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6, 2002年12月17日 「旅」 |
年末にも屈せず9人参加。いつも新しい方にも参加していただけるのが嬉しいです。私の家に来ると、必ず、絶対にジャンケンで負けて司会になる人がいます。本当に不思議な人。もち、今回も私の予言がきいて司会・・・でも、まあ、話しがバンバンはずんで、皆司会者なんて気にしていませんでした。 で、大変申し訳ないことに、私はメールと手紙の参加の方をご紹介することまで忘れていました。本当にごめんなさい。ハプニングも色々あって御幸山はちょっと道に迷うとどんどん分からなくなる山で、毎回のように道に迷う方がいらっしゃって、同じように私の頭もぐちゃぐちゃになることがありまして。 何か苦しい言い訳をしてしまいました。・・・大幅に遅れた便りです。お正月休みにでも読んでくださいね。 ●30年以上前に4時間荒海を渡って佐渡へ行った。バスが少なく、天気もいいので歩いた。途中に素晴らしい景色があって、ちょうど灯台があって、入って上から眺められたらいいなと思っていたら、ドアがあいた。そして、入りたいと言ったら、「とうぞ」と入れてくださった。感激して「わあ!いい景色!」とはしゃいだら「灯台は景色をみるものではありません」とおっしゃった。ちょぅど「喜びも悲しみも幾年月」の映画が話題にもなっていたころで、灯台を守ることがどんなに大変な仕事か分かっているのに、観光客として軽い発言をした自分達のことを、今でも忘れられず、「旅」と言えば、そのことを思い出す。 ●現実からつかの間離れるっていうのが旅だなと思う。タイに行った時のクルージングで前の席に座った方がスイスのご夫婦だった。4時間乗っているので、お話せざるをえない。彼らはそれからオーストラリアへ行くと言っていたが、日本へ帰った私にすぐオーストラリアから手紙が来た。それから一ヶ月に二回ぐらいの頻繁な文通になった。1年後に招待状が来て、日本式に遠慮していたら、又正式に招待状が来たので、1日だけ立ち寄るつもりで出かけた。次は、一週間のスケジュールをたてて招待された。朝5時から起きて、近くは車で、遠くは列車で、退職後に英語を習ったという70過ぎのご夫婦のスケジュールにふまわされた感じもするけれど、私はその出会いの旅で自分の目が開けた感じがする。 ●平成元年10月5日に中国から、残留孤児家族として日本に来た。2〜3週間後に親戚に京都に旅行に車で連れて行ってもらった。京都嵐山の紅葉が一番印象に残った。温泉にも入ったし、今思えば、懐石 私は三人娘がある。私を入れて、4人姉妹だと言い張って舞妓の衣装を皆で着て写真を撮ったことがある舞妓と芸子があるけど、私はいなせな芸子になりたかったのに強引に舞妓にされてしまった。 ●(娘)あれ、舞妓だったの?(笑い)かつらが頭に合わず痛かったね。写真が全部怖い顔になってる。 ●中国は一般的な料理は目で楽しむよりは、量で楽しむ。ただし、高給料理は違う。私は上海出身。彼女は遼寧省。私は「サイ」という苗字。周りは「ウルサイ」と言う。(爆笑)名前には母方の名前が必ず入り、故郷へ行けば、出自が分かるしかけ。テレビドラマの「大地の子」のあの、鋼鉄工場の通訳の仕事をしていた。陸一心は私の同僚の名前。大躍進の時代に生まれたので、国中が心一つにすると言う意味の名前。名古屋に来てもう10年。 私にとっての「旅」は、故郷を離れたことのない私が他のところに初めて行ったという意味。1985年、桂林に新婚旅行に行った。麗江下りなどもすごいなと思って見てはいたけど・・・、国はまだ、発展していなかった。でも、せっかくの旅行だからと大好きなお気に入りの洋服ばかりを持っていって、帰ったら、潔癖な夫の家族に全部洗うように言われ、カシミヤのセーターまで、水で洗われて、全部縮んでしまって悲しくなってしまった。ただ、見た事のなかったものを見たというだけの忙しい旅。 ●ジュリアードニューヨーク市長が名古屋に来て、超高給の和食の料亭に案内された。大きな器にチョコチョコ乗った料理を食べさせられて、ニューヨークに帰って日本料理の印象を聞かれて「鳥の餌を食べさせられた」(爆笑)。 ●ダイアナ妃が日本の印象を聞かれ、京都のお寺でドロンとした抹茶を飲んだことを、「古池の水を飲んだ」(笑い)というのが新聞に出ていた。さすがに日本の新聞には載っていなかったが。 アメリカで、喫茶店で隣り合って座って親しくなった・・・何故か又老夫婦の話。次に行く機会があった時、その方の家におじゃました。15年くらい交際が続いた。やはりクリスマスカードが来なかった年、娘さんから「両親が二週間のうちに続けて亡くなった。あなたとの交際を両親はとても喜んでいた」と手紙をくださった。その手紙はこれで、会葬者への美しいメッセージにこんな手紙が書き添えられていた。 ●呼ぶのね。中国では「すぐ、続いて亡くならなければ後は長い」って言う。 ●今年の夏も10年くらい前にオランダで出会った女性のいるポルトガルに行った。私は退職したが、英語の教師だったので、学生に教える時、やっぱり自分の実体験を話すと、学生は楽しく学ぶ。旅のかなりの部分は自分の教材研究のためみたいなところもある。60歳くらいで全国フリーパスを使ってリュックを背負って、イギリス一周の旅もした。 ●日本の旅ではそういう友だちはできないか? ●旅での人との出会いって素晴らしい。今日も旅かなって思って出てきた。(そうそう!) ●私が学生の頃は、リュックをしょってカニ族の旅。北海道には青函連絡船で行くという時代。リュックにはシーツをもってユースホステルの旅。東北本線で東北弁のおばあちゃんが一生懸命話し掛けてくれても全くわからない。北海道についたら私達のことを「内地から」と言われてびっくりした。親戚の名古屋へ来た沖縄の子が、紅葉を見て感激したそうだ。日本のような小さな国でも、紅葉を見たことがない人もいる。 夫が旅と歴史が好きでイスラエルに行ったことがある。30年近くも前に、イスラエルに行くような人はなかった。しかたがなく大使館に電話して、クリスチャンではないけれど、聖書の旅のような団体に入れていただくことになった。死海や嘆きの壁もボーっと見て、知識のない私は場違いだった。今日の「天声人語」にもケン・ジョセフさんという方が紹介されているけれど、その時の旅で一緒だった方の息子さんかもしれない。ユニークな人で、「私の空気を汚さないで下さい」というカードを胸にかけていた。レートが360円の時代のお手軽ではなかった旅行が印象に残っている。 ●中国の学校に勤めていたとき、校長先生が代表団で日本訪問してきて帰ってから、日本のお弁当は「葡萄が一個」と誰彼に言いふらしていたのが頭に残っている。デザートに葡萄が一粒飾ってあったのだと思う。中国の人が来たら、まず、量を心がけてあげるといい。自分の食べている箸で、親切におかずをとって私の茶碗に放り込んでくれる。最初はショックが大きくて悩んだけれど、今はすっかり慣れ、我が家も大きな皿で全員の量を盛る中国式。 日本語を少しだけ、勉強した中国の高校生を就職させるのに、よく会社訪問の旅をした。発展していて、日系企業が多い南の方へは、44時間、硬い列車の座席に座ったままの旅だった。学生達は私に甘え、膝枕で寝たりしていて、周りの中国人の乗客たちに「日本人で優しい先生だよ」と自慢してくれ、色々話がはずんだことが嬉しかった。 あるとき、突然美人の女子学生を面接に連れて行くことになって、飛行機で飛んでいったことがある。美人なので、日系企業の男性達は大喜びで、すぐ採用されて、帰りは寝台列車で二人で帰った。列者を待つ間にお互いの自由時間を作って、一時間後に会ったら学生が」「先生、犬を買いました」と言う。ぬいぐるみを買ったのだろうと思って紙袋を覗いたら、本物の子犬だったので、びっくりした。子犬を連れて、44時間を、三段になっている、天井スレスレで上半身も伸ばせない最上段のベッドに寝ながら過ごした。おしっこやウンチもするし、怖い車掌の検閲もある。注意され、途中で降ろされるかとビクビクしていたが、美人だったので、子犬は何とか、お客さんたちにも可愛がられ無事だった。犬の名前は買った土地の名前で「シンセン」。香港のすぐ隣の町。 男の学生を一人、連れて行った時は、学生を一人にするわけにも行かないし、学生なので高いホテルに泊る訳にも行かず、二人で「親子」ということにして、安い招待所の一つの部屋に泊ったこともある。 転勤族の夫なので、日本は、旅行というより訪ねてくる親族や友人と、勤務地の観光になる。東京ではディズニーランドに一年にもならない間に5〜6回行ったし、沖縄では、姫ゆり「の塔、守礼の門など、十回くらいは行った。沖縄では過去に雪が降ったことがあるないで論争になっていた。北海道から飛行機で運ばれた雪が、幼稚園児にプレゼントされて、デパートのイベント広場で雪をさわっておおはしゃぎしている子どもたちを見たことがある。 ●私は新婚旅行でアジアへ行ったぐらいで、海外旅行はあまり好きじゃない。子供たちが独立して家を出たので、今年はよく旅行をした。ひとり旅もした。どこへ行っても良いし、何をしてもいい。降りてはいけないところで降りてしまって、「すみません、切符をもう一度返して欲しいんですけど」という恥じもかいた。 泊った旅館で名古屋に旅行した人から、名古屋の悪い印象ばかり聞かされたことがある。名古屋の代表として、よい出会いをしたいと思っている。日本で行っていない所、行きたいところがいっぱいある。 ●黄山に行った時、地元の人達に、「あなた達は馬鹿だね」という「私達は仕事でしょうがないから山に登るけど、あなた達は何故お金をたくさん払って山に登って苦労するの?」と言われた。 ●こないだパリに6日間行った。地下鉄ばかり使って1000円以内で乗り放題で歩き回る。一人で凱旋門からバスティーユまで10キロ歩いた。 ●前、三峡下りに行った時、ガイドさんに「あなたの家はどこ?」と聞いた。「近いです。峰二つだけです」 ●南米も「分からない」と言わないで、いいかげんなことを教えてくれる。4人くらい聞いて多数決で判断する。 ●最初は「いらない」と言って去る。そうすると又、呼び込みに来る。 ●二人以上催行というツアーで夫と二人で上海へ行ったとき、印象が悪かった。たまたま私達だけだった。上海へ旅行したばかりの友だちに聞いたら、「千円千円の世界だから、千円をいっぱい持っていきなさい」といったので、たくさん持っていった。上海・蘇州を回ったけれど、蘇州では上海とは、また違うガイドさんがつく。東洋のベニスとか言って船に乗れば、私と主人だけなのに、ガイドさんに船の操縦士、現地の案内人とか、5〜6人にかこまれて、客は私たちだけでものすごく緊張した。、連れて行かれるところが 宝石や絹の店。掛け軸や拓本の高い店。全く興味がなく買わないので、お付きの人達はどんどん機嫌が悪くなる。二人でみんなに見張られているようで私達はどんどん暗くなった。 英語は通じないし、食事をも運転手さんやガイド゛さんは別テーブルで、主人と二人で中華料理は・・何か御通夜の席みたいになって。伊勢海老を食べたいと思ってガイドさんの紹介した店へ行ったら、一匹1万円と言った。絶対そんなはずないと思って、旅行ブックを見せて言ったんだけど、言葉が通じないので、結局一万円で食べた。千円札の世界でなかった。 ●今度は私と行ってね。(笑い)旅行社は規則がある。私は旅行社の仕事したことあるから言うね。ガイドは給料が安い。何故かと言うと、チップがもらえるから。アメリカ人やドイツ人が来た場合は一人でいくらと決まっている。日本人だけが決まっていない。日本人は気持ちで、もらえる人ともらえない人がある。旅行社の人がお店に連れて行くのは義務。もしもガイドさんがつれて行かないと、そのガイドさんに仕事がこなくなる。それをわかって欲しいと思う。 ●やっぱりガイドさんも「出会い」だと思う。私はガイドにチップを貰うためでなく、お客様に楽しんでもらうためといつも教育している。貰えなくてあたりまえ、もらえたら素直にいただく。結論から言うと、その方式で私は誰よりもたくさんチップをもらった。楽しんで貰うのが目的だから、一生懸命仕事をするから。 ●そのガイドさんは一日中悪い雰囲気を作ってしまったのね。いくら高い伊勢海老も喧嘩して食べたら、美味しくないよ。夫婦仲良く、お茶漬け食べながら「おまえと結婚してよかったなあ」等と言って食べたら ●私はいつも二人のツアーたけど、ガイドさんと仲良くなる。おみやげも買わないよと最初に言う。サービスもいっぱいしてくれるので、最後にチップをドンとはずむ。とっても感じがいい。 ●私はお客さんに必ず、買い物の時の約束と合図の打ち合わせをしていく。1万円以上の買い物は私に言うようにといっておいても、あるお婆さんは16万円で翡翠を買ってしまった。プラスチックかもしれない。私はちょうどそれを見て、「何をするの!」と言って止めた。そしたら、次の日、団体の旅行で、私だけのチケットがないと言わた。原因は分かっている。私は「帰ったら国際旅行社に報告する。あなたが強くなるなら、私も強くなるよ」と言いました。次の日は態度も変わった。 ●西安の兵馬庸の博物館前の屋台で、おうどん一杯がすごく高かったので、マイクを見せて、「取材中だけれどいいか」と言ったら、いいと言う。それから観光局長を取材したので、事の顛末を話して、その店は、結局観光局から直々の厳しいお仕置きをうけたということがあった。 ●私は上海人と名古屋人として両国の掛け橋になりたい。悪い話には必ず長いいきさつがある。おたがいにいい気持ちにならない。悪い話は言わない。人生の中で、皆さん必ず一度私と一緒に旅行をしましょう!(爆笑) ●物事には、必ず始まりがあって、終わりがあって、真中にいきさつがある。すべてのことは中途半端で終ることが一番良くない。「何故だろう」と考えることが大切。日本に来たのは何のためかといつも考える。少しずつでも知る努力が大切。 ●食べ物もね。通訳の方に聞いた話し。インドは牛肉を食べない。でも何か食べてもらわなくてはいけないので、インドから来たグループを吉野家に連れてった。そしたら「こんな美味しい肉はたべたことがない」と喜んだ。 ●外国の方を家に招く時には「食べられないものありますか」と聞く。ユダヤの方でベジタリアンの人の時は野菜にしました。 ・・・・という具合で、本当にあっという間に二時間がすぎました。来年もがま口塾で時間を忘れておしゃべりしたいですね。出席の皆さん、手紙、ファックス、メール参加の皆さんも、本当に有難うございました。 メールと手紙参加 ●今月9〜10日、1泊の京都旅行に出かけました。夫婦ふたりで、ね。紅葉のにぎやかな観光シーズンが終わって、本当に静かな大原をじっくり歩いてきました。本堂が放火され、痛々しい姿の寂光院。参道の厳しい坂を上り詰めたところにある古知谷の修行寺・阿弥陀寺。深深として小雪舞う中、数百年の歴史と対話しながら、心が研ぎ澄まされていく心地よさを感じていました。宿は近くにとってあったので、夜はゆっくり、女将さんと話しこみ(なんと客は私たち二人のみだった…)くつろぎました。 ●「旅」は、私の大好きなことの一つ。結構あちらこちら旅行はしているのですが、まだまだ行っていない所の方が多いし,行きたい所がたくさんあります。旅の楽しみ方では,「がま口塾だより」の最新のメール参加の方とよく似ています。北京旅行が決まってからは,ガイドブックやビデオを借りてきたり中国に関する本を読んだり、「雑踏に酔う」のCDも見つかったので見たりしています。 ●旅の楽しみ方、私の場合 ●私の頭の中では、「旅」と「旅行」とは違うの。「旅」はスケジュールも決めず、フラ、フラと気ママに歩く事。でも、今は旅行社主催のツア−を利用。なんていっても、経済的だし、時間短縮できるし、面倒でないし。若く無くなった証拠かなと思ったりして。 ツアー参加でもそれなりに自分の旅行を心がけています。だから、バスの中であまり騒がれるのは困ります。折角行ったのだから、景色も見ましょうよ。おみやげもあまり買いません。 どこも同じ様で、なかなか、これというのがないのです。 ●どんなに節約した生活をしてでも旅には行きたい。旅は貧乏旅行と、ひとりではらはらしながら行くのが楽しい。おまかせの旅はなんの思い出にも残らない。でも、ここのところ、母(79才)との豪華な旅に行っている。年が年なので急いで急いで、世界旅行をいつまでいけるかが課題。自分の旅は後回し状態。 ●主人と2人で行ったり、仲間と8〜10人ぐらいで行ったりする。絶対友達と行った方が楽しい。腹を抱えて笑って賑やかで、他の人には迷惑だろうが最高だ。主人と2人で行ったら話すことはないし、お風呂もひとり。宿の食事は6時頃から7時頃まで。部屋に帰ってすることもなく、早く寝ると夜中に目がさめてしまうし、会話も「おいしいね」とか「きれいだね」とかで、腹を抱えて笑うことなど全くない。 旅は友達。それも気のおけない。そして、多少無理をしても行ける時に行っておく。自分が行けても、友達が行けなくなればつまらない。子供に手が離れ、親もいなくなって、じゃあこれからと思ったら、自分の体調が悪くて行けないとか色々出てくるから。そして、観光地は絶対、「歩く」「階段」が付いて回る。元気なうちでなければ「バスの中で待っている」になる。食事も「こんなに食べられない」・・・になる。旅は早めに。私のモットー。 |