時間(とき)2

 

(1)  香織

 恭子が、英次の前から姿を消してから、1年の月日が経っていた。彼も彼なりの生活の中で恭子の存在を 忘れかけていた。いや、忘れようと努力していた。
 しかし、英次にとって恭子の存在は、あまりにも大きいものだった。自分が恭子に送った詩の内容(「 会えない日が多くとも夢を訪れ1つになれる」)からも始めのうちは、自分が恭子の夢を見ることによって 、また、彼女が同じ夢を見ることによって、彼女が寂しくないのだと思っていた。しかし、「時間」が 経つにつれ、その思いが何時の間にか自分の寂しさを癒すために見る夢に変わっていたのだ。
 だが、毎日のように見ていた夢も2日に1回、1週間に1回と回数が減っていき、英次の心の中から 恭子の存在が消えかかっていた。
「木根さん。今晩、時間あります?」
 英次に声をかけてきたのは、新入社員の香織だった。香織は、英次に気があるらしく、また、周りの 目を気にすることなく英次に近寄ってくるのだ。
「大丈夫だけど、なんで?」
「今度の連休に行く、社員旅行のことでちょっと」
 香織は、周りの社員に聞こえるかのような大きい声で、英次に言った。そして。
「本当は、2人ってきりになりたいんです。じゃあとで」
 香織は、背伸びして、英次の耳元で囁いた。そして、足早に去っていった。
「ちょ・ちょっと香織ちゃん」
 英次の呼びとめる声に、香織は振り返って手を振るだけだった。
その日の仕事を終え、英次も帰路につこうと会社を出ようとしていた。
「木根さん。遅い」
 香織も英次に気が付いたのか、英次に駆け寄ってきた。
「なんだ。そう言うことかかよ。それじゃ、邪魔者は1人で帰るか」
「おい。佐藤待てよ」
 追いかけようとする、英次の左腕をしっかりと掴んで香織は離さなかった。
「さぁ。行きましょう」
 香織は、その腕を佐藤とは反対の方向に引っ張って、英次を誘導した。
 英次も1度は約束したのだからと、香織の誘いに付いていくことにした。
 そして、英次行き付けのバーに入っていった。英次は、いつものスコッチウィスキーをショットで注文 し、香織には、口当たりの酔いカクテルを注文した。
「これ、おいしい」
 香織は、英次の注文したカクテルを偉く気に入っているようだった。香織は、お酒を飲める年齢を少し 超えたばかりであるため、英次も多少気を使って注文したつもりだったが、ここまで気に入ってくれると、 英次の飲むウィスキーもまた一段とおいしいく感じてくる。
「これおかわり」
 香織は、飲み干したグラスをバーテンダーに差し出した。
「ちょっと香織ちゃん。ペース早いよ」
「だっておいしいんだもん。それに、これH酒じゃないでしょ」
 香織は、英次に微笑んで返した。
「ち・違うよ」
 英次は、その微笑にタジタジになっていた。
「な〜んだ!」
 香織は、本気か冗談か分からないような返事をした。
「香織ちゃん。旅行の話じゃなかったの?」
 英次は、香織のペースにならないように、話しのネタを変えた。
「そうなんですよ。今度の連休、課のみんなで山形に行くじゃないですか?私、あまり・・・いいえ 、絶対行きたくないんです」
 それまでの冗談のような香織から真剣な面持ちに変わった。
「どうして・・・?」
 英次もその変化に気付いたのか、香織の話を聞く素振りを見せた。
「・・・・・・」
 香織は、うつむいたまま黙ってしまった。
「黙ってちゃ、俺だって分からないよ」
「すみません」
 香織は、そんな英次の言葉にもスッと立ち上がり足早に出ていってしまった。
「香織ちゃん」
 英次は、旅行の話で呼ばれたはずなのに、何も話さない香織のことが心配になっていた。英次自身 このような気持ちになったのは、久しぶりのことである。
「おはようございます」
 翌日、英次の心配をよそに、香織は、昨日のことがなかったかのように、元気な姿を英次の前に現した。
「あぁ。おはよう」
 英次は、ビックリしたが元気な香織に安心していた。


1999年作 SUGAR F