その5 99.6.16

 今回からは、取材をする時、また記事を書く上で、さらに仕事に限らず生活に役立ちそうな「使える」キーワードについてです。

 21世紀に求められるのは“問題発見型人間”だと、よくいわれます。新しい企画開発・発想・アイデアの根底に問題意識やそのまた根底ともいえるこだわりとか問題点を発見する嗅覚がある、そういうものが必要だからです。そこで、まず問題意識やこだわりについて考えてみましょう。
 日本人は諦めが早い、忘れっぽいなどといわれます。何事も両面ありますから、あまりこだわりを持たずに、新たにやり直すということでは、いい面もあります。しかし、その日本人にしても、こと恨み事では随分とこだわりと執念深さ、しつこさがあります。歴史的なことでは例えば、会津と長州の間の怨念は今日まで尾を引いていますし、ほとんど知られていないことですが、大正中期(1918年)の米騒動で全国唯一、死者と刑死者が出た和歌山県北部の町では、同じ町に住む、いわゆる被害者と加害者(本当はどちらも被害者であり犠牲者の面があったのだと思います)の子孫たちに根強いわだかまりがずっと残り、つい最近まで心からの和解はできなかったそうです。コソボなどバルカンや、イスラエルと周辺国との恨みなどこだわりが複雑に交錯した歴史は、時間的・空間的スケールからいっても日本の比ではないでしょう。
 私は、良いことも、悪いことも、人間はしつこく記憶し、そこから学ばなければいけないと基本的には思います。ところが人間は、(相手の)良いことや良い点はとかく忘れやすいから問題がややこしくなるのです。悪いこと、恨みつらみは根強く、根深く尾を引き、後々まで時に増幅されながら残り、伝えられるのです。もう少し、この辺のバランスが取れるようになる、その努力をする、知恵を絞るのが人間の課題のように思います。

 話が広がってしまいましたが、こんなことも頭の隅に置いていただきながら、「こだわりから生まれた大特ダネ」を紹介しましょう。
 もう40年以上(1986年)です。新聞社時代の同期の友人で営業部にいた男が、ある日曜日、彼女と京都市美術館でロートレック展を観に行ったことから「こだわりの話」は始まります。その日の夜、美術館に何者かが侵入、当時で数千万円といわれた代表作(マルセル)の絵を盗んだのです。この事件では警備員が責任を感じて自殺したり、主催の読売新聞が賞金1000万円という破格の「WANTED」を出したりし、しばらく大きな話題となりました。
 友人にとっても事件は思い出深い、こだわりの出来事になりました。タ方の閉館直前に入り、ことのほか気に入って観ていたそのマネセルが盗まれた上、事件後しばらくして彼は彼女に振られたのでした。彼はここで天命みたいなものを感じたのでしょうか。新聞社では営業で入った人が編集記者に転身することはほとんどなかったのですが、彼は上司に頼み込み1年後記者として希望した京都支局勤務となり、新たなスタートを切ったのです。以来ずっと、この事件をフォローしていました。
 そして7年がたち、事件は時効が成立し、みんなから忘れられていきました。それからしばらくして大阪社会部に移り、大阪府警の捜査3課(窃盗捜査をやります)を担当していた時のこと。記者には宿直勤務があり、警察担当記者の場合、府警の中にある記者クラブに泊まり込み、やはり宿直の警察官・刑事のところに顔を出したりしなが取材を続けるのですが、彼の泊まりの夜に「こだわりの事件」は再び動いたのです。
 彼が夜遅く捜査3課の宿直室をのぞきに行こうと廊下を歩いていると、遠くに見慣れない紳士の姿がちらっと見えたのです。気になって当直の親しい(シンパといいます)刑事に「だれ」と聞くと、「朝日新聞の編集局長。3課長や刑事部長に用だったらしいよ」とそっと教えてくれたのです。
 もうとっくに帰ったことになっている、盗犯捜査トップの課長と刑事部長が部長室以外のところにいて、しかもライバル紙の朝日の局長と会っていた。彼の“こだわりのアンテナ”が、これに敏感に反応しました。「朝日にマルセルの絵が持ち込まれたに違いない」と直感したそうです。彼は、この情報を事件のあった京都の支局に打ち返し、ロートレックに詳しい美学専攻の京都の大学教授の所在確認を頼んだのです。すると、奥さんが「朝日新聞に呼ばれて出掛けていて、まだ帰りません」というではありませんか。そのほかの関係者の動向も取材すると、やはり「朝日へ」。当の朝日に聞くわけにいきませんが、状況証拠は「マルセルで決まり」です。
 その後、朝日はもちろん、主催者だった読売新聞などの他社に気づかれないよう慎重な取材が未明まで続けられ、絵そのものが持ち込まれた朝日と、それに気づいた毎日の2紙だけの朝刊に「盗まれたマルセル発見」の大見出しが踊ったのでした。他紙はともかく、主催者だった読売の悔しさと怒り、混乱は押してしるべしかと思います。

 こだわりの次は中国の「一葉散って諸国の秋を知る」ではありませんが、多くの問題には胎動があるということです。それに気づく感性やものの本質を掴める目を養うようにしたいものです。
 これも30年以上前のことです。はじまりは教師たちの教育研究集会です。教育問題を担当していた私の目に、三重県の教師が作ったガリ版刷り(今ではもうありませんが、コピーの普及していなかった当時はこれが普通でした)リポートが私の目を引きました。そこには、蛙の皮を剥ぎ、それでも動く蛙をとことん切り刻みながら「そんなに一生懸命生きんでもいいやろう。アホなやつや、何でそんなに生きたいんや」とたんたんと語る小学校4年生の子どもの姿がありました。
 私や私たちの世代にも、ザリガニ捕りのために蛙の皮を剥いで脚を餌に使ったり、トンボの尾を取って、そこに草の葉脈を差し込んで飛ばしたりといった残忍とも言える子ども時代の経験があります。しかし、それは他人には(特に大人には)話せない「秘密の禁じられた遊び」のようなところがあり、心の痛みや傷のようになって残り、いつも「ごめん」という気持ちを伴い、「人間は他の生き物を殺さなければ生きていけない。だからこそ、他の生命を出来るだけ大切にし、必要以上の殺生をしてはいけない。また、そうして生きられることへの感謝がなくてはならない」といった人間の生きる上でのテーマを学んでいったように思います。また、こうした「遊び」は小学校の早い時期に“卒業”していたようでした。
 そうした“秘密”を公然と文字にして、しかも「ごめん」ではなく、「そんなに一生懸命生きんでもいいのに、アホやな」と言い切る子どもの心の荒涼は、この子だけのものではありませんでした。取材を進めると、子どもたちの心に、この子と共通した重大な“変化の胎動”が始まっていることを感じさせられました。それは、テレビやテレビゲーム、マンガの世界にとどまらず現実社会・生活の中に広がっている、痛みの見えにくい生命の疑似化や、当時もすでにエスカレートしていた偏差値問題に象徴される教育の問題などと様々に絡み合っている、つまり私たちの現代社会そのものの抱える問題(病根とも)なのだということを私は書いたり、教師、親たちに話していきました。その中で、「このままでは子どもたちに何が起きても(彼らが何を起こしても)おかしくない」ことを強調し、そうならないよう大人たちが反省と、その上に立った行動と取り組みをしなければ、と訴え、警鐘を鳴らしました。
 横浜で中学生たちが「生きる価値はない」と、ホームレスの人を殴り殺す事件が起きたのは、その数年後のことでした。社会は驚愕しましたが、そのずっと前からこうした事件につながる根っこが広がり、芽が伸び出していたのです。そして1997(平成7)年の神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)へと続いていったのです。
 こうした視点は、取材・企画づくりに限らず危機管理や営業展開にも共通に必要なもののように思います。

 次回は「失敗に学ぶ」「矛盾に敏感に」などをキーワードにお話ししましょう。

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