タイトル■狼男の記録
書き手 ■谷田俊太郎

はガガーリン空港へ行く」を主宰している
の書いた制作記録でがんす。略して「狼男の記録」。
狼男といえば、「ウォーでがんすのオオカミ男♪」
でおなじみの「がんす」でがんす。でも面倒くさい
ので、本文では「がんす」は省略するでがんす。

>>これまでの記録


<97> 4月15日(月)

■■ ディスタンス ■■

信州の旅路にて。

「山おくの村」のとなりのとなりに
ある村のドライブインにたちよった。
(ところで「ドライブイン」って
 もう死語なんですかね?)

正しくは、ドライブインというよりは、
山菜やら花やらがいろいろ売っている直売所?
村の人達の寄り合い所のような雰囲気で
お年寄り達が楽しそうに話していた。

そのとある一角、
山菜売り場のラジカセから
宇多田ヒカルの「光」が流れていた。

なんでもないことだけど
それが妙に印象に残った。

宇多田ヒカルと
たらの芽やらわらび。

世界一の大都会・ニューヨーク:発
CDショップもレンタル店もない山奥の村:着。

うーん、なんかすごい。

もちろんこの村にも
テレビやラジオはあるわけだし
車で大きな街まで行けば
CDもDVDも買えるでしょう。
そりゃ宇多田ヒカルだって
チャイコフスキーだって流れるでしょう。

でも、ですね
成田空港まででさえも遥か遠くに
感じるこの村とニューヨークには、
とてつもない距離を感じるのです。

距離。
彼女がアルバムタイトルにもしていた言葉
「ディスタンス」。
それも、とてつもないディスタンス。

アッパー・ウェストサイドを
ホットドッグをかじりながら
歩いてた時に思いついた歌が(想像ですが)、
海を超え、山を超え、川を超え、街を超え、
気の遠くなるディタンスを経て、
山と畑と花しかない信州の小さな村にも
届いているこの事実。

自分の歌が
はるか遠い世界で
普通に生活空間に
溶け込んでいる光景。

これ、本人がこの現場にいたら
きっと感動すると思うなぁ。
しないかな?

いや、もちろん
たまたま聴いたのが宇多田ヒカルだっただけで
いろんな人が作ったものが、
遠くからこの村に届いているんでしょうけど、
なんか「距離を超えて届く」ということは、
改めて考えると奇跡のようなことなんだなぁ
と思ったわけです。

何気なく食べている野菜だって
考えてみたら、この村で作って
「距離を超えて届いた」もの
かもしれないんですよね?

海を超えて、宇多田ヒカルだって
食べているかもしれない。

そうかそうか、社会とは
たとえ途方もない
ディタスタンスがあろうとも
そんな風にお互いに届けたり
受け取りあったりすることで
成り立っているんだなぁ。
すごいわ!

…なんだか
小学生の社会見学感想文みたいだけど、
そう思った。

その帰り道、
長野駅から新幹線に乗ると
関東平野にある無数の建物が見えた。
ものすごい数の人々が窓の数だけいて
そこで生活しているはず。

このホームページだって
理屈としては、
その無数の人々みんなに
見てもらうことはできる。
(パソコンを持っている人なら、だけど)

でも、距離を超えて届けられても、
しかもタダでも、
望んでもらわなくちゃ
受け取ってはもらえないんだよね。

街で配られているティッシュと一緒で。

…で、実際この「狼ガガ」にしても
現在はとても少数の人にしか
受け取ってもらってないことを考えると、
「届けて、受け取ってもらう」ことは
やっぱ奇跡のようなことなんだ。

だからこそ
少数とはいえども、
離れて住んでいる人々同士、
それこそ山おくの村や
海を超えてニューヨークやシンガポールに
住んでいる人達とも、
リアルタイムで届けたり、
受け取ったりしあえるようになった
今の状況は、
奇跡的なことなんだなぁ。

そうだ
奇跡ついでに(?)この文章、
というか俺が見た出来事を
ヒッキーに伝えてみよう。
届けることだけはできる。

もしも「受け取って」
もらえたらスゴイよなぁ…。



(つづく)





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