虎2吉田義男監督復帰記念1985年優勝録虎2

バース1 (はじめに)

この記録ページは、阪神タイガースが21年ぶりに優勝した時の
監督である吉田義男氏が、10年ぶりに阪神の監督に復帰した
ことを記念して、その優勝までの軌跡を記録し載せたものです。
当時、まだ小学生の頃で「強い阪神タイガース」を知らないチビト
ラファン達も、今はもう高校生ぐらいになっであろう。
その当時の阪神タイガースを知らない、今やトラキチのために
も、この優勝記録を見てほしい。
また優勝当日、神宮球場でビールと枝豆を口にふくみ、阪神の
優勝を目の前にし、嬉しさと感動で、ひきつけを起こした貴方、
もう一度その感激を味わって頂ければと思います。(作者挨拶)

(阪神優勝までの軌跡)

昭和48年以来、12ぶりに優勝マジック22を点灯させた。
それは、やはり猛打だった。その日阪神は、岡田28号2ラン
を含め12安打10得点!!
当時横浜に住んでいた私は、横浜スタジアムで観戦していたが
そこで、大洋(現在の横浜)4投手をメッタ打ちにしたのを今で
も覚えている。
一部の大洋ファンが、球場前で阪神ファンの「六甲おろし」を唄
っているのが気にくわなくて、警備員に「何とかすれ!」と怒鳴
っていたのを良く覚えている。
(写真提供:日刊スポーツ出版社)

掛布1 ●昭和60年9月11日:優勝Magic-Count22(阪神10−2大洋)
●昭和60年9月12日:優勝Magic-Count20(阪神7−3大洋)
●昭和60年9月15日:優勝Magic-Count18(阪神2−0中日)
●昭和60年9月16日:優勝Magic-Count17(阪神4−3中日)
●昭和60年9月21日:優勝Magic-Count12(阪神7−3ヤクルト)

以後、着々とMagicを減らし、21年ぶりの阪神タイガース優勝
に向け、秒読み段階に突入する。

昭和60年9月27日:優勝Magic-Count10(阪神4−1巨人)
昭和60年9月29日:優勝Magic-Count9(阪神7−5巨人)

マジック対象相手の広島が、他球団に負けて、自動的にMagic-
Countが8になるが、その後阪神も広島との直接対決で2連戦
2連敗となる。優勝のプレッシャーか?!

岡田1

・・・・・・・・・・<ここでチョット一息>・・・・・・・・・・

勝利の鉄則として、「優勝するところに好
投手あり」と言われてきたが、この年の阪神
は、この常識を打ち破り、1年通して爆発
的な攻撃力で優勝した。

(写真提供:日刊スポーツ出版社)

真弓1 よく「打線は水もの」と言うではないですか。この神話を打ち破って栄冠を勝
ち取った球団はありますか?!
私の頭に、強烈に印象に残っている試合がある。それは、「阪神」対「広島」戦
(甲子園)の6回戦である。
3回表まで0−7で立ち上がりにつまずきながら、最後は13−8の大逆転
した阪神はものすごかった。
その結果、プロ野球打撃部門を総なめにし、そして記録づくめであった。
この年のバース、掛布、岡田のクリーンアップトリオだけで約130本の本
塁打は凄いというかウルトラ級だ!!

真弓2 また、いぶし銀的存在の真弓も、この年は先頭
打者としてプロ野球史上初めて30本の本塁打
を打った。
実際に、真弓は34本の本塁打を打って、シーズ
ンを終えている。内訳は、甲子園で14本、他球
場で20本である。
それだけでない、打率.322だからねぇ〜!
トップバッターらしからぬ飛距離のある切り込み
隊長が阪神にいるのだから、他球団はさぞかし驚
異だったであろう。
もう少し読んでくれると、色々な記録一覧がある
ので見て頂きたい。 ところで!
昭和60年4月17日の「阪神」対「巨人」2回戦、
皆さん覚えてますか?!
1−3でリードされてて、バースの3ランに
始り、掛布、岡田のバックスクリーン3連発
長いプロ野球史上でも初めてだと今でも言われ
て、向かうところ敵無しと言った感じだった。
打たれた槙原投手も、呆然としていた様子だっ
た。(首をかしげていたもんね!)
でも、このバース、開幕から3試合目の4月
16日の巨人戦に、阪神は10−2と大勝した
が、バースはシングルヒット1本だったのを覚
えているかな?
ここまでバースは、13打数2安打の打率.154
と、どん底状態であった。
ところが、4月17日の3ランから別人の様に
打ち出した。槙原投手よ調子ずかせてありがと
うと言いたい。


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(写真提供:日刊スポーツ出版社)

岡田2昭和60年10月5日:優勝Magic-Count7(阪神4−3巨人)
昭和60年10月9日:優勝Magic-Count6(阪神9−8ヤクルト)
昭和60年10月10日:優勝Magic-Count5(阪神7−0ヤクルト)
昭和60年10月12日:優勝Magic-Count3(阪神5−4広島)
昭和60年10月14日:優勝Magic-Count1(阪神3−1広島)

(祝・優勝阪神タイガース)

神宮球場・延長10回時間切れ引き分け(午後9時59分)
ヤクルト角内野手の打球は、ピッチャー前の「ゴロ」。
その球は、リリーフエース中西投手のグラブにおさまる。
そして、中西投手は、バースに変わって一塁守備について
いる渡真利内野手のミットに、大切そうに、しっかりと
力強く投げた。
その時、神宮球場は紙テープと紙吹雪が舞い、スタンドの
タイガースファンは、総立ち。女性は泣き。男は叫ぶ。
三塁側だけでなく球場全体がタイガースファンで一杯だ!
この中でタイガースの選手達が飛び跳ねるようにマウンド
で抱き合う。
中西投手と木戸捕手めがけて選手達は走り寄る。
ワッショイ、バンザイ、遂に吉田義男監督の小柄な体が宙
に舞った。

昭和60年10月16日:優勝Magic-Count0(阪神5−5ヤクルト)

セリーグを制覇した阪神タイガースは、パリーグの覇者、
西武ライオンズと日本一をかけて日本シリーズで戦うこと
になった。名づけて、猛獣シリーズだ!
結果は、前評判が非常に良かった西武ライオンスではなく
阪神タイガースが4勝2敗で勝って日本一になった。

(写真提供:日刊スポーツ出版社)

(阪神タイガースと記録)

4人が1シーズン1チームで各30本以上のホームランを打った例
球団該当年選手(本)選手(本)選手(本)選手(本)HR合計順位
広島昭和53年山本(浩)(44)ギャレット(40)ライトル(33)衣笠(30)147本4位
中日昭和59年宇野(37)谷沢(34)モッカ(31)大島(30)132本2位
阪神昭和60年バース(54)掛布(40)岡田(35)真弓(34)163本優勝

昭和59年迄は、「打線は水もの」神話があった。
上表を見てわかるように、打撃だけでは優勝はできないといわれてた。
しかし、その神話を打ち砕いたのは、我が阪神タイガースだけだ。
長期ペナントレースの1シーズンを通じて、打ち続けて、優勝するのは稀有なことである。
打撃が調子を落としたら投手力でカバーするのが、優勝の秘訣。
「阪神は弱体投手陣」+「打線は水もの」=「いずれ阪神は息切れする」というのが、おおかたの予想
である。
1シーズン通して、打線が投手力をカバーした唯一の球団であるを忘れないでもらいたい。

チーム本塁打200本以上の記録
球団該当年総本塁打数順位
広島昭和53年205本4位
近鉄昭和55年239本優勝
西武昭和55年219本4位
阪急昭和55年204本5位
阪神昭和60年218本優勝

(最後に)

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