第二話
甲子園の自宅に戻り、興味を覚えたギターを
さっそく大阪駅前の阪急デパートに買いに出かけました、
しかし、残念ながらギターは売っておりませんでした、
マンドリンがあったので仕方なしにマンドリンを買って帰りました
このマンドリンにはお話があります、
昭和20年 8月6日、この日は広島に原爆が投下されました、
我が家のある甲子園にも激しい焼夷弾の爆撃がありました、
焼夷弾とは、地上50メートル近くになって10本づつ束になった30センチほどの筒が
パッと割れて、火の玉になって地上に降り注いでくるものです、
しかし焼夷弾は、爆弾ほどの恐怖はありません、
爆弾は、ほんとに恐ろしく思いました、爆発する時の音が桁違いです、
その破戒する威力はすざまじいばかりです。
甲子園の地面は、砂地で掘るとすぐに水が出てくるほどです、それが理由で防空壕が掘れません
焼夷弾が落ちてくると、畑に向かって逃げます、
住宅街を抜けて小学校の校庭に逃げました、
B-29の爆撃精度は驚異的で、住宅街には焼夷弾が落ちてきますが、
一歩畑に出ると、もう一発も落ちてきません、近所で死んだ人は誰もいませんでした、
ものすごい数が落ちてくるのですが、逃げている時は意外と当らないものです、
地上で燃えている焼夷弾を飛び越えて、怪我も無く逃げることが出来ました。
我が家は、この時焼けてしまいました、
しかし、なんとあのマンドリンは奇跡的に残っていました、
門の脇に爆撃があったら持って逃げようと置いてあった荷物と一緒に焼け残っていました、
いざとなると持って逃げることはありませんでした。
住む所を失ってしまったので、8月10日頃だったと思いますが、
母と弟3人と東京に引き上げてきました。
とりあえず船橋の湯浅宅にお世話になりました。
8月15日に終戦となり、気持ちがずいぶん落ち着いてきました、
湯浅宅に住んでおられる、いとこの正造さんがギターを持っていて、
なんとわたくしに差し上げると言うのです、
正造さんにギターをいただいたことが、
ギターを習い始めるきっかけとなりました。
近藤さんのお話し第三話へ
メニューページへ
topへ戻る