旅の空からの伝言


2005年11月6日 ラサより


とにかく広い中国。

全ての場所を北京時間に合わせるのには無理があります。

ラサの午前8時は暗闇。

星が瞬いています。

ラサの中心であるジョカンの前には朝6時くらいからバスが並びます。

周囲のゴンパ(寺)へ向かう巡礼バスです。

これに乗るには感覚的に4時起きくらいの覚悟が必要。

11月に入りふたつのゴンパに行って来ました。

チベットの村・町はゴンパを中心に出来ています。

テルドム(徳仲寺)

尼寺を中心にして深い谷に張り付いた小さな集落。

多くのタルチョ(祈祷旗)が谷間にはためく。

泊めてもらったのは尼さん達が営むゲストハウス。

朝食にザンパ(粉をバター茶で練りながら食べる)を御馳走に。

すでに雪が積もっていて凍りついた急な坂道を歩くのが大変。

集落の入り口に気持ち良い温泉が湧いていた。

女風呂からはおばあちゃん達の念仏がずっと聞こえていた。

サムイエ(桑耶寺)

乾いた山々と砂漠に囲まれた空間に突然村が現れた。

川が流れ木々に囲まれたちょっとしたオアシス。

桑耶寺を中心に村自体が曼荼羅を形作っている。

多くの巡礼者が訪れていた。

泊まったのはゴンパが運営する味のある宿。

シャワー室との表示の先にあったのは裏庭にポツンとある井戸。

巡礼に訪れたチベタン家族のテントにビールを持って訪れた。

このふたつの村は写真と共にアップしてみたいと思っています。







2005年11月8日 ラサより


いつも見えていた南十字星はもうない。

見えるのは、北斗七星、北極星、オリオン座。

見慣れた北半球の星座たちが夜空に瞬いています。

南米にいた頃は日本を旅することに憧れていました。

京都、沖縄、東京。

日本を離れてひさしい自分の今の感覚。

半分エトランゼの目で日本を見たらどんなにか面白いだろうと。

年末には中国から船で日本を訪れようかと思っていました。

今は逆に日本から離れたい気持ちが強い。

アジアを旅して日本に近づくにつれて芽生えてきた感情です。

西へ向かおうと思います。

ラサ周辺の山々には雪が積もりだしました。

寒さも日に日に厳しくなってきます。

ヒマラヤを越えます。

まずはランクル(&ドライバー)を借りる交渉。

ネパール国境までのルートの検証。

コスト面を考えて同士を集める。

張り紙を作って旅行者の集まる宿に貼り出し募る。

さてさて、どうなることやら。

3、4日後にはラサを発ちたいと思っています。







2006年11月20日 カトマンズより


空の上に山があった。

振り返ると夕陽に照らされた山々が連なっていました。

そこは自分が空として認識していた空間の遥か上でした。

カトマンズにいます。

ヒマラヤを越えてネパールにやって来ました。

あの山の向こうに自分がいたと思うと不思議な感じがします。

標高4000〜5300mほどの山や谷を上がったり下がったり。

時には道なき道、時には川の中をランクルで走った5泊6日の移動でした。

エンジン・トラブルにパンク。

血も凍るような氷点下の中、スタックした車の下に潜り込み石をどかした事もありました。

雲の上のカラカラに乾いた大地。

冷たく厳しい風が止むと、太陽は刺すように痛く近い。

青を通り越して紺色に近い空の色。

宇宙が近いなあと感じました。

そこにも人々の生活がありました。

背丈ほどの低い天井。

やっと顔が見分けられるほどの薄暗い部屋。

火を囲みひっそりとお茶を飲みトランプに興じる人々。

燃やすのは乾かした動物の糞(ヤクの糞が薪、羊の糞が着火材)

水は半分凍った川から汲んでくる(場所によっては氷を採取していた)

風呂やシャワーや洗面所は存在しない。

旅行者だけに与えられる電気はささやかで裸電球よりも月明かりの方が明るかった。

集落はチベット寺院を中心に作られていました。

寺院はより神に近い場所に。

更により近い場所にはタルチョ(祈祷旗)が風に殴られざわめいています。

人々の神に対する憧れが、宇宙に向けて、大きく手を広げているように見えました。

カトマンズを歩きながら時々雲の上のことを思い出しています。







■のーさんへのレスポンスより


やあやあ、のーさん。

ひさしぶり。

俺の旅も変化しながら相変わらずで流れているよ。

誰かといるとひとりになりたくなるし、ひとりでいると誰かに会いたくなる。

きっといつでもないものねだり。

俺の旅は2年3ヶ月を越えた。

旅が完全に日常となり、働く人が羨ましくも眩しくもある。

でもまだまだ見たい世界はたくさんある。

年齢的なことが大きいのだけど、この旅が終わったらキチンと働きだせるように、

もういいやというくらい旅を続けるつもり。

高校生の頃、授業を抜け出して行ったブルース・スプリングスティーンのライブ。

「アイム・ア・プリズナー(囚われ者、囚人)・オブ・ロックンロール!」

そう最後に叫んでいたなあ。

今、俺は旅に囚われている。

まだまだ旅は続くね。







■やじまくんへのレスポンスより


少し前にはネパールに来るなんて思いもよらなかったな。

でもちょうど山を見るには良い時季だね。

登山ぽい格好をした日本人のオジサンオバサンも時々見かける。

噂どおりカトマンズには日本食を安く美味しく食べられる店が数軒あって

そんな処ではテレビでNHKを流したりしている。

天気予報を見る限り、だいたい今の日本とカトマンズは同じくらいの気温だな。

チベットの厳しい晩秋を抜けてきた自分にはとても穏やかで過ごしやすく感じる。

ネパールの次に向かおうと思っていたインド・ヴィザの収得が難しい。

テロとサミットの影響らしい。

予定を変更してバンコクへ飛ぶチケットを求めている旅行者も多い。

チャイ屋で世界地図を広げ「何処へ行こうか」と呟いたら通りがかりのおっちゃんが

山羊を解体している場所へ連れて行ってくれたよ。







2005年11月24日 カトマンズより


アメリカ→メキシコ

メキシコ→キューバ

ペルー→ボリビア

チリ→イースター島

オーストラリア→インドネシア

その国に入った途端辺りの空気がイッキに弛むのを感じたことが何度かあります。

中国からネパールもそんな国境越えでした。

不思議なもので瞬間的に心は明るく体は軽くなりました。

ネパールは親切でフレンドリーな人が多くとても居心地の良い国です。

インドに疲れた旅行者が多く流れてくる国ですが、

中国からやってきても充分同じように癒されます。

民族、言葉、文字、食事、匂いなどもガラッと変わり、

インドからよりも、より鮮やかに劇的に変化を感じることが出来た国境越えだったと思います。

植物のある風景も当たり前になり、太陽を和らげる雲にも、肌を覆う湿度にも馴染みました。

ガサガサだった唇も直りました。

ダルバール(カレーをメインにした定食)をたっぷり食べ、チャイを飲み、日本食も堪能しました。

明日はポカラへ移動します。







■Sachikoさんへのレスポンスより


書き込み&嬉しい報告ありがとう!

出産から育児。

その過程で多くの女性が遂げる成長は目を見張るものがある。

きっと凄い旅なんだろうな。

いつか新しいファミリーにも会わせてね。

ラパスで再会してからもう一年以上。

月日の経つのは早い。

一緒に行った「ふるさと」が懐かしい。

ラパス「ふるさと」、サンパウロ「かつ膳」、カトマンズ「一太」

海外で食べた日本食屋ベスト3です。

良い日々の旅を!







■しげへのレスポンスより


ナマステ!

HPの開設おめでとう!

最近はミクシーの人が多いから個人でオープンする人がいると嬉しいなあ。

ミクシーはとても面白いシステムだと思うけど、せっかく開けてるネットの世界を

小さなサークルで括ってしまうのはもったいないと俺は思ってる。

(開けてるからこその煩わしさも、小さいからこその繋がり深まりはあるのだが)

良かったら次回は、しげのサイトへのリンクを残していってね。

中南米にいた頃と比べたら、食事は格段に恵まれているのだけど、

アジアに来て半年も過ぎると、やはりそんな環境にも慣れてしまい

当たり前になってしまったなあ。

ネパール料理は美味いのだけど、バリエーションが極端に少ない。

ポカラでは美味い食堂に当たらずにストレスが溜まって、

この旅2年4ヶ月で初めて欧米スタイルの朝食を食べた。

なんてことのないブレックファースト・セットだったけど、

サニーサイドアップにふりかけた塩&黒胡椒の味付けは、

なんて美味いんだろうと感動した。

カトマンズで半在留日本人の方からもらった一粒の梅干はダイヤモンドだった。

前歯で少しずつ齧るたび、幸せがふわーっと広がり、心がどんどん満足してゆくのを感じた。

梅干、塩、胡椒、たったそれだけなのにこんな幸せな気分になれるなんて不思議なくらい。

今、日本で食事をしたらきっと涙&卒倒もの。

そんな感覚も2、3日で消えてしまうのだろうけど。

新鮮に毎日を生きたいね。

■インターネットは人間が獲得したあたらしい能力:http://www1.u-netsurf.ne.jp/~silent/nitijyou-hp-hit-1000.htm







■やじまくんへのレスポンスより


39歳おめでとう!

普通は祝う年齢でもないのだろうけど、無事に歩んできた1年を思うとやはりめでたい。

ポカラの安食堂に置いてあった旅行人(同人誌的な旅行雑誌)をパラパラ見ていたら

やじまくんの投稿をまたまたみつけたよ。

韓国に行った際の記述とか。

そんなに一生懸命見ていた訳ではないけど、

他にも3人もの知り合いの名前があってびっくりした。

いずれも南米にいた時に出会った3人。(そのうち2人は今も旅の途中)

見つけた雑誌は1996年発行のものだったりして、

もう10年近く旅中心の生活を続けているのだなあとしみじみ思った。

俺の旅もいつかは終わりが来るのだろうけど、

中央アジア、東欧、北欧、西アフリカ、東アフリカ、中東、

行って見たい所は、まだまだ限りない。

過ぎ去る時と共に確立してくる旅のスタイルを改めて揺さぶってみたいと最近は思う。







2005年12月2日 カトマンズより


本日、853日目の長い旅の途中。

カトマンズに戻ってきました。

泊まっている部屋の使っていないベッドには世界地図が広げてあります。

(バラバラになった16枚の断片をセロテープで繋ぎとめてある)

畳一枚ほどの世界地図を眺め動いてきた距離と過ごしてきた時間に思いを馳せます。

一年前には南米大陸の先っぽウシュアイアにいました。

午後10時を過ぎても明るく、午前4時くらいには陽が上り始めていました。

その一年前にいたのは日本最西端の島、与那国島。

強い風にウージの森がうねっていました。

たくさんの人に会いました。

それぞれが持っていた光。

照らしてもらった光。

道はどこまでも続いてゆく。

野には花が咲いている。

これから進んでゆく道。

いったいこれからどれだけの光と出会えるのでしょうか。

12月なのですね。







■さざ波さんへレスポンスより


朝、起きるとまずはチャイを飲みます。

宿のある路地から表通りを挟みチャイ屋のある路地へ。

カウンターも座席も道にそのまま剥き出しの店なので、

朝晩冷え込むようになった最近はオーダーだけして宿の部屋に届けてもらいます。

こっくり濃厚なシナモン香るチャイが、可愛い茶運び坊主の出前付きで6ルピー(9円)

コップを下げに来た坊主に思わず駄賃をあげてしまいたくなる小さな贅沢です。

ネパールの宿(俺が泊まるような安宿)はシャワーのお湯に難があります。

地方にある宿はソーラーなので温かいのは昼間だけ。

カトマンズの宿は電気で水を温めるタイプ。

「I want to take a shower」

宿の人に告げて電源を入れてもらって待つこと20分。

ぼとぼとと落ちる水量のないシャワーは、のんびり浴びていると途中で水に変わってしまいます。

電気も水も貴重なので、一回に使えるお湯の量が制限されるような設定になっているようです。

昨日は体を洗う日。

今日は頭を洗う日。

日ごとに洗う部分を変えています

最近は寒くなりシャワーを浴びるのにも気合がいりますね。

12月。

出会えた全ての愛しいもの達と共に次の季節へ行きたい。







2005年12月5日 カトマンズより


「金くれよ。腹がへってるんだ」

「だったらその帽子を買おうか」

腹ペコ・リキシャー(自転車タクシー)のじいさんが被っていた帽子を

150ルピー(225円)で買いました。

毛皮の帽子です。

オリジナリティー溢れる雑な作りが超お気に入り。

ごわごわした毛並みを「何の毛だろう」と撫ぜていたら閃きました。

この感触は犬だ!

髪を切ったのは昨年末のブエノスアイレス。

伸ばし放題の髪型はボブ・マーリー×マーク・ボラン。

かなり怪しい。

ひとつにゴムで束ねるとやっと犬の帽子が被れる。

でもやはり怪しい。