コール

 

 年号が昭和から平成に変わって、今日は始めての5月の最終日曜日である。何の変哲もない晴天の日曜日 であるが、競馬界にとっては一大イベントの1つ日本ダービーの日である。東京競馬場には栄光のダービー馬 を一目見ようと約20万人の人々が集まった。
「ジリリリリン」
 3時28分、勝馬投票券の投票が締め切られた。そのベルの音に20万の観客は歓声を上げた。その歓声は 、高野英次の耳にも届いていた。英次は待機所の中から馬をゲートの前まで誘導し、ヘルメットの上に被せてある ゴーグルに手をかけ顔にもっていった。心地良い緊張感と同時に、英次の騎乗するアイリスカミカゼとの出会い から先月の皐月賞までの出来事を一瞬のうちに思い出していた。
 待機所からゲートまでは約1F(ハロン)、外ラチ沿いをゆっくりとダク(歩く)で流したとしても、 約1分という短い時間にである。
   

(1) 夏

 昭和の最後の年の夏、英次は1人、茨城県の美浦にある美浦トレーニングセンターにいた。普通の騎手なら ば夏競馬で北海道に遠征するわけだが、英次にはそれができない理由があった。夏競馬はハンデ戦が多く組まれている。 英次は元々身長が高く、思うように減量ができずに苦しんでいた。人気馬に騎乗できるのであるならば、そんな ことは気にしなくても良いのだが、英次のような三流騎手には人気薄の騎乗依頼しかこない。そうなると自然と 軽ハンディになり、53キロ以下は騎乗できない英次にとって自然と騎乗回数が減ることになる。
 そこで、英次の兄弟子である加橋調教師が。
「暇だったら、家の馬の世話をしてくれないか」
 と声を掛けてくれた。英次は喜んで引き受けた。
 加橋厩舎に1頭の黒鹿毛のサラブレットが入厩してきた。名前をアイリスカミカゼ号といい、父はフランス でサンクルー大賞などを勝ったシーホーク、母は4歳牝馬特別など重賞を3勝したテスコガールである。これほどの 良血馬が加橋厩舎にくるのは、始めてであった。
 普通の3歳馬ならば3月か4月には入厩しているのだが、この馬は足元が弱くこの時期まで入厩が遅れていた。 加橋はこの馬の調教からゲート試験など全てのことを英次に任していた。
「英次。この馬は足元が弱いから、坂路とウッドのインターバルでやってくれ」
 加橋の言葉には兄弟弟子の会話というより、師と弟子というような口調だった。
「分かりました」
 英次もそのことは十分わかっていた。
 英次はアイリスカミカゼにまたがり、ウットチップコースに進んだ。英次は始めてこの馬に騎乗したのだが 、両足の送り方や首を上下に振る仕草などは他の馬と違うと感じていた。
 加橋の指示は、インターバル調教であったが、その前に準備運動代わりに向上面まではダクで進み、そこから キャンター(早歩き)に移し、最後はギャロップ(駆け足)になる。
 このインターバル調教は、1日に何回も同じコースを走らせるため、馬に騎手の手綱によって「行け」とか 「止まれ」の指示を覚えさせる狙いがあったが、カミカゼは英次の指示を振りきって、ギャロップに変わった瞬間 に思いっきり走り始めてしまった。英次は加橋の指示通り「馬なり」にするために手綱を絞ったが、カミカゼ は気持ちよく走っていた。そして、1本目のインターバルが終わった時に加橋が英次に駆け寄ってきた。
「英次。誰が一杯で追えって言ったよ」
 加橋は凄い剣幕で、英次に怒鳴りつけた。
「先生。僕は言われたように馬なりで手綱を絞っていましたよ」
 英次は冷静に答えた。
 タイムに気を取られていたが、確かに英次は手綱を絞っていたことを加橋自身感じていた。
「しかし、上がり35秒9にラストが11秒7だぞ、オープンクラスだって馬なりじゃ出せないぞ。 ましてや先週入厩したばかりの新馬に・・・」
 加橋の信じられないと言う表情は変わらない。
「先生。それがこの馬の実力なんですよ」
 英次の言葉には自信が満ち溢れていた。加橋もそんな英次の言葉を信じていた。それから、アイリスカミカゼ 号はデビューの日まで、心肺機能と足元を鍛えるために、坂路とウットのインターバルによって毎日3本から 4本行われていた。しかし、この本数は普通の馬の1・5倍から2倍のハード調教であった。

(2) デビュー

 暑い夏競馬が終わり、場所も北海道から中央場所である府中や中山へと移動していた。しかし、英次は相変わらず 美浦トレセンに残って、加橋厩舎の馬の調教をつけていた。
 ある日の朝、調教を終えた英次の元に加橋が近寄ってきた。
「英次。カミカゼのデビューが決まったぞ」
「本当ですか」
 英次はついにこの日が来たと喜んでいた。
「それで、いつなんですか?」
「今週の東京第5レース、ダートの1400メートルだ」
「やはりダートですか」
 英次は少し不満そうに答えた。何故なら、カミカゼのスピードは英次が1番分かっていたし、血統からも 芝向きだと感じていたからである。
「そうだ。やはり足元が心配だからな」
 加橋も芝向きであることは、誰よりも1番良く感じていたが、馬を優先する余り仕方がないという口調 である。さらに加橋が。
「そのレース英次が乗ってくれないか」
「えっ」
 英次は突然の騎乗依頼に戸惑っていた。
「嫌か」
「いえ。しかし、先生の厩舎には中立(なかたち)がいるじゃないですか」
 確かに、加橋厩舎には中立永吉という所属騎手がいたのに、自分になぜ乗らせるのか、英次はそのことが不思議に思った。
「本来なら、永吉に乗らせるのだろうが、おまえはカミカゼのゲート試験から調教まで全てを行ってきた。だから、 カミカゼを手の内にいれているだろう。それにこの時期だったら、新馬戦も54キロで騎乗できるからな」
 そう言われると、英次に断る理由がなかった。
「はい。乗らせてください」
 英次は、久々にレースに出れることよりも、加橋に信頼されていることのほうが嬉しかった。そして、その日 の夜は宿舎のベットで過ごした英次は緊張で一睡もできなかった。
 英次は朝日が昇ると、真っ先にカミカゼのいる東京競馬場の出張馬房へとでかけた。普通の騎手ならば、その日 に騎乗する馬のハンデや別定重量に応じて自分で鞍を作りレースの順番に並べて準備するのが、英次はカミカゼ しか騎乗依頼がないため、そのような心配をする必要がなかった。それよりもカミカゼの体調の方が心配だった。
 カミカゼは1枠1番、馬体重500キロの1番人気であった。どの新聞紙上においてもカミカゼの調教タイム から、間違いなく新馬戦はクリアーできるという見解であった。もちろん英次も自分がスタートでミスさえ犯さなければ 、例えダート戦であったも絶対に勝てると確信していた。
 第4回東京開催の最終日・第5レース・ダートの1200メートルのスタート時間になった。
 最終日とあってか、新馬戦であるにもかかわらず初出走の馬は、英次の騎乗するアイリスカミカゼしかおらず、 残りの10頭は皆2戦目か3戦目という経験馬ばかりであった。
 ゲートが開き、各馬一斉に飛び出した。1頭も出遅れはなく、もちろんカミカゼも好スタートを切った。
「良し」
 英次は、思わず口走ってしまった。そして、カミカゼは英次の制止の指示を逆らってまで、先頭に立ってしまった。 こうなったら逆に抑えるよりも馬の気分に任せて走らした方が、良い結果が生まれることは当然英次も知っていた。
 そして、第4コーナーを回った時の手応えから「勝てる」と英次は確信していた。
 しかし、東京競馬場の長い上り坂を登り終えた残り150メートル地点で、今までピンと立って走る気満々 でいたカミカゼの耳が、何かにおびえるように倒れてしまった。また、英次の耳にも、カミカゼの足音の他に もう1頭の足音が近づいてくるのが分かった。それが原因でカミカゼの手応えがなくなり失速し始めていた。
 英次はカミカゼに力一杯手綱をしごき、右手で鞭を叩いて、もう1度走る気になるように努力した。だが、 岡倍(おかべ)騎手騎乗のロングローマンに並ぶ間もなく差されてしまった。
 結果は、1馬身2分の1差の2着であった。英次はレースを終えて馬をクールダウンの意味も込めてゆっくり と引き上げてきた。そしてその道中で。
「オレの判断ミスだ」
 英次はそう考えて、地下馬道を通って戻ってきた。
「ご苦労さん」
 カミカゼの担当厩務員である佐藤が声を掛けた。
「すみませんでした」
 英次には、その一言しか頭に浮かばなかった。
「ご苦労さん。惜しかったな」
 加橋がカミカゼの首筋をポンポンと叩きながら言った。
「すみませんでした」
 英次がカミカゼから降りて、加橋に深々と頭を下げた。
「何いってんだ。経験馬相手に良くがんばったじゃないか。英次、次も頼むぞ」
 加橋は頭を下げる英次の肩にそっと手をおいた。
 英次は自分のミスで負けたと思っていたので、次の騎乗は無いと思っていた。だから、加橋の言葉 が不思議とも有難くとも感じ取れた。
 カミカゼの2戦目は意外と早かった。中1週で迎えた、東京競馬場・第4レース・ダート1600メートル の未勝利戦であった。
 英次に対し、加橋の指示は「将来がある馬だから、押さえる競馬も覚えさせよう」というものだった。 英次はその指示通りに、今回は3番手から追走したが、やはり頭差届かずの2着だった。
「どうだった」
 加橋はレースを終えた英次に聞いた。
「やはり。まだ他馬を怖がるところがあるので、スタートから先頭に立つレースの方が良いと思います」
「そうか」
 加橋はそれ以上のことは聞かなかった。
 そして、カミカゼもしばらくレースから遠ざかっていたが、英次は相変わらず騎乗馬が無く、加橋が管理する 馬の調教を行っていた。

1996年作 SUGAR F