その7  6.24

 さて、今回は「失敗に学ぶ」「矛盾に敏感に」などの話です。

 「失敗に学ぶ」は言葉を変えれば「経験に学ぶ」「歴史に学ぶ」ことです。(その1)でも書きましたが、これがまた難しいのです。『失敗に学ぶ』などのタイトルの単行本がたくさん出ているくらいです。
 私の人生など振り返ると失敗ばかりみたいです。「失敗ばかりというほどのことはやっていないだろう」と言われれば、そうかもしれないという気もします。それでも、まあ人生60年以上やっていれば何かあるものです。
 駆け出し記者だった40年以上前の話から。広島で、裁判中に逃走した被告が、ライフル銃を奪った上、フェリーを乗っ取ったのです。いわゆるシージャック事件です。この男、最後は広島港(宇品港といいます)で、応援に来ていた大阪麻警の狙撃班に射殺されたのです。
 彼が港でライフルを乱射している時、私たちは建物の陰に身を隠して取材していました。同期の記者に朝日と読売の記者もいて、それぞれ「犯人が狙撃されたら、真っ先に船に乗り込んで人質の取材をしてやろう」とライフルの弾丸が高い音を引いて近くを飛んでいくなかで待っていたのです。その間どのくらいの時間が過ぎたのか、今は覚えていませんが、取り囲む警官隊が「危険だから」と取材記者たちを後ろに下げる行動を始めたのです。確かに弾がビュンビュン飛び、前日には警官1人が犠牲にもなっていましたから「素直な」私は渋々これに応じたのです。
 ところが、勘の鋭い朝日と読売の記者は「これは、狙撃直前ということに違いない。狙撃班の誰が撃ったか記者たちに分からないようにするためだ」と直感。後退する振りをして逆に、一層フェリーに近づいて行ったのです。そして、2人の予想は見事的中。間もなく男は1発で死を迎えたのでした。もちろん2人は、警官隊よりも早く倒れた犯人のもとに駆けつけたのでした。
 私といえば、フェリーに駆け寄った時には既に警察の阻止線に阻まれて、船には乗れなかったのです。

 こんな失敗もありました。自宅で祖母が殺され、孫娘が重傷を負うという事件があり、孫娘の供述から強盗事件としての捜査が始まったのです。ところが、取材を進めるとどうも孫娘がおばあちゃんのお金に手をつけるなどしていたことが分かったのです。しかも、警察に滅法強い(情報パイプの太い)地元の中国新聞も気づいていないのです。そして、さらに孫娘が入院していた病院の婦長さんに可愛がられていた私(広島支局員の健康診断をその病院でやっていたのと、町の話題など取材を兼ねて時々その婦長さんを訪ねて顔見知りになっていたのです)は、某月某日早朝に孫娘が退院するという情報をキャッチしたのです。退院=逮捕です。「これは特ダネ写真が撮れるぞ」と勇んだ私は、その朝午前5時に起き、カメラとフラッシュを持って病院に出掛けたのです。
 と、どうでしょう。他社は誰も来ていません。そしてほどなく、顔見知りの刑事たちが来たではありませんか。「これはいただき」と、心の中でバンザイをしました。しかし、これが失敗の始まりだったのです。
 ベテランの部長刑事が私のところにやって来て、「大八木さん、よく分かったね。もう、降参するよ。家族の気持ちもあるから、病室では撮らないでほしい。その代わり、ここに連れてくるから待っててくれないか」と実に丁寧に頼むのです。私は意気揚々、天にも昇る気分ですから「分かりました」と、おとなしく玄関で待っていたのです。
 ところが、です。30分たっても戻って来ません。ついに「おかしい」と気づいて病室に行くと、もぬけの殻。なんと彼らは裏口からさっさと出ていったのです。先輩たちからは「ボケナス、なぜ病室の前で待たんのだ」と、さんざんでしたが、当の本人はもう、どん底の思いでした。

 2つの大失敗の思い出は、私の心の中に今も鮮明に残っています。そして、そこからいろいろなことを学びましたし、新たに学んでいくきっかけにもなりました。
 言葉や事象の持つ意味は実に多面的であり、それを前提に柔軟に(時にやさしく、時にずる賢くなど)考え、判断し、対応する必要があるということです。それまでどちらかというと、事象を単純化して感情・感性的な要素よりも出来合いの論理的な手法に重きを置いて考える傾向のあった私には、これは新鮮なショック・発見でした。どんな小さな事象や言葉であっても、その背後(裏・裏の裏・隣・そのまた隣など)には大小さまざまな「人間のすべて」が投影されていると感じたのです。そんな考え方をしたら、答えが出なくなるし、読みちがい(判断ミス)も多くなると思われるかもしれませんが、経験的に言いますと、そんなことはないようです。人間とは、そうした(ことをする、あるいはできる)面白い存在だという捉え方をすると、あれこれ考え、判断し、行動(対応)することが結構楽しくなり、見えにくかった部分が姿を現したりするのです。
 私の、まるで漫才師か漫談家のような親友は常々、「おい、問題や事態が深刻な時ほど楽しく、楽天的に考え、行動しろよ。そうすりゃ、何とか知恵が出てくる、見えてくるもんだ」と言います。通じるところがあるように思えるのですが、いかがでしょう。

 まだ入り口の話しかしていませんが、残りは次にします。とにかく、若いときは大いに失敗してほしいのです。きっと失うものより得る“宝”の方が、ずっと多いはずです。それが若さというものの持つ人生での役割なのです。

 

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