タイトル■雪と先生 〜ある豪雪の村より〜
書き手 ■市川先生
市川先生は、信州の山奥にある小学校に勤務して
います。とんでもなく雪が降るこの村。そんな豪
雪地帯での生活とは一体どんなものなのでしょう?
このコラムでは、異次元空間のような雪国におけ
る先生達の活躍を中心に、雪と暮らす人々の様子
を伝えてもらいます。では、いざ豪雪の世界へ!
>これまでの「雪と先生」
さんにんめ ● 雪国の教材を「開拓する」教師たち(Vol.4)
平成12年12月、
うま先生は受話器を取っていた。
ダイヤルしたのは
「雪だらけ村のあるスキー学校」である。「あのぅ…」
うま先生にとって、
スキー学校への電話は初めてのことではない。
山おくの村小学校では
毎年アルペンスキーの教室もやっているため、
その度に今回かけたスキー学校ではないが、
スキー学校に電話はしたことがある。
しかし、今回は用件が違っていた。
恐らく、
山おくの村小学校の歴史において、
初めてお願いすることであろう。うま先生の鼓動は高鳴っていた。
「…初めてお電話します。…」
ぎこちない言葉をならべるうま先生。
なかなか本題を切り出せずにいた。「実は…」
やっと本題を切り出したうま先生がお願いしたことは、
クロスカントリースキー技術指導の先生
を紹介していただくことであった。体育教師のうま先生のみならず、
山おくの村小学校の先生は
一人の地元出身の先生を除き、
全員がクロスカントリースキー未体験者であった。
上の学年を教える先生にしてみれば、
「先生は初心者。
子どもたちは熟練者」
という図式が成り立っていた。前年、5年生を担任していたうま先生も
例に漏れなかった。
子どもの方が上手いのである。
スキーの構造、板の付け方、技術に至るまで、
明らかに子どもたちの方が
いろいろ知っていたし巧みに操っていた。
それだけなら
どうにか指導できる糧はあるのだが、
うま先生はじめ、
山おくの村小学校の先生たちには、
「何を、どう指導すればよいのか」
が、ほとんど全く分かっていなかったのだ。
つまり、山おくの村小学校の教師たちが
子どもたちにつけたい力を具体にして
指導計画をつくることが
ほどんどできていなかったのである。これまで
山おくの村小学校の子どもたちにとって、
クロスカントリースキーの時間は
自由に板を付けて遊び回る時間にしか
なっていなかった。
(注:「遊び」が学習の一部であることは非常に大事なことだと私は思っていま
す。「遊び」という文化が蔑まれてきた歴史を持つ我が国ですから、認知される
ことも難しいと思うのですが、、、。授業の中で、遊びの世界を広めたり、深め
たりし、「学び」と太くリンクさせていくことで「遊び」が「学び」に"取って
代わること"は非常に重要なことだと思っています。)
クロスカントリースキーの時間だけに関していえば、
山おくの村小学校の先生は
教師としての役割
を十分果たせない状態であったのかもしれない。例えば最近、
勤労生産の体験学習を
重視するという意味から、
学校で田んぼをお借りして
稲を作る学習に取り組むことも少なくない。
しかし、学校の先生は
決して稲作のスペシャリストではない。
だから、
地域の稲作のスペシャリストの方に
協力をいただきながら学習を進めていかなければ
稲を実らせることはまず無理である。
(注:ちょうどdash村で
三瓶さんから農業指導を受けていなければ、
トキオの5人は畑を開墾することすら
できなかったであろうことと
酷似しています。)山おくの村のとなりの雪だらけ村は、
国体・インターハイなどの全国大会のみならず、
オリンピックなどの国際大会で
活躍する選手も輩出している。
そんなウインタースポーツのメッカの
雪だらけ村であれば、
クロスカントリースキーを
隣の村の子どもたちに
教えてくださる先生がいるだろうと、
つるべ先生とうま先生は考えていたのだ。まず、
雪だらけ村出身で
ご主人が雪だらけ村スキークラブに所属しているという
元雪だらけ村学校栄養士の舞踊達人先生
(!読んで字の如く!)に協力いただき、
どこに問い合わせれば
クロススキーの先生を紹介してもらえるかを
教えていただいた。
舞踊達人先生から紹介していただいたのが
うま先生が電話をした
「雪らだけ村のあるスキー学校」だったのである。舞踊達人先生のご主人を通じて
既に連絡があったらしく、
うま先生の心配をよそに
クロススキーの先生を
あっさり紹介していただき、
トントン拍子に
「いつ山おくの村小学校に行きましょうか?」
ということについて話は進んでいったのである。「雪だらけ村のあるスキー学校」の
クロスカントリースキーの先生であるナイスガイ先生
(またまた!読んで字の如く!)から
うま先生に電話があったのはその翌日であった。「コースの圧雪はどうしてますか?」
学生時代はクロスカントリースキー競技に
邁進していたこともあり、
「雪らだけ村のあるスキー学校」で
雪だらけ村の子どもたちに
クロスカントリースキー競技の
指導をされているナイスガイ先生である。
コース整備がどのようになされているのかは
重要な問題であった。
昨年までは、満足なコース整備すらできなかった
山おくの村小学校・中学校、、、、しかし、
うま先生は、
躊躇することなく、答えた。「コースは…、
スノーモービル で圧雪して、
コースカッターでダブルで切ることができます!!!」つるべ先生の
「スノーモービルが必要である」という願いは、
山おくの村教育委員会で重要に考えていただいていた。
つるべ先生が初めてこの話を教育委員会にしたときには、
計り知れない高額備品だということもあり、
かなり悩まれていたようであった。
しかし、
スノーモービルがないと
より効果的な学習環境を
つくり出すことができないという
「切実な必要感」を
つるべ先生がことあるごとに
教育委員会に話していたことで、
山おくの村教育委員会に
そのことを理解していただくことができた。山おくの村教育委員会は、
数少ない中古車輌を
夏冬関係なく長期にわたって探していた。
その努力が報われ、
ついに
中古のスノーモービル1台を見つけ、
購入していただくことができたのである。学校に購入していただいたスノーモービルは1台。
小学校、中学校が共同で使うことになった。
当初、スノーモービルを操縦できたのは
小中学校合わせてもつるべ先生一人であった。ある程度雪が積もると、
つるべ先生はできるだけたくさんの
小中学校の先生に操縦できるようになってもらおうと
講習会を行った。
が、結局、
校庭や校地の圧雪のために
スノーモービルを駆ったのは
つるべ先生、うま先生の二人だけであった。スノーモービルは
動かすのは原チャリ(50ccスクーター)と一緒で
アクセルをふかしさえすれば動く。
だが、ステアリングワークや
(「ステアリング」っていうのだろうか?)
重心移動が非常に難しかったのだ。
自動車のようにハンドルを切りながら、
ハングオンをするイメージでコーナーに入らなくては、
…曲がらない
のである。また、
重心が真ん中にないと、
深雪時にはあっという間にスタックし、
動かなくなる。
操縦に慣れていたつるべ先生でさえ、
深雪のときには時々スタックさせてしまい、
30〜40分程
モービルを掘っていたことがあった。
無論初心者のうま先生は
毎日のように小学校の庭で
子どもたちに救出されていた。さらにスノーモービル操縦者を襲う
「寒さ!」
…フルスロットルだと
おそらく60〜70km/hは出るであろう。
時には降り積もった雪を巻き上げ、
雪だるまがスノーモービルを
運転しているではないか!と
勘違いするような姿になることもあった。
晴れた日に華麗に雪原を走り抜ける…
そんな姿はまず滅多に
見られないのである。
スノーモービルによる
圧雪&コースづくりは
二人の体育教師にとって
ダイエット効果を伴う
激務になっていった。ともあれ、山おくの村小・中学校の
クロスカントリースキーには
「スノーモービル」
「クロススキー専門の先生」
という希望の光が射し込んだのだ。前年までは、予想だにしなかった展開が
おとれたことで、
いよいよ、
子どもたちが変わっていこうとしていた!!
(to be continued...)
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