池を覗き込むと、暗い水の中に私が映る。
私はわたしに向かって手を伸ばす。
互いが触れあえば水面は歪み、わたしは消える。
――わたしは何?
夢を見ていた。
昔どこかで知っていた場所。光に溢れる庭園の奥、苔むした倒木の影の小さな池。その前に誰かが立っている。
『なにを見ているのですか』
『もう一人の自分を』
その目は足元を見下ろしたまま。
『水面に映った私は私だろうか』
私にはよく意味がわからなかった。たかだか12やそこらの子供にそんな話をするなんて、ずいぶん変な人だと素直に思った。
ああ、これはあの人と初めて遇ったときの夢。私は夢の中で頷く。
同時に頭の裏側で何かが「否」と言った。濡れた薄紙のように離れない、奇妙な重みを持ったそれ。私であるのにそうじゃないと、なぜだか識っているそれ。
私は自覚した無意識の裏側でそれを黙らせた。
邪魔しないで。幸せな時は短いのだから。
可聴範囲を外れた残響のような応えを残し、すうっと違和感が消える。
それに引っ張られて意識が覚醒するのがわかった。
ふいに目が覚めた。なんだか変な夢を見た気がする。壁の時計を見ると、まだ起きるには少し早い時間だった。
けれどもう一度寝直すには半端な時間。
どうしようかと迷っていると、後ろから緩く抱き込まれた。そうして背中から伝わる体温を感じ、自分でも驚くぐらいにほっとした。彼はその優しさで、いつでも必要なときに必要なものを与えてくれる。
――だから時々、錯覚したくなる。
すり寄せた頭の上から聞こえる寝息に誘われ、ゆるゆると眠気が這い上がってくる。眠りに落ちる寸前、決して言えない言葉を、声に出さず呟いた。
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文責:柳田久緒