「金子くんは、どうして旅をしているのかな」
その質問は、俺に向けてというよりも、自問のように感じられた。
4月20日、サンクリストバル・デ・ラスカサスに着いた。
この街はメキシコ南部のチアパス州にある。
人口7万人、標高2100メートル、コロニアルな風景を残す美しい街だ。
周囲の山岳地帯には、多くの先住民の村が点在する。
この街を起点に先住民の村々を訪ねようと思っていた。
バックパックを降ろした宿は「カサカサ」
昨年11月にオープンしたばかりの日本人が経営するゲスト・ハウスだ。
この宿の主(あるじ)は笠置 華一郎氏。
笠置さんは全共闘の生き残りであり、バリバリの左翼活動家だ。
その昔、本気で日本に革命を起こそうとした若者達がいた。
学生を中心に組織された全共闘は、大学をバリケード封鎖、
機動隊と衝突し、血を流しながらも社会変革に燃えていた。
時代が熱く燃え滾っていた。
そんな時代がかつての日本にもあった。
全共闘の多くは、世界を変えられなかった挫折感を味わい、
自分達が否定してきた、いわゆる普通の大人になっていった。
しかし、笠置さんは、生き方を変えなかった。
全共闘運動に参加した後、三里塚闘争・沖縄闘争など
数々の左翼による反戦運動に加わり活動を続ける。
1997年には、現在の左翼のあり方に疑問を抱き、日本を離れる。
世界革命浪人としてキューバで2年間を過ごし、その後、中南米を旅し続ける。
そして、サパティスタ民族解放軍(EZLN)に出会う。
サパティスタの活動に共感し、そこに左翼運動の可能性を見た。
さらにサパティスタの存在を伝えるため、
サンクリストバル・デ・ラスカサスで「カサカサ」を始めたのだ。
「金子くんは、どうして旅をしているのかな」
その時、俺はどんなふうに答えたのか覚えていない。
その時、笠置さんは今も旅をしているのだなと思った。
笠置さんはサパティスタ支援を通して旅を続けている。
サパティスタ支援を通して、一生を捧げた左翼運動という旅を続けている。
左翼運動について興味は無いが、笠置さんからサパティスタの話を伺うことにした。
以下の2点においてサパティスタに共感する。
それは、多様性を認めるということ。
そして、下(民衆)からの社会変革だということ。