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「狼はガガーリン空港へ行く」参加者の自己紹介 ■■

12月17日(月)創刊予定のウェブマガジン
「狼はガガーリン空港へ行く」にはこんな人達が参加します。
こんな内容のコラムを書きます。ということがわかる、
一人づつの自己紹介文をまずはお届けします。



<03>
フリーライター/ロビー田中(38)の場合


企画名 ■ ドラマは何でも教えてくれる
内 容 ■ TVドラマに関するコラム


なぜ、ロビー田中なんていう
ダサダサの名前なのか、という問題は、
その理由もダサダサなので省略。

とりあえず、TVドラマに関するコラムを書いていきます。

以前、タニタ氏が編集の仕事をしていた雑誌で
同じようにTVドラマのコラムを書いていたことが
このウェブマガジンに誘われた理由です。

現在もそのコラムは続いているので
内容が多少重なる部分もあると思います。
そのあたりはご了承を。

僕が生まれた年は、
NHKが初めて通信衛星による日米宇宙中継の実験をした年です。
そしてあのケネディ大統領暗殺の映像がお茶の間(!)に流れました。

テレビっ子がそのまま大人になり、
テレビおじさんになってしまったのが僕というわけです。

僕が最初に見たドラマは何だったのか…?
正確には覚えてませんが、
1967年から始まった「チャコちゃん・ケンちゃん」シリーズは見てました。
(それ以前にもチャコちゃん単独のシリーズがあったがほとんど記憶にない)

つまり「アンティーク〜西洋骨董洋菓子店〜」に牟田悌三が出てきた時、
“お前がケーキ屋のオヤジだろ!”とツッコんだ世代です。

※(若い方へ)
宮脇康之が主役になったケンちゃんシリーズはお店屋さんモノで、
「ケーキ屋ケンちゃん」(72年)という作品もあったんです。
牟田悌三はそのシリーズのお父さん役でした。

最初に夢中になったドラマは
「仮面の忍者赤影」だったかもしれません。
1967年4月から68年3月まで放映された作品です。

第2シリーズで視聴率56.3%という記録を残した
「ありがとう」(70〜74年)も当然のことながら見てました。

現代の連ドラのプロトタイプになったと言われる
「岸辺のアルバム」(77年)を見た時の衝撃は今も忘れることができません。

でも、今までに見たドラマの中で
一番印象に残る作品は、と聞かれたら、
「男たちの旅路」と答えるでしょう。

「岸辺のアルバム」と同じ山田太一の作品で、
1976年から79年にかけて
NHK土曜ドラマの中で放送されました。
1話完結の3話構成。第4シリーズまであります。
(その後、スペシャル版がひとつ作られた)

TVドラマでもこんなスゴイものが作れるんだと、
強烈に思い知った作品です。

TVドラマには
その公共性から数々の制約があります。
簡単に言ってしまえば、
誰もが楽しめるものでなくてはいけないのです。
芸術性だけを追い求めるわけにもいきません。

民放の場合、
本当は味方であるはずのスポンサーから
ムリな注文を出される場合もあります。
もちろん、スポンサーが嫌がる描写、配役もできません。

そんな制約の中で
出来る限り面白い作品を作ろうとしている
プロデューサー、ディレクター、作家に
僕はある種の敬意を抱いています。

僕自身もクリエイターの端くれだからかもしれませんが…

“TVドラマなんかくだらない”
と言う人に、あえて反論するつもりはありません。
ただ、“すべてのTVドラマがくだらないわけではない”
とだけ言っておきます。

これからも僕はTVドラマを見続けていくでしょう。
その感想をこのコラムで書いていきたいと思います。


……なーんていう文体では書きません。

「ドラマは会議室で見てるんじゃない!
 お茶の間で見てるんだ!」




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