近藤さんは、野村ギター教室の最長老で現役でバリバリ演奏しておられます。
いろいろな機会に近藤さんの若い頃のギター修行の話を聞くと非常に興味深い
箇所が随所に出てきます、とにかく私の生まれる前の話なので興味は尽きません。
この近藤さんのお話しと、所持しておられる太平洋戦争終結直後のギター界の
資料を少しずつ公開していきたいと思います。まったく知らないことも多くあり、
驚きもあり、非常に貴重なものと思います。
<近藤さんのお話し第一話>
私のギターの思い出を、記憶と資料でたどってみることにしました。
それは太平洋戦争末期までさかのぼります、
まずギターに興味を持ったいきさつは、昭和20年4月頃、徳島県の
徳島工業専門学校の3年に進級し、新居浜の住友化学への戦時動員も終わり、
卒業までの半年間を、学校に居ることとなりました、
当時は、戦時体制であり卒業が半年早まって9月になっておりました。
その時は、甲子園に住んでおりましたので、
確か4月下旬頃、自宅から高松経由で高徳線で徳島に向かいました、
すると座席の反対側に同級生が集っており、「徳島市内は、空襲で焼けてしまって
学校も当分休みだ」という話をしているので、(行っても仕方ないな)と思い
途中下車して一泊し、翌日徳島に行き仮設の市役所で被災証明書をもらいました、
その時、自宅は東京と申し出て東京までの証明をもらいました。
当時は勝手にチケットが買えない状況だったので、いったん甲子園の自宅に戻り、
チケットの手配をして、すぐに上京しました、しかし、住むところがありません、
とりあえず現在のJR大塚駅前の薬屋の叔父の家に居候をする事になりました。
子供の頃、東京の品川に住んでいましたが、その時の私の小学校の時の親友
佐々木万吾(かずあき)君が下丸子の我が家の親戚の高木宅に
母親と一緒に同居していたので遊びに行き、空襲下にもかかわらず、
アコーディオンやギターを弾かせてもらい、そこで初めて
ギターに興味を覚えました。
近藤さんのお話し第2話へ
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