朝、目が覚めると、そこは日本だった。


まず、トイレに入って驚いた。


洗面所に石鹸がある。


タオルが下がっている。


芳香剤が香る。


中南米のトイレは紙はもちろん、便座さえないものが、ほとんどだ。


大体において、鼻を抓まんで、眼を叛けながら入る。


しかし何と此処のトイレは、電気のスイッチを入れると同時に、換気扇まで廻り出した。


うーん、凄い。


トイレから出て店内を見渡す。


棚には、ずらっと洋酒が並ぶ。


間接照明がある。


水槽で魚が泳ぐ。


日本では当たり前の事を、異常に感じてしまう自分がいた。


この店にボリビア人が来ることは、間違いなく無いだろう。


お店の形態を取ってはいるが、日系人が集まるサロンのような場所なのだ。




顔を洗い、外に出てみる。


今日もオキナワには土埃が舞っている。


祭の準備は着々と進んでいるようだ。


「コロニア・オキナワ父の像」


「オキナワ移民資料館」


「オキナワ移民慰霊塔」


それぞれの落成式・除幕式も、明日と明後日にかけて行われる。




コロニア・オキナワの父とは、第54代大統領ビクトル・パス・エステンソロのこと。


彼が「うるま農協」からの移民要請を承認したことによって


日本からボリビアへの移住の扉が開かれたのだそうだ。


彼の業績が綴られたプレートの最後には「2004年8月14日」と記されていた。


今日は8月13日。


銅像は既に完成しているが、事実存在するのは、明日からなのだ。




慰霊塔の方は、完成目指して、追い込みの真っ只中だった。


塔の側面には、オキナワで亡くなった全ての人の名前が刻まれている。


第一次入植の年に亡くなった方から、つい最近亡くなった方まで。


なかには一次入植の翌年に亡くなった1歳の男の子の名前もあった。


それら日本語の名前を刻み込んでいるのが、ボリビア人だった事が印象的であった。




集落を少し歩いただけでも
この村の公共施設には、莫大な金が掛かっているのが分かる。


そこに携わっているのは、日系人に限られていることから


その資金は全て、日系人が出資しているのだろう。


そこに携わり、恩恵を受けられるのは、全て日系人だけなのだ。


この社会に生きる多くのボリビア人達の気持ちも気になる。




ゲート・ボール場では、今日も元気な姿が見えた。


9ヶ所あるコートの内、使われているのは、1ヵ所だけである。


今日は、昨日とは違うコートが使われていた。