その6  1999.6.23

 さて、「失敗に学ぶ」「矛盾に敏感に」など今回の話に移りましょう。と思っていたら、NHKテレビで17日(1999年6月17日))夜、「絵本・ちびくろサンボ論争--人種差別と児童文学」(クローズアップ現代)をやっていましたので、私たちの仕事の基盤(理念や理想、あるいは思想、生き方、また経済的など)である「ものを言えること、言うこと、書けること、書くこと(表現の自由および責任・義務)と人権」について考えてみたいと思います。
 この番組が作られた背景は、約10年前(1988年)に突然、日本全国の書店から姿を消したこの本が、最近、径書房から新たに発刊され、賛否両論があることを大学教授やかつて、ほとんど読者への説明をすることなしに絶版にした出版社(日本を代表するといってもいい、有名出版社がまっ先に踏み切りました)の人の声など織り交ぜながら構成していました。
 私が、この再発刊のことを最初に目にしたのは、その数日前の朝日新聞でした。番組は、それよりはやや突っ込んだところもあるような気もしたものの、女性キャスターが、米国では@批判の出た後も、出版・販売を続けている出版社・書店がある、A一般の閲覧者には読まれないようにした図書館もある、B原作の良さを生かすため、全く新しい構成の本に作り替えたるといった取り組みがある、C原作の限界や問題点も語りながら、その上でこの本の読み聞かせを続けている黒人女性がいる--ことなど紹介していながら、なぜか「米国では人前から消えた」という意味合いのコメントをするなど、トンチンカンでしたし、大学教授のコメントに至っては、腫れ物に触る「腰が引けた」感じの当たり障りのないものでした。
 この問題で私が最も強調したい点、みなさんに考えていただきたい点は、日本の言論の自由と責任、それを担う人たちの基本的な姿勢が実にいい加減であり、そうした浅い、かつ広がりの狭いのが、我が国の言論を巡る状況であるという問題です。対するアメリカのそれは、日本よりはるかにバランスがよく、深く広い実践があり、アメリカという国はとても乱暴なところのある国ではありますが、踏ん張るべきところでは踏ん張る底力を持っているのは間違いありません。
 さて、日本で『ちびくろサンボ』が姿を消したのには、2つの側面があったように記憶しています。つまり、1つは絵本そのものの持っている問題点や限界です。そして、2つ目は絶版運動が起きた時代的な背景です。(以下のような記述は、本来なら関係する事実の確認と独自の取材を加えながら、厳密な検証をしなければならない問題を含んでいることを承知していますが、今はそれもかなわず、私の記憶に基づき展開していますので、厳密な論証・論考とは言い難い点を踏まえてお読みください。間違いなどありましたら、指摘ください)
 第一の問題では、登場する主人公のサンボをはじめ、両親のマンボ・ジャンボの名前の差別性(歴史的に黒人を蔑視する代表的な呼称だと言われたように記憶しています。しかし、原作では黒人を描いているわけではなく、日本の絵本で黒人化された、との指摘もあります)植民地下のインド北部の保養地で、インド人を支配し、差別していた英国人(婦人)によって書かれたこの絵本の時代的な限界等の問題、バターになってしまったとはいえ、怖い肉食獣の代表であるトラを食べてしまう行為によって生じる黒人に対するイメージ、先入観の問題などが出ていたように思います。
 何事もそうですが、人とその産物(文化も含め)は、それぞれの時代の枠や殻に大きく影響され、制約され、その結果、後代から見ると限界を持っことは明らかです。だから、絶版にするというのは、あまりにも短絡した考えではないでしょうか。例えば、あの「源氏物語」にしても、今日のそうした視点から検証すれば問題山積の作品ではありませんか。
 やはり、アメリカでなされたように「この本の歴史的な役割はすでに終わったので絶版にし、残っているものも破棄するか、一般の目には触れないように保管・管理する」といった強い意見も含めてオープンな議論をし、それぞれの立場と考えを尊重しながら行動を取るのが民主主義の基本であるはずです。実際、呼称問題ひとつ取っても、差別性を指摘する意見もあれば、北インドではこれらの言葉は何ら差別性を含まない言葉として使われているとの論証もあるのです。
 こうしたアメリカでの激しいけれど、実にしっかりしたオープンな議論に比べると、日本のそれは出版に反対する団体や個人と出版社との開かれざるやり取りの中で、事が決まっていったというのが、私の強い印象です。言論・表現の自由に依拠してメシを食っている人間が、言論の自由と責任、人権の大切さを主題に、当時、読者・国民にオープンな議論を呼びかけたといったことは、残念ながら聞いたことがありません。そのなかで、一斉に絶版とし、本は消えていったのです。
 こうなっていった背景として、それ以前から起きていた部落問題や人権問題とかかわって起きた「言葉狩り」などといわれた問題とかかわって起きていた一部の人たちの行動があったのを見逃せません。実際、北九州市に代表されますが、公立の図書館や公民館から、一部出版社の部落問題などに関する本が一斉に回収され、姿を消した事態、時代があったのです。自分たちの意見・考えと違うというのが、その大きな理由といわれます。これは、まさに秦の始皇帝の焚書坑儒の現代版みたいな暴挙で、憲法に保障された言論・表現の自由に対する挑戦といえる大事件だったのです。しかし、一般マスコミは、そうした団体や人への遠慮なのか、怖かったからなのか一行も報道しなかったのです。国や各行政は全く腰抜けでしたし、政治家や文化人の大半が沈黙状態だったように記憶しています。
 ですから、国民の大多数は知らないまま、事態は悪化していきました。その延長線上に『ちびくろサンボ』問題が起きたと、私は認識しています。(その後、この行き過ぎた事態は徐々に退潮していきましたが、実に多くの、大きな犠牲があったことは否めません)
 人間は、あのいまわしい戦争にさえルールを作り、人間の尊厳を守ろうとしてきたはずです。ならば、いかに対立する意見や考え、あるいは問題のあるものでも、その処理の仕方には人間らしい知恵とルールがあってほしいというのが私の考えです。
 『ちびくろサンボ』問題で、その基本的な土台が問われた時、日本のマスコミ、出版に携わる人たちや学者・文化人といわれる人たちの多くは、ほとんど発言も行動もしなかったのです。言論・表現の自由が封じ込められるなかで太平洋戦争に突き進んでいった、あの戦前の歴史を思い出してみてください。大切な「その時」を感じて発言し、行動する感度、勇気と元気、他への思いやりがないところには、文化にしろ何にしろ本物は育ちにくいと、私は確信するのです。絵本『ちびくろサンボ』問題は、そのことを考えさせてくれているように思います。

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