祖母の容態を聞く為、実家に電話をする。

母が出る。


「そんなに変わらないかなあ。

もう、血管が弱くて、点滴が入らなくなっちゃって。

足の付け根を切開して、今は、そこから入れてるんよ。

その方がたくさん栄養を摂れるんだって。

でも、多すぎても下痢するから、様子を見ながらなんよ」


「てっちゃんでしょ。変わって。出る。出るーー」


電話の向こうで拓海の声が聞こえる。

どうやら拓海に好かれたらしい。

去年くらいまでは、顔を見るだけで泣き出してたのに。


「じゃあ、たっくんに変わるよ」


「あのさ、あのさ、てっちゃん、さあ、今度いつ来るの?」

「すぐ行く。明日か、あさってか、すぐ」

「ふーん、あのさ、てっちゃん、さあ、今、何してんの?」

「今、仕事でさ。まだ、帰れないんだ」

「ふーん」

「拓海は何してんだ?」

「おおばあちゃんにね、絵、描いてた。

あのさ、てっちゃん、さあ・・・あのさ、あのさ・・・」


やがて会話は続かなくなった。


「拓海、おばあちゃんに変わって」


自分で言って、ハッとした。

「おばあちゃん」

自分の母親を初めて、そう呼んだ。

何の意識もせずに、自然に、そう呼んでいた。


ああ、こうやって繋がってゆくんだ。

これが自然なんだ。


物心ついた頃から、自分の母親は、おばあちゃんを、おばあちゃんと呼んでいた。

自分の母親を、おばあちゃんと呼んでいた。

初めから、そう呼んでいた訳ではないだろう。

子供が産まれて、自分が、おかあさんになる。

おかあさんは、おばあちゃんになる。

家庭は子供を中心に動いてゆく。

新しい命が、その中心になってゆく。




数年前、屋久島の森を歩いた。

屋久島の森は、樹齢1000年を越える杉の大木が、鬱蒼と立ち並ぶ。


環境の厳しい屋久島では、新しい命が育ちにくい。

そして、その厳しさの中で生きる者は、強い生命力を持つ。


時として、大木が、その終焉を向かえる。

大木が倒れると、森に陽が差し込み始める。

新しい芽が出る。

倒れた大木は、朽ちながら、新しい命に力を与える。

少しずつ、次の世代に、生きる場所を、明け渡してゆく。

繋がってゆく。

巡ってゆく。




拓海は、おばあちゃんの似顔絵を描いたり

病室へ入れないので「おおばあちゃんに僕のパワーを分けてあげて」と

病院に向かう人にハイタッチで、自分のパワーを託しているらしい。

幼い彼なりに一生懸命、祖母の回復を祈っている。



自分も、いつか、生きる場所を、次の世代に譲り渡すだろう。

命は巡ってゆく。

命は繋がってゆく。

終わりはない。