エスニック

インドは行った方がいい!!


十三章  寝台列車に乗る!!

 日本でも寝台列車というものに乗ったことのない私は、期待で胸をワクワクさせていた。 お恥ずかしいことに、私たちは列車の手配をすべてトラベルエージェントの方に任せ てしまっていたので、自分たちが何等車に乗っているのか分からなかった。インドの列車はインドの上流階級の人やリッチな外国人観光客が乗るエアコン付きの特等と、その下に役人や軍人、ビジネスマンなどのエリートが乗る1等、そしてその他の一般の人々が乗る2等と、3クラスに分かれているが、ガイドブックに記載されているそれぞれの等級のどの説明を読んでも私たちのコンパートメントの様子と一致しないのである。列車によって多少の違いがあるのかもしれない。だが、乗っている人々の様子から多分ここは1等車なのだろうと思った。 列車の中はこぎれいだった。私たちの下にいたインド人老夫婦
 ”へえー、これがインドの寝台列車か。” 
 私たちのベッドは通路を挟んで右側のコンパートメントの上段の2つだった。その下のベッドには上品そうな60歳代くらいのインド人夫婦が食べ物を広げて、くつろ いでいた。私たちが挨拶すると、夫婦はすかさず自分たちの座っているベッドの隣に スペースをつくってくれて、そこに座るように勧めてくれた。 
”あれ?だってここはあなた方のベッドでしょ?私たちがここに座っちゃったら、 お邪魔じゃないかしら?”
 だが彼らはそんなことは全く気にしていない様子で、それどころか新しくやってきた私たちを歓迎してくれているらしく色々と話しかけてきてくれた。
 カルカッタ在住のその夫婦は、旅行でヒマラヤに行って来た帰りで、(ガンジス川をさかのぼり巡礼してきたようだ)デリーから乗ってきていた。デリーでは4時間もDelay(遅延)したらしい!!デリーからベナレスまでは飛行機だとほんの1時間15分だが、列車を使うと12時間もかかる らしく、彼らは既に退屈していたようだ。そしてさらにカルカッタまであと14時間 かかるのである。なんと1日中列車に乗っての移動である。彼らは何日もの間旅行していたらしく、ベッドの下には私たち以上の荷物が置いてあった。
 ご主人が夫に職業を尋ねたので、夫が土木関係のエンジニアだと答えると、 「おお、そうですか。私たちの息子もそうです!」 と顔を輝かせた。 「息子は建設会社でエンジニアをしています。」 こんな偶然からどんどん話が弾み、私たちはお互いのことをいろいろ紹介しあっ た。
 そういえば、私たちはまだ夕食をとっていなかった。列車に乗れるのかどうかの心配をしている間、夕食のことなど考えも及ばなかったのだ。だが、きっと車内でなにか売りに来てくれるだろうと楽しみにしていたのだが、ご夫婦に聞いてみると、もう車内販売はないという。そして、彼らは「これで少しは足しになるかしら?」と言って、sweetsやスナックやクッキーを私たちに分けてくれた。
 途中、車掌さんがチケットのチェックに回って来た。そして、私たちを見るととっても珍しかったようで、自分の仕事も忘れてしばらくそこに座って話し込んで行った。「君たちの名前の意味は?」に始まり、「何の仕事をしているのか?ベナレスはどうだったか?インドの印象は?宗教は?」など、私たちは次々と質問を浴び、果てはインド人の結婚と外国人の結婚の違いや、離婚のことなどまで話が及んだ。その中でも、宗教のことを説明するのはとても困ってしまった。「なぜ、君たちは宗教を持たないのか?」と聞かれても、どう答えてよいのか分からなかったし、「なにをよりどころに生きて(生活して)いるのか?」と聞かれても、そんなこと自問したこともなかった。私たちからすれば、敬虔なヒンズー教徒というものに対してとても興味があり、今回の旅行のきっかけでもあったのだが、逆に彼らからすれば、特定の宗教をもたない私たちというのは、宇宙人を見るくらいの驚きだったのだろう。こうしてひとしきり話をすると、車掌さんはとってもご機嫌でその場を去っていった。    その後またしばらく下の夫婦と話をしてから私たちは眠りについた。ベッドは私が想像していたのとは違ってかなり寝心地がよく、まくら・毛布・敷布はボーイさん(?)が運んでくれた。「これならぐっすり眠れそう…。」と思ったのもつかの間、結局は周りの人たちのものすごいいびきの大合唱で、途中何度も目が覚めた。

朝の物売り「コーヒー、チャイ」  「コーヒー、チャイ、コーヒー、チャイ!!!」 翌朝、途中の停車駅で乗り込んできた業者の人の声と甘〜いチャイの香り、そしてすがすがしい朝の光で私たちは目が覚めた。
 それは何ともいえない心地の良い目覚めだった。これまでの私の人生において、この日の目覚めほど、心地よい、そして印象に残る目覚めをしたことはなかった。そして、それは夫もまったく同じだったようだった。
夢と現実の狭間で、その抑揚のある活気のあるかけ声は、今でも私たちの耳に新鮮に残っている。彼らは色んなものを売りに来た。Sweetsやサモサ、パン、ひなあられのしょっぱい版などなど。前日、夕食を食べ損ねてお腹をすかせていた私たちは、売りにくるものすべてをとりあえず買ったが、どれもこれもあまりおいしくなかった。ただ、チャイだけはとってもおいしくて、途中、駅に着くたびに買っては飲んでいたのだ。 
 ところで、このすがすがしい朝の目覚めとはうらはらに、やはりここは「ちょっと(かなり?)危険なインド」であることを認識させるものがあった。というのは、昨夜から気にはなっていたのだが、列車の窓には武装強盗よけに鉄格子がはめられており、そして、窓ガラスにはおびただしい数の弾丸のあとが残っているのだ。
 「ひえ〜、怖い〜!!こんなの打ち込まれたらイチコロだ…。」
  そして、私たちが日本に帰ってきてからしばらく後に「インドで列車が襲撃され、多数の死傷者が出た」というニュースがあったのだが、なんと私たちが乗ったのと同じ路線だったのだ。今さらながら、自分たちが行った国の状況というものに恐怖を感じた。                                                             のどかな早朝の田舎駅      
 さて、話は戻るが、そうこうしながらようやく目的地カルカッタにお昼頃到着。列車を降りるときに、夫妻にお礼を言うと、奥様が「いいのよ、あなた達はちょうど私たちの子供達と同じくらいだから…。」と言ってくれた。
 寝台列車の旅は、とーってもよかった。ローカルで、アットホームで、昔っぽくて。そして、数々の素敵な出会いがあるから・・・。




十四章  
カルカッタ


  カルカッタ。ここは、私たちが想像していた以上に都会、いや大都会だった。何故なら、リクシャー などなく通りは車でいっぱい。牛もいない。人々はほとんどがくつをはいている!サンダルばきの主人のいでたちが妙に貧乏くさいようだ。大昔にタイムスリップしたようなベナレスの風景が懐かしかった。バスのチケット
 私たちの着いた駅はカルカッタの西側にあるハウラー駅というところで、街の中心地からは離れたところにあった。駅を出て人々の流れるままに歩いていくと、そこはバスターミナルだった。しかし、右も左も分からない私たちに都会の人々の視線は冷たく、ベナレスのように、地図を広げていると寄ってくる人など1人もいなかった。
「う〜、寂しい…。」
「中心地へ行くには、どのバスに乗ればいいんだろう?」
近くにいた人に聞いても分からないらしく、そのまま行ってしまった。たまたま通りかかった、バスの車掌風の男性に聞くと、「このバスだよ」と指さして教えてくれたが、私たちの大荷物を見るなり、「タクシーの方がいいな」と言って去っていった。私たちは考えたあげく、タクシーにしようと、とぼとぼと通りへ向かって歩いていった。
…とそのとき、先ほどのバスが横を通り過ぎようとして、そのバスの乗降口には先ほどの車掌さんらしき人が「オーイ、乗れ!」と言って手招きしてくれた。
 そう、まさしく車掌さんだったのだ。急いでバスに近づいたが、バスの中はかなり混んでいて、とても私たちの大荷物は入りそうになかった。しかし、大勢の人々が次から次へとバスの車掌さん協力して荷物を奥へ入れてくれ、そればかりか、女性である私のために席まで詰めてくれた。人々はみな親切で、おつりがないと別の人がすぐにくずしてくれ、降りる場所も車掌さんが教えてくれた。そして、降りるときに、一般の客は道のまんなかでバスはゆっくり動きながら降りるのに、私たちには、わざわざバスを道路脇につけて止めてくれたのだ。日本では当たり前のことだがここインドでは画期的なことだった。
 都会…といえども、やはりここはインド。まだまだ人々の親切が身にしみた。
 さて、私たちはまず最初に宿を探さなければならなかった。重いスーツケースを引きずりながらの宿探しは結構疲れた。私たちが部屋を決めるのにはいくつかのポイントがあったのだが、その1つであるホットシャワーが使える宿があまりないというのには驚いた。インド人は、冷たい水でシャワーを浴びるのだ。冬は結構寒いのに。
 さんざん歩き回って結局私たちが決めた宿は、「アストリアホテル」という名前のホテルだった。ここは、某ガイドブックに、"エアコン完備の中級ホテル"として紹介されていたのだが、初め紹介された部屋はイマイチだった。そこでいったん断って、他の宿を探しに行ったのだが、結局そこが一番マシだったため、もう一度戻ってみたのだ。
 宿の主人は、先ほどとは違う最上階の一番いい部屋を見せてくれた。私たちは一目見てその部屋がとっても気に入ってしまった。とても広い!そしてなにより、とってもインド的なのである!!部屋には窓が6個もあり、とても開放的で、窓から降り注ぐそよ風と光はとても心地よいものだった。その窓からは通りの様子や近所の子供達が家の屋上でたこ揚げをする様子など、インド人の生活がかいま見れた。私たちの予算からすれば、2泊で1900ルピー(約7800円)というのはちょっと予算オーバーではあったものの、新婚旅行ということもあり、そのとても素敵な部屋に即決した。
 カルカッタでの「ヒット」はこのホテルの他にもう一つあった。夕方、サダルストリートSudder St.にはいくつかの中華の屋台が出るのだが、どれもこれもおいしく、しかも安いここの最上階は新婚旅行にはお薦め!。その中でもホテル近くで買った焼きそばとエビチリは、かなりおいしくて二人であっという間にたいらげてしまった。私たちは take outしたのだが、バナナの葉っぱにくるんでくれ、これがまたなかなかしゃれていた。
 さて、今回の2日間のカルカッタ滞在は私たちにとっては「オマケ」みたいなものだった。前にも述べたかもしれないが、今回の新婚旅行は、シンガポール→インド→モルジブという、3カ国を渡り歩くもので、インドでのメインは「ベナレス観光」と「列車」であった。そして、最終的にモルジブにたどり着けるようなルートを考えていくと、カルカッタが一番都合がよかったのだ。もともと都会にあまり興味のない私たちだったため、カルカッタの印象は強烈には残っていない。ただカーリー寺院だけは今でもはっきり覚えている。
カルカッタの街角の魚屋さん この寺院は、ヒンズー教のカーリー女神を祭った寺院で、各地からの参拝者でごったがえし、熱気がみなぎっていた。ガイドブックには、「境内にはカーリー女神に捧げるために、ヤギの首がはねられる」と書いてあったのだが、私たちはそれを見てしまったのだ!
 寺院の見学を終え、境内を散歩していると柵の中に一匹の黒ヤギが。そして、そこにはなにやら怪しげな台が置かれていた。
「もしかして、これって、ガイドブックに書いてあったアレ?ってことは、このヤギの首をはねるのかしら?」
 怖いもの見たさにその場にしゃがみ込んで待っていると、そのうち、男性2人が柵の中に入ってきて、子ヤギを捕まえると、1人が台の上に子ヤギを寝かせ、もう1人が大きな斧を持って、力一杯振り下ろしたのだ!
「ひえ〜!!!!!」
 あっという間の出来事だった。そんなに近くで見ていたわけでもないのに、黒ヤギから飛び散った「血」は、あやうく私の足にかかるくらいの勢いで飛んできた。(イヤ、もしかしたら、ちょっとはついたのかもしれない…。)そして、切り取られた首と胴体は、切り取られたにも関わらず、ずっとピクピク動いていた。
「う〜!さっきまでここで遊んでいた黒ヤギが…・。」寺院でお坊さんに手首に巻き付けてもらった・・・
 そして、男達は何事もなかったかのようにドボドボ血の流れるヤギの首と胴体を持って、どこかへ行ってしまった。 今でも思い出すだけで、ぞぞーっ〜の出来事である。私も主人も、しばらくの間はその光景が目から離れなかった。つまり、私たちにとってのカーリー寺院は、なんだかとっても薄気味の悪い印象の寺院となってしまった。
 それにしても、なんで、「いけにえ」って必要なんだろう?悪魔に捧げるなら分かる気もするが、神様に…。
  そういえば、カーリー寺院でもう一つ特筆すべきことがあった。ここでは、金せびり坊さんがいるとガイドブックに書いてあったが、まさにその通りだった。私たちもあやうくひっかかるところだったが、そこは私たちのほうが一枚うわてで、説明だけはしっかりと聞いてお金は一銭も払わなかった。おまけに額には赤い染料をつけてもらい、なんの意味かはわからないが、手首に赤と黄色のひもを巻いてもらった。
カルカッタに残る人力車。もう無いはず・・・。

NEXT PAGE

トップ アイコン
トップ

エスニック