タイトル■狼男の記録
書き手 ■谷田俊太郎

はガガーリン空港へ行く」を主宰している
の書いた制作記録でがんす。略して「狼男の記録」。
狼男といえば、「ウォーでがんすのオオカミ男♪」
でおなじみの「がんす」でがんす。でも面倒くさい
ので、本文では「がんす」は省略するでがんす。

>>これまでの記録


<43> 2月7日(木)

■■ 雨、逃げ出した後で ■■

白いワニに襲われ
ユウウツな一日。

けれど
大した理由でもないのに
白いワニとか言って逃避している
自分に自己嫌悪し
叱咤叱責することで
なんとか危機を脱出!

止まない雨はない。

「∀」公開直前だし
そんなことやってる場合じゃない。

ところで「∀ガンダム」が
とても素晴らしい作品になった理由として
富野監督が、菅野よう子という
天才音楽家に出会えたことが
大きな要因のひとつだと思う。

彼女のやわらかで豊かな音楽に触れ、
富野監督が共振(恋?)することで、
「∀」は「癒し」の物語になりえた。

だから富野さんのファンである
僕は菅野さんに感謝してもしきれない
気持ちを抱いている。

機会があれば、お礼を言いたいほど。

実際、その音楽は本当に素晴らしく
コンサートではボロボロ涙がこぼれた。
なんでこんなに人の琴線に触れる
メロディーを作れるのだろう?
なんでこんなに幸福感を
感じさせてくれるんだろう?
聴きながら、いつもそう考える。

天才とは、こういう人のことを言うのだろう。

自分の結婚式でも披露パーティーでも
ほとんど菅野さんの音楽を使わせていただいた。
それ以外には、考えられなかった。

そんな菅野さんによる、発売されたばかりの
「∀ガンダム」劇場版サウンドトラックス
「惑星の午後、僕らはキスをした」に
彼女の書いた文があり、
またまた、俺は目頭が熱くなってしまった。

音楽ばかりでなく、文でもかい!
と圧倒されるばかりなのだ。

まるでディアナ様の言葉のよう。

富野さんの“物語”として
“∀”を捉えた場合、
これほど本質を表現した文は
読んだことがないので
勝手ながら転載させていただきます。

∀は、こんな人達が作ってます。
そして、こんなにやさしい物語です。

_____________________

私は、辛い思いをしたことがありません。
おじいちゃんもおばあちゃんも既になくなりましたが、
命の順番に還っていきました。
身近な人の理不尽な死や事故、悪意、もちろん
戦争による別れの経験もありません。

だから、富野さんがかつて、自分を傷め過ぎて、
家から一歩も出られないような数年間を過ごしたと聞き、
そんなにまで傷つくということがどういうことなのか、
想像もできませんでした。

奥さまが「それでも、<コンクリートの上じゃなく>
土の上だけは歩けたのよ、気持ちいいって。」
と、その時のことを話して下さいました。
でも監督は、そう思ったことすら覚えてない、とおっしゃってました。
数年間、霧の中にいたような感じだと。

傷ついた心の有り様を思いやるのは、私には難しく、
それよりも、心を閉ざしていても
足のウラは土の柔らかさを覚えていたということに、
人間の不思議を感じました。

ターンAという作品に関わりながら、
私は、富野さんがいっとき癒された、
土を踏んだときのハダシの感覚のことを
ずいぶん長いこと考えていたように思います。

クラクフで収容所跡を訪ねたとき、
誰かを痛めつけてやろうという
暗い情熱を何年もずっと持ち続けることは、
私にはできないと思いました。
それが他人に差し向けられたものでなく、
自分自身を傷つける力だとしても同じことです。

幸せな者が思わせぶりに悲しみを語ったところで、
それは下品なこと。
不幸を知る人にも納得してもらえる音にするために、と、
眉間にしわを寄せるうち、幸せであること、
今ニッコリ笑えるということを
恥じている自分に気づいたりもしました。

私は愛されて育った記憶があり、
何か大きな力に守られていると感じていて、
土の暖かさを知っている。
そんな音を、富野さんに届けたかった。
わたしがそうであるというより、すべての人間に、
そう感じる権利があるという思いを込めて。

文章が本業ではないので…。
劇場版のエンディングに流れるすべての曲たちが、
ラブレターへのお返事です。
また、一緒に遊びたいな。

                        かんのようこ


(つづく)





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