――早く、早く戻ってきて。手遅れになる前に。奴が全てを手に入れる前に。
 
120年2月某日
表面上は何も変わらぬ日々が過ぎていった。けれど、それももうすぐ終わる。
――明日、ロー君が戻ってくる。
 
120年2月某日
ロー君は袋一杯にお土産を抱えて帰ってきた。おかげでその晩は、いつもの味気ないフードクリエーターではなく、ちゃんと料理した夕食が出された。「奴」が食堂に現れなかった事に少し安心する。ロー君はうまく薬を混ぜられたようで、皆眠たそうな表情だ。私は風呂に入ると言って食堂を出た。
部屋へ戻ってみると、いくつかの包みと一緒にメモが置いてあった。
『今夜決行』
そう。ならば私も準備を始めましょうか。
私は目の前の包みを慎重に開いた。思った通り、鉛で封をされた小瓶が現れる。注文通りの物を探し出してくれたようだ。実験室から持ち込んでおいた器具の上に、護身用の細い短刀を横たえる。
まだ家にいた頃、私は高貴な子女のたしなみとして短刀術を習わされた。神官の身には不要のものだったから、今まで使ったことはない。当然だ。使えば即座に神の寵を失う。
だからこそ、最後の切り札になり得る。
手袋と臭気除けのマスクを着け、私は細心の注意を払って封印を破った。ゆっくりと刃の上に雫を垂らしながら思う。
私はきっと、神の御許には逝けないのでしょうね。

袖の中に短刀を差し、かねてより打ち合わせてあった通り食堂に向かう。まずは魔晶宮を壊さなければ。
たとえ「奴」が自力で魔法を使えるにせよ、この異変に不審を感じて見に来るはずだ。もうすでに蛮族共は侵入しているはず。うまくぶつかってくれれば良し。駄目でもこの破壊工作の言い訳になる。
どちらの場合もロー君が危険なのだが、それは考えないことにした。それに、これは彼の立てた作戦なのだ。きっと何か手があるのだろう。……きっと。
私は魔晶宮の基礎部分を破壊した後、蛮族っぽく見えるよう辺りを軽く荒らしておいた。

魔力を失って重くなった扉を開けようとすると、廊下から明かりが漏れてきた。まさか蛮族が?そう思った矢先、まるで普段と変わらぬ軽さで扉が開いた。思わず転がり出た先には、眠っているはずのアルナハト、オルフェア、そしてアルフレッドソンの姿があった。
どうしよう、こんなに早く薬が切れるなんて計算違いもいいところだ。
私は内心パニックを起こしていた。なんとか食堂から出てきた言い訳を考えようとして、咄嗟に蛮族が侵入したらしいと告げる。そのせいで魔晶宮も破壊されたのだと。
言った瞬間後悔した。だが、もう遅い。
案の定、オルフェアは不審を抱いたようだ。仕方ない。なんとかここから建て直しを図らなければ。うまい具合に彼女たちは食堂を見に行ってくれたし、アルナハトだけでも……。

結局誘導したにはしたが、奥の部屋に通じる隠し扉の前で戻るハメになった。いきなり突き上げるような激しい揺れ。周り中が軋みをあげていた。誰かが大地を動かす呪文を発動させたのだ。このままいけば工房全体が沈む。騒ぎの中叩き起こされたジルウィン達は、姿を見せるなり問答無用で逃げ始めた。他の皆もよろめきつつ後に続く。
そう、逃げなさい。あなた方まで巻き添えになる事はない。
ひとり奥の扉へ向かったその時、
「扉を開けちゃ駄目だ」
ジルウィンの不可思議な制止。開けたら良くない事が起こる、と神託をうけた者に特有の声音でそう告げられた。……鷹族は「神の目」。これはその力の一端なのだろうか。迷うわたしに、とにかく出口の確保が先だとアルフレッドソンが言った。ここで押し問答してもしょうがないのでひとまず従うことにした。

玄関へ向かい始めてすぐ、正面の曲がり角から人影が現れた。「所長」だった。あちこち血の滲んだローブを纏い、こちらに向かってゆっくり歩いてくる。そう、蛮族達もある程度働いてくれたのだ。わたしはここで言うべき台詞を叫んだ。
「所長! ご無事で!」
「……工房内に蛮族の侵入を手引きした者がいる」
無表情に告げる。一瞬息が止まった。ロー君が……バレたの?
私には所長と対になっているプロテクション・アミュレットがある。だから心を読まれる事はないけれど、ロー君はただの蛮族。ESPなどかけられたらあっという間に全ての計画が漏れてしまう。だから用事に託けて、ずっと外で蛮族探しをしていたのだ。
でも、もし「奴」と対峙してしまったら? 蛮族を手引きした理由を探ろうとしたら? 当然、私が関わっているとわかってしまう。
……今こそ、この短刀を振るう時なのかもしれない。私は袖の中で、そっと柄を握りしめた。
だが、「所長」は私でなく、私の前に立っているアルナハトを見ていた。哀しみと憐れみを込めた目を向けている。
「ついに正体を現したな、アルナハト。いや、その内に眠る邪悪な者よ」
「え、え?」
少年は何が何だかわからないという顔をした。
「驚くのも無理はない。お前の中には、もう一つ邪悪な力を持つ人格が眠っていたのだ。私はそれを押さえようとしていろいろ手を尽くしてみたのだが、力が及ばなかった……。奴は手始めに私を殺そうと内通者を操り、蛮族を引き入れたのだ」
「そ、そんな僕は……?!」
ますます狼狽えるアルナハトから一歩離れ、私は探知呪文を唱えた。端からは「所長」言葉を確かめる為、アルナハトに魔法をかけたように見えるはずだ。だが、わたしの目的は「奴」にあった。
――本当に、いなくなってしまったのか。今目の前にいるのは誰なのか。わたしは確かめたかったのだ。

そうして私は冷たい現実をその目で見た。

「あなたは、何なの?!」
私は驚きも露わに後退った。背中が廊下の壁に当たる。「奴」が邪悪だと確認出来た事を隠す意味もあるが、アルナハトに驚いたのは本当だ。
「なぜ体中から、魔力を発しているの……」
すでにアルナハトは半べそだった。そうだろう。謂われのない罪を着せられ、糾弾されているのだから。
「全てはもう一人が為した事だからお前が知らないのは当然だ。だが、邪悪な人格はどうしようもないほど大きくなってしまった。もはや押さえることはできぬ。もう、殺すしか道はない。……だが彼に魔法は効かない」
ひきつった声を上げるアルナハトを見つめ、悲しげな表情を浮かべる。
「すまないアルナハト。……リズィ、頼む」
この言葉で、本当に所長はいないのだと思い知らされた。所長が私にこんな事を言うわけがない。絶対に。
躊躇う素振りを見せている間に、いつのまにか皆がアルナハトを殺すという話になっていた。またしてもジルウィンが不可思議な態度で「殺さなければ」と断定したのだ。全てを見透かすような目で。
確かに彼がきっかけで所長は「奴」に消された。確かに彼は得体が知れない存在だ。けれど、だからといって彼を殺してどうなるというのか。「奴」の言うことなど、一から十まで作り事なのに?
「ぼ、僕は死にたくない!!」
悲痛な叫びをあげ、アルナハトが目の前の戦士達にウェブをかけた。それをするりとかわし、ジルウィンとダルフェリルが反撃に出る。か弱い少年をなぶり殺しにする光景に耐えられず、私は思わず叫んだ。
「なぜ彼を殺す必要があるの」
「ダーネルを殺せる剣になるからだ」
振り向いた彼女の目には真実の光があった。彼女は「所長」が誰だか知っているのだ。そして、「奴」を殺せるのなら。
私はアルナハトに呪縛呪文ホールドパーソン投射キャストした。

いつの間にか燃えだした廊下一杯のウェブの前で、アルナハトは瀕死ながらも辛うじて立っていた。炎の向こうから遠くアルフレッドソンが「奴」を倒したという声が聞こえる。しかし、アルナハトが化身した「剣」でないと駄目なのだという。そう、「奴」はまだ死んではいない。
「リズィ、止めを刺せ」
「奴」が復活しない内に「剣」を手に入れたいのはわかる。位置的にも私が手を下すと効率がいいのもわかる。けれど、私は今攻撃できる呪文を持っていない。もちろん武器だって持っていない。あるのは袖の中に忍ばせた短刀だけだ。それで人を殺したら、私は神の道を捨てる事になる。「奴」を仕留めるためならその覚悟もできた。でも、アルナハト相手では……。
「……私は、彼の為に自分の生き方を捨てるつもりはない」
「お前の生き方の為に死ぬ気は無い」
言い放ったジルウィンの剣がアルナハトを貫いた。哀れな少年は、みるみるうちに一振りの剣へと姿を変えた。刀身にルビーの挟まった、見るからに魔力を帯びた長剣――奴を殺せる剣に。
だが、私が手を伸ばすより早く、ジルウィンが剣を掬い上げるように掴み取り、炎の中へと走り込んだ。私は必死になって後を追った。一瞬煙の中でその姿を見失う。

――やめて! 奴を殺すのは私よ!

鎮火しつつあるウェブの向こうで、きらりと紅い光を放ち、剣が振り下ろされた。



工房が再び揺れていた。奴が今際いまわの際にかけた呪文が発動したのだ。ちょうどいい。所長は工房を破壊してくれと言っていた。奴は死んだけれど、所長がいないのに工房を残してもしょうがない。
「リズィ!」
呼ばれて、手を差し伸べられる。私はゆっくりと首を振った。
「私は、ここに残る」
ほんの少しためらって、頷いた。わかってくれたのだ。わたしの選択を。だが、その後ろからロー君が必死の形相で駆け戻ってきた。
「姐さん! 姐さんが残るならあっしも残りやす!」
「奴」に蛮族共々殺されたと思っていたけれど、ロー君は生きていた。なんとか「奴」を倒そうと、ずっと隙を窺っていたのだという。ほんの少しだけ心が軽かった。彼が生きていてくれて本当に良かった。彼だけでも生きていてくれて。
「……ごめんね、ロー君」
それは、ずっと言いたくて、でも言えなかった言葉。
私はロー君を押し止めているダルフェリルに目を向けた。
「彼も連れ出してあげて」
暴れるロー君を引きずり、彼らは走り去った。揺らめく炎を透かして、皆の背中が角の向こうに消えるまで、そして消えた後も、私はそこに立ち尽くしていた。


そうして、今は微かに燻る音だけが聞こえる。そこには誰もいない。
「――やっと、静かになりましたね、ダーネル様……」
ここに、二人で来た頃のように。
私は足元に横たわる彼を自室に運んだ。寝台の上で、その無惨な姿を出来るだけ清める。全てを終えて、私は彼の枕元に跪いた。
「私、あまりお役に立てませんでしたね。奴を殺したのも、工房を潰したのも、みんな別の人がやりました」
暗い部屋の中にいると、不思議と気持ちが落ち着く。
「初めて私を頼ってくれたのに、ちゃんとできなくてごめんなさい」
シーツの上に両腕を乗せ、その上に顔を預けた。なんだか昔、こんな事があった気がする。勉強のすすみ具合を報告している私を、ソファに座って見下ろしている彼。
「何もできなかったけれど。せめて、一緒にいさせてくださいね」

暗闇に誘われて眠りという小さな死が緩やかに舞い降りる。
――目が覚めたら、きっと彼が毛布を片手に言うはず。「ベッドで寝なさい」って……



 
 
460年4/21
……上と下にパーティメンバーが割れている事が発覚。透明な床を見下ろすと、足元に戦士連中の姿が。奥に続く通路があるし、進めばどこかで合流できるだろうという事になった。下の連中と話は出来るから、大声で連絡とりながら通路に入った。
すぐ目の前でT字。正面に隠し扉がない事を確認してから右に曲がった。すぐにまたT字。右手の法則で右へ。変な小部屋アルコーブを通り過ぎ、突き当たりの扉には『ダーネル・リッシュオット』のプレート。変な奴。自分しか使わない区画に自分の名前をぶら下げるなんて。
ここが最初に目指した目的地なのは間違いない。たぶん罠もないだろう。素直に扉を開けた。うん、大当たり。中には入り口で会った例の主が立っていた。しかし、予想に反して死体が無い。てっきりここに転がっているんだと思ったのに。どうするかねぇ。辿り着いたのは良いけれど、主の心残りが何なのかさっぱりわかんない。
他の部屋を潰してから戻るかな、と思ったら下の連中が現れた。スロープに分岐があって、そこを登ってきたらしい。
と、ジーさんが下で拾った剣を見るなり、いきなりダーネルの霊が騒ぎ出した。それで殺されたから、もう一度それで斬られれば昇天するという。よくわからない理屈だが、本人がそれでいいというのだし……。なぜか嫌そうなジーさんを促すと、しぶしぶダーネルに斬りつけた。




――『……の望みなら、私はどんな事でも……』

重なる想い。


――『奴は信用できない』

縒り合わさる道。


――『……私に、お前は付いてきてくれるか?』

終わりのための始まり。




目を閉じて、また開ける。瞬きする、その一瞬。
わたしは二つの人生を歩んでいた。
工房の研究者であるリズィ・フォア・ローンウェルハと、工房の襲撃者たる蛮族の司祭。
大きすぎる知識と感情に振り回されて、ひどい眩暈と吐き気に襲われる。反射的に込み上げて来たものを無理矢理押さえつけ、わたしは咄嗟に襟元を握りしめた。手の中に、いつもの堅い感触。それだけで、すっと肩の力が抜けた。

わたしはわたし。「私」じゃない。

息を整え目を開ける。今では馴染みのある風景となった書斎の真ん中に、アルナハトの剣に貫かれたダーネル所長が立っていた。動揺するよりも、彼にまた会えた事を喜ぶ気持ちの方がずっとずっと大きい。そう思ってしまう「私」をひとまず隅に押し込めておく。
「そうか私は……」
ダーネル所長は呆然としたように呟いた。
「彼に操られて……偽りの記憶を信じ込んでいたのだな……」
ふっと視線がわたしに向けられる。懐かしい人を見るようなその眼差しでわかった。彼は、わたしの中の影が誰なのかを知っている。
「…そなたに尋ねたい。彼らは、無事に生き延びたのだろうか?」
彼を慰めたいという「私」の気持ちと、彼に嘘を吐きたくないという「私」の思いが、束の間わたしの中でせめぎ合う。
いい加減にしろ、リズィ。死者にはすっぱり昇天してもらうものよ。
「ええ。彼らは工房を出た後、それぞれ己が選んだ人生を歩みました」
そう、自分で選んだ道を進んだ。彼らは。
嘘は言っていない。
「みんな幸せになりましたよ」
きっと。
あの連中は放っておいても勝手に幸せになるはず。ロルジャーカーはリズィがいない方が幸せになれると思うし。リズィも、あれはあれで幸せだったんだから、やっぱり嘘は言っていない。
「そうか……ありがとう」
ダーネル所長は微笑んだ。そのまま空気に溶けるように薄くなっていき――彼は昇天した。消える刹那、彼の声が脳裏に響く。宝物庫のコマンドワードだった。
……けっ、やってらんないわよ。結局両想いだったんじゃないの、あなた達。



カシャン。何かが落ちる音で目が覚めた。例の部屋だった。
………。
夢?……なわけない。今でもまざまざと思い出せる、あの時の記憶。
起き上がった床の下にはジーさん達が見える。なぜかロッツ君は血まみれで倒れている。とすると、向こうの偽ドッペルだと思ったのが、本物のロッツ君だったのか。ありゃー、大丈夫かな。
いきなりアルナハトの剣が空中に現れた。セイ君に呼びかける子供の声。なんか知らんが、どうやら弟のラルキアが剣に焼き込まれているらしい。言うだけ言って、剣はまたどこかへ消え去った。
呆然としているセイ君の足元からボーヤが叫んだ。ロッツ君が死にかけている、と。ラッキーが急いで下に降りていったが、その迷いのない行動に、ふと疑問がわき起こる。どうしてスロープの分岐を知っている? さっきの夢はわたし一人のものだったのか? それとも?
セイ君にこっそり声をかける。
「セイ君は夢の中で誰だった?」
「ダルフェリル……」
思った通り。すると、パーティ全員が似たような境遇の人物にシンクロしたのだろう。彼も自分以外の人間が夢を見たことに思い至ったらしい。恐慌状態で、わたしがジルウィンでないか確認をしてきた。違ってて良かったね。
ちびもやはり蟠りがあるようだ。当然だろう。現在の自分の境遇と、あの状況で殺されたアルナハトはほぼ同じだ。下手をするとここで離脱するかもしれないと思ったのに、何か納得する部分でもあったのか。ちびは自分が自分である事を再確認したようだ。

意識の上では三度目になるせいか、通い慣れた感のあるダーネル所長の部屋へ。かつてインヴィジブルストーカーが待ち伏せしていた小部屋を通り過ぎる。思えば、あの蛮族の連中も可哀相だ。ただの手駒として引き込まれ、「奴」の手で次々と嬲り殺しにされて。わたしは扉を開けてすぐのところに転がっている骨に黙祷を捧げた。
かつてダーネル所長の立っていたところには、所長が身につけていたはずのリングとアミュレットが落ちていた。すかさず鑑定をしたちびが、自分に着けさせてくれと言った。確かにそれはいいかもしれない。あのアミュレットは精神探索系の魔法を防ぐ機能だけでなく、「奴」を押さえ込む力もあったはずだ。
そうやって戦う意志があるなら、アルナハトのようにはならないだろう。皆の了承を得たちびは眠り姫と化した。
寝ているちびと散らばる蛮族の骨を脇に除け、書斎を物色する。ダーネル所長から好きな物を持って行けと言われているし、死んだ人間にはもう必要ないだろう。いくつかの書物と、所長の着替え用ローブ以外にめぼしいものは無い。後は鎮魂用に酒を撒いて、宝物庫に向かった。
一人先行し、角を曲がったところでダッシュ。後ろの連中が追いつかない内に、わたしは扉の前で小さくコマンドワードを唱えた。これを他の連中に聴かれるのは、何故かとてつもなく嫌だったのだ。
「我願う。リズィの幸せを」
ホントに馬鹿馬鹿しい。二人して後ろ向きなんだから。時間が限られているからこそ、互いに欲しい物を欲しいと言うべきじゃないのかな。そうすれば、ずっと幸せだったと思うし、あんな結末にならなかったかもしれないのに。
研究に財産をつぎ込んでいただけあって、すごい財宝というわけにはいかなかった。それでも、当座に必要な資金としては十分だった。とはいえ、ちびが寝てしまっている現在、これだけの貨幣を運ぶにはちょっと手が足りない。外で待っているはずのヘルモーク氏に頼む事にした。それでもまだ1000GPほどが小銭の山と共に残される。これは非常時の資金として台所に隠すこととする。運搬料を要求したヘルモーク氏によると、まだ21日だとの事。やれやれ良かった。呪文も使っているし、今日はここで一泊して、明日村に戻ることにした。
応接室に向かう途中、ふとリズィの部屋の前で足を止める。この扉の奥には、今も尚寄り添う二人の骨があるのだろう。死んで添い遂げるなんて、実に後ろ向きだ。いい歳して何をやっているんだこのバカ共は、などと思うけれど。彼らは過去の住人達。わたしが怒る筋合いでもない。
――さようなら。おやすみなさい、良い夢を。
 
4/22
重い荷物を担いで出発。やはりホールディングバッグが必要だ。
 
4/23
ラッキーが例の日について聞いてきた。そりゃそうだ。リズィの行動は端から見たら支離滅裂だもんね。なんとなく吐き出したいという思いもあり、何があったかを教えてあげた。
そうやって振り返ってみると、やっぱりむかつく。なまじ境遇が似ているから――家族との関係とか。唯一の理解者とか。譲れない大切なものとか。自分の中で一等賞な人とか――それが自分と重なってしまいそうで、とても嫌だ。

ふと思った。書斎にダーネル所長のマジックアイテムが転がっていたという事は、リズィの部屋にある骨はローブしか着けていないのだろうか。気になる。
 
4/24
今日もツェーレンに万歳。
 
4/25
やっと村に着いた。あがりの一割は村へ税として納め、最終的にはマスタリー費用の他に1万ばかし余った。ちと中途半端な金額だし、全員に1000GPずつ渡す。自分の自由になる金があれば、それなりに価値を覚えていくだろう。それに、このランクの実力を持った人間なら、もうちょい身の回りに気を遣ってもいいと思うよ。

夕食後、突然セイ君がヒマワリを育ててもいいかという。異論はない。あれは種も穫れるし。そう言ったら何故かセイ君はショックを受けたようだ。どうもラストンでは意味無く花を愛でるものらしい。とすると、前回の菜種油の時も、目的は油ではなく花だったに違いない。なんという無駄使い。さすがはラストン人。
ボーヤもラッキーもその点はわたしと同じだが、ジーさんはさらに「花」に対する思い入れが強いようだ。国によっていろいろあるんだね。おもしろい。
セイ君のあまりの拘りように、さすがに皆訝しげだった。しかし「母さんが好きだったから」、その一言で納得されてしまうのも、男としてどうかと思うよ。きっと彼はホームシックなんだという事になり、明日は皆で森へ花を採りに行くことにした。
 
4/26
ピクニックがてら、草木を集めまくる。戦果は上々。ひとまずキャスリーン婆さんのところへ預けておき、夜中に家中を花で満たすという、題して「花でいっぱいのおうち」計画。すでに当初の目的を忘れ去り、セイ君を驚かせる事の方が重要になってきたようだが、まあいい。仲良きことは美しきこと哉。
セイ君を早く寝かしつけるために、ボーヤと酒盛り。予定通り事を進める。夜中の騒音は迷惑なので、当然サイレンス。花器が足りずに鍋や皿に飾られたのはご愛敬という事で。
 
4/27
セイ君はびっくりしていた。感動のあまり、喜んでいないように見えた。難しい年頃なのか。
昼過ぎ、ジーさんと二人で散歩に行って戻ってきた時には、喜びに満ち溢れていた。二人で恥ずかしそうに手なんか繋いじゃって。かわいいねぇ。んー、屋根裏がギシギシいう日も近いかなぁ。
 
4/28
眠ったままのちびをヘルモーク氏に頼み、セロ村を出発。今度戻る時には、あのコアを潰す準備に入れるだろう。それまで、この地に何事も起こらぬよう切に願う。

 

 

 

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文責:柳田久緒