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がま口弘美の日記 がま口塾便り
11, 2003年5月29日(号)
『今までに一番焦ったこと』
早い!もう台風も来て6月です。5月はあったのかしら?と思うほどのスピードで過ぎていきました・・・お元気ですか?便りが遅くなってごめんなさい。
 5月例会の参加者は新しい方3人を含めて11人でした。メール参加者は1人。がま口塾のホームページに迷い込んで、興味をもたれて参加された男性も1人。手紙やFAXでの参加もどんどん増えるといいなと思っています。

● 夢で一つだけある。車をカッコよく運転していた。私は運転はできない、自転車も乗らない人。ものすごいスピードで、途中で私は運転できないことに気がついて、「私は何やってるの?どうしよう!どうしよう!」ってすっごく焦って目が覚めた。実生活ではほとんど焦ったことが無いので、すっごく考えた末の焦ったこと。
● 娘がいる東京へ行くのに「ふらっとこだま」というのがお値打ちで、往復15800円。指定席で飲み物券もついている。朝行く時はコーヒーにして、帰りはビールを飲むぞと思いながら、1時間くらい余裕をもって列車に乗った。ところが新幹線に乗り継ぐ前の中央線で人身事故があって止まってしまった。私は東京に不案内で応用がきかない。東京駅へ遅れてついて、チケットの換金も特別の所へ行かなければならない。その時は余分のお金も持っていないと思ってとても焦った。でもふと、何かあった場合と思っていつもバッグの中に1〜2万円入れていたことを思い出して、それで新幹線のチケットを買いなおして名古屋に帰ることができた。ビールは飲めなかった。後から分ったことだけれど、皆はけっこう落ち着いていて、「又か」という顔をしていた。中央線はよく人身事故がおきるのだそうだ。私だけが焦っていた。

● 娘が入試の時に四ツ谷に行くのに人身事故。30分遅れで試験があった。

● 私は焦ったことばっかり。最高に焦ったのは、次男の交通事故。小学校1年生の時、小雨の中をピアノ教室に行った。スキップしながら信号の無い横断歩道を渡っていて車にひかれた。警察からの電話の前に、たまたま近所の人が見ていて私に電話をくれた。病院に駆けつけたら、軽自動車だったら助かるかもしれないが、普通乗用車にポコンポコンと乗られたという。現場検証でもそうだった。お腹にガスが溜まって破裂寸前でポンポンに脹れていた。「ああ!この子死ぬ!」と思ってすごいショックだった。轢いた方は、たまたま風邪気味で病院へ行く途中で、気分的にゆっくりと運転されていたそうだが、土下座して謝られた。不思議なことに内臓破裂もなく10日くらいの入院ですんだ。

同じ次男が私の留守に野鼠に手を出して噛まれ、手がポンポンに腫れたことがあった。隣のおばさんがすぐ消毒していてくれたのだが、既に3時間経っていた。血清は間に合わないと思ったが医者に連れて行って、何とか薬で治していただいたが、焦ったこと。

今は、私は虚弱体質なので、SARSが日本に来たら、一番に感染すると焦っている。

● 4人家族だったが、結婚10年目くらいに主人の両親が同居することになった。姑が1年後に病気が再発の形で発症した。私は1歳の乳飲み子の娘と小学生の息子を抱えていて、さあどうしようと思った。子育てと介護が同時に来て、私の人生の最大の危機、焦りだった。10年覚悟をしたが、4年弱で介護は終わった。この間に色々なことがあったが、そのおかけで私は「手話」を始めることになったと思う。生き方も変えたし、自分の老後に対する考え方もひっくりかえった。おばあちゃんを介護させてもらったことは、私にとっては、ほんとにいい勉強になった。今は80歳の舅を抱えているので、又介護の時代はくるかもしれないが、1回経験しているので、多分精神的に楽にやれるだろうと構えていて、その前にやれることはやっちゃえっ!と睡眠を削ってやっている。

● 今、高校生の息子が2歳の時、熱性痙攣をやった。実は娘もやっていて、救急病院で下痢と嘔吐のひどい状態が起きて、八事の日赤病院へ行くように指示を受けた。2週間入院した。その時は医者や看護士さんがいてのことだったけれど、二つ違いの息子の時は、かかりつけの医者から座薬をもらった。しかし、熱が上がって、医者の指示通りに座薬を入れたら、入れた瞬間に痙攣を起こした。それで、間違ったものを入れたのではないか、このまま死ぬのではないか、それなら私が殺したことになるのかと焦った。

● 私がとっさに思い浮かべたのは思いがけない妊娠。(爆笑)結婚してなかったので、これは焦った。でも、ちゃんと出産、ついでに3人の息子が育った。

   子供3人と川で遊んでいて全員で溺れかかったことがある。夫がいたけれど、夢中で遊んでいるので気がつかないし、子供達はみんな私にしがみ付いてきた。私が溺れたらほんとにヤバイ。次男をまず川の流れの弱い方へ、突き放して押しやった。その時は母と子の水死の新聞記事の見出しが一瞬目に浮んだ。

   ステージの仕事に行こうと思っている時に警察から電話が入ったりと、色々焦ったことは多いが、総合して考えた結果、思わぬ妊娠が燦然とした一位だった。(爆笑)

●基本的に焦ることがない。先日、上司ばかりの会議で、自分が説明をすることになっていた。その時、たまたま走って入室してそのまま話す状況になってしまった。そしたら、5〜10分の間、声が震えてしまってた。自分にとってなんでもない内容のことなのに何でそうなったのか分らなくて、焦った。いつも自分がやっていることと全く違うことをやるというシチュエーションがそうさせたのか、何故自分はこんな状態になっているのか、全然理解できなかった。

車がスリップして、赤信号なのに、自分は止まっているもりなのに、車が進んだ。たまたま皆が見ていたので、私はこのまま進むしかないと思った。焦った。どうして焦るのだろうか。自分がコントロールできないことに対してこういう現象がおきるのか。

● 皆さんの話を聞いて、家庭、子供、親の問題で、私の家内は焦りの連続の人生ではなかったかと思った。私自体は命に関わることは、空襲など色々あった。そんな時は焦るというより、突然来て焦る間もない。病院へ担ぎ込まれても意識も無く焦るどころでない。

   長く長崎の造船所で仕事をした。新造船ができるとメーカーが来て調整をする。ボイラーの自動燃焼装置の調整に来たのだが、しくじって、荷役はどんどんする、蒸気はどんどん使っている、火は止まっている。パニックになってどうしていいか分からない。とにかく荷役をストップしようということになった。もう1回蒸気を作らなければいけないのだけれど、油が悪くて、流れている時は加熱されているからいいのだけれと、それが止まるとパイプの中で油が硬くなって噴霧できなくなる。そういう商売上の焦りが私の焦りの主なもの。

   

● 北朝鮮と中国の吉林省の境に図門という町がある。友人と国境で遊んで、夕方の6時から私だけ1人で、さらに北方のロシアとの国境の町、スイフンガへ行くバスに乗った。

かつての父の軍隊の駐屯地をどうしても見ておきたかった。終点である目的地に着くのが夜中の2時半だった。ホテルも決めてなかった。(ウエーッ!)どんどん2時半が近づいてくる。私はどこに泊まるのだろうとさすがに焦ってきた。いつも、何か困ったことが起きた時は、時間がたっていれば解決してると考えることにしている。どうやって解決するか。真冬に夜中に路上で夜明けを待つわけに行かなかった。

到着5分くらい前に中年の女性に声をかけてどこに泊るか聞いて、私もついていっていいかって頼んだ。彼女について行くと、簡単な木のベッドがいくつかあるだけの穴倉のような部屋に通された。「どこでもいいから寝な!」。すぐ横のベッドの電気毛布のスイッチを入れてくれたので、そのままよじ登ってバタンと寝た。朝「ご飯だよ」って起こされた。簡易旅館の宿主の家族といっしょに朝ご飯。そこは、国境で商売をする朝鮮族の人たちばかりの常宿旅館で、言葉が朝鮮語なので、私の中国語をその女性が朝鮮語に訳して話してくれた。彼女はそこからロシア人相手に商売に行くので、その時はロシア語を使う。2日ほど過ごした。

その後瀋陽で北京からと大連からの友人と合流して取材の仕事をすることになっていたが、私は列車を間違えて、告げてあった列車に乗り遅れ、次善の列車に乗ってハルピンで乗り換えたが、その乗り換えが、タクシーで2〜30分ほどかかる別のハルピン駅へ行かなければならなかったので、電話をかけている暇もなかった。飛び乗ってすぐ列車が走り出したけれど、乗っている間中、焦っていた。でも、1時間くらいは、待っていてくれるだろうと思っていたら、瀋陽のホテルに入ったときには、置手紙がしてあった。取材先に電話をしたら、もう警察に連絡して、非常時のために教えておいた家族同然の付き合いの中国人の家にまで電話が行っていて、何か私が事件に巻き込まれたということで大騒ぎになっていた。本当に焦った。

●区長になったこと。組長になることは12年前に引っ越した時に分っていた。2月に新組長の集りがあって、そこでいきなり区長をやってくれと言われた。皆が条件から外れて私が残ったのだ。組長もやったことがないので、一生懸命抵抗して、くじにして欲しいと言ったら、結局そのくじで私になった。(笑い。そういうものよね)

   非情に焦ってごねにごねたんだけどだめだった。150世帯ぐらいある。結局行政職で年間収入が28万円あることが後で分った。(すごいじゃん!爆笑)副区長さんは半分。(じゃ、焦らない。爆笑)3月に社会福祉協議会のヘルパーを辞めようと思っていたところで、去年の源泉徴収を考えたらそれより多い。(笑い)

●私は89軒の組長+役員やってお手当てが年に2000円。(電話代にもならないね)

● 家はマンションだから、それぐらいは役員の交代のときの飲食で使ってしまう。国勢調査は、必ず家に回って来て、10軒だけど、あれは楽しくない。

● 町内会長さんと組長さんは町内からお手当てが出る。初めての区長会に出たら、昭和40年代の話を今やっていて、田んぼを畑にする話。全部の土を入れ替えてから8年は手がつけられないという国の定めがあって、市としては、住宅誘致などは更々考えていないということだった。それで、住民が増えずに児童が減少しているので、対策として小学校の合併をするという。地区に帰ってみんなに話して、もう少し詳しく聞きたいねって言ってみたら、みんな嫌だと言う。結局他の区長さんや組長さんと教育長さんの所に行って1時間半くらい話し合った。私は首を突っ込みたいのだけれど、なかなか巻き込まれるのは嫌だと思う人もいる。

●私も空襲の爆弾の下を命からがら逃げたし、高校3年の時、台風による高潮で、あっというまに海水が家に流れ込んできて、家の中のものを全部海に持っていかれた。火と水で2回家の中のものをなくす経験をしている。目の前が田んぼで、本当にあっという間に田んぼに漁船が浮んでいた。家は壁土が流れて竹の網だけが残って虫篭みたい。でもそれは焦ったというどころでない、もっと凄いこと。

   最近では、2000年に癌の宣告を受けて、手術をしましょうと言われた時に、2日後に海外旅行に行くことになっていた。医者は、病室が空くのは半月か10日先だから、そんなに早く進行するものでもないから旅行に行ってもいいと言う。いったんはその気になったが、教員として、学年の途中で仕事をおっぽりだすことになるので、その処置をするために手配の電話などをして、夫と2人の旅行をキャンセルした。ほとんど旅行したと同じぐらいのキャンセル料だった。セカンドオピニオンとして夫の従兄弟が医者なので、電話をして相談しようと思ったら留守電になっていた。手帳に電話番号を1番間違えて書いていたため、私はその全然知らない人の家の留守電に一生懸命事態を吹き込んでいた。(うあーっ!笑い)3回くらいそれをしたら、その方から連絡があって判明したけれど、赤の他人の方に切々と病状を訴えていた。従兄弟には予めちょっと連絡してあって、そのあと、何の連絡もしていないということになって向こうは向こうで、どういうことかと心配していた。住所だったら手紙の場合、1番違いでも配達されるが、電話はそうはいかず、何という愚かなことをしたかと焦った。

● 携帯電話でも間違えて相手に教えてもらうことがあって焦る。

●FAXでも全然違うところから入ってくる。注文票がきたりすると、返送してあげる。

癌の告知自体は自分が思っていたほどショックを受けなかったけれど、むしろ、1年2ヵ月後に定期検査で転移を告げられた時はショックで「先生、もうすっかりいいっておっしゃったじゃないですか!」って思わず言ってしまった。前の手術の時は5年後の生存率は60%、転移後は40%と平然とおっしゃる。うろたえたりはしませんが、「えーっ!」と思った。幸い元気になって今はあちこち旅行して飛び回っている。

3年程前、夫が海外旅行に出かけていて、私が1人家で留守をしていて、勤めの帰りにめんどうなので外食をした。食べた後、いくら探しても財布がなかった。財布に家の鍵やカードなど一切が入っている。レストランの人には、自分の名刺と時計を外して渡し、辿った道を探した。ガラス戸を破って家に入るしかないとあきらめかけた時、直前にJRで予約切符を買ったことを思い出した。すぐ窓口に行って聞いたら、あった。この時は「神様ありがとう!」(笑い)焦った。

●<メール参加>

 一般的に「あせる」という言葉の後には、「あせってはダメ」「あせらないように」など、否定的な言葉が続く。あせった後の結果は、大体がよくないと言う事なのだろう。今まで一番あせった後の結末は、案の定、他人様にも大迷惑をかけてしまう事になった。やはり「あせりは禁物」。

  香港からマカオ観光の現地ツアーに申し込みをした。観光の最後はカジノ。集合時間まではフリーで、連れ合いと二人、スロットマシン遊んでいた。ゲームに熱が入った頃、なんと「777」!!コインが溢れて、ジャラ、ジャラと出てランプが点滅し、制服のガードマン、お掃除のおばさん、周りの現地の人達、皆が寄って来る。ガードマンに付き添われ、奥の事務所へ。サインをしたり、お金を計算するのを待っている内に、集合時間が過ぎてしまった。さあ、大変!皆さんに迷惑がかかる!私が集合場所に行って状況を説明してくる!と焦って走りだした。ところが、入ってきた方向に向かっているのに、分からない!それらしき人もいない!アレ?アレ?

焦って焦って、ぐるぐる走り、ますます混乱。現地人らしき人に尋ねても言葉が通じない!さらにあせって、エスカレーターで降りたり、上がったり、もう何がなんだか分からない。おまけに先ほどの事務所にも戻れなくなってしまいまった。そう、映画のシーンに迷い込んだような、迷路に入ったような・・・ あせって、うろたえて、きっと泣きそうな顔をしていたはず。迷い人で警察のお世話になるかも知れない・・・と、諦め掛けて、ふと上を見たら、私を探してエスカレーターから降りてくる連れ合いの姿!へなへな・・・と、している訳にも行かず、引っ張られるようにして集合場所へ。すでに皆さんの姿はなく、集合場所のお店の人に伝言がしてあった。店の人に連れられ、バスにたどり着き、平身低頭!座席の皆さん一人、一人にお詫びしながら、小さく、小さくなって席に着いたのだった。

  カジノでわずかな幸運に巡りあえた後、(笑い)あせった結果、皆さんに多大なご迷惑をおかけしたマカオ観光だった。あせって行動する前に、ん?と、一息入れなければ・・・マカオで身にしみて感じた教訓。が、今も活かされていない。何かにつけて、やっぱり焦る。焦らない様にするにはどうしたらいいか、大きな課題。皆さん教えて!

●動く前に少し考えるといいんじゃないか。私もよく旅行に行くが、ほとんど失敗が無い。焦ったことと言えば、「地球の歩き方」で見ていて、ドイツの窓口で「どこどこまで」と言ったら、「そういう駅は無い」と言われたこと。その本を見せると汽車の中で買えって言う。駅についたらホテルは遠くに見えるけれどタクシーもバスもない。近くの人に電話がないか聞いたらこの辺は無いと言う。考えた末、交番を見つけて、交番がドイツ語だったらお手上げたぞと思いながら行った。結果は英語が通じて、パトカーに乗せて貰ってホテルへ行った。現地でどうにかなると思っている。

● 私は今やっと家を建てたけど、もう悲惨。(プロセスが大変で、途中で火をつけようかと思うくらいだった(笑い)。でも、理想的なものができた。途中の頭領等とのコミュニケーションは同じ日本人なのに難しかった。もっと計画通りにやればいいんだろうが、そうはいかないことがある。計画的にやれるタイプの人と私のような・・・人がいる。(笑い)後で考えれば、何もないよりも、あった方が盛り上がりがあったかな(笑い)。ソツの無い人生よりも、けっこう面白かったカナと思える。回りの方は負担だったかも知れない。(笑い)私は負担にならない。(爆笑。いい性格!)焦るという実情があっても、日常化すればそれは焦りとは言わないし。訓練です。(違う違う!)

●楽しみに変えるというか、いい思い出になるね。

●日頃ある意味、自分を鍛えていなければいけないと思う。色んなシチュエーションに出会った自分で、色々バーチャルリアリティでないけど、経験しておかないとやっぱり焦ると思う。日頃の自分の生き方、過ごし方が全部「旅」に出てくるのではないか。(拍手)ちょっとカッコ良過ぎるかな?でも、実際そうだと思う。

●英会話のECCの今は亡き社長さんと知りあった時、直接聞いた話。アメリカで飛行機に乗り遅れそうになって、お客さんたちを待たせて、特別の自動車で1人だけ駆け込んだことがあったそうだ。で、飛行機の中に入って、落ち着いて手を挙げてニッコリ笑って「レディース&ジェントルマン!」って演説したんだって。(笑い)そしたら爆笑と拍手が起きて、雰囲気が一変したって。

●「すみません」と謝るのも手だけど、機転を利かすと気が楽になるね。

●結果をみればいい思い出になる。

●動かなかったらぶつからない。歩かなかったら転ばない。動かないでやる仕事もあるし、私のように全国を動かなければできない歌手の仕事は転ぶことも多い。仕事上の焦りはいっぱいある。ある時家にいたら電話がかかって来た。「どうしていらっしゃらないんですか?皆、待っています」「??!!!」コンサートを忘れていた。(うっそーっ!信じられん!)「あっそうだった!今日だった!」って思って、一瞬誰か死んだことにしようと思ったけど(爆笑、拍手)、春休みで子供がいて、「お母さん正直に言え!正直にっていつも言っとるだろう!」。夫は他の仕事に出かけてしまっていていないので、仕方がないので一人でタクシーで駆けつけた。主催者の皆さんは、お客様に絵本の読み聞かせなどをして切り抜けていてくださった。(笑い)それで、その方たちとの付き合いは今でもある。「あの時はエライ目にあいましたね、お互いに」って。(笑い)仕事上、焦りはつき物ですよね。(ちょっと質が違うかもしれんよ!笑い)

●やっぱりね、ひょっとして何億円もする船がダメになっちゃうとかって事があるでしょ。人生上の目の前の焦りとは違うからね。どっちにしてもある程度の事になってしまったら、腹をくくってしょうがないってことだね。(億をポケットマネーで払おうとか?笑い)いやいや、首になってもいいやとか、海難審判にかかろうかとか。

● NHKの「プロジェクトX」に出てくるような焦りました・・・っていうのは、あれはすごい。男の人が現場で働いて、その焦りを又乗り越えてやっていく。

●子供が生まれて一週間目に任意で、血液検査をするかと聞かれた。気軽に頼んだら、一ヵ月後の定期検診の時に病院から電話がかかってきて、「申し上げにくいのですが、異常が見つかりました。今日いらっしゃる時に説明します」。焦らないでと自分に言い聞かせた。病院では先生が、目をそらしている。先天性代謝異常で脳に異常があるって言われて、何とか自宅に戻り、次の日、すぐ東大病院に行って、再検査結果を待つことになった。その間、散歩に出ていて声をかけられて「お元気なお子さんですね」なんて言われた時は辛かった。夫は以外と冷静で、「じゃ、上の子に愛情をかけて、下はあきらめようか」と・・(爆笑)でも、結局はなんともなかった。

●そんな中でもジョークを。

● 私を落ち着かせるために夫が言ったことだと思う。切り換えていた。普通に育てようね等とは相談しあたったが。

● 突然の妊娠の話はどう対処?・・・(笑い)

●それは若すぎる妊娠でもなかったので、前向きに考えた。相手も逃げ腰ではなかったので、結婚した。計画のまったくなかった時の妊娠で、ほんとに最初はショックだった。

●私も同じ経験。それは焦りとしては凄い。回りは誰も知らなくて、いつ言おうかという面白さがあった。5ヶ月で親に言ったら、親が焦ってびっくりして次の日飛んできた。

● 結婚しようと思っている相手ならいいけど、あんまり思っていない時だとヤバイナーと。

でも、親は慌てなかったので有り難かった。あとは、自分でつじつまを合わせる人生。

● 私も子供3人いるけど、計画して妊娠したことは一度もない。

● 娘も全く同じことをした。私は怒らなかった。(自分の経験が豊かだといいね。笑い)

●私そう言えば焦った。今回、知らない男の人から突然メールが入ったから。

●憲法記念日の公会堂の記念講演で長谷川テルの話題が出た。私の知らないことだったので、「長谷川テル」で検索したら、「がま口塾」なんていうのが出てきて、何だろうなと思ってホームページに入って、今日来る事にした。

●長谷川テルは、エスペランチストで日中戦争の時、重慶から反戦の放送をした日本人。

「失くした二つのリンゴ」という百行を越える長い詩が有名。二つのリンゴとは、母からもらった照子の元気な赤い両頬のこと。

・・でもお母さん/たとえ照子が/大切にしていた二つのリンゴを/失くしてしまっても/遠い遠いところに失くしてしまっても/叱らないでほしいの/その二つのリンゴは/中国大陸で、日本で、世界のあちこちで/いつまでも落ちない/いつまでも失くなることのない/赤い、きれいなリンゴを実らせるために/先に落ちてしまったリンゴなのよ/あまたのリンゴの中の/二つの/たった二つのリンゴなのよ/母さん わかってね/・・・

こういう30代で亡くなっても後々まで素晴らしいことを伝えている人のことを思うと私は自分の人生にものすごい焦りを感じる。私は何やっているんだろうと焦る。

● 私は先日、その講演を聞きに行ったのに、熟睡していたと思う。長谷川テルの、そんな話が出たことも知らない。だから今すごく焦っている。(爆笑)

● 今一番焦っているのは北朝鮮に家族のいらっしゃる人達ではないか。拉致。

● 横田めぐみちゃんは名古屋の聖霊病院で生まれたんだものね。(えーっ!そうなの?)

● 朝鮮総連の青年が絶対信じてきたことや、やってきた事が間違っていたということを知った苦悩。焦り。

● 私、自分の過去にも焦る。もっと勉強すべきだったとか、本を読むべきだったとか。

●私もそうだ。(えーっ!)

● 私は過ぎたことは焦らない。過ぎたことは過ぎたことだもの。これからが大切。

6月24日(火)10時〜12時 「お金を儲ける事の是非」

7月22日(火)10時〜12時 「癒される時」         

<東京特別例会>7月29日(火)午後6時半〜8時半 「とどけ北京へ」

場所; 東京ウィメンズプラザ視聴覚室 収益はSARS医療・衛生支援に寄付します。

内容; CDR「雑踏に酔う」上映 講演「今日的北京」JTB中国旅行 和田正信氏

★東京方面にお知り合いのある方は、参加の呼びかけをしていただけるとありがたいです。

bdk@dp.u-netsurf.ne.jp