タイトル■処女的衝撃 〜初体験はドッキドキ。〜
書き手 ■杉浦ぱっとん

大人になって、たいがいのことは経験済みに
なったら、一番ドキドキするのは、新しい人、
新しい感性、新しいものの見方に出会うこと。
だからこそ、あんなことや、こんなこと…、
過去や現在の初体験について書いてみたい!
あなたの「初体験」も思い出してみて下さい。


第1回「はじめての盗み」

みなさん、突然ですが
『盗み』をはたらいたことがありますか? 

私の実感値でいけば、
約6割の大人が
「過去に盗んでしまったことがある」
のではないかと。

そして、私もその約6割に入るクチなのですが、
『盗み』と言っても、まあかわいいものよね、
と自己弁護できるくらいのもの、
多くの人が経験する学生時代の
『度胸試し』的な万引きとか、そんな程度です。
約6割の人の『盗み』って、
たいがいこの手の若気の至りものですよね。
他人に語れるくらいですから、
本人たちにもほとんど罪悪感はないわけです。

さて、みなさん。
『初めての盗み』体験って覚えてますか? 
私にとっては、この『初めての盗み』
だけが鮮明な罪悪感を残しております。

唐突ながら
私は「恋愛」が得意ではありません。

男女の間には
少なからず「嘘」が発生し
その「嘘」とどう向き合っていくかで
2人の関係は長くもなり
意味のあるものにもなり…
だと思います。

私は「嘘」と向き合うのがヘタです。

それが「初めての盗み」と
どう関係があるのか
とりあえず語れる範囲で書いてみることにします。

私の初めての『盗み』は
4歳のときでした。

しかもお店ではなく、
当時近所の同い年の友達、せい子ちゃんの家に
遊びに行ったときに、です。
結論から言うと盗んだ品物は
『ビー玉』と『ピンセット』の2点。

ビー玉とピンセット…
フロイトあたりに言わせたら、
それを欲しがる深層心理として、
性的なことをいくらでもでっちあげられちゃいそうですが、
その2点は、それまで見たことがなかった物でした。

ビー玉はラムネの瓶を割って取り出す
ふかみどりの物しか知らなかったので、
せい子ちゃんの家にあった
キレイな黄色のペイントが施された、
しかもひとまわりもふたまわりも大きい物は、
子供の目には高価な宝石のように映ったはずです。
ずっと触って眺めているうちに、
「欲しい…」という気持ちが
ムクムクと育っていきました。

そしてもう1つのピンセット。
当時我が家には、救急箱という物はなかったので、
せい子ちゃんの家の居間の片隅に置かれていた小さな箱を、
私は見逃しませんでした。

「これなーに?」。
中を広げて1つずつ手に取るうちに、
ピンセットにどうやら幼い私は反応したようです。
何に使うのかはまったくわからないのに、
その造形に私は魅せられておりました。
「欲しい…」。

欲しいと思った物がひとつだったなら、
私は家に帰って
「ビー玉買ってよ」なり
「うちにはピンセットないの?」なり、
正攻法で手に入れようとしたことでしょう。
しかし、同時に2つの物を手に入れることは、
そのとき、ひどく困難なことのように思えたのです。

せい子ちゃんが、
台所に飲み物のおかわりを取りに行ったスキに、
私は『ビー玉』と『ピンセット』をポケットにしまい、
その後は適当な理由をつけて
早々にせい子ちゃんちを後にしました。

なぜか完全犯罪のつもりでいたので、
せい子ちゃんにはバレていない、
としばらく思ってましたが、
バレないわけがないよなー。
ま、実際バレていたんでしょうが、
せい子ちゃんは何も言いませんでした。
ごめんよ…。

さて、そうまでして手に入れたビー玉とピンセット。
子供ながらに考えたのは
「お母さんが『これどうしたの?』って聞いてきたらどーすんだ?」
ってことでした。
そういうことに知恵がまわるんなら、
せい子ちゃんにもバレるってわかりそうなもんですがね。

とにかく盗んじゃってから、の罪悪感がひどかった。
結局、親には絶対バレないように、
おもちゃ箱の一番奥に隠して、
親がその箱に近付くと
「おっと危ねえ」ってな勢いで、
その前に立ちふさがったり、
誰もいない誰も来ないと確信の持てるときだけ、
それらを取り出して眺める日々が続きました。
眺めながら、こんなに苦しい思いをするなら
盗まなければよかったと、
後悔&反省を繰り返したのでした。

最後まで親にはバレませんでしたよ、ふう。

なーんだ、それくらいの盗みか、
と大人になった私も客観的にそう思うこともあります。
でもここで、罪の意識や隠し事を抱えながらも
普段通りに生活しなければならない、
という心苦しさを体験してしまったこと。
これはその後の人生に少なからず影響を与えたようです。

(1)バレないように嘘をつくことを覚えた
  (あんまり言いたかないけど、けっこう巧妙)
 
(2)嘘を追求される側の心苦しさを知っているので、
   なぜか追求できない

(3)自分の嘘にも他人の嘘にも寛容になった 

(4)結果いろいろ葛藤するのがめんどくさいので
   ハナから『騙されてあげる』ことが多くなった

特に(4)。これは大人になって、
恋愛をするときのスタンスにも
悪影響を及ぼすことになったのです。
「騙されてあげる」
オトナじゃーん、かっこいいー。
でも、

そんなの幸せなわけがない!

話すと長くなりそうなので、
この話はまた別の機会に
改めてしようと思いますが。

ずっとひっかかっていた罪悪感は、
『今こんなオトナになってしまった』
と自分を責めることにどうしてもつながるのです。
やっぱ『盗みは中学生になってから』だよなー(違うって)。

あんまり小さい頃に
嘘をつく、つかれる、ことを知ってしまうと
よろしくないな、と。
しかも自業自得なんだよな、
私の場合。

だから誰かを責めることはできずに
「結局、私が何も知らないふりをすれば
だいたいのことは、何ごともなかったように
過ぎてゆく」

そんな考え方に終止する時期が
長く続いてしまいました。

盗みは、よくない!
30過ぎてようやく思うわけです。
こんな私に幸多かれ!
もう、騙されてなんかあげないもーん。

ではまた次回に。
みなさんの盗み体験も教えてください。
(って、いいのか?)
エセ心理学者のぱっとんが
ズバリ、あなたの人生の弱点を
「他人事ならなんとでも言える」
という観点から言い当ててさしあげます。





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