サパティスタに共感する点。
それは、多様性を認めるということ。
そして、下(民衆)からの社会変革だということ。
サパティスタの要求は先住民の権利・文化の認知だけではない。
同時にメキシコ国民の真の民主化をも求めている。
それは自分達がメキシコ国民の一員であるという意識から来ている。
そのためには、まず自分達がメキシコの一部としての存在を認めてもらう必要があった。
差別され続けた彼らにとって、自己の存在と他者の認知は同義だ。
全ての命が、あるがままに存在出来る世界。
彼らは権力を獲得し排他的な自治を望んでいるわけではない。
望んでいるのは革命ではない。
下からの社会変革なのだ。
それは少数のためでなく、みんなのための改革なのだ。
成し遂げたあとは、武力保持を始め、サパティスタの存在自体が消滅することが目的なのだ。
彼らが望む存在とは、自らのアイデンティティーも、その文化的価値も失うことなく、
そして、多様なる民族による、異なるさまざまな経験の交換という豊かさも失うことなく、
メキシコ社会に、さらには国際社会に溶け込んでゆくというあり方なのだ。
そんなサパティスタの主張は、これからの権力と民衆のあり方に、示唆を与えているように思う。
資本主義経済に飲み込まれ、加速度的に画一化してゆく世界に、光を与えているように思う。
全ての命は過去に戻ることは出来ない。
個人も民族も国家も、より良いあり方を模索しながら流れている。
その足跡が人類の歴史だ。
歴史を土台に今があり、今を土台に未来がある。
他者に対する認知と寛容。
さまざまなる文化に対する驚きと尊重。
全ての命に対する肯定と賛美。
それが、未来に対する、個人個人のあり方だと思うのだ。