がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り
8, 2003年2月11日
「初めて食べた中華料理」
 特別例会。地下鉄鶴舞線の川名駅から5分くらい。上海料理店「中華縁」で、縁sing・がま口塾・中華縁の共同主催で「縁縁コンサート」を行ないました。43名の出席に歌手とマネージャー、私とお店の6人のスタッフ・・・総勢52名の会になりました。
 まずは店長の挨拶。劉さんは、まのあけみに初めて会ったのですが、実は、中国中央テレビの「実話実説」に私達が出演したのを見ていたという歓迎のスピーチをして乾杯。食事は、バイキングで、ワイワイと。そしていよいよ歌手が控え室から登場!それは、実はトイレのドアーの中からなのでした。爆笑!
突然、ギターをも弾かされたり、手話で歌を通訳してくださっ4人の皆さんも感動的でした。皆さん、本当にありがとうございました。

<まの> ♪名古屋で会おうよ。 ♪歌わずにはいられない。 ♪杁中時代。・・・九州筑後の出身で、名古屋の福祉大学で学んだ。当時は、地下鉄で川名の隣、杁中に大学があって、「中華縁」のあたりは、青春の汗と涙が沁みている、とても懐かしいところ。
 
 私が初めて中華料理を食べたのは小学校4年生の時。父が職場の女性を連れてきて、その人が家の台所で中華料理を作ってくれた。まるで魔法のように次々と今までに食べたことも見たこともない料理を作ってくれ、とても美しい人だと思った。でも、後で改めて見ると普通の人だった。料理を作っているときの女性は美しいと思った。その時に食べた料理は、今、思うと、湯気がいっぱいたっていたから、蒸し餃子だったかもしれない。他に鶏の唐揚げとか、春雨のスープがあって、こんなに幸せな食卓を囲んだのは初めてだった。ふと母を見ると元気がなかった。(爆笑)

♪「初めて食べた中華料理」 突然伴奏ギターを弾くことになったシュウちゃん。もと、ミュージシャン、現在は「ゆったり工房」の指導員の青年です。%#&%〜(=)〜I|〜$’};]; 中国人スタッフ呆然。いったいどこの国の言葉で歌っていたのでしょうか?確かに中国語のような歌詞も入っていたかな?・・・というのは失礼ですね。ちゃんと、中国人スタッから、「すごい!分かるよ!」って言われていました。

1、何故だろう ふと思い出すよ   あの日の台所を   田舎の薄暗い台所に   光が さしていた
  ガス台の上の蒸し器から  ホワホワ白い湯気が立ちこめ  あなたは 流し台の前で野菜を刻んでた

  * OH はじめての 中華料理 忘れられない 香ばしい 香り流れて  まるで 昨日のよう
    チユウ ハオシャン フアーション   ザイゾオ ティエエン

2,まな板で 跳ねるリズム 家の中に響き渡る 子ども達はみんなソワソワ 家中の お皿を並べた
  あなたは 忙しそうで  だけど とても楽しそう まぶしく 輝いて見えた  鼻歌など 歌って
  *ref

3,黄金に光る 鶏の唐揚 大皿に いっぱい 今思えば あれは酢豚か 甘ずっぱさ とろける記憶
  春雨スープもあった 蒸したギョウザの 香りも 今までにない 幸せを 我が家に 運んでくれた
  *ref 

♪「夢に向かって生きる」 皆で合唱。♪Dream come true ♪夢向成真 生活幸福幸福的生活〜〜〜
♪「海を越えて銃を越えて」皆で合唱。 

・・・と、ここまで来て、大変なショック!このあとの録音に失敗していました。ひとりづつ自己紹介をしたのですが、市内のほぼ全区から、遠くからは、上海から来たばかりという中国人のお嬢さん、岐阜県土岐市、各務原市、三重県桑名市、安城市、知立市、日進市、津島市、佐織町・・・、自転車で3分という方もありました。思い出すだけ思い出して書いてみます。発言を書き上げられませんでした方、許してくださいね。
●私は終戦後の上海からの引き上げ家族。私が初めて食べたものは中華料理だったと思う。中国の方たちの暖かいものがきっと私の中に流れている。

●父が魚屋をしていた。ある日、父が餃子を作ってくれた。大きく切った材料で、中身は野菜の餃子だった。今思うと、それが、父なりの蒸し餃子だったのだと思う。

●修学旅行に行った時、横浜の駅で担任の先生がシュウマイを買って、クラスの全員に一つづつ食べさせてくださった。それが私が初めてたべた中華料理で、今でも、その先生の顔がまぶたに浮かんでくる。

●長崎の出身で中華料理と言えば、母が作ってくれた、チャンポン。どこの家にもその家のチャンポンがあって、みんな違っている。母の味のチャンポンを思い出す。

●母が竹の子と豚肉の入ったスープの中華料理をよく作ってくれた。その名前が今でも、よくわからない

●子供の頃、初めて餃子を作ることになった。ひき肉は何とか手に入ったけれど、その頃、皮はどこにも売っていなかった。それで、探し回って、とうとう、知多から半田まで行って、餃子の皮を手に入れてきた。それが、初めて食べた貴重な中華料理の味。

●結婚式をどのようにするかで意見がわかれ、結果として、結婚式の披露宴を父の主張した中華料理店でした。中華料理というと、父の思い出がよぎる。

●馬頭琴の奏者と親しく、皆で、モンゴルに連れて行ってもらったとき、餃子をいただいた。餃子の皮がとても厚くて、イメージが狂い、中華料理と言えば、その思い出がまず浮ぶ。

●中華料理といえば、ラーメン、餃子、シュウマイしか食べたことがなかった。あるとき、横浜育ちの夫に連れられて、中華街へ朝粥を食べに行った。本当に美味しくて、驚いた。
 岐阜の街に、とてもよく流行った中華料理店があったが、そこのコックさんは、やはり、横浜の中華街で修行された方だったそうだ。

●横浜に親戚がある。叔父と叔母に本屋や中華街へ連れて行ってもらい、今まで見たことも聞いたこともない美味しい中華料理を食べさせてもらった。家で叔母が酢豚を作ったら、叔父が「みき子、これ美味しいね」と言い、「ありがとう。これは、武雄さんが美味しい店に連れて行ってくれるから、その味を覚えて作ったのよ」という会話をしていた。お互いに名前で呼び合って、優しい言葉をかけあう、そのダンディさが、酢豚の味とともに思い出され、忘れられない。

●中国東北の長春の生まれ。肉とか、魚はあまり食べない。魚は川魚だけ。日本にきて、初めて食べたのはホームステイ先のお母さんが作ってくれた、すき焼きで、しかも生卵につけて食べるので、食べられなかった。が、無理をして、少し食べた。あるパーティで、初めてお刺身を食べて、突然美味しく感じるようになって食べられるようになった。今では、日本食は、何でも食べられるようになった。

●それは、持ってきてくれた人が、港区の市場まで、朝早く買いに行った新鮮なお魚だったから。
 中国の人達に餃子を作ってもらった時、ご飯もおかずも他には何も要らないと言われて、びっくりした。餃子が、そもそもうどんのように、主食を兼ねているから。中国の家庭で旧正月の大晦日に、お父さんが皮を作り、皆で餃子を作っていただいたことが忘れられない。

●日本にきて、留学したばかりの頃は、自分で材料を買ってきて作っていた。やっぱり家庭のパーティに招かれて初めて食べた刺身が美味しくて、好きになった。

●私が料理が好きで、コックになったのは、母の料理がとても上手でおいしかったから。4年間料理の学校に通って難しい免許をとった。

等など、それぞれの人に色々な思い出があるものですね。時間が短くて、全員にお話しが聞けなくて残念でした。ごめんなさい。でも、厨房もホールも、歌手もみんな一緒にお話し出来たことは、うれしかったです。料理を作った人の顔や心が見えて、それがいただけるっていう空間は、本当に「幸せ」そのもの。幸福な時間でした。

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