2刷りによせて

 2005年3月、「岩手のマツタケの今と将来」を全国に発信したのを最後に、15年間に及ぶ岩手県の岩泉まつたけ研究所を辞して京都に戻った。あちこちの要請で、まつたけアドバイザーとして、京都の暑さに閉口しながら、関西のアカマツ林の現状観察とアドバイスに忙しい日を送っている。関西のアカマツ林の現状は、岩手在住の頃、想像した以上に悪化している。まともなアカマツ林が少ないのである。
 マツタケの生産量を正確に把握することは、非常に難しい。林野庁の発表する流通量の3倍のマツタケが市場に出回るのが当たり前なのである。その不確かな値であっても、マツタケ生産量の変化は、マツタケのホスト集団であるアカマツ林の状況を反映している。全国のマツタケ流通量は、1941年には12,222t(トン)で、2004年は149tと80分の1まで減少している。京都府の場合、1941年の生産量が1,876t、04年は8.1tで230分の1の大激減である。
 全国と京都府の落ち込みの差に相当の違いが見られる。京都府固有の理由はなく、都市型産地に共通で、開発による里山林(=アカマツ林)の減少、里山林放棄によるマツタケ生育環境の劣化とマツノザイセンチュウ病によるアカマツの大量枯死、生産林家の高齢化による意欲の減衰等が挙げられる。マツタケ発生量の減少の原因やその対策法は、まつたけ生産林家に曲がりなりにも理解されているが、その対策を実践する意欲の欠落が大きな課題である。
 農業においても、農家の高齢化は重要問題であるが、高齢者の作る見事な水田や畑あるいはその生産物をあちこちで見ることが可能だ。まつたけ生産者にそのような例は極めて少ない。農家は働き、マネジメントするが、林家はマネジメントだけである。したがって、林家は、発生期だけマツタケを採るために山に入る。まつたけ栽培という概念に乏しく、少しきつい言い方になるが、林地からマツタケを搾取するに近い。
 僕は今、まつたけの聖地である京都の里山林の再生に取り組んでいる。ご存知の方も多いと思うが「まつたけ十字軍運動」である(http://blog.goo.ne.jp/npoiroem)。京(みやこ)まつたけを復活させようと林造りを週1回のペースで実践している。仲間は、仕事の第一線を退いた方と学生を合わせて78名の男女を含むボランティアである。生き生きと自分の体力に合わせて連係プレーで作業をこなしている。人は心身ともに健康を維持し、林も昭和30年代の生態に戻りつつある。
また、岩手県立大野高等学校(中村三千男校長)の生徒たちが、「まつたけ山づくりプロジェクト」に取り組み、久慈平岳のアカマツ林を手入れして、今年(2005年)の収穫祭で35本の見事なマツタケを採取した。僕も最初からこのプロジェクトに関係しているので、収穫祭に招かれた。高校生が教員やPTAの協力の下に、マツタケ発生の復活を成し遂げたことは特筆すべきことである。
 素人集団でこれだけのことが出来ることを実証すれば、プロの林家が寝て「まつだけ」では済まされないだろう。全国のマツタケ生産専業林家の収入は、2千万円を軽く超えているだろう。たかだか1ヵ月で、4〜5百万円を稼ぐ例など枚挙に暇がない。アミタケというイグチ科のキノコの採取で4百万円を稼ぐきのこ採りもいる。行政の補助金を当てにせずとも、自分の力で林作りをトライしてもいい事業である!
 緑の雇用推進事業として、また、里山保全事業として、山を立体的に通年活用する事業を応援する基金を持つ組織(ファンド)を設立したい。応援をお願いしたいものである。
 まつたけ生産専業林家を育成するのである。マツタケを尾根筋中心に、中腹では、他の食用きのこ(ホンシメジ、シモフリシメジ、アミタケ、クロカワ、ショウゲンジ、ハツタケ、マイタケなど)を林地栽培し、山裾では、タラノメ、コシアブラを育てる。マツタケ発生整備作業で除伐した粗朶・落葉などで優良堆肥を作り、畑や休耕田で、有用な山野草や作物の有機栽培が可能である。その目標に向かって新たな歩みを進めている。

2005年11月 京都山科にて 吉村 文彦
 

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