エスニック

インドは行った方がいい!!


五章  ガンガーの朝

 ベナレスに来て最初の朝、私たちは早朝のガンガーへ行くため、眠い目をこすりな がら、5:00に起きた。というのも、前にも言ったように、ヒンドウー教の人々 は、朝のうちに沐浴に来ることが多いらしい。またガンガーの向こうから昇る太陽は とてもすばらしいのだそうだ。朝の沐浴
ホテルを出ると外はまだ真っ暗で、また非常に寒かった。人っ子一人いない。する と突然、暗闇の中に何やら怪しげな人影が・・・。!?!?!? よく見るとその人 はリクシャーのおじさんだった。正確に言うと老人であった。まったく、びっくりさ せないでよー。それにしても、こんな朝早くから、客待ちをしているとは!!老人 は、私たちを見るなり、ものすごい勢いで近づいてきた。
 そして、「リクシャー?リクシャー?」と言いながら、乗るようにうながしてい る。私たちはとりあえず、ガンガーまでいくらか尋ねた。すると10ルピー(38 円)だと言う。前日、ガイドのボビーからリクシャーの相場を聞いていた私たちは、 とんでもない!!というようなゼスチャーをして、8ルピー(30円)だと言い張っ た。よくよく考えれば、たかだか8円の差なのだが、私たちはだんだんとインド人化し ており、1ルピー100円くらいの感覚になっていた。向こうも初めは10ルピーを 言い張っていたが、私たちのかたくなな態度に根負けして8ルピーで応じてくれた。
 ガンガーまでは思っていた以上に遠かった。2人で100kg以上はある私たちを 乗せて、一生懸命ペダルを踏んでいる老人。ガタガタ道では時折、力が入らなくなっ たのか、腰を浮かせて立ちこぎをしていた。
 頭には毛糸の帽子をかぶり、体には幾重にも布を巻き付け、完全防備しているおじ いさんのその布の先には、どこにこんな力があるのだろうと思わせるほどの細い足首 が見えていた。
 私はおじいさんの後ろ姿を見ながら、なんだかとても悪いような気持ちになってい た。私たちのような健康な若ぞうが、老人にリクシャーを引かせていていいのだろう か?しかも、たった8ルピーで。
しかし真っ黒い顔に、真っ白なひげを生やしたおじいさんの顔には、全く悲壮感と か私たちに対する嫌悪感などの表情はひとつも見られなかった。それどころか、ガン ガーに到着した時の彼の表情はとても明るく、疲労の色も全くなかった。
 彼は、ぜひ帰りも私たちを乗せたいと言ってきた。私たちは、「何時に帰るか決めて いないし分からないから。」と言うと、「それまで何時間でもここで待っている。」と平然 とした顔で言う。料金は行きと同じ8ルピーでいいらしい。ん???待ち時間の分の 料金は払わなくていいわけ?待ってる間にほかのお客さんを捜して、稼いだ方が効率 よさそうな気もするけど・・・。まあ、私たちにとっても損はないので、帰りもその おじいさんに頼むことにした。
 私たちが行きの分のお金を払おうとすると、
「帰りに一括してもらうからいいよ。」
と言う。なんか、とってもびっくりするとともにおかしくなってしまった。だって、 もし私たちがとってもずるい人で、帰りにその人に乗らずにとんずらしてしまう可能 性だってあるわけでしょ?そしたら、彼は行きの分をただ乗りさせてしまったことに なるのに、そんなことをまったく疑うでもなく、にこにこと私たちを送り出そうとし ているから。
 観光客に対して、少しでもぼったくろうとするインド人なのに、そういう反面、外 国人に対して、まったく疑うことをしないインド人のおもしろい一面を見たような気 がして、また嬉しくなってしまった。インドの商売は信用商売なのであった。
   全面的に私たちを信用してくれているおじいさんの信頼に応えるべく、私たちは聞 かれてもいないのに、自分たちの名前を紙に書いて手渡した。
   さて、ガンガーはまだ薄暗かったが、たくさんの人々がいた。沐浴に来たインド人 と、それを見物に来た外国人。そして、その観光客を相手に商売をする人たち。
 私たちは何人もの客引きに執拗なまでに声をかけられた。殆どは「ボートに乗りま せんか?」というものだった。前日、これもガイドのボビーから、ボートには気を付 けるように言われていたので、私たちはまったく無視していた。ボートに乗ってか ら、言い値とは違う高額の値段を要求されるケースが多いのだそうだ。払わないと、 ボートから降ろしてもらえず、それでも拒否すると、暴行にあったり、身ぐるみはが されるとか・・・。
 ボートの男達は私たちの周りで、「ヤスイヨ、ヤスイヨ。◯◯◯ルピー」を連発し ていたがその値段はとっても高かった。そのうち、日本人の女の子2人連れが、ボー トに乗り込んでいった。「あーあ、かわいそうに。相場がいくらかを知らずに、高額 を払って乗っちゃうのねー。」と私たちは思ったが、ボビーから相場を聞いていな かったら、私たちだってそれが高いかどうかも分からずに乗っていたのかもしれな い。
 価値観って国によっても人によっても全く違うから、とても難しい。その人がその お金を払ってもいいと思えたのだとしたら、それでいいのかもしれない。
 しばらくすると、あるお兄ちゃんが私たちに「Hello!」と話しかけてきた。 私の弱いところは、いかにも客引きらしく近づいてくる人には無視をできるのだが、 挨拶から始めて来る人には、どうしても、つい答えてしまう。

 男は私が答えたので気をよくして、色んな事を聞いてきた。やっぱりあやしいかも しれない。判断が付かずに、私は適当に彼の話を、無視するでもなく聞いていた。  彼はやたら、親切そうな事を言うので、私は聞いてみた。
「どうしてあなたはそんな親切なことを言うのですか?」
すると彼は
「私は神様の使いの者です。私は人々をHELPするために、ここにいます。」
と言った。
「?????」
こんなところで、私たち外国人をHELPする前に、もっとHELPするべき人は周 りにいっぱいいるだろうに・・・。あまりに見え透いた変なことを言うので、ちょっぴ りおかしくなって、私はいろいろ彼に質問してみた。
 すると、彼は私に手帳のような物を見せた。それを見るなり、私は彼が私たちを騙 す目的で近づいてきているのだということを悟った。
それは、日本人観光客が彼においていった名刺やメモのファイルだった。正確にい うと、その名刺とは、今ちまたで流行っている、ゲームセンターで作れるようなネー ムカードだった。名刺やメモは殆どが若い女の子のもので、かわいい文字とともに、 彼女たちのプリクラが貼ってあった。メモの内容なんて、読まなくても分かってい た。どうせ、"このお兄さんはいい人です。信用していいと思います。"みたいなこ とだろう。なぜなら、某ガイドブックに、名刺やメモを見せていかに自分が安全でい い人かを信じ込ませる騙しの手口として書いてあったのだ。
 まったくガイドブック通りの手口で近寄ってきたので、何故か私は頭に来てしまっ た。
そしていきなり、私は怒りだした。
「こんな物、見たくない!!私、知ってるからね。騙す目的で近づいてくる人は、み んなこういう物を見せるんだから。」
彼はなんとか取り繕うとしていたが、私はもう彼の言葉にはまったく耳をかさず、無 視し続けた。
「Hello,hello。」
「・・・・・・・・・・・」
「聞いてんのかい?」
「・・・・・・・・・・・」
そのうち彼も頭に来たのか、
「O.K, O.K. 分かったよ!!せっかくあんた達をHELPしてやろうと思ったの に、もういいよ!!そうやって、人の好意を無駄にするなんて!!そのうち他の人に 騙されて、全部のMONEYを失うがいいさ!!」
と暴言を吐いて去っていった。
「なにー、あのセリフ!? まったく何が神様の使いよ!!」と怒っている私のかた わらで夫は平然としている。それどころか、「どうしたの?」なーんてのんきなこと まで言っている。どうやら、夫には彼の言った英語が全く通じていなかったらしい。
「言葉が分からないと、いいこともあるんだなー。イヤな気分にならずに済んだも ん。」
 まったくあきれてしまった。


ところで、ダシャーシュワメード・ガートDashashwamedh Ghatでは、日の出前から 多くのインド人がガンガーの水で歯を磨いたり、体を洗ったりしていた。寒さのた め、体がふるえている人もいた。
 何のために人々は沐浴をするのか?ヒンドウー教の教えによると、聖なるガンガー の水で沐浴すれば、すべての罪が浄められるのだそうだ。
 そのような理由で、沐浴には、地元の人々だけでなく地方からの人たちも来てい た。そういう人たちは、団体で前日ベナレスに宿泊したのだろう。ぞろぞろと嬉しそ うに、みな鞄を抱えてやって来た。
 その日は曇りだったために、日の出こそクリアーに見えなかったものの、もやの中 にうっすらと出てきた太陽は、沐浴の光景と相成ってとても幻想的であった。ただ、 川面に浮かぶ何艘ものボートの中からこっちを見ている観光客の異様な光景を除けば ・・・。

 水辺には竹で編んだような大きな傘を立てた台が何十もあった。それは、沐浴に来 た人たちが、荷物を置いたり休憩したりできるためのものらしい。私たちはそれを勝 手に"海の家"と名付けた。
 "海の家"の主人は自分の所にお客さんが来るように、それぞれ趣向を凝らしてい た。沐浴を終えた人が暖をとれるように炭をおこしている"家"もあったし、温かい 飲み物を沸かしている"家"もあった。。私たちは石段に腰をおろし、彼らの様子を じーっと観察していた。すると隣で夫がなにやら笑っている。
「ねえ、ななめ前の"海の家"のお兄さん、見てごらんよ。自分の所に客が入らない からそわそわしてるよ。」ガンガー海の家
 見てみると、他の"海の家"には次々と人が入り、賑わっているというのに、お兄 さんの所だけ何故か閑古鳥なのである。、そのお兄さんの場所は数ある"海の家"の なかで一番端っこの、もっとも目立たないところであった。
 場所もさることながら、お兄さんは営業が苦手らしく、うまく声をかけられないら しい。ただキョロキョロと周りを見回し、妙にそわそわしている。その顔には焦りの 色が浮かんでおり、私たちは見ていておかしくなってしまった。冷静さを装いつつ、 内心焦っているお兄さんの気持ちを分かっている人は、この中で私たちだけしかいない だろうと思うと、何となく親近感もわいてきた。
「お客さん入るといいね。」
私たちがずっとお兄さんの"海の家"についてあれこれと話していたので、その視線 に気付いた彼はとうとう私たちにまで「ここは眺めがいいよ。どうだい、座れ。」と 声をかけてきた。
後で知ったことだが、これらの"海の家"は、沐浴に来た人々にバラモンが説教を する所だったらしい。バラモンとは宗教儀礼を専門とする司祭のことで、私たちが 「カースト制度」として世界史の時間に習った四姓のうちもっとも上に位置する。
  ・・・ということは、あの閑古鳥の"海の家"のお兄さんはバラモンだったのか?と ても説教を施してくれるような威厳はなかったのだが・・・。
 まあ、いずれにせよ、1時間後に再び見たときには、お兄さんの"海の家"にも何 人か人が入っていた。よかった、よかった。


 私たちはこの朝、とても不思議な人を見た。
 その人は顔を聖灰で真っ白に塗り、髪の毛は真っ白、そして顎には胸元まで伸びる 長い白ひげを垂らして、岸辺の上の方にある、粗末な小屋のような中に静かに座って いた。真っ白いひげを生やしてはいるが、その顔つきや、ピンとした背筋は老人のも のとは思えず、一体彼が老人なのかそうでないのかまったく分からなかった。体には 一枚の白い布をまとっている。
 この人があのサドウーと呼ばれる人なのか。サドウーとは、家族も財産もすべて捨 てて、インド全土の聖地を遊行(ゆぎょう)する出家行者のことである。ヒンドウー 教徒の一生は四住期に分類されている。聖典を学習する学生期、結婚して息子をもう け、家長としての任を遂行する家長期、嫡男に家を相続し、自分は隠遁しながら宗教 的思索にふける林住期、そしてこの世に対する執着を捨て、物を乞いながら聖地を巡 礼する遊行期である。この遊行期に達した行者のなかでも特に徳の高い聖者がサド ウーである。
 私はその人を見るなり、とても不思議な感覚におそわれた。何故なら、その人には この世の人とは思えないような、なにか独特の雰囲気があった。どう表現したらよい のだろう?何も考えず、一切の喜怒哀楽をもたず、全くの無心であるような表情。人 間は、持っているすべての欲を捨てたら、こんな表情になるのだろうか? こんな不 思議な気持ちになったのは初めてだった。彼の周りには神聖なオーラが漂っていて、 とてもなつかしいような、切ないような、尊敬のような、憧れのような、そんな気持 ちで私はしばらく、その場から動くことが出来なかった。
 小屋の中では、取り巻きふうの二人の男がひっきりなしに彼のタバコに火をつけて いた。インドでは紙巻きタバコのほかに、以前述べた「パーン」という噛みタバコ と、「ビリ」というタバコがある。「ビリ」はタバコの葉をベンガル菩提樹の葉で巻 いた葉巻タバコである。燃え方が鈍いので、絶え間なく吸い続けないと、すぐに火が 消えてしまう物らしい。彼が吸っていたのはこの「ビリ」だった。
 ふとサドウーと目があった。すると彼は、遠巻きに見ていた私たちに向かって、な んと手招きをしたのだ。"えっ?どういう意味?"一瞬たじろきながらも、彼のその 不思議な雰囲気に引き込まれるように、私たちは近づいて行った。"なにか、言われ るのだろうか?それとも、なにか要求されるのだろうか?。"
 ところが、彼は目の前に近づいてきた私たちに何を言うでもなく、相変わらず無言 で静かに座っていた。観光客を見ると目の色を変えて近づいてくるインド人に慣れて いた私たちにとって、彼の無反応は意外だった。すぐに私は先ほどの自分の推測を訂 正した。そうなのである。彼はこの世に対する一切の欲や執着を捨てたサドウーであ り、私たちが観光客であろうがインド人であろうが彼にとっては何の意味もなかった のであった。彼は、遠慮がちに見ていた私たちに、もっと近づいて見てもいいという 合図を送ってくれたのだろう。
 私はこの高貴な方のお姿を、どうしても写真におさめたくて、無理かもしれないと 思いながらも尋ねてみた。すると彼は静かにうなずいてくれた。
 もし、この世に人間の姿をした神様がいるとしたら、この人はそうかもしれないと 私には思えた。
 ここでの光景は私たちにとても強烈な印象を残した。

   さて、印象深いガンガーの朝を十分堪能して、私たちはホテルに戻ることにした。 はたして朝のリクシャーのおじいさんは、本当に待ってくれているのだろうか?  朝別れた場所へ戻ってみた。 ・・・が、老人の姿はそこにはなかった。
"なーんだ、やっぱりね。そうだよね。いつ来るかも分からない私たちを、ここで ずーっと待ってるなんて、時間の無駄だよね。まあいいか、他のリクシャーをつかま えれば。でもよく考えたら行きの分のお金、払ってないけど・・・。"
 そう思って歩き出したとたん、向こうからあのおじいさんの姿が。なんとおじいさ んは約束通りに2時間以上も私たちを待っていたのだった。
 おじいさんの顔を見たとたん、私は嬉しくなってしまい、思わずおじいさんに飛び ついてしまった。と同時に、他のリクシャーをつかまえればいいや、と思っておじい さんを捜すこともせずに帰ろうとしてしまったことを申し訳なく思った。
それにしても、往復たったの16ルピー(約60円)をもらうために、朝の5:3 0から3時間とは。
 帰りのリクシャーで、おじいさんは時々こっちを振り返っては、人なつっこい笑顔 で話しかけてきた。 おじいさんは、「今泊まってるホテルはいくら?もっと安いホ テルをご希望なら、紹介してあげるよ。」とか「もし、観光するなら、連れてってあ げるよ。」と言った。でもその言い方は私たちに強要しているふうでもなく、イヤな 感じはまったくなかった。私たちが断ると、それ以上は無理に勧めなかった。
 このおじいさんはただ単にお金を稼ぎたいのだろう。もちろん、私たちに言い寄っ てくる人たちもみなお金を稼ぎたくて近づいてくるのだが、このおじいさんには、法 外な値段で騙して儲けようという、ずるさがなかった。沐浴
おじいさんは、走りながら私たちにある物を見せてくれた。それは、なんと日本人 の字がぎっしり書かれた、ぼろぼろのメモ帳だった。なんとおじいさんも持っていた のである。私はそれを読んでみた。
『このおじいさんは悪い人ではないと思います。とても人なつっこくて親切です。私 たちは1日おじいさんに観光に連れて行ってもらいました。』
『私たちはおじいさんにとてもいい宿を紹介してもらいました。』
などなど。私はこの人達の言っていることは本当かもしれないと思った。
 私が読み終えると、おじいさんはそのメモ帳を満足そうに、そしてとても大事そう に、ふところにしまった。おじいさんにとって、このメモ帳は騙すための道具ではな く、今まで自分がしてきた仕事に対する誇りの象徴なのだろう。
ホテルに着いて別れ際、私はおじいさんと一緒に写真を撮らせてもらった。おじい さんの満足そうな堂々とした笑顔を私は今でも忘れられない。




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