8:言語 イランはペルシャ語。英語の分かる人はほとんどいない。(少なくとも私たちが接した人たちに限っては。) 中国もそうだったけど、中国は漢字が分かるので、まだよかったけれど、イランではすごい困りました。 しかも数字もペルシャ語。 だから1,2,3・・・さえ、読めない人が沢山いて、飛行機のシートナンバーが読めずに、みんな勝手なところに座っていました。私たちの席にももちろん、勝手に他の人が座っていました。 私たちは取りあえず、数字だけは読み書きできるようになったので、買い物はなんとか出来ました。 私は、知り合った女学生に、英語のことを聞いてみました。 「イランでは中学校で英語を学びますか?」 「はい。」 「じゃあ、どうしてみんな話せないの?」 「イラン人は、外国へ行く機会がないので、英語を使わないから、忘れてしまいます。」 なるほど、確かに・・・。でも、1,2,3,4・・・くらいは覚えていてもいいのでは?と思いました。 それにしても、日本人は、猫も杓子も海外旅行をする時代だというのに、イランではまだ、外国へ行ったことがない人が多いというのには、色々考えさせられてしまいました。 9:イランのトイレ イランはインドと似ていました。 紙は使わず、水を使います。 ただし、インドは手桶を使うのだが、イランはホースの水を使うのです。 初め、私は紙を持参して使っていたが、何度も何度もトイレを詰まらせてしまったので、2〜3回だけ、ホースを使ってみました。 そしたら、けっこう気持ち良かったです。(でも乾かすのに紙を使ったけど・・・。) 10:食事 毎日毎日羊のお肉(ケバブ)。そして、固いナン。 あまりちゃんとしたレストランはなく、軽食のケバブ入りサンドイッチ屋で毎日食べていました。 ただ、イランの家庭料理はとってもおいしく、ARAKの友人の家で食べた料理はおいしかったです。ちなみに、イランの家庭料理は、昼食が一番豪華なのだそうです。 それにしても、イラン人は本当によく食べるし、甘いものが大好き。(しかも甘すぎる。) 友人の家では1日中食べているという感じで、かなりお腹が苦しかったです。 でも彼女と別れてからは、毎日ケバブばかりで、ケバブは少量でもお腹に重いし、and 飲み物は炭酸しかなかったのですぐお腹一杯になり、結果的にはやせて帰ってきました。 日本では炭酸など決して飲まない私が (食事と一緒になど特に考えられない)、イランでは炭酸づけになっていました。 そうそう、イランでは、イラン版コーラの「ザムザム」が大人気。それと、家庭でもレストランでも必ずミントの葉っぱが出てきます。みんなは、パクパク食べていたけれど、私の口には合いませんでした。 11:イラン人家族 イランでは家族や親戚のつながりがひじょ〜に、強い。 何かあるとすぐ、必ず全員集まります。 私たちがアラキに行ったときも、夜、次々と総勢20人以上の親戚が集まり、家はparty状態。(もちろんお酒ではなくジュースとデザートで。) ここでも日本のことをさんざん聞かれました。 ここに来ていたモハメッドさんは、イラン人の代表とも言うべき、本当にhospitality溢れる 「いい人」でした。 彼とは英語が通じないので、ほとんど会話はなかったのに、ほんの数時間顔を合わせただけの私たちに本当によくしてくれました。 まず、翌日私たちがバスでイスファハンへ旅立つ際、バス乗り場まで車で送ることを自ら申し出てくれて、おまけに、彼は1日中朝から「彼らはペルシャ語が分からないけど、大丈夫なんだろうか?」 とずーっと心配してくれていたそうです。 そして、 「もしうちの娘が病気でなかったら(彼の娘は風邪をひいていたらしい)、オレがイスファハンまで、車で乗せていくのに・・・。」 とまで言ってくれていたそうです。 イスファハンへは5時間もかかるというのに!! 私たちがバスに乗ってからも、運転手にチップをこっそり渡し、 「彼らはペルシャ語が分からないから、宜しくcareを頼む。それから、イスファハンに着いたら、彼らのホテルまでのtaxiをつかまえてやってくれ。」 と頼んでくれていたそうです。 そして、旅のお供に、スナック菓子まで、買ってくれました。 いよいよバスが出発するとき、見えなくなるまでずっと手を振ってくれているモハメドさんを見ながら、私も主人もうるうるしていました。 そしてバスが出発してから数分後、余韻に浸っている私たちの視界に入ったものは、隣の車線を走っているモハメドさんでした。 なんとバスを追いかけて途中まで来ているではないか!! まるで、小さい子供に対して心配している母親のような、大きな温かい人でした。 そう言えば、友人のお母さんも、家を出るとき、「これを持って行きなさい。」と、桃と梨とお菓子を沢山くれ、友人の妹は別れ際、抱きしめてkissまでしてくれました。 私は涙が止まらなくなってしまいました。 イラン人は本当に、あったかいのです。 ちなみに、私は生まれて初めてhug & kiss をされたので、なんか感動してしまいました。 12:日本人観光客 まったくと言っていいほど会いませんでした。 だいたい、イランに関するガイドブックが日本になく、(注:その後99年にようやく「地球の歩き方が出版された。)、私たちがようやく見つけだしたガイドブックは、中近東諸国を1冊にまとめたもので、イランのページはほんの数ページしかありませんでした。 たまに、有名な観光スポットでツアーの何人かには会いましたが、まだイランは観光に対して力を入れていないようです。(注:最近はかなり力を入れてきているようで、観光客の数も、ずいぶん増えてきている。) もっとも、私たちも、現地の人の行くような所ばかり行っていたし、ホテルは安宿、行動時間帯も朝と夜だったので、会わなかったのかもしれないけれど。 でもやはり観光客は珍しいようで、街を歩くたびに、「japone、japone」と言われ続けました。 (あまりに言われ続けていたので、「芸能人の人たちっていつもこんな思いをしているんだな〜。」と、彼らの気持ちが分かったような気がしました。) 話しかけてきた女の子達からは、「どうしてイランに来ようと思ったのですか?」と不思議そうに聞かれました。 13:イランでの服装 イランは外国人観光客の女性に対して、スカーフの着用と長袖を義務づけているので、私は、日本からスカーフと長袖のシャツ、ズボンを用意して行きました。でも、それが、すーっごい変なのです。イランの空港に降り立った瞬間、日本人のおばさんたちがみんなそういう格好をしていて、まるで、キャディーのおばさんみたい。それがぞろぞろ観光地を歩いている姿は、とっても異様だし、すっごい目立つのです。なので、急きょ私は、イラン人が着ているようなチャドルを買って、着ました。色は黒でもベージュでも白でもグリーンでもいいのです。(あまり派手な色はだめだと思う。)足首まで隠れる長さです。やっぱり、若い人は色つきのチャドルを着ていました。ただし、なかには、とても厳しいイスラム主義の街があって、そこでは、人々は黒のチャドルしか着てはいけないそうです。また、もっと厳しいイスラム主義の人は、顔までもベールをかぶり、全身真っ黒。どっちが前だか後だか分からない。とっても怪しげでした。 スカーフからは髪の毛は本当は出してはいけないそうです。 私は、前髪を出して着用していたのですが、ある日街を歩いていたら、知らないおばさんが突然近づいてきて、なにやら文句を言っているのです。「???」と思って、友人に聞いたら、前髪のことを叱っていたそうです。すっご〜い、厳格な信者だ! ちなみに、男性の服装は、ガイドブックには「男性も長袖長ズボン」とありましたが、実際は、みんな半袖を着ていました。それから、イランでは、男性はネクタイはしません。ネクタイはアメリカの象徴的なものだからだそうです。 14:イランの子供 イランの子供ほど、美しいものはないと思いました。会う子供会う子供、全員美しいのです。世界で一番美しいのでは?と思えるほど、西洋と東洋の混ざった美しさ。見とれてしまう。しかも、みんなとっても細い。なのに、どうして大人になるにつれ、太っていくのでしょうか? 15:イランの気候 イランの印章。とにかく暑い。(夏だからだが)冬には北部山岳地帯や内陸部では雪が降るものの、私たちが訪れた場所はどこも、毎日40℃を越す暑さ。なのに、イスラムの国だから、ロングコート(チャドル)にスカーフをしていなくちゃいけないから、さらに暑い。それに、スカーフで耳ごと覆っているので、耳は聞こえづらいし…。Taxiは、エアコンなんてなくて、窓全開。もうとにかく、あの暑さにうんざりしてしまいました。 街では、5分歩いてはジュースを飲み、また歩き出したかと思うとすぐにジュースが欲しくなるし、休憩したくなる。おまけに、イランのジュースは冷えが悪いし、アイスは甘すぎる。暑いというだけで、そうとうの体力消耗でした。 そのうち、疲れ切った私たちは、休憩できるジュース屋を見つけるまで体がもたなくなって、しまいには道の沿道で浮浪者のように座り込んで休むようになっていました。 寝ても寝てもだるいし、ホテル以外はどこかしこも暑いし、早く日本に帰って、半袖短パンの格好をしたくてしょうがなかったです。旅の終わり頃には、かき氷や冷やしそうめんとか、そんなことばかり考えていました。 ところが、日本に帰ってきたら、もっと暑いのです!正確に言えば、気温はもちろんイランの方が高いのですが、湿気がないので、汗をあまりかかないのです。だから、体がベトベトしないし、変な話、同じ服を2日間着ても、臭くならないのです。 |
いかがでしたか? イランというものが少しは感じられたでしょうか? そこで次のページには、これからイランへ旅行する人のために、 いくつか私たちが印象に残った場所について、記しておきます。 参考にしていただければ嬉しいです。 |
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