タイトル■処女的衝撃 〜初体験はドッキドキ。〜
書き手 ■杉浦ぱっとん

大人になって、たいがいのことは経験済みに
なったら、一番ドキドキするのは、新しい人、
新しい感性、新しいものの見方に出会うこと。
だからこそ、あんなことや、こんなこと…、
過去や現在の初体験について書いてみたい!
あなたの「初体験」も思い出してみて下さい。

>>これまでの処女的衝撃


第11回「はじめての“ひとり旅”」その9
事件の現場で考えたこと の巻

 
Tさんに電話をして、待ち合わせの駅に向かう。
WTC(の跡地)からほど近い駅の改札で
待ち合わせだ。

狭いニューヨークではあるが、
これまでに私が通ってきた街並は、
星条旗がやたら多いことのほかは、
特に、あの忌まわしい事件を連想させることもなく、
このまま帰るのであれば、
特別な街に来た、という気持ちにはならなかったはず。

本当は、WTCの真下に地下鉄の駅があったらしいのだが、
事件で、駅もダメになってしまったらしい。
Tさんから、そんな話を聞きながら
WTCを目指して歩く。

近付くにつれ、グラウンド・ゼロ近辺のビルは
人のいる気配が少なくなってゆく。
おそらく当日、これからオープンするはずだったカフェも
店内は砂埃で汚れてしまって、
テーブルにポツンと置かれているシュガーポットが
「時を止めてしまったこと」を物語っていた。

初めて胸がキューンとなった。

現場のすぐ近くには
お花やテディベアや写真や飲み物などが
捧げられている場所が何ケ所かあって、
それらの品々を前にすると、やっぱり
いたたまれない気持ちになる。

どこかでまだ生きているのでは?
そう信じたい人たちもいっぱいいるのだろう。
「MISSING!」「I MISS…」の文字、文字、文字。

テロだとか、戦争だとか、国際情勢のことを考える以前に、
これだけたくさんの人が一瞬に命を落とし、
これだけたくさんの人の悲しみを生み出した、という
事実だけがのしかかる。

WTCの跡地は、もう完璧に「跡地」になっていた。
瓦礫の山もほとんどが撤去された後で、
ここに、あんなに大きいツインビルがあったなんて
想像もつかないほど。
何も知らなければ、ただの工事現場のようにも
見えただろう。

あるべきはずのものがない……
現地で生活している人の気持ちになって
考えてみようとしたのだけれど、うまくできなかった。
やっぱり、この土地は私にとっては非日常で、
あるべきはずのもの、も、私にはリアルじゃない。

置き換えて考えてみる。
東京で言えば何? 都庁かな?
でも、都庁も私にはリアルじゃなかったので
置き換えにも失敗。
東京タワー?サンシャイン?
どれも今イチ、ピンと来なかった。

結局、「なんだよ、これ」「どういうこと?」
「こんなことってアリ?」
なんていう、当たり前の感想しか抱けなかった。
それは日本で抱いた感想と変わりはない。

信じられない事件が、実際に起こった。

頭悪いかもしれないけど、
肌で感じたことはこれだけだった。
本当はもっと考えなくちゃいけないし、
日本に帰って、世界史の本など読み出してはみたけれど。

「跡地」を後にして、駅へと向かう途中に、
絵画やグラフィックを売る店のウインドウに飾られていたのは
テレビで何度も何度も見た、あの光景の写真だったり、
事件を報じる世界各国の新聞の見出しをコラージュしたものだったりで、
一瞬、「商魂たくましいなあ」とも思ったけど、
それも事実で、そこに生活がある、と感じられることに、
少しホッとした。それでいい、と思った。

さて、すっかり日も暮れて夜。
このあとはエンパイア・ステイトビルから
夜景を見ることになっている。
(1人で夜景見るのはさすがに寂しかったので、
Tさんに「一緒に行ってください」とお願いしてあったのだ)

(つづく)





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