タイムスリップ
(2) タイムスリップ
1・2時間部屋にいたであろうか。急に酒が飲みたくなり部屋を出た。せっかく広島まで来たのに、ホテルのバー では味気ないので、思いきって外に出ることにした。 別にこれと言って店は決めてなかったが、ネオン街を抜けたところに1件だけ居酒屋があるのに気が付いた。 私は、その『のんべぇ』と言う店に入った。 「いらっしゃい」 カウンターしかない店の中は、ママと私しかいないようだった。店の中は、1つ1つが木の板で書いてある メニューや今時クーラーでなく、年代物の扇風機にラジオなど、なんともレトロ風を徹底した店だった。 「あついねぇ」 店の中に入った時、なんともサウナに入った時のような蒸し暑さで、私の額から汗がにじみ出てきた。 「お客さん、8月にそんな格好していたら暑いに決まっているわ」 そう言えば、ママは花柄のワンピースを着ていた。 「8月?ママ冗談きついなぁ。今、12月でしょ」 そう言うとママは、変質者を見るような目で私を見た。 その時は、まだこの異変に気付いてはいなかった。それどころか、このレトロ風を徹底しているこの店を 私は、偉く気に入っていた。そして、私は壁に立てかけてあるメニューからウィスキーを注文した。そして、 ママは私の前にワンショットグラスに注がれたウィスキーを出した。 「ワンショットグラスかぁ。今時珍しいね」 ここまで、レトロ風を徹底しているのに、ますます気に入ってしまった。また、こういったグラスで飲むと 同じウィスキーも一味違う。 「そう」 ママは、当たり前のように返事をした。 そして、私の目の前に真空管ラジオがあるのに気付き。 「ママ、悪いけどラジオつけてくれない?」 私は、まさかつく訳がないという軽いジョーダンのつもりで言った。 「いいわよ」 ママはそう言ってラジオをつけてくれた。真空管なので、初めの数分は聞こえないのが当たり前である。 もちろん、その時は、私のジョーダンに乗ってスイッチを入れるフリをしたのだと思っていた。しかし、しばらくして、、 ラジオの声が聞こえてくると。 『ガーガー。広島地域情報。昨日・一昨日と広島上空には、敵機の姿は見えませんでした』 「このラジオ本物ですよね?」 私には、まだこの状況が理解できなかった。それ所か、今流れてくるものは、このために改造したものである と考えていたほどだった。 「当たり前じゃないの。怒るわよ」 ママは、私をにらみつけ本気で怒っている。 「ちょっと失礼」 そう言って私は、店の外を見た。そして、目の前の光景を見てあ然とした。そこには、軍服を着た兵隊や 万歳三唱している市民の姿があったからだ。 「何だこれは」 私は自分の目を疑い、そして、何度も自分の目をこすり、カウンターに戻った。 「どうしたの?顔が真っ青よ」 ママは、私の異変に気付いたようだ。 「ママ。今年は何年だっけ」 私の口からは、このことを聞くのがやっとであった。その時の私は、頭の中がパニックになり、いろんなことが 頭の中を走っていた。 「本当に変な人ネェ。昭和20年に決まっているでしょ」 私は、夢を見ているのであろうか?いや。これは現実だ。だとするとこれは・・・。 『タイムスリップ』 私が、このことに辿り着くのにさほど時間がかからなかった。 そうだ。私は、昭和20年の広島にタイムスリップしてきたに違いない。落ち着け、私にとってベストなことを 考えよう。そう思った私は、グラスの中のウィスキーを一気に飲み干した。 「毎度どうも」 その時であった。1人の男が入ってきた。 「タヌキ」 私は、友人の田門木を見た時、ついさっきまで電話で話していた彼が、何故ここにいるのか不思議に思う前に 、なぜかホッとした気分だった。 「はっ?」 男はそっけない返事で答えた。 「すみません。友人の田門木という男に似ていたもので。つい・・・」 私は、頭を掻きながら照れくさそうに言った。 「私は、田門木といいますが」 「えっ?」 「田門木さん。この人さっきからおかしなこと言うのよ」 ママの目つきは変わらない。 「じゃ。私はこれで」 田門木はそう言って酒を置いて店を出た。 「ちょっと待って」 私は、田門木を追いかけ店を出た。 「ちょっと。お客さんお勘定」 ママは、店の入り口で私の腕をしっかり捕まえ言った。 「あっ。すみません。お釣りはいりませんから」 そう言って、私は1万円札を出してその場を立ち去ろうとした。 「ちょっと、何これ。こんなおもちゃのお金なんかいらないわ」 そうだ、ここは昭和20年だったっけ。 「すみません。私は決して怪しいものではありませんから」 私は、とにかくこの場を立ち去りたかった。 「みんな!ちょっと降りてきて」 ママは、店の外から私を捕まえたままで、2階にいる誰かを呼んでいるようだ。 「どうした」 そういうと窓を開けて一見チンピラ風の男が顔を覗かせた。 「あんた。この人無銭飲食だよ!」 「何だって、分かった。ちょっと待っていろ」 そういうと、男は2・3人の仲間を引き連れて私の前に現れた。 「ちょっと来い」 男は私の襟首を掴んで、川原のほうへと連れていった。それから、数発のパンチをもらったところまでは 覚えているが、そこから先は記憶にない。起きた時には、もう日が照っていた。 私の服は乱れ、私の持っていた来たバックも置いてあった。 「カメラや金目の物は全部持っていきやがった」 不幸中の幸いと言うべきか、残った物といえば、お金とデジタルの腕時計の2つだけだった。両方とも この時代では、通用しないものだ。 「すみません。今何時ですか?」 とりあえず、私は時間を合わせることにした。 「11時半ですけど」 目の前を通りかかった老婆が答えた。 「今日は、何日でしたか?」 私は、頭を掻きながら照れくさそうに聞いた。 「はっ?8月5日でしょ」 「えっ。あ、いや、ありがとうございました」 「どういたしまして」 そういって老婆は立ち去った。 私は、頭が混乱した。後20時間とちょっとで原爆が落とされるではないか。あの老婆もこの美しい建物も そしてこの子供達でさえ、一瞬にしてなくなってしまうんだ。どうすればいいんだ。神様教えてくれ!この人達 を救う方法はあるのか?ここで、大声をだしてみんなに逃げてもらえば良いのか。そんなことをしても、きちがいとしか 思われないだろう。 こうなったら、誰でも良い1人でも多くの人を助けるんだ。 そうだ。タヌキの父親だ!昨日彼に会っているんだ。彼は確か、バーに酒を卸していたっけ、田門木という 酒屋を捜せば良いんだ。 彼には家族もいるはずだ。その家族を避難させることが、私にできる唯一のことだ。 そして、私は彼の酒屋を捜し町の人に聞いて歩いたが、捜し当てるのにそんな難しいものではなかった。 店には、1人の女性が店番をしていた。 「あの人が、タヌキのお母さんか」 タヌキに鼻や目元などが、瓜二つなことから一目見て分かった。 女性のお腹は大きく、タヌキがあの中にいることは見て分かる。 「あのー」 「はい。いらっしゃい」 商人らしく威勢のいい声だ。 「田門木さんの奥さんですか?」「はいそうですけど、主人になにか?」 私は迷った。この状況をどう説明すれば良いのだろうか。こうなったら一か罰か正直に言うしかなかった。 「いえ。私はあなたの息子さんの友人の者です」 「え?私には子供はいませんけど」 女性は、首を傾げている。 「はいそうです。私は、50年後からタイムスリップしてきた人間です!是非話を聞いてください」 女性は言葉がないようだった。だが、私の家の中に招いてくれた。 「はい。何もないけど、蒸し芋でもどうぞ」 「すみません。昨日から何にも食べていないもので」 私は、目の前に出された芋を勢い良く食べ始めた。 「そうですか。それは気の毒に」 「こんなにお金を持っているのに、この時代ではみんな通用しないんですよ」 私は、ズボンのポケットから財布を取り出し、数十万円入っている中身を見せてから、1枚の1万円札 を取り出し婦人の前に差し出した。 「あら、良くできたおもちゃだこと。作るのなら、もっと本物らしい物つくらなくっちゃ」 婦人は、その1万円札を受け取り、それを広げて表と裏を物珍しそうに見ていた。 「だから、何度も言うように、50年後の本物のお札なんです」 私は、食べている芋を皿の上に置き叫んだ。 「そんなこといわれても、信じられないわ」 婦人はそんな私の勢いにも冷静である。 「私だって、信じたくないですよ。しかし、これは紛れもなく事実なんです」 私は、自分のバックを持ち出してきていった。 「この服も、このバックもこの文字盤のない時計もみんなこの時代にはないものです」 「確かに、あなたは珍しい物を沢山持っているわ。でもね」 彼女は、まだ信じてくれていないようだった。どう説明すれば、信じてもらえるのだろうか、私は考えた。 その時。「ただいま」 田門木が帰ってきた。 「お帰りなさい。お客さんが見えていますよ」「こ・こんにちは」 田門木の顔つきが変わった。 「この人ね。50年後のこの子の友達だって」 「それで?」 田門木は、既に両手に拳を作っていた。 「明日の朝8時に、この広島に米国の新型爆弾が落とされて、町が一瞬のうちになくなるから、この町から 逃げてくれだって」 「もうわかった。この先は言わなくていい。わしは、昨日『のんべぇ』でこいつを見た時からおかしい奴だと思っていた」 田門木は婦人の説明の途中にもかかわらず、婦人を押し退け、私の前に現れた。 「田門木さんそれは誤解だ!」 「誤解もへったくれもあるか、早く出て行け」 田門木は、私のバックを投げつけ私の肩を強く押した。 「こうなったら力尽くでも貴方達をここから連れ出してやる」 私は、説得するよりもこうすることが、1番良いことだと思っていた。 「なにおー」 田門木は袖をまくり、血相を変えてこっちへ向かってくる。 そして、私と田門木の取っ組み合いが始まった。 「あなた、止めてください」 田門木婦人の制止を振り切ってまで、私達はやりあった。 「いて!」 私は、田門木の拳が顔面に当たった勢いで足をくじいてしまった。 「手当てしてやれ」 田門木は、婦人に言った。 「あら、大変捻挫しているわ」 婦人は、私の足に何か薬のようなものを塗って包帯を巻いてくれた。 「どうもすみません」 「今夜は、家に泊まっていってください」 なんて、優しい人なんだ!なんと言ってもこの人達を助けなければ。そう改めて感じていた。もうすでに日は 沈み、虫の声だけが聞こえる静かな夜になっていた。 「そんな悠長なことを言っている時間はないんです。早く逃げなければ」 「まだそんなこと言っているのか。おまえの話は信じられんことばかりだ。それに、もう戦争は終わる。 米国の空襲で日本はもうボロボロだ。無傷なのは、この広島と京都ぐらいなもんだ。いまさら空襲なんて ありえん。特に8月になってからは1回も敵機の姿を見ていない。広島は狙われていないんだ」 田門木は、逆に私を説得しそうな勢いで話し掛けた。 「田門木さん。それは逆におかしいとは思いませんか?広島には陸軍司令部があり、2万5千の兵士がいるんです 。米軍にとって重要な攻撃目標になってもいいんじゃないですか?」 私がそう言うと、田門木は痛いところをつかれたと言う感じで言葉もないようだ。 『空襲警報・空襲警報』 静かな夜に響く声だった。 「そんなことを言っている間に敵機が来たぞ」 そう言って、田門木は頭巾を被り居間の電気を消した。