その8 1999.6.30

 前回に続いて「失敗に学ぶ」の《その2》です。「矛盾に敏感に」も織り込みながら書いて行きましょう。

 「失敗」ということでは、前回のような「仕事上の失敗」もありますが、それにも増して心に痛い思い出や傷として残るは「心の失敗」「人間的な失敗」です。言い換えれば、他人への裏切りや自分の生き方、人生哲学・信条・信念に反することをやってしまったといった問題です。「悪魔に心を売る」という表現もこれに当たるでしょう。
 私は自分のこれまでの生き方を「比較的ぶれが少なく、人を裏切ることもほとんどなかった」と“中間総括”しています。けれど、一度だけ「自分の信念」に反する行動をとった苦い記憶を持っています。具体的なヒトを裏切ったり、傷つけたりということではないのですが、私の最も嫌いな“権力との取引”によって、いわゆる特ダネをものにしたのです。権力を持つ立場にある人間(具体的には高級官僚)の泣き所を取材の中で掴み、取引材料にしたわけではなく是正するように忠告(新聞記者なら本来、書くこと、記事にすることによって是正を図るのがスジだと考えていたのに、いろいろな事情も重なってそうしなかったのです)したのですけれど、「恩義を感じた?」「手なずけようとした?」彼らが、結果として私に「権力しか知り得ない情報」である特ダネをもたらしたのです。この特ダネ自体は、「社会正義の実現」といった部類の意味ある記事ではあったのですけれど、私には30代初めの痛い、苦い思い出となって今もはっきり心に残っています。
 ぼかした話で何のことか、よく分からないと思います。心の傷は、やはり話しづらいところがあります。でも、聞かれれば個々には、いつでも「いろいろな事情」も含めてお話ししましょう。

 以上の私にとっての大事件は、その後の私の考える上での、また生きる上での「原点」「チェックポント」「絶対外れないような心のひっかかり」の1つのようになっています。いかにお金や地位・名誉につながる(あるいは、そう思われても)としても、その結果、自分の心が惨めになったり、仲間を裏切るようなことはないか、その判断をするときの照明の役割をしてくれます。私のよき道しるべとなっています。
 その意味では、若いときにこのような「心の失敗」「人間的な失敗」を一つ二つ経験するのも必要なのかもしれません。私は決して「経験至上主義者」ではありませんが、これまで社会人をやってきて実感するところです。

 次に「矛盾に敏感に」ですが、「よりよい失敗の経験」(自分の血や肉になる)は、ここでも生かされるはずです。ここでは、現代文明、とりわけ日本の現状に一度しっかり目を向けてみるのが、良いケーススタディと思うのです。
 日本人が食糧エネルギーの20%分の食べ物を毎日捨てている一方で、この地球には夥しい数の餓死者が出ているという矛盾、省エネを叫びながら、石油を大量に消費する本来なら季節はずれの野菜、果物、魚介類(スッポンなども)などを旬のように思って食べているおかしさを矛盾とは感じなくなった矛盾、ダイオキシンの発生を恐れながらダイオキシンを発生させる生産・消費サイクルをほとんどブレーキをかけられないままにエスカレートさせている矛盾、より多くのエネルギーを消費するのに次々と大型でスピードの出る乗用車(3ナンバーなど)を増やしている矛盾など、数えていったら、もうこれはキリがありません。
 これらは、言い換えると自分の足を食べながら命を縮めるタコの例えやマッチポンブの例えそのものです。
 私たち人間の生み出してきた文明と社会が、一面でこうした危うさ、恐ろしい自己矛盾をはらんでいることへの自覚と行動なしには問題の解決はおぼつかなく、さらには人類の未来も厳しい、という「敏感な」時代認識が必要になっているのです。
 ただ、ここで押さえておいていただきたいのは問題を見極めたり、解決への取り組みをする際の姿勢です。どんな問題、難題であれ、「問題が深刻なときほどできるだけ楽観的に」なることが、比較的良い結果を生んだり、たとえ失敗に終わっても次に生きるように思っています。

 以上のことを通して、日々の生活や仕事の中の矛盾や課題、問題点も、よりはっきりと見えるようになり、取り組むべきテーマや方向も浮かんでくるはずだと思います。

 

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