エスニック

インドは行った方がいい!!


八章  ベナレス観光

 その日、私たちはインド政府観光局が開く時間を見計らって、早速電話をかけてみ た。
 「あのー。日本語のガイドを頼んだ場合、いくらですか?」
 「ちょっと待ってねー。えーと、半日で230ルピー、1日で345ルピーです。」
 「日本語でその値段ですか?」
 「そう。日本語も英語もフランス語も同じ値段ですよ。」
 電話を切るなり、私たちはすかさず用意していた計算機で、計算を始めた。
昨日は夕方から3時間、今日は午後からだから半日。昨日と今日の分を合わせると 約12時間。昨日を半日分で、今日を1日分と多めに見積もったって、230+345=575ルピー。ってことは、2200円で十分過ぎる位なのだ。それなのに、なっ、なんと7000円とは!!3倍以上もの値段を吹っ掛けていたわけである。そ れも、いかにも安くしてあげるそぶりで!! ガーン。私のショックはけっこう大きかった。夫は"ほら、やっぱり。"という ような顔だった。
じゃあ、昨日のあの親切な振る舞いはいったい何だったの?すべて が嘘だったの?それにしても、ボビーはあんなにも、色々注意すべき事などを私たち に教えてくれたではないか。あれは、私たちのことを本当に心配して言ってくれたん じゃないの?
 「だから言っただろ?うまいんだよ、やり方が。みんな、いかに自分だけはいい人かを装おうんだよ。」
 だとしたら、本当に親切な人と裏がある人を見分けるのってすごい難しい。常に人を疑って見なくちゃならない。それってすごくさみしいことだし、本当にいい人のことまで疑ってしまう危険性だってある。でも、だからこそ、本当にいい人に巡り会ったときの喜びは、より大きいのかもしれない。それにしても、今日再びボビーに会う前にこのことが分かって、本当に良かった。 これも夫のお陰である。昨日は、夫の疑い深さに不快感を示していた私だったが、一 夜明けて夫は「洞察力の鋭い、切れ者」に変わった。
 さて、今日はガイド料を払わなければならない。私たちはいくら用意しようか議論を始めた。正当に半日+1日分で575ルピーでいいような気もしたが、1850ル ピーを期待しているボビーが、この額を見たときどんな顔をするだろうと考えると、 なんとなく気がひけた。別に私たちが気がひける理由は全くないのだが・・・。そこ で、さんざん悩んだ結果、結局700ルピーでいくことに決めた。実際ボビーに よって得たものも多かったので、この額は私たちの精一杯の寛大さだった。
 「ねえ、このお金渡してよねー。私イヤだからねー。」
 「いいじゃん、何か言われたら、"インド政府観光局に問い合わせて、正当な値段を 聞きました"って言えば。」
 「それだって、渡すときにイヤーな雰囲気になるのは明らかだもん。私には耐えられ ない。」
 そこで、私たちは変な小細工を思いついたのである。700ルピーを何枚もの紙に包んで封筒に入れ、いかにもたくさん入っているように見せかけるのである。ボビー が封筒を開ける前に私たちは別れてしまえばいい。あとで、その紙がカムフラージュ用の小細工であったことを悟られないように、夫はその紙にお礼の言葉を書いていた。といっても夫が書ける英語のお礼の言葉なんて"Thank you very  much for yor kindness."くらいしかなかったのだが・ ・・。封筒はすぐに中が確かめられないように、厳重にセロテープで封をした。
 正午にホテルの前でボビーと会う直前、私は部屋のトイレで、ものすごい下痢と格闘していた。前にちょっとだけふれたが、実は私はインドに来るなりお腹をこわした のである。お腹をこわすのは、日本でもよくあることだったし、いつも薬など飲まな くてもすぐに治まるので、初めは全く気にしていなかった。 だが、インドの下痢は半端じゃなかった。あんだけ大量に買っていった正露丸も、インドにおいてはただのゴミくずで、まったく効かないのである。毎回毎回、出てく るのは完全なる水状態。しかも1度始まったらなかなか治まらないのである。やっと治まったかなーと思って立とうとするとまた始まるのである。ただ、ありがたいことに、私の場合、いったんすべてを出し切った後は、腹痛こそ残っているものの、ものを食べない限り便意をもよおさなかったので、道ばたでトイレを探して苦しむ目には あわなかった。また、こんな調子で常に胃の中は空っぽだったので、お腹が痛いわり に、食欲は旺盛だった。
 さて、ボビーに会うなり私は、薬屋さんへ連れて行ってくれるよう頼んだ。昨日ボ ビーが言っていたのである。
 「インドの下痢はインドの薬で」
 と。彼曰く、日本の薬 はとても弱いのだそうだ。その分、インドの薬は胃をこわすこともあるらしいが。 ボビーは、ムスッとした薬屋のおじさんにヒンドウー語で私の状況を説明し、そし て私に聞いてきた。
 「強い薬がいいですか?それとも弱いのがいい?胃を痛めるといけないから、弱い方 がいいと思います。」
 「何日分買いますか?おじさんは5日分売りたいらしいけど、オレは、取りあえず3日分でいいと思います。」
  感心したことに、インドの薬は、1錠いくらで売ってくれる。それは消費者にとって、とても理にかなった買い方である。
 てきぱきと私のために薬を頼んでくれているボビーを見て、なんだかとても頼もしく感じた。体が弱っている時だから、余計そう思えたのだろう。さらにボビーは、薬屋のおじさんが、ずるをして1錠多く売りつけたのをしっかり見ていて、1錠返す代 わりにお金を戻すよう言ってくれた。
 「あのおじさん、商売うまいねー。ちゃっかり多く売ろうとしたよ。」
 その姿を見て、私は何となくボビーの事を許してもいいような気になってしまった。今日だってボビーがいなかったら薬は買えなかっただろう。いったんなくなった彼へ の信頼は再び50%位まで回復し、私はさっきの700ルピーにあと300ルピーを 上乗せして払ってあげてもいいやという気にまでなっていた。
 ちなみに、インドの薬はすぐに効いた。その後、念のため1,2錠飲んだだけで、 私のお腹はすっかりよくなってしまった。私たちは3人でランチを取りながら、その日の予定をたてた。夫は昨日からしきり にボビーの通うバナーラスヒンドウー大学に行ってみたいと言っていた。よっぽど夫 は教育に興味があるらしい。それは意外だった。私にすれば大学なんてどこも同じ で、まったく興味はなかったのだが・・・。だが夫はあとでこっそり私に言った。
 「違うよー。ボビーが本当にあそこの学生かどうかを確かめるんだよ。もしそうだっ たら色々と詳しいことを知ってるはずだろ?」
 私はびっくりしてしまった。そこまでして夫はボビーの正体を確かめたいらしい。で も それはグッドアイディアだった。そこで私たちは、まず大学をみてから、その付近のいくつかの寺院を見て回ることにした。
 大学に向かう途中、リクシャーの上から突然ボビーが誰かに手を振った。見ると遠くの方でパンジャビスーツ(着丈の長いブラウスとルーズフィットのパンツ)に身を包んだ日本人女性が大学の中へ入っていくところだった。
 「あの人は日本人の留学生で、オレの友達です。」
 彼女は明らかに学生風で、手には何冊もの本を抱えていた。私たちはよっぽどその女性の所に駆け寄って、ボビーのことを聞いてみたい衝動に駆られた。同じ日本人として、私たちに嘘はつかないだろう。しかし、ボビーの手前、そうすることは不可能 だった。
 "やっぱりボビーはここの学生なのかも。"
 「あの人は同じクラスの人?」
 「いいえ、彼女は文学部の人です。」
 学部が違っても知り合うきっかけはあるだろう。ましてボビーは日本語が上手だか ら、二人が友達になる可能性はある。 私たちの判断力は再び鈍ってしまった。
 大学は旧市街の南の方に位置しており、一歩足を踏み入れると先程の街の喧噪とは うって変わって、静かな落ち着いた所だった。辺り一面緑が生い茂り、敷地は1つの町がすっぽり収まるんじゃないかと思われるほど巨大だった。昨日から大学は休みと いうことだが、個人的に勉強に来ているのだろうか、何人もの学生を見かけた。彼らはやはりエリートか金持ちなのだろう、明らかに一般の人々とは違った服装をしてい た。またこの構内には有名なヴィシュワナート寺院があるため、一般の人々も構内を 自由に行き来していた。
 ボビーはリクシャーの上から、通り過ぎる建物の説明をしてくれた。
 「あれは音楽の学部です。向こうは踊りの学部です。右にあるのは図書館です。」
 よく知っている。でもそれくらいのことは調べれば分かることかもしれない。それ に、もしかしたらでたらめかもしれない。
 そこで夫はボビーの専門である心臓の勉強について尋ねてみた。だがそれについては、ボビーは詳しい言及はしなかった。 私たちは大学見学の間に何らかの判断を下せると思っていたのだが、それもできな いうちに、いつしかリクシャーはヴィシュワナート寺院に到着してしまった。今思え ば、ボビーは大学見学とは言っても、ただヴィシュワナート寺院へ向かう途中の建物 の説明をしてくれただけで、大学内を一周してはくれなかったし、ボビーの学部の建 物には連れて行ってくれなかった。神様
 寺院の説明はボビーにとって得意中の得意だった。ボビーは数あるヒンドウーの神様を1つ1つ説明してくれたが、私たちにはさっぱり分からなかった。どうして何人 もの神様がいるのだろう。象の顔を持ったガネーシャ、赤ちゃんの姿をしたベイビー ・クシュナ、猿の姿をしたハヌマーンなどなど。それに神様は慈悲深い穏やかな顔を していると思っていた私にとって、コブラを首に巻いたシヴァ神や、生首を持って赤 い舌を出し血のいけにえを求めるドウルガーなどは、とても恐ろしい悪魔のように見えた。 1つ興味深かったのは、多くの寺院で主神として祀られているシヴァ神の額にはも う一つの目があり、その目が開くときは世界の終わりらしい。ヒンドウー教の人々が 額に赤いティカを付けるのも、これとなにか関係しているのかもしれない。
"ティカ"で思い出したが、インドの女性は髪の毛の分け目に赤い色粉を付けてい る。これは既婚女性はみんな付けるのだそうだ。確かに言われてみれば、ある程度の年齢の人はみんな色粉を付けていた。だからこの色粉が付いていない年輩の女性は、 夫と死に別れた人らしい。私はそれを知ってから何故か女性を見るたびに色粉を確認するようになった。ちなみに女性が足の指に銀の指輪を付けているのをよく見かけたがこれもアクセサリーではなく、既婚者の印なのだそうだ。 ヴィシュワナート寺院
 私が、ヴィシュワナート寺院にあるシヴァ神の銅像の前でたたずんでいると、20歳くらいの若い夫婦が興味深げにこっちへ近づいて来て、お祈りの仕方を手振り身振 りで教えてくれた。私も彼らに習って銅像の周りを1周しながらお祈りをすると、彼 らはとても大喜びでうなずいてくれた。その後も彼らは私たちの方へ近づいてきては 何を言うでもなく、笑顔を振りまいては大はしゃぎして去っていった。 後でボビーは彼らのことをこんな風に言っていた。
 「あの人達はとっても若いねー。インドでは頭の悪い人はみんな若いうちに結婚して しまいます。それしか出来ることはないから。オレは当分結婚はしません。オレはもっともっと勉強して、いずれ成功したいです。」
 あの愛らしい大きな瞳でお祈りを教えてくれた若妻や、優しそうな旦那さんに対して そんなことを言ったので私はちょっぴり腹が立って、
 「そうですね。ボビーさんは頭がいいし、努力家だから、きっと成功すると思いますよ。」 と皮肉を言うと彼は、満足そうにうなずいてみせた。
 この日の夕方、寺院巡りを終えた私たちは待ちに待ったインド政府工場直営のシル ク屋へ連れて行ってもらった。私たちはインドに来てからまだ、まったく買い物をしておらず、買い物をしたくて、うずうずしていたのである。私は"インド政府工場直営"という名前の響きから、郊外のドデーンとした立派な 建物を想像していたのだが、そこは予想に反して、ガンガー沿いの小道を入っていったところの2階にあった。
 「ここがインド政府直営のお店ですか?」
 とボビーに聞くと
 「そうです。さあ、入って。」
 とうながされた。入る直前、チラッと見たお店の看板には "GOVERMENT" (政府)の文字が見えた。 中に入るとそこにはいくつもの部屋があって、私たちはその中でも1番大きな所へ通された。なんか、あやしい。お店の人が私たちにチャイを出してくれたが、私はお腹の調子が悪いことを理由に飲まなかった。何故ならガイドブックに書いてあったのだ。"むやみに人から勧められた飲み物を飲んではいけない。睡眠薬が混入されていることがある。"と。私の心配をよそに、夫は
 「あれ?あきよは飲まないの?」
 なんて 言いながら平気で飲んでいた。まあ、なにかあっても私だけでも正気なら、どうにかなるかもしれない。
 さて、お店の人は、反物ふうにクルクルと巻かれたテーブルクロスを私たちの目の 前で次々にパーッと広げてみせてくれた。その数、100枚近くはあっただろう。そんなに全部見せてくれたら、後で巻き直すのが大変だろうと思いながらも、オレンジ 色の白熱灯のもとでキラキラと輝くシルクの美しさや織りの緻密さに私たちは次第に 心を奪われていった。
 「これらはすべてハンドメードです。そして本物のシルクです。見てご覧なさい。」
 と言って店のおじさんはテーブルクロスの端にライターで火をつけた。"えっ?そん なことしちゃっていいの?"しかし、それは燃えないのである。本物のシルクって燃 えないものなの?私にはよく分からなかったが、おじさんは自慢そうにシルクの真価 を訴えていた。
 「この中で要らないものをよけていって下さい。」
 私たちは言われるがままにテーブルクロスの品定めを始め、ああでもないこうでもないと1時間近く議論した結果、ようやく4枚のクロスを選び出した。
 「それだけですか?これはどうですか?」
 そう言いながらまたさらに大きなクロスを出してくるのである。これ以上は要らない と言いながらも出されたクロスを見ると、これがまたとっても素敵なのである。こんな風にありとあらゆるシルク製品を次々と勧められて、とうとう私たちは小さいテー ブルクロス4枚と大きなテーブルクロス1枚、スカーフ1枚を2万円で買っていたのである。 おじさんは最後までさんざん私にサリーを勧めた。確かにサリーも素晴らしかったのだが値段がばか高いのである。
ぼったくられた布屋のサリー
 「本当にいいものはこれくらいの値段です。とってもお似合いですよ。これならどん なパーティーに着ていっても恥ずかしくありません。」
 だが日本で一体どんなパーティーに着ていけるのだろうか?私はインドにいる間に安 いサリーを着てみたかっただけなのだ。それに街を歩いて気付いたのだが、やはり民族衣装はその国の人が着てこそ素敵なのである。何度か、白人の女性がサリーを着て いるのを見かけたが、何だかミスマッチだった。それにまさか、リュックを背負って サリーを着るわけにもいかない。
  この頃には私たちはすっかりボビーの存在を忘れてしまっていた。ふと気付くとボ ビーはまるでこの店の主人であるかのようにふんぞり返って寝ころんでおり、おまけに店の人に出されたチャーハンまで食べていた。お客は私たちなのに・・・。このとき私たちはやっと気付いたのである。ここはボビーがコミッション契約をし ているサリー屋だということを。そういえば、他のお客さんは白人が数人いただけで 現地の人など1人もいなかった。
 おじさんがくれた名刺をよく見ると、「Gyaneshwar Silk Ind ustries」という店の名前の下に"Goverment of Author ized Money Changer"の文字があった。そうなのである。ここは 政府工場直営の店なんかではなく、"政府公認の両替商"を兼ねたシルク屋だったの である。さっき、入る前にもっとちゃんと看板を見ていれば気付いたかもしれなかっ た。
"やられたー。" そう思ってはいたものの、それとは裏腹に何故か怒りはそれ程湧いてこなかった。私たちは、素敵なシルク製品を手に入れた喜びと、たまっていた買い物欲がひとまずおさまった満足感で一杯だったのである。
 さてボビーは私たちが気付いてしまったことも知らずに、次なる紅茶のお店へ私たちを連れていった。 "もうだまされないぞ。" 案の定その紅茶屋は高かった。美しいシルクの袋に入った、おみやげ用の紅茶に一瞬目を奪われるものの、私たちは買うつもりはなかった。私が
 「また明日来ます。」
 と一応言うと、ボビーは
 「明日はこのお店はお休みだと言ってます。今日買ってしまった方がいいと思います。」
 と言った。なので
 「じゃあ、しょうがないですね。明日他のお店で買います。」
 と言うと今度は一転して、
 「明日4時以降ならお店は開いてるので、明日待ってるそうです。」
 と言った。ここまでくると、もう明らかだった。"そうかー、ボビーが会った初日 に、
 「今日はお店が閉まってるけど明日は開いてる」とか「明日も閉まっている。」 と、言うことを二転三転させていたのは、自分のコミッション契約しているお店に私 たちを連れていきたかったのねー。"  ボビーへの信頼は完全になくなった。私は夫とこのことについて話したくてうずう ずしていた。さっさと夕飯を食べて、ボビーと別れよう。そう思いながら私たちは最後の晩餐へと向かった。



九章  ボビーとの結末


 最後の晩餐にボビーが選んだのは小道をちょっと入ったところの薄暗い小さなレス トランだった。客は私たち以外誰もいなかった。
 料理は一体どこで作っているのだろ う、そこには調理場がなく、お店の人は老人1人しかいなかった。しかしこの老人 も、注文を聞く時と料理を運ぶ時だけ店の中に入ってくるだけで、それ以外はお店の外へ出ていってしまった。
 その日けっこう歩き回ってお腹をすかせていたこともあって、食事はおいしかっ た。時折大きなネズミが天井の柱を駆け回っていて、ふとこっちを向いたネズミと目 があった瞬間は恐かったが(本当に目が合ったのである!!)、そのうちネズミがど こかへ行ってしまうと私たちは再び食事に熱中した。
 食事中ボビーは
 「ベナレスを出るのは明日の夕方ですよね。明日午前中だけガイドをやってもいいですよ。」
 と言ってきた。私たちはもう、見て回るところもなかったし、明日は自分たちだけで 適当に街を散策したかったのでそう言うと、さらに
 「まだ紅茶を買ってないでしょう?カルカッタ(私たちが次に行くところ)は物価がとっても高いからヴァナーラシーで買ってしまった方がいいですよ。だいじょうぶ、 サービスでガイドしてあげますから。」
 としつこく言ってきた。 この2日間で、よっぽど私たちのことを気に入ったのだろう。従順でなんでも思い通りになる"カモ"として。たとえ、明日のガイド料をサービスしたところで、今から1850ルピーが手に入ると信じこんでいるボビーにとってはなんでもないことだろう。それに、もし明日うまくいったら紅茶屋のマージンが手に入るかもしれないのだから。 もちろん私たちは考えるまでもなくその申し出を断った。
 そして、それは突然始まった。今思えば、明日の申し出を断られたボビーが考える ことは、もう、そのことしかなかっただろうから当然の流れではあったのだが。 私たちが"これだけじゃ足りないかなー、何か追加注文しようかなー"と考えなが ら残り半分のカレーを口に運んでいるときだった。あれほど「ガイド料はあなた達に任せます。」と言っていたボビーがこう言ったのである。
 「約束していたガイド料の7000円にいくらかのチップを加えて払ってくれても いいですよ。」
 「!?!?!?!?!?!?!?」
 私は固まった・・・ように夫は思ったらしいが、その時私は震えていた。私を挟んで両隣に座っている夫とボビーにばれているかもしれないと思ったほど、私の足はガタガタ震えていた。自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。"約束の7000円?約束なんかしてないじゃん!!"あまりに思いがけない言葉だったため、私は言葉を失ってしまった。確かにボビーは私たちからぼったくろうとしていたし、イン ド政府工場直営と嘘をついて私たちを高いシルク屋へ連れては行ったが、ここまで卑怯な手段を使ってくるとは思ってもみなかった。 私たちが黙っているのでボビーは続けた。
 「チップって分かりますか?それは2日間のガイドに対する感謝のしるしです。100ルピーでも200ルピーでも構いません。」
 チップくらい知ってるわよ。3倍以上もの値段でぼったくろうとしている上に、チップとは!!  私はようやくうわずる声で言った。
 「7000円という約束はしていませんでしたよね。」
 すると、ボビーは
 「え?昨日そう言ったじゃないですか。」
 と平然とした顔で言ってのけた。もうこの人と、言った言わないの議論をしても無駄だと思った。インド政府観光局に問い合わせて、正当な値段を知っていることを言お うとも思ったが、ここで変にボビーの感情を逆撫でして、拉致・監禁でもされたら、 と思うと恐くて出来なかった。だって、お店の人もグルかもしれない。私の頭の中は、早くこの場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。それにしても、 なんで夫ではなく私がボビーの隣に座っているのだろう。そして何で夫は何も言って くれないんだろう。 やっと初めて夫が口を開いた。
 「分かりました。お金はもうちゃんと用意してあります。」
 「そうですか。それなら今ここでもらえますか?」
 「いや、ホテルの前で別れ際に渡します。」
 この誰もいないあやしげなレストランの中で争いごとになるのはとても不利だと考えた夫は何とかホテルの前まで行きたかったようだ。そうすればボビーはホテルの中へは入って来れない。
 「でもオレの家はホテルとは反対方向だから、ホテルまで行ったらまたこっちまで 帰ってこなければなりません。今日はここで別れます。」
 昨日は、ボビーのアパートはホテルの方角だと言って、送ってくれたではないか?!
 「それなら、レストランを出て、別れ際に渡します。」
 と夫が言うと
 「何を心配してるんですか?ここで今渡すのに問題ありますか?」
 と聞いてきた。そこで私は言った。
 「だってボビーさんが言ってたじゃない。お金を初めに渡しちゃいけない、最後に渡すようにって。」
 「だからもう最後でしょ?今日ここでお別れでしょ?通りはたくさん人がいるから、大金を渡しているのを見られたら物騒ですよ。オレは、今ここで渡した方が安全だと 思って言ってるのです。」
 あくまでボビーは、この奥まったところにある、絶対逃げられないようなレストランの中でお金を受け取りたいようだった。だが夫も負けてはいなかった。
 「大丈夫です。お金はそれとは分からないように封筒に包んで用意してきたので、 人からは分かりませんから。」
 ようやくボビーも諦めて、今度は金額について言ってきた。
 「お金は日本円ですか、ドルですか?」 なぜか、ボビーはルピーではなく外貨を欲しがっていた。私たちがルピーで払うと言うと
 「7000円はいくらだかちゃんと計算しましたか?計算機貸しますから計算して下 さい。」 と細かいことまで言ってきた。ボビー
 「大丈夫です。ちゃんと計算してそれなりの額を用意しましたから。」
 ここまでくると、もうボビーは為すすべがないようだった。
その後気まずい沈黙の中私たちは残っていた食事をとった。明らかに空気は先程と違っていた。ボビーも結局は気の小さい人なのだろうか、
 「おいしいですか?」
 などど社交的な言葉をかけてきたが、おいしいはずがなかった。あれほど空腹だった私は まったく食欲が失せてしまっていたが、その動揺をボビーに気付かれるのがイヤで、 一刻も早くレストランを出ようと無理矢理食べ物を口の中に押し込んだ。ベナレスの町中を逃げる
 レストランを出て、人々で込み合う通りに来たとき、やっと私はほんの少しだけ安心できた。ボビーがつかまえたリクシャーに乗り込むと、夫は用意していた、700ルピーの 入った封筒と、それとは別に300ルピー(1140円)を出して、 「こっちはガイド料で、これはチップです。」 と言って渡した。 ボビーが中身を確認するのではないかと思ったが、人通りだったし厳重に封がして あったので、彼はそれを受け取るとそのまま私たちにさよならをした。 それが彼を見た最後だった。リクシャーに乗りながらも私はまだ不安でしょうがなかった。ボビーが金額を見 て、後から追いかけてくるかもしれない。"おじさん、速く!!もっと速くこいでよ !!"
 そして私たちはようやくホテルにたどり着いた。この時ほど、ホテルの従業員の顔 が神様に見えたときはなかった。ホテルに帰ってから私たちは、ボビーの話で持ちきりだった。夫は私がそこまで怖 がっていたことなど、まったく気付かなかったらしい。
 「えー?じゃあ、怖くなかったの?」
 と私が聞くと、夫はボビーがガイド料の件を持ち出してきた瞬間に"ほら、きた!" と思っておかしかったらしい。じゃあ、なんであの時黙ってたのよー?私はてっきり夫も怖くて言葉を失ってるのだと思っていたのに!私一人が怖い思いをしていたらし い。
 それにしても、朝、インド政府観光局で調べて、700ルピーを封筒に入れておいたのは正解だった。しかし、それとは別にあの時、だまされたと思いつつもプラス300ルピーのチップを渡したのは、"どこかボビーを憎みきれないところがあったからだろう。" ・・・と夫は言っていたが私は"恐くて恐くて、一刻でも早く、ボ ビーと別れたかったから"であった。
 今になってみれば、あんな恐い思いをして、何でさらに300ルピーのチップまで払ってしまったんだろう?と思う。




十章  新たな事実


私たちはあまりにも強烈だったボビーとの出来事をいつまでも反芻していた。ボ ビーの言ったことは何が本当で、何が嘘だったのだろう。ボビーと別れた今となってはそんなことはどうでもいいことかもしれないが、私たちにとって、それを少しでも明らかにしないと、この2日間のベナレス自体がくもった印象になってしまう気がした。 (と一応理由づけてはみたが、本当はどこまで自分たちが愚かだったのか、確認した かったのかもしれない。)
  私たちは翌日、インド人の中でもっとも信頼できる知人、ビニートさんのところ へ、挨拶がてら伺った。彼に事の次第を話し、私たちが買ってきたシルク製品と店の名刺を見せると、
 「2万円で買った??そんな値段のはずないよ!その2分の1〜3分の1の値段で買 えるよ。それにこの店はインド政府直営なんかじゃないよ。何で買う前に一言電話を くれなかったんだい?あれほどなにかあったら連絡するように言っておいたのに。これだったら、私の知り合いのところでずっと安く買えたのに。」ぼったくられた布屋
 と言った。彼は布地の卸しの仕事をしているので、目は確かだ。ぼられたと分かってはいたが、そういうふうに実際の相場を言われると、なんだかとたんに腹が立ってき た。でもあの時の私たちは目の前のシルクに目を奪われていて、怪しむことなどすっ かり忘れていたのだ。それに、私たちはラッキーだったと思って諦めるしかない。何故ならそのシルク屋は、後になって思えばとてもリスクのある場所だった。
個室のその部屋で身ぐ るみ剥がされたり拉致されたって誰も助けに来てはくれなかっただろう。それに、確かに三倍近くもの値段で買わされてしまったが、その品質は何度見ても素晴らしいも ので、輸入されたものを日本で買ったらきっと同じくらいの値段はしただろう。 ついでに私はバナーラスヒンドウー大学についても尋ねた。すると
 「1週間のお休み?大学は X'masのあとから休みだよ。」
 という驚くべき新事実が分かった。ベナレスで大きなお祭りがあるからといって大学 が1週間もお休みになるはずはなかったのだ。それにお祭りと言ったって、今思えば ただの寺院のお祭りで、ガイドブックの"インドの祭り"の欄には載っていないよう な小さなものだった。
  ってことは、ボビーは大学生なんかではなかったのである。そ う考えるとすべてのつじつまがあった。ボビーはバナーラスヒンドウー大学を、インドで1番優秀な大学だと自慢していたが、そんなこともガイドブックには一言も書い てなかった。また私がボビーに、 「どうして弟さんは地元のマドラスの高校に行かずに、ベナレスの高校に行ってるの ?」 と聞いた時、
 「弟もオレと同じバナーラスヒンドウー大学に入りたいのです。でもあまり頭が良くないから、オレのコネでどうにか入れてやるつもりです。」
 と言っていたが、たとえ奨学生だろうとも単なる一学生のコネなんかで、大学に入れ るはずなんかなかったのだ。
 あの時大学の前で見かけた日本人留学生は、以前街で知 り合ったかなんかだろう。 旅行会社でバイトしていることだって嘘に違いない。旅行会社も1週間お休みだと 言っていたが、会社の名刺を下さいと私が言ったとき、ボビーは
 「会社におきっぱなしで、今はもっていません。」
 なんて言っており、会社の名前もシステムについてもあやふやなことしか言わなかっ た。緒方拳やサイババの弟のこともまったくのでたらめだったのだろう。そしてお父 さんが弁護士であることも何もかも・・・。 彼のバックグラウンドは何から何まで嘘だったが、彼のガイドはどうだったのか。 今考えるとこれもいい加減な情報がいくつかあった。インドの宗教人口の話になった ときに、私がヒンドウー教徒は80%でイスラム教10%、その他が10%だと言う と
 「誰がそんなことを言いましたか?それは大間違いです。ヒンドウー教50%、イス ラム教40%その他が10%です。」
 とかたくなに言い張ったのだ。その時は、現地の人が言うのだからそうなのかと思っ ていたが、その後どの本をみても私の言った通りであった。火葬に関することもいい加減な情報もあったのかもしれない。
 すべてが明らかになったとき私はふと思いだした。ボビーといる間、よく説明はしてくれるがなぜ好印象にまで発展しなかったかを。私はずっと気になっていたのだ。 ボビーが心からの笑顔を見せないことを。いつも淡々としてあまり笑顔を見せず、 笑ったときもどこかクールな印象があった。人間味に溢れていないというか。それでもあの時は、ボビーはシャイな人なのか、あるいはビジネスとして徹しているからな のかもしれないと、いいように解釈していたが、人間、やっぱり表情にその人の性格 や考えは現れるものだと実感した。
 以前だまされた夫を笑っていた自分が、まさかまんまとだまされるなんて、うかつだった。今この瞬間でも彼はベナレスの街をほっつき歩いて、日本人のカモを探しているに違いない。


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