富士山の背後から朝日が昇ってきました。日の光が辺りを包み始め、富士山の姿を浮かび上がらせます。富士山の存在感が増してくると共に、何とも言いようのない、心が揺さぶられる感覚を覚えます。
はるか昔の人々も、同じようにこの山を見て、心を振るわせたのでしょうか。そして、この山を見て、何を想ったのでしょうか。
日本人は古来から、山に対する信仰心を持ってきました。恵みと災いをもたらす山、死者の魂が帰り祖霊が宿る場所としての山、あるいは神が坐す(います)山、神そのものであるとしての山。そのような信仰の対象として、日本人は山を感謝と畏敬の念をもって祭ってきました。
そして、それと同じように、古の人々は富士山に神々の気配を感じ、心を振るわせていたのかもしれません。
富士山の名前の由来に関して、興味深い話があります。
富士山の名前の由来は諸説ありますが、やまとことば”として考えてみると「地面から吹き出た山」であるのではないかという説があります。
やまとことば”とは、漢字が日本に入ってくる以前の、日本語本来の言葉です。それは、同じものの働きや、立場を示すものであれば、区別せずに一つの単語で呼ぶという言葉です。例えば「かく」という言葉を漢字で書くと「書く、描く、掻く」と、いくつもの単語として区別されますが、やまとことば”では「指先で何かを引っ掻く」動作のことを「かく」と呼びました。
そのようにやまとことば”として考えてみた場合、富士の「ふ」は「吹く、噴く」のように、何かが吹き出すという意味として、「じ」は「地面、大地」の意味として捉えることができるのではないか。つまり、富士山とは「地面から吹き出た山」であると考えることができるのではないか、という説です。
この説が正しいものかどうかは分かりませんが、私は、なるほどなと思えるのです。
そもそも、富士山がなぜ現在の位置に誕生したのかというと、富士山付近にはちょうど4つのプレートがひしめき合っているからだと言われています。そのために、地下からマグマが長期にわたって供給される地質学的条件が備わっている、という理由があるのだそうです。
そして、日本一大きい山を生み出すほどの、大地のエネルギーが吹き出したのが、富士山ということです。
富士山が今の姿形になったのは約一万年前と言われていますが、それ以前にもそれ以降にも、幾度となく、激しい噴火が繰り返されてきました。はるか昔の日本人が、これを見て、どう思ったのでしょうか。
まさに富士山は、「大地の尋常ならざる力が吹き出す山」であるとして、「ふじ」と呼ぶようになったのではないかと思えるのです。
はるか昔の日本人が「ふじ」と呼んだように、そこに大地の尋常ならざる力の息吹を感じるからこそ、富士山には心が揺さぶられるほどの神々しさを感じるのかもしれません。
現在、富士山はさまざまな問題を抱えています。
登山者が出すゴミや糞尿の問題、富士山周辺でゴミが大量に捨てられる問題。あるいは、地球温暖化により富士山の永久凍土が溶け、土砂崩れが起きやすい状態になったり、富士山の冠雪(かんせつ)がなくなるという事態にまで発展する可能性もあります。
私たちが生み出した環境問題が、富士山にまで異変をもたらしているのです。
富士山の異変は、私たちに本来の日本人の心のあり方を訴えかけているのではないか、そう感じずにはいられません。私たちは、かつて私たちの祖先が持っていた、自然への謙虚な心を取り戻す必要があるのではないでしょうか。