エスニック

インドは行った方がいい!!


六章  ボビーとの出会い

 私たちが彼に出会ったのは、ベナレスに着いた日の夕方、ガンガー沿いの通りだった。私たちが地図を広げて立ち止まっていると、いつものように私たちの周りに 人だかりができた。その中で、流暢な日本語で話しかけてきたのがボビーだった。
 「どこから来たんですか?ああ、東京?どこへ行くんですか?分かりますか?」
と言いながら彼は親切に教えてくれた。  あまりにも彼の日本語が上手だったので、そして彼の風貌が客引きには見えなかったので、私たちはついでにサリーを安く買えるところを聞いてみた。
 というのも、私はベナレスに着いてすぐに、どうしてもサリーが着たくなってし まったのである。通りを歩く女性は赤ちゃん・子供を除いてみな色とりどりのサリーを身につけていた。(インドでは初潮を迎えたときに初めてサリーを着せるのだそう だ。)年老いた女性までもが真っ赤なサリーを着ているのである。耳には大きなピアスをぶら下げ、手首にはブレスレット。その姿がとっても素敵なのである。昼間のベナレスの町中
 サリーを着たい理由のもう一つは、周りの視線であった。通る人通る人みんなが私 たちのことを見ているので、少しでもその視線から逃れるために、サリーを着てインド人になりすまそうというのである。もちろん、顔でばれるが、少なくとも遠目には 目立たないはずだし、後ろ姿はインド人になりきれるだろう。
 「いいシルク屋を知ってます。ここら辺のシルク屋で買ったら絶対だめですよ。この辺は、みんな観光客相手のシルク屋だから、ぼったくりされます。オレの知ってる所は、政府直営の工場だから色んな種類があるし、インド人も観光客もまったく同じ 値段で買えます。」
 とボビーは言った。"ぼったくり"なんて言葉をよく知ってるなーなんて感心しなが ら、私はその店の名前と場所をメモに書いてくれるように頼んだ。 夫が「ここじゃなんだから、ちょっとお店でお茶でも飲みながら・・・。」と言う ので、私たちはすぐそばのお店に入った。
 お店といっても、ドアがあるわけではな く、地元の人々で賑わうチャイのお店だった。インドに来て初めて入ったローカルなお店だった。 チャイを飲みながら、私たちは彼について色々なことを聞いた。
 彼はバナーラスヒンドウー大学の3年生で21歳。医者になるのだそうだ。専門は 心臓だとか。賢い!!確かに、彼は学生風で、こぎれいなワイシャツにズボンという いでたちだった。(サンダルを履いてはいたが・・・。)  両親はマドラスに住んでおり、お父さんは弁護士なのだそうだ。今は高校3年生の 弟と2人でアパートに住んでいるらしい。
 「大学の1年間の学費がいくらだか知ってますか?知らないでしょう?日本円に直 すと40万円です。」
  ひえー!!このインドにおいて40万円とは!
 「だから、金持ちの人はお金をたくさん払って大学に入るのです。」
 むむ?賄賂って事?
  「オレは学費の4分の3は奨学金でまかなって、残りは親からの仕送りとバイトで稼 いでいます。」
  そうかー。勤労学生だったのね。しかも彼は奨学金をもらってるほどだから、相当賢 いエリートだったのねー。  いくら学費の4分の3を奨学金でまかなっているとはいえ、アパートで暮らしてい るわけだから、家賃とか生活費は結構かかるだろう。聞けば、アパートには電話もテレビも何にもないらしい。(と言ってもインドの一般家庭にどれほど電話やテレビが 普及しているのかも疑問だが。)大学時代1人暮らしをしていた私はボビーの境遇に共感をおぼえた。
彼はある旅行会社で、日本語と英語を使って観光客相手にガイドのバイトをしてい るのだそうだ。その日、ベナレスは大きなお祭りがあって、大学は1週間お休みらしい。旅行会社も今日からお休みなので、ボビーは大学の休み中に自分でガイドのお客さんを捜していたのだそうだ。
  「もう、黄金寺院は見に行きましたか?え?まだ?どうして?今日、12月14日 は1年に1度の大きなお祭りがあるのを知らなかったですか?今から連れて行ってあげますから行きますか?」 私はガイドを雇うつもりは全くなかったのだが、今日大きなお祭りがあることさえ知らなかったわけだから、彼に色々教えてもらうのも悪くはないなと思い始めていた。それに、彼と一緒なら政府直営のシルク工場に連れて行ってもらえるし。 問題はガイド料だった。私がいくらか尋ねると、彼は言った。
  「あなた達の思った金額でいいです。あなたたちに任せます。」
  なんと彼は良心的な人なんだろう。やっぱり、お父さんが弁護士で、大学に行ってるほどの人だから、育ちがいいのね。がつがつしてない。 2日間のガイドを頼むことを決めたのは夫だった。さっそく私たちはその後、ボビーと一緒に寺院に行ったり(結局ヒンドウー教徒以外、中には入れなかったが)、ガンガー沿いのお店を見て回ったりして、ベナレスの初 めての夜を楽しんだ。 不思議なことに、ヒンドウー教の寺院やイスラム教の寺院の周りには常に警官が待機していて、インド人は身体検査を求められていた。インドではヒンドウー教徒とイ スラム教徒との小競り合いが頻繁に起きており、数年前にはここで大きな暴動があり 多数の死傷者がでたらしい。そのため、両方の寺院が隣接しているこの界隈は常に厳戒体制なのだそうだ。
 「聞きたいことがあったら何でも聞いて下さい。」
  私はここぞとばかりに、ボビーに、インド人のこと、インド人の考え、宗教のこと、ベナレスのことなど絶え間なく質問し続けた。私にはガイドブックに載ってないよう なことで知りたいことが、たくさんあったのである。そんな中、夫はボビーに対してあまり話しかけたりせず、ただ黙ってボビーの説明 を聞いているだけだったので、何となく私は気になっていた。 "せっかくなんだから、もっと色々質問すればいいのに。夫には興味とか好奇心がな いのかしら。ボビーにも失礼じゃない。それとも私がずっとボビーと話し続けているのでやきもちを妬いてるのかなー。そんなことはないか。"  実際ボビーは特に素敵な青年というわけでもなく、普通の人だった。愛想がいいわけでもなく、朗らかと言うわけでもなく、おもしろい人でもなかった。ただ私は彼の知識の多さにとても満足していた。私が質問することはすぐに答えてくれたし、質問 しないことでも自ら教えてくれた。
 「◯◯◯は知ってますか?知らないでしょう?」
  この"知らないでしょう?"は彼の口癖だった。1つだけ彼にはお気に入りのギャグがあるらしくこれを言うときだけ彼は陽気に なった。
 「 ヴァナラシー(ベナレスの現地名)、騒がしー、そうぞうしー。あははは」
 「日本語はどこで習ったんですか?」
 「観光客の人と話していて覚えました。」
 「えー?それだけでこんなに上手に話せるようになったの?」
 「それに、日本語の学校に通っていました。」
  それにしても、彼の日本語は素晴らしかった。難しい単語も知っているし、外国人特有の変なアクセントもあまりない。ただ時折、どこで覚えたのか変な大阪弁を使っていた。また、「大きい」という言葉を知らないらしく、いつも「でっけえの」と言っていた。
 私は彼のバイトについて聞いてみた。今まで、緒方拳などを案内したという。ボ ビーの日本語ならそれもあり得る。昨日は明治大学の女子学生を案内したらしい。な んと昨日までベナレスにサイババの弟が滞在していて、彼女たちを会わせたらしい。そんな簡単に会えるのだろうか?よっぽど彼の旅行会社は大きな所なのだろう。 ひどいことに彼の旅行会社はガイド料のうち、60%をとってしまうらしい。そう考えると、私たちはボビーが自分で見つけた客なのだから、ボビーにとっては都合が いいわけだし、私たちにとっても、安く済む。  夫が初めてボビーに尋ねた。
  「ちなみに会社に申し込んだ場合、みんなはいくら払っているんですか?」
  夫は相場を聞きたかったらしい。私もそれは聞きたかった。
 「この前、NHKの団体を案内しました。その時は1万1千円でした。もちろん会社が払ったんですけど。あの会社は金持ちですね。あなた達は新婚でしょ?私、日本の新婚さんが大変なのは知ってます。あんまりお金が無いのは分かってます。だからあまり高いお金は要求しません。例えば今日と明日で7000円くらいでいいと思いま す。」  
 私はボビーが私たちに理解を示してくれているので内心ほっとした。
  「もちろん、それはたとえばの額です。もし私のガイドが良くなかったらもっと少な くてもいいし、不満だったら払わなくてもいいです。あなた達に任せます。」
 彼はよっぽど自分のガイドに自信があるのだろう。そしてあくまでも料金は私たちに任せるという彼の言葉に私はすっかり満足していた。
 その夜、ボビーに頼んで私たちは安くておいしいインド料理のお店へ連れて行ってもらった。店へ向かう途中、私たちはトイレへ行きたくなったので、ボビーに言う と、
  「オレの友達の家が近くにあります。そこで借りましょう。」
と言った。その辺のお店のトイレと違って友達の家ならきれいだろう、と安心して 行ってみた私たちは、ドアを開けるなりびっくりしてしまった。
 そこは10畳はあるかと思われるほどのだだっ広い、一面びっしょりの真っ暗なコ ンクリートの空間だった。いったいこれはただの水なのかそれとも◯◯◯が混ざった 水なのか。ここをたとえて言うならば、ちょうど牛小屋のようなところであった。中 はほとんど見えないものの、かろうじて隅の方に便器のようなものがあるのが見え た。便器の周りに扉はない。
 「ここは裸足で入るんですか?」
 と夫が聞くと、ボビーは当たり前だというように平然とうなずいた。真っ暗な中、こ のびしょびしょの汚い床をはだしで、便器まで歩くのである。  私はさすがに遠慮した。夫は、ここで自分も断ったら、ボビーやその友人に失礼に 当たると判断して、勇敢にも裸足で入っていった。まあ、いずれにせよ、夫はその前 にガンガー沿いの小道で、サンダルの足で牛の糞をさんざん踏みつけていたので50 歩100歩ではあったのだが・・・。
 結局私はインド料理のお店のトイレを借りることにした。ここは靴で入れると聞い たので、どんなに汚くても裸足で入るよりはましだと思って。夜店
 そのトイレはお店からちょっと離れたところにあったので、お店の若いお兄ちゃん が私をそこまで案内してくれた。そこは、地下になっており先ほどのトイレとほとん ど同じ造りになっていた。ただここには豆電球がかかっており、わずかに明るい。便 器の所にもドアがあった。 私はこのひっそりとした地下室がなんとなく怖くて、お兄さんにトイレの前で待っ ていてくれるように頼んだ。今思うと何とも変な話だが。
 さて、し終わった後、そこには水もバケツもなかった。私がトイレから出ると、す かさずお兄さんは地下室の真ん中にある大きな水槽からバケツいっぱいの水をくみ、 便器めがけてザブーンと水を放ったのである。それも3度も。その威勢の良さと言っ たら見ていてビックリするほどで、便器どころか壁も床も水でびっしょりにしてし まった。"だから、さっきのトイレも水浸しだったのね。"なんか私は、若い使用人に自分の排泄物の処理までさせている女主人になったような気がして、お兄さんに申 し訳なく思った。
 私が「Thank you.」と言うとお兄さんは、何でもないというような顔をしてうなずいてくれた。ちなみに私はいつもリュックの中にトイレットペーパーを丸ごと持ち歩いていたの で、その点では何も心配はいらなかった。 レストランの従業員はみんな陽気で楽しかった。ボビーは私たちが勧めたにもかかわらず、自分は食事をとらなかった。それでも私たちがしつこく勧めると、飲み物だけとった。
 "ずいぶん律儀な人なのねー。ガイドの鏡だわ。"  私は再びボビーを質問責めにした。
  「インドでは男女交際は禁止されているの?」
 私がそんな質問をしたのは、私と夫が手をつないで道を歩いていると、周りの視線が私たちの手に注がれていたからである。
 「そんなことはないです。みんな普通に恋愛しています。」
 ボビーはそう答えたが、インドにおける"普通の恋愛"というのがどれ程のものかは疑問である。少なくとも日本とはかなり違っていると思う。インドの結婚事情はとても興味深かった。宗教が違う者同士の結婚は許されないの だそうだ。インドはヒンドウー教徒が8割だからヒンドウー教徒にとってみれば、それほど問題はなさそうに思えるが、実はヒンドウー教同士でもカーストの階級が違うと難しいのだそうだ。結婚後、妻は夫の階級になるので、夫が妻のカーストより低い階級だと特に難しいらしい。相手を選ぶ基準は条件なのだ。そんなこともあってか、インドは恋愛結婚よりも、親のもってきた見合いの結婚が多いらしい。
  「ボビーはお見合い結婚をどう思う?」
  「いいと思います。」
  「もしその相手のことを気に入らなかったら?」
 「そんなことあるわけないじゃないですか。自分の親が選んだ人ならいい人に決まっ てます。」
  これにはとても驚いた。インド人は親子の師弟関係がとても強いのかもしれない。親 の言うことは絶対で、また子供はそれに対して何の疑問も持たず、きくのが当然だと 思っている。親の言うことはいつでも正しいらしい。ボビーはしきりに自分の父親のことを褒めたたえていた。
 「オレのお父さんは国の弁護士をしています。個人で弁護士をしている人は金儲けの ためにずるいこともします。でもオレのお父さんは悪いことはしたくないから、お給料は少なくても、国で働いています。」ベナレス郊外
 父親絶対主義がいいかどうかはいずれにせよ、ボビーの父親は素晴らしい人らし い。そしてそんな父親を見て育ってきたから、今の清く正しいボビーがいるのだと 思った。帰りは3人でリクシャーに乗って、私たちはホテルで降りた。こんな時も、ボビー はホテルまでの料金しか受け取らずに、自分が帰る分のお金は受け取らなかった。また、帰り際、ボビーはさんざん、インドにおける注意点を私たちに言って聞かせた。 夜9時以降は危ないから出歩いてはいけないこと、ガンガーでボートを勧められたら 注意すること、リクシャーの相場がどれくらいか、リクシャーに乗るときは初めに ちゃんと交渉してから乗ることなどなど。彼は本当にいい人である。私が求めていた 以上のことを色々教えてくれた。 私たちは次の日の午後に再びホテルの門の前で待ち合わせることを約束して、別れた。



七章  疑惑


 その夜ボビーと別れてホテルの部屋へ入るなり夫はいきなり私に尋ねた。
 「ボビーのこと、どう思った?
 「どうって?色んなことを知ってるし、とってもいい人だったよね。」
 「・・・・・・・・。」
 夫が黙っているので、私は不思議に思った。すると夫は言った。
 「なんか、あやしいよー。ボビーって。」
 まさかの夫の見解に私はびっくりしてしまった。夫の口からそんな不信の言葉を聞く とは思ってもみなかったのである。
 「どこがあやしいの?」
 「おれも初めは分からなかったけど、ガイド料の話をしたとき、あやしいって思っ た。だって、7000円は高すぎると思わない?」
 実は2日間で7000円と聞いたとき、私はなんとも思わなかった。それどころ か、NHKの人には1万1000円だったのに、私たちには7000円でいいと言ってくれたことに対して感謝さえしていた。前にも言ったとおり、ボビーは日本語がと ても上手だし、色々なことを知っているし、こうしたら危ないとかこうしちゃダメだ とか、とても親切に教えてくれた。ボビーのガイドは私にとって、とても役立つものだった。だから、7000円は適当な料金だと私は思っていた。
 「じゃあ、あきよは7000円を払うつもりだったの?」
 「一番初め、"料金はあなた達に任せます。"って言われたときは、相場が分からなかったから、もちろんあとで相場を調べてからそれなりの額を払おうと思ってたよ。 でも相場は7000円くらいらしいじゃない?」
 夫曰く、確かにボビーはよく案内してくれ、それに対して不満はないのだが、7000円つまり1850ルピーはインド人にとってどれ程高額かを考えると、「???」と 思ってしまったらしい。そう言われてみれば、リクシャーの相場が8ルピーなのに対して、1850ルピー は高額である。このとき初めて私の中にあったボビーに対する信頼がほんの少し揺ら いだ。でもガイドという仕事は語学や知識も必要なのだから、リクシャーの仕事とは まったく違うわけである。 私は、たった今生まれた疑惑を打ち消すかのように言った。
 「じゃあ、仮に7000円という額が高すぎるとしたって、ボビーは "あなた達に 任せます。自分のガイドが良くなかったら払わなくたっていいです。"って言ってた んだから、私たちで決めればいいじゃん。別にボビーは7000円を強要してるわけ じゃないよ。だいたい相場を聞いたのはあなたでしょ?そんなことを聞かなければ、 ボビーだって言わなかったし、そしたらボビーはこんな風に疑われることも なかっただろうに。」
 すると夫は言った。
 「もしおれがあのとき聞かなかったとしても、いつか絶対自分から言ってきたはずだ よ。」
  なんとなく、私は不快になってきた。どうして夫はこんなにも疑い深いのだろう。 私は今日とても満足して帰ってきたというのに、それに水をさすようなことを言う。 そんな風に何でもかんでも人を疑うのってとても悲しい事じゃない?でも夫がそこま で疑うのも、仕方がないのかもしれない。というのも、夫は数年前インドに来たこと があり、その時に絨毯商人にまんまと騙されたのだった。船便で送ると言って送られ てきた品物は、インドで買った絨毯とはまったく違う、質の悪いものだったらしい。 不幸中の幸いにも、夫はカードで買ったので、カード会社に連絡して払わなくて済んだが、手付け金を数万円払ってしまったので、それはドブに捨てたようなものである。ドブに捨てただけならいいが、夫の心には、深い後悔と憤りが残ってしまった。 夫は私がその件に関して詳しく聞こうとすると、いつも嫌がっていたし、実際今回の旅 行で、絶対アーグラーには行きたくないと言い張った。でも私からすれば、そんな明らかにあやしそうな商談に応じるなんて、不注意過ぎる。私がそう言うと決まって夫 はこう言うのである。
 「とにかくうまいんだよ、やり方が。人の心のひだにすーっと入ってくるようなやり 方なんだから。」
 私があくまでもボビーを信じているので夫はボビーのあやしい点をほかにも持ち出 してきた。後で思い起こしてみると、ボビーは私たちと出会ったとき、
 「今日はお祭 りだから殆どのお店は閉まっています。明日になればお店は開きます。」と言っていたのに、しばらくすると「明日はお店はお休みです。」
 と言ったりして、私たちを混 乱させた。実際この日、すべてのお店は開いていた。確かにこの点はボビーの言っていることは、つじつまが合わない。しかし、だからといってこのことが私たちに何の不利になろう。そしてボビーにとっても何の利益になろう。きっと彼は、なにか勘違いをしていたに違いない。 さらに夫は続けた。
 「今日の夕食だって、地元の人が行くような安い所ってお願いしたのに、そんなに安 くもなかったよ。それに地元の人はおろか、おれら以外にお客さんなんていなかったじゃん。メニューだって日本語と英語しかなかったもん。」
 そう言われてみればそうであった。夫はよくそんなことまで気付くよなー。不信の目を持って見ていると、色々なことに気付くものである。でもそれも考えようにはボビー の気遣いと受け取れた。ちょうどお腹をこわしていた私にボビーが気を遣って、あえてそれなりの所をチョイスしてくれたのだと。
 それでも夫はさらに別の事を持ち出してきた。翌日の待ち合わせ場所として、私たちは初め、ホテルのロビーを指定したのだが、ボビーは
 「ダメです、ダメです。オレはホテルには入れません。入ったらホテルの人に追い出 されます。」
  と言ったのだ。日本では宿泊者以外の人がホテルのロビーに入るのは全く自由だが、 インドでは厳しく制限されるのか、と私は特に不思議に思わなかったのだが、夫は
 「きっとボビーはこの界隈でも有名な騙しのガイドなんだよ。だからばれるのを恐れ て、ホテルに入りたくなかったんだよ。」
  という大胆な推測までしていた。 私には分からなかった。すべて疑ってかかると、きりがなくて。そして、そんな風 に疑う自分もいやだった。でも私は知らぬ間に、今日一日のボビーの発言・行動を思 い起こしては1つ1つ検事のように検証している自分に気付いた。"そう言えば、ど うしてボビーは 'でっけえの'なんて変な日本語を使っていたんだろう。日本語学校では絶対そんな言葉を教えるはずがないよなー。" そして寝る頃には、夫の影響で、ボビーに対する信頼度は50%にまで落ちてい た。夫は全く信用していないらしいが。 いつまでもこんな事を推測していてもきりがないので、取りあえず今私たちにとっ ての最重要課題である料金については、翌日、ベナレスにある、インド政府観光局に 問い合わせてみることにした。ここには、日本語・英語・フランス語のできる政府公 認のガイドがいる。ここなら、ぼったくりも騙しもないので、正当な値段が分かるはずだ。私たちにとって、それはとても気になることだった。その値段を聞けば、ボビー が私たちからぼったくろうとしているのかどうかだけでもクリアーになるのだから。


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