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がま口弘美の日記 がま口塾便り
4, 2002年10月31日
「尊厳死」

 出席は9人で初参加はうち2人。出欠は自由ですから、顔ぶれは毎回半数は変わっています。誰にも身近に「尊厳死」を考えさせられる体験があるようです。先月お母さんを亡くされたばかりの方もありました。家族が納得できる死もなかなか難しいようです。ましてや自分の死となると・・・。自分って・・・どう死ぬんでしょう・・・・

●母は夕食をいつものように食べてまもなくそのまま逝った。救急車は呼ばなかった。少しでも長く生きててほしい反面、自然体でもありたい。私自身は自然体で逝きたい。おばは倒れて言語障害になった。もう自分の意思が言えなくなった。生きているうちに意思表示はしておきたい問題と思う。

●延命治療=尊厳死ではないと思う。延命治療はしてほしくないと家族に意思表示しておきたい。癌告知も考えておかなければならない。外国に較べると日本は告知しない率が高い。

●年をとった人が集まって話すテーマかと思って来た。89歳で亡くなった義父は何年か前に、「尊厳死協会に登録した」と言っていた。

●死に際を考えておく必要があると考えるようになった。両親も死んだらああしてほしいこうしてほしいと言うようになった。臓器移植も含めて、事前に何らかの意思表示をしておきたいし、家族で話しあっておく必要があると思っている。。医療の現場に携わっている家族や身辺の人に尊厳死はあるか聞いてみたが無理だという答えだった。

●私は2年間で2回癌の手術をしていつ転移するかわからない現状。再発したら無駄な治療はしないようにと家族に言っている。30年以上前、義弟は癌で苦しい中、無理無理に延命治療して30代で亡くなった。又夕べ、たまたま別の義弟が救急車で病院に運ばれたと連絡を受けた。ダイビングが趣味で外国の海にも出かけて健康そのものの人だったのに。実の母は数年間寝たきり。又、親しい方が末期の肝臓癌で入院3週間で亡くなった。近くの医者の誤診で発見が遅れた結果。尊厳死を選ばれた。例は本当に身近にある。

●49年間一緒に暮らしていた母が77歳で9月に亡くなった。当日も犬と散歩して畑仕事もしていた。医者へ行ったら、大きい病院がいいといって回され、心臓の病院へ行き、そこからやっと救急車で次の病院へ行った。手術をしてもよいかと言われたが、その時はもう心臓が破裂していた。脈が20から0になったり、血圧はポンプで動かして40や50と・・・。0になってポンプもはずされた。医者が「残念ですが・・・」と言った。その意味が分からなかった。解剖は断った。私は納得できないのでしてほしかったのだが家族は「もとにもどらないからしょうがないでしょう」と言った。自分のエゴかと悩んだ。突然の死は本当に受け入れられないもの。今、まだ立ち直れない。

●私は総合病院の皮膚科の医者。私の場合は「褥瘡」が一番「死」と向かいあっている。生命力のあるなしで創が治る。矛盾を感じるのは80〜90のおばあちゃんで、意識がなくてもずっと生きていて、私たちは創を治している。生きているから創は出来る。人工呼吸、栄養補給、点滴、それでも多少は生きている。それでうまくいってよかったという人もいる。創はどんどん悲惨になっていて残酷で、骨にまで達している人もいる。「出来る限り手を尽くしてほしい」と言われれば医者はやらざるをえない。本人に意志の伝達能力のない人で、ご家族に「患者さんにとってはかなり苦痛なんですよ」と言うと「止めてください」という人もいる。これは私が日常的に経験していることだ。
 やってよかったと言える場合もあるが無理だと私達にはわかる場合がある。しかし、患者の家族にとっては初めてのこと。知識の量や認識の問題かもしれない。判断材料は医療者側もたくさん出していく必要があるだろう。

 「死」は固有のもの。本人が満足して死ぬことが大切。家族と本人で死を迎え、手を握って別れられたらと思っても、最後に人工呼吸などをしているとそれはできない。一瞬一瞬を切り抜けることはそこそこできるけれど、最後の場を医療側は提供できていないのではないだろうか。
 医者の側でいうと訴訟問題がある。手術前の説明がめちゃ細かい。母の場合、非常に恐がりで70代で手術した時、説明に絵が描いてあって細かくどう体を切り開くかまで説明され、震え上がってパニックになり、なだめるのが大変だった。その病院は何回か訴訟を経験して防備が固いのだった。 80歳でも全部聞きたい人もいる。
 尊厳死は若い頃からおじいちゃん、おばあちゃん、子供も含めて家族で話し合っておくべきだと思う。医療側からは、じゃ、延命治療はしなくてもいいかというと、100%ではない。個人差がある。私たちの予想を越える奇跡的なことも含めて非常に難しい問題だ。私は『お話ができて笑うことができる』という基準を考えている。終末医療について、植物人間になったらどうするかということを、すべての患者さんに最初に当たり前に聞いてもいいのではないか。外科では告知してほしいかというアンケートがある。癌の告知はそういう意味で向上してきていると思う。ものすごく説明しなければいけない時代になってきているので、医者はクタクタになってしまう。尊厳死に対する知識をもつことは大切だ。

●メール参加の紹介。
★伊東に住む73才の一人暮らしの老人です。老人とは思っていませんが。みなさんはご自分の死について考えた事がお有りですか?私は70才の妹と二人で生活していましたが昨年くも膜下出血で妹を亡くしました。 妹はなんの自覚症状も無くある日突然気分が悪いと言ったまま意識を無くし、救急病院で手術の甲斐もなく2週間で死にました。
 手術前、先生がレントゲン写真を見ながら「すぐに手術をしなければ命にかかわります。ただ手術が成功しても植物人間になるか、良くても寝たきりになるでしょう。どうなさいますか?」と・・・私は夢中で「助けてください」と叫んで手術の同意書にサインしていました。肉親の情として当然だったと思います。それから毎日なんの反応も無く、ただすやすやと眠り続けるばかりで見通しなどまったくつきませんでした。身体中管だらけ、口には人工呼吸器です。あまりにも無惨なので私は思い余って先生に「どうなるんでしょうか?」とお尋ねしても「もう少し様子をみましょう」とおっしゃるだけです。
 友人のすすめもあってある日先生に「高カロリーの点滴と強心剤の投与は止めて欲しい」とおそるおそる訴えたところ、「それは安楽死につながり今の日本では認められていない。そして医師が殺人者になる恐れがある」と言われました。
 幸か不幸か妹は2週間目に意識が戻らないまま亡くなりましたがもし植物人間になっていたら、私は介護する自信がありません。生きる屍では本人も周りの人も悲劇です。
 そんな事もあって私は尊厳死について真剣に考えるようになりました。病気ならお医者さまが治してくださる。でも生まれた時から決まっている寿命とか宿命は人間の力ではどうする事も出来ないと悟りました。そして尊厳死協会に登録しました。ですから不治の病と宣告されたら無理な医療は断り、やがて来る寿命の日まで生き抜こうと考えています。みなさんのご意見、伺いたいと思い投稿しました。●「日本尊厳死協会」を調べてみた。正会員は年会費3千円、終身会員は会費10万円。
●若いときから入るか・・・。、年とって終身会員になってすぐ死んでしまったら・・・(笑い)

●私は主人の死を仕切ってしまったような後悔がある。告知について話し合った時、主人は告知しないでほしいと言った。その後すぐ癌になり、半年の命と言われた。医者にも「おたくの御主人は告知には耐えられない」と言われた。私は医者に「恨まないし、泣かないからスパゲッティのように管でつないで延命するのは止めてほしい。家で死なせたい」とお願いした。
 亡くなってからずっと私は殺人を犯したのではないかと悩んでいる。義姉は「兄を良い静かな死に導いてくれた」と感謝の言葉をかけてくれた。親族で、長く病み、最後の2週間を管だらけでさんざん苦しんだ人がいる。本人は「切ってくれ!」と言っているのに医者は殺人は出来ないと言う。
 宜保愛子さんがテレビに出ていると、あれで良かったのかと霊を呼んでもらって聞きたくなるくらいだ。本人が意思表示をしておいてくれていたら、宜保愛子のことも考えずにすんだのに。
 尊厳死協会に入っている人はやはり、医療従事者が多いと聞く。「生き様は死に様」なんだろう。
老いた母の葬式に涙も後悔もなかった。私は看病しながら「もうじき死ぬんだよ、葬式は盛大にしてほしいか、呼んでほしい人はあるか、」等と聞くことができた。「全部希望をかなえるから何もかも忘れて安心してあの世へ行きなさい」と言ったら母は「嬉しい」と言ってくれた。主人の敵を母でうったのかしら。

●線引きはどこでするか
●最終的には主治医によるのではないか。胃からの管は抜くことができるけれども、呼吸器を外すことはない。患者は自分で管は抜けない。「安楽死」は医療従事者の中でも解決がついていないのではないか。医療訴訟は本当に多い。ミスなのか、患者や家族と意志の疎通がうまくいっていないのか、医者の勉強不足か、全てがまだ未熟だと思う。
 父は告知を受けて最期の何ヶ月かは歩けるうちにと、やりたいことをして、訪ねたい友を東京までも訪ねて、静かに逝った。先程の御主人のことを後悔している方、自分を責める必要は全然ないと思う。決断を自分で背負わず逃げて、奥様に預けたのが問題だったと思う。逃げないためには、学校の教育の中でそういうことを教えていけばいいと思う。父と「死」ということを、もっと話したかったと今思う。

●70歳が90歳を看病する時代。兄は99歳で転んで病に伏し、105歳で逝った。頭はしっかりしていて、皆にアレコレ言う。

●客観的に言っているのと、主観的にいざ自分がなると違うものかもしれない。高僧が90歳すぎて今望むものはと聞かれて「ただ生きたい」と言われた言葉が忘れられない。悟りは難しい。

●病院の中で医者を選ぶことはできないか。
●逆に紹介状がないと大学病院では診てもらえない。
●自分で病院を選びたいので三つ回った。診断結果は2対1だった。私は医者でなく看護婦さんで選んだ。
●私の病院は患者からのクレームが多いので、かかりたい先生の診察曜日を勧めている。医者を変わることは何でもないことだ。患者は好きな医者を選びたい。

●今は一線を退いているが、父は医者だった。病気になると医者なので、各病院の欠点を見つけてくる。母は昔風で滅私で尽くすタイプ。父のいうままに尽くす。「生」への執着がある時は、最後にどう死にたいかは生き方につながっている。つれあいも医者なので、色々な死に方をみてきているので、「尊厳死」については医者の顔が出る。

●経験に優るものはないから。
●「死」は家族でも話題にしにくい。母は頭蓋骨内出血で寒い朝、突然亡くなった。父は80代半ば。こちらが話をしむけてもむこうが避けるような場合は話題にしにくい。
●尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)の紹介。

私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。

 この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。

 従って私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。

(1)私の傷病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は一切おことわりいたします。

(2)但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。

(3)私が数カ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持措置をとりやめて下さい。

以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。

「そこが聞きたい知りたい尊厳死問答集」「自分らしい終末尊厳死」「リビング・ウィルと愛ーーー女性の立場から」「死を忘れた文化を見直すときーーー現代社会とリビング・ウィル」など色んな本が出ている。

●本当にその場になった時、自分が本当にそう思っているかどうか分からない。
●医療の場で整備が遅れている。生かす治療。その結果生きすぎた人をどうするか。医療機関できちんとそれが出来ているべきだ。出来ているところを医療機関と言うべきだ。
●お医者さんもそれはとても難しい。看護婦さんも廊下を走っていて、忙しい。
●医者もはっきり言ってくれると助かる。ただ、患者や家族といっしょに受け止める姿勢を持ちたい。
●医者が100%ではないということを詳しく聞きたい。
●私は実際二つの事例を体験している。胃癌の手術で開いたら手がつけられなかったので、そのまま閉じた。それから10年以上たっても生きている。もう一人も同じ。
●科学的にしっかり腫瘍が認められていても、あくる日なくなっているという不思議な体験を医者自身の家族におきたりすることをつい最近聞いている。心の学びを持っている人のことだが。

●前向きに生きている人の免疫力か?「主治医はあなた」という医者の本を読んだ。奇跡は確かにあり、家族の心臓発作の連絡を受け、植物人間覚悟で飛んで行ったら、意識を回復してけろりとしていた例がある。「死」はどこで区切るのか。
●上手に年をとって病んでも病に負けない人生を送りたい。
●自分の意志と無関係に生かされている不幸を思うとコロッと逝かれたお母さんはお幸せだと思う。悲惨なのが多すぎる。
●介護保険との関わりも大きい。
●終末医療は病院の経営としては潤うか。
●毎朝、今日一日の命をお任せします」と拝む。明日が来ると思うのはあつかましい。一日一日前向きに生きることは大切だ。
●少なくとも、医者にだけだけお任せしますはやめてほしい。最後まで自分で責任をもって生きてほしい。


以上です。いかがでしたでしょうか。「自己にきっぱりと責任をもって生きる」「死ぬ」ことを目指して生きたいと思ってワタクシはこの日の夜、早速息子達を前にして話を切り出しました。「あ、又始った!」で終わってしまいました。ワタクシのようにいつもそんな話ばっかりしていても家族に嫌われます。


<会員さんからのたより>

★(4-1)幸いな事に、今日に至るまで肉親の死に遭遇した事がない私。必ず到達するその時を、ふと思う事もあるのですが、イヤイヤ、そんな、縁起が悪いと打ち消し、振り払っていました。尊厳死という言葉の正確な意味さえしらなかった私。無知な者には言葉がありません。
そんな私に、今回のテーマ、難しい問題を真正面から取り組まれた皆さんの貴重な体験談、お考えを速報で知らせて頂き、感じ入るもの大きく、すばらしい学習をさせていただきました。とても内容の濃いお話ばかり、お一人、お一人の皆様のお話、しっかりと、丁寧に拝見させていただき、無知から少しでも進歩したいと思っております。

★(4-2) 「宜保さ んに聞きたいくらい」。・・・普通の意識の私たちの世界から見 えている範囲ではない部分で、本当はどうだったの――と聞きたくなる気持ち、分かる気がします。 尊厳死というのは、まさに、生と死そのもののリアルな問題――。人間の本質を何とするか、人間は何のために生まれて、死んでゆくのか、そして、死んだらどうなるのか……等々、漠然とではあってもそれぞれの方の人間観、世界観などが背景として あって、あるいは、体験としてあって、語られていらっしゃることなのだなあと感じ させていただきました。
 私自身は、人間の本質は魂で、魂がその時代を生きるために神様から頂くのが肉体であると、今は思っているというのが前提です。そして、どんなに延命したくても、死ぬ時は死んでしまうわけなので、生きているという実体があるとしたら、その状況から気づくことがあると信じて、その状態を与えていただいているのではないかなあと思います。それがどれほど、こちら側からは苦しい状況に見えようとも……。

 私はある出来事があってから、植物人間であっても、意志を現す手段を失われているだけで、心では分かっいるし魂としては分かっているのだと思うようになりました。
 もう10年近くも前になりますが、臨死体験をした友人がいて、その方から本当に リアルなお話を聞いた ということも関係しているんです。そのリアルな体験はどこでしたんだろうという話になりました。そして、不思議なのは、ICUにお見舞いに行った一人一人をよく分かっているの。こういうことを言ったとか。意識不明だったのに――。だから、どう考えても、意識不明だったけれども、もう一つの意識―― (魂の意識なのかどうなのかは分からないけれども)が肉体がどうのこうのに関わらず、あるのだと私は確信した次第です。
 スパゲッティー症候群で、ぐるぐる巻きになって数ヶ月、数年を経たとしても、そのことを通して魂や心が何かを体験しているのだろうと、少なくとも 思うようになりました。ただ、自分がそうなった時に、その自分をお世話してくれる人々が、そのように感じてくれているかどうか、その点は大きいですよね。単なる物体のようになって扱われたら、死んだ方がましと思うかもしれないし――。尊厳死ということと、臓器移植とかいう話もどこかでつながってきますが、私は、本当にこの臓器移植のことにも結論が出せないでいます。ただ、彼女の話はそうなったらそう なったで、本当にいずれにしても、意識はずっとあり続けるのだなあということを教えてもらいました。
 尊厳死も、向こう側から見てみたらどう見えるのかなあと、答えが出ぬまま、少なくとも、私の場合はぎりぎりまでこの世で頑張ってみたいと思うのでした。なんか、やっぱり神様が還る時は還して下さると思うし――。こういうことをきかっけとして、本当に人間はなぜ生まれてくるのか、なぜ死ぬのか、そういう話などもしてみたいなあと思いました。

★(4-3)久しぶりにHPにお邪魔しました。長旅の疲れとか、全然感じさせない元気な塾便りや、日記を拝見 し、嬉しくなりました。尊厳死のテーマの塾はとても充実していたようですね。うちの父も、尊厳死協会に登録しているのは知っていますが、まだ、ちゃんとまともに話し合ったことないです。


★拉致問題、または戦争やさまざまな事件、事故によって引き裂かれた親と子…その悲しみ、苦しみは想像に余ると思う。そして、同時に我が子のために戦う横田さんたち、その強さ、懸命な姿勢に胸を打たれる。
 一方、虐待の親子関係に胸が痛む。事件が報道される。事件にならない虐待はその何千倍、何万倍もあるのではないか。この豊かな社会で、親に愛されるどころか、ひどい仕打ちを受け、それでもがんばって生きている子達がいると思うとたまらない。悩んでいる人は悩んでいると、困っている人は困っていると声があげられ、その声をちゃんとキャッチできる社会でありたい。
 私が曲がりなりにも子育て支援に関わっているのは、そんなところから。

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