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13, 2003年7月22日(号)
『癒される時』
 集中豪雨の被害は御地ではいかがでしたか?がま口塾の例会日は梅雨の晴れ間にぽっかり填まり込み、ラッキーでした。でも、10時をまわっても現れるのは1人か2人で、このまま「がま口塾」消滅かと私の心が曇り始めます。逐次、2人の新人を含めて8人の駆け込みと相成り、曇りのち晴れ!リビングルーム本音祭り絶好調。そして12時をまわっても話は尽きず、全員元気温は上昇の一途。これを何とかしないといけませんね。サマータイムにしようかな?
 ・・と思っているうちに8月は都合でお休み、9月25日が次回例会です。(忘れないでね!)ジェットの速さで日々が飛んでいきますね。まずは一息ついて、お便りをお読みいただけたら嬉しいです。

●その時の自分の精神状態や体調によって癒され方が違ってくる。映画で癒される時もあるし、内容が重いと逆にもっと自分をどん底に突き落とす。最近友人が朗読の会をすると言うので出かけたら、沖縄戦の記念日が近かったこともあって、比嘉富子さんが書かれた「白旗の少女」をコンパクトに1時間ほどにしたものを朗読した。月末の大切な仕事のために、音楽を聴いたり、映画を見たり自分のコンディションを整える準備をしている時だったので、テンションが音をたてて崩れ始めるのが分かった。1時間ずっと目を瞑ってうつむいていた。
 これはいけないと思って帰りに映画館で「ホテルハイビスカス」を見た。これも沖縄の話だけれど、楽しい沖縄。でもまだテンション上がらず、夜散歩と称して近くの喫茶店へ行って、聴講している講座のレポートを一心に書いた。自分では自分の癒し方、心の対処の仕方は分かっていたつもりだったのに、今回のことで、更に自分の癒し方の勉強になった。
 映画を見る、音楽を聴く。『もう家にいたくない!』って思った時は、車をぶっ飛ばして健康ランドへ行く。1日 浴衣を着て全く知人もいなくて1人で心も身体もリラックスする。美味しい物を食べる。いつもなら700円くらいのランチを考えているのを1000いくらの一番高いのにして。舅が家にいて、一人になれる時間がないので溜って溜まって限界の時は健康ランド。

●健康ランドっていくらなの?
●本当は2500円だけど、私は年間チケットを利用しているので、1回1200円ぐらいになる。それで映画も見放題。(笑い!年間 癒し計画!) 

●私は自動車ないから、空見たり、木を見たり、鳥みたり。歩く。ムカムカしているのを忘れる。言葉で傷つき 言葉で癒されることもある。誰かに優しい言葉を言ってもらうと、ヨイショだと分かっていても慰められる。私の癒しは「綺麗だね」とか言ってもらうこと。(笑い。覚えときます!)
●最近嫌なことがあると夜、友達に電話して一緒に歩く。頭がすっきりする。でも、無一文で歩けばダイエット効果もあるのに懐に1000円しのばすからいけない。つい美味しそうな店があるねなんて・・・。

●私は子供が好きなので、週3回幼稚園で働いている。他に頼まれてベビーシッターもやっている。子供に向っている時が自分が一番生きてて良かったと思う癒しの時。エネルギーをもらえる気がする。よぼよぼになるまで、自分の出来る時間の範囲でこの仕事を続けて生きていたい。
 八事日赤病院の前のマンションの9階に引っ越したばかり。名古屋駅のツインタワーもくっきり見えるし、金山の全日空ホテルは真ん前。昨日の港祭りの花火も真向かいで我が家は見物の溜まり場。
 買うつもりは全くなかったし、見学に昼間行っていたら、絶対買い換えなかったけど、セールスの人にたまたま夜景を見せられて「癒されるよなあ!」とその場でお金もないのに決めた。ローンは苦しいけれど、本当に癒されて儲けものだった。朝陽もきれい。聖霊幼稚園の教会の鐘も鳴る。外国に来たみたいって感じ。高 層マンションは、きっと皆さん景色が気に入って買っているのだと思う。
 
●山登りをしている。例えば槍ヶ岳を胸突き八丁で登って、まだかまだかと思いながら、一瞬、ひゅっと見たら小屋がある。その時は最高!部屋に入って荷物を置いて、コップとおつまみを持って下に下りて飲む一杯のビール!それで全てが癒される。(・・・・・・・皆、トロンとして声が出ない)ゴチャゴチャ考えていること、全て忘れちゃうでしょう?
●別に山登りでなくても、苦しみながらやり終えたときの満足感というのは、ある意味、癒しになるかもね。

●白状すると、テーマに困っている。どういう時が癒されるのか。実感として、嫌な時はいっぱいあるけれど、  これが癒されている時だって感じる時がない。新婚の頃、朝からクラシックをかけてコーヒーでも飲んだらさ  ぞかしいいんじゃないかと思ってやったら「朝っぱらから気分の悪いことをするな」と夫に言われて(爆笑!ひ  どい!)、それでポシャッた。
  歩くのはいいって言うけど、私は山の分校育ちで小学校に行くまで1里あった。4キロ。それで、歩くこと大 嫌い。(笑い)今も、すぐそこの郵便局でも自転車で行く。2年位前、クラス会に行った時、ゲームのくじ引き  でアロマセラピーのロウソクが当たった。癒しのグッズだっていうので、楽しみに家でやってみたら確かにバ ニラの香りがした。でも、どこが癒されるのサ!ッて感じ。(爆笑)
●ちなみに趣味は何?(よく新聞に投稿してるじゃん)
●うーん・・・。書くことで一心不乱になれることはある。投稿して皆に「皆ああいうふうに思ってるに違いないよ  」「よく書いてくれたね」とか煽てられると、良かったかなと思うし。でも、癒されることとはちょっと違う。
  私、無いものねだりしてるのかな。どういうのが癒される感覚なんだろう。1人で贅沢と言っても、私の場合 はずんずんもっと沈むと思うし。歩くのも「何で私がこんなとこ歩いているんだろうって腹たってくるし。(爆笑)
 夜景のシチュエーションにはまだ出会ってないし。(美味しいものを食べたら?)うーーーーーん・・・・。

●私達が言っている「癒し」というのは、ストレスを解消してくれるものと言う方が適切で、本当の癒しじゃない かもね。でも私は「結果オーライ」の人なので、それで新しいものに向っていけるのなら満足。満足するって大切な事じゃないか。10の8で満足できる人と、10でも満足出来ない人がある。その人は可哀想 。5か4でも満足できる人は幸せだと思う。素直に歩くことを楽しんだらどうか?人の話も素直に聞いたり。人の話も絶対無駄なことはないと思う。年の功でちょっとお説教しました(笑い)。
●多分、お連れ合いが「愛してるよ」って言ってくれたら、癒されるんじゃない?
●あーーー!そうかも!別に夫でなくてもいいよ!(危ない!)(爆笑)
●日本の男は言わないもんね。
●家は言う。(えーーーっ!)体育会系のごつい体育教師で、おまけに今ではすっかり禿げてしまった、ダイハードのブルース・ウィルスみたいな九州男児で「俺について来い!」って感じだけど、私がたまに疲れていると「大丈夫だよ」って全部片付けをやってくれて「元気出してね、僕は、Yちゃんのこと愛してるからね」って。(キャーッ!ウエーッ!騒然)あの顔で言うから私は笑えちゃう。(今時めずらしいね)
●何で?結婚して何年?
●26年。
●家は28年経ってるけど言ってくれない。でも愛されてるのは分かってる。私は言われると負担になるから、言われるのは好きじゃない。
●私は言われたい。(私はいい)(笑い)
●自然に言うの。彼の両親を見てるとわかる。すごく優しい。あの両親に育てられたから、この優しさがあるんだろうなって思えるの。真からの優しい真っ正直な人。管理職にはなれなくて、現場で頑張っている。彼のそういうところが私は好き。「今年の1年生はいい子たちばかり。僕も頑張らなくっちゃ」とか、とっても素直に言える人。(男の人でそんな風に言える人少ないよね)(少ない少ない)料理でも、ちょっと「今日のひじきは味が一味良かったよ」等と言ってくれると癒される。(うん。癒される癒される)
●家は黙って残す。次作る気なくすの。(どうしてか聞けばいいじゃん)でも、そこでもう引いちゃうの。益々溝は深まり・・・。(体調悪いの?とか・・)(ちょっと味が薄かった?とか聞いて見たら?)うーーーーん。
●落ち込むのは確認してからでも遅くないよ。
●新婚の頃は私の作った焼きソバにドバッとソースをかけたりしたので、失礼だって私も怒った。健康を考えて薄味にしてるのに。(次からは?)私が中間の味にしたから、次は「ありがとう」って言ってくれた。
●結論は出たね。愛しているよの一言。(笑い)家は歩み寄りが足りないんだ。
●人はやっぱり言葉で傷つくもんね。そして又一言で元気になれる。

●今一番癒されている、至福の時にいる。
●19日の「あじさいコンサート」で人の心に触れて、癒されて幸せな気分で最高です。
●私は精神障害者、殆どが統合失調症、精神分裂病の人達が病気を持ちながら、市民の中で暮らしていくという社会復帰のための作業所の所長をしている。今年から法人格をとって授産施設になった。この度その「ゆったり工房の歩み」という日誌を発行した。
  
 病気になった人というのは、なっただけではなくて、なった後の古い昔からの偏見と無理解の中で、日本に 於いては二次的、三次的な病気を更に生んでいくと言われている。地域では「私たちと同じなんだよ」という ことを理解してくれる人を増やして行くことと、財政問題が課題。メンバーたちが社会復帰体験をしていく為に事業費を当てたいと考えてコンサートも毎年している。今回収益金が77万円あった。そのお金を握って11月に3泊4日の沖縄旅行に行く。病気になった事で社会生活体験が奪われた人達だから、色々な人達と出会う中で癒されながら人間性を回復していく過程にある。家族から離れて1泊旅行もしたことのない、薬も飲んでいる人達だが、沖縄の海が絶対癒してくれるだろうと思っている。

●それも大変だよね。(何人?)
●定員が19人。(大人の方?)大人。14歳から20歳までに発病していく人達で、結構学校時代は優秀で花形と言われたことのある人がなっていく病気なので、本人も家族もとっても苦しむ。今回のチァリティコンサートの実行委員長をしてくれたこの人がボランティアなのに「とっても良い体験をさせてもらった」と言ってくれた。こういう共感できる人がいるってことが、私達にとっては癒しだと思う。
●実行委員会形式で、企画から皆で手作り。テーマからサブタイトルまで皆で考えて行く。結果の如何に関わらず大変なんだけど達成感はある。今回は色々な方が関わってくださって、チケットを1人で50数枚売ってくださった方がある。500円玉や1000円札を一杯にして届けて下さったから、本当に1枚1枚売ってくださった。そういう方が何人もいらっしゃって、数じゃなくて、気持ちがあったかくて嬉しかった。サブタイトルが「人の和、地域の輪、
僕らの未来は僕らで作る」。女性もいるのに何で「僕ら」なのだと聞かれたりしましたが、メンバーの提案だったことを大事にした。それが基本で地域に理解してもらう事がとても大切。いい結果に繋がって、今はとってもハッピー。(拍手)
 個人的には、嫌なことがあった時は、家に5歳のゴールデンデトリーバーがいるので、一緒に散歩に行く。田圃があって、草花を見たり、虫を見たり。先日は目がパンダのような黒いトンボを見た。そんなのは車に乗っていては、絶対見られない。歩かないとであわない。健康になって癒されて体脂肪率も落ちた。歩くのいいですよお!(大爆笑)

●環境がいいからね。家から出てもアスファルトではね。公園があってもその中グルグル回るのもちょっと。家のすぐ横に金華山があるから行こうと思うけど、つい車で行く。(笑い)
●金華山まで車で何分?(5〜6分)(爆笑)上がって降りて来たら1時間半ぐらい。
●登るのが意味があるの。(金華山も色々あるね)平坦で景色の全然良くないコースや、岩登りの感じのコースもある。山道ってのも4〜5種類。小学校5〜6年生は、馬の背というグッと直角のを登る。美濃に6〜700メートルほどの、四方八方が見える天王山は素晴らしい。私は人の2倍かかって2時間で登って1時間で降りてくる。遮るものがない360度の世界。癒して貰えないから、自分で癒しに行く。(自然はいいよ)自分を苛めて苦労して登って爽快感を味わうのはいい。二十歳位の頃は3000メートル級登っていた。行こう行こうと思いながら、今はなかなか行けない。征服したいという気持ち、達成感はすばらしい。

●私は大学時代「山の会」という同好会に入って登ってた。でもでもでも、もう登りたいと思わないもん。何が良いんだろうって思う。(爆笑)
●でも、どうしてそうなったの?(好きで入ってたんでしょう?)
●うーん。登った時は爽快だったんだろうけど・・・。
●貧血で登れない。金華山はロープウェイで行く。
●私も輸血寸前になる。登山は苦しい。でも、達成感があるから。

●平地でも、名古屋ドーム一周コースとか自分で決めて、夜友達と歩く。
●私は歩く時は花を見る。今年はあじさいコンサートのイメージ作りのために、紫陽花の追っかけをした。片原温泉には2回。三ヶ根山も2回。桑谷山荘も2回。奈良の岩仙寺と矢田寺に行った。忙しい中でこれだけの紫陽花を見たけれど、文化の違いを見たといっていい。愛知の片原温泉は、「紫陽花!紫陽花!見たぞーッ!」ッて感じ。紫陽花があるだけ。でも、奈良や箱根は自然な感じで、バックの自然を生かしながら、紫陽花も生かしている。
●やっぱり奈良は歴史古いしね。
●愛知の文化、たしかに満腹。紫陽花は見たけれども、奈良や箱根の静かに時が流れて行く佇まいは、本当に癒される。あの空間にふれただけで。
●奈良は京都のように煌びやかでないしね。若い頃はそんな風に思わなかった。奈良が実家なので、今しきりに行きたくてしょうがない。

●京都は毎年出会わなければいけない花がある。(哲学の道行く?)毎年行く。(私も大好き!)、桜の追っかけしてる。(笑い)
私ね!(笑い)今年渡月峡で満開の桜を見てから、あるお寺で会った人に四条の方がいいって言われた。嵐山だけだと思ってたんだけど。(八坂神社の!)円山公園の桜守してる人有名ね。
●渡月峡から渡って松尾大社に抜ける道に桜並木がある。そこはホントに自然でめちゃくちゃ美しい。これは見ないと損という桜。(鈴虫寺に行く方)。すごい大木。今年は金沢の兼六園あたりの桜を見て感動した。50年が美しいと言われているけど、金沢の桜は老木ばかりで普通は切っていくのに皆が育てている。古い枝を切ると、その枝から新たな木が生まれて、そこの花が又美しいの!私達も年をとって切られても、又咲かせばいいと(爆笑)(手入れしだいね)私思ったもん!
●そこには桜のように美しい友達がいてその人に会いに行ったの。
●積極的に癒しを求めて行ったのね。
●求めよさらば与えられん。求めないと得られないよね。

●ファックスやメール、手紙参加を紹介。

♪今まで癒しを求めたいと感じてきたことはなかった。しかし面白くない時、腹のたった時、やたらと駄菓子を食べたり、友人に愚痴ったりを若い頃よくやった。最近はさすがに年のせいかやらなくなった。自分の趣味の世界に浸れるようになったからか。イタリア人と結婚して子供をもうけた息子が離婚。夫がパーキンソン病のため廃業。年金をあてにしなければならない現実の不安要素をいっぱい抱えながら「癒される時」を欲しいとも思わず反対に、だからこそ人に「癒し」をあげているような気がする。(しょってるかな?)そしてそれが私の「癒されている時かしら。

♪(絵手紙にゆりの花)可憐な姿と優しいにおいが心を癒してくれる。
♪テレビで短い時間だけど、草花の画面等に楽が流れる時、癒される。
♪ 私の 癒される時は 窮地に置かされたときに友達の励ましかな。

♪こだわりから逃れられず寝苦しい時、私がベットサイドに置いてライトをつけて読む本「ヘンリーの野生のサクランボ」を贈呈します。開いたページの詩を二つほど読むと気持ちが広がり、落ち着いてぐっすり眠れる。これこそ癒されているのだろう。キリスト教信者でもないが私なりの信じたい何かがあるように思う。友人達も不思議と皆寝る前に読んで、よく寝られるようになるとのこと。差し出がましいけれど、もし気に入ったら、お友達にも紹介してください。
 訳者の土居泰夫さんは私のクラスメート。著作を生業にしているわけではないが、かつて行き詰まり、落ち込んで旅に出て、途中たまたま見つけた詩集に心を癒されたそうだ。1人でも多くの苦しみが救われればと、作者のポーラック神父にも支えられ日本語訳を思いたたれた。本の趣旨は売上金の一部をボランティア団体に寄付するというもの。坂東さんのSARS医療支援の話をしたら、是非、本の趣旨にぴったりなので、がま口塾で購入される方があったら、売れた分の収益を寄付したいとのこと。今はお金を送っても返事もない団体が多いので、そちらへ是非したいとのこと。坂東さん→癒し→ボランティア→寄付→サクランボと繋がって手紙をすることになった。「欲しい方が現れたら、一冊づつでも送る」と土居さんが仰っている。(拍手。素晴らしい!)

●(癒された?)うん。私は「人騒がせな人」「又あいつか」と思われていると思っていて、結構私のストレスになっている。でも、こういう風に、ぜーんぜん知らないところで話をしててくださると知ったら癒される。本の中身ももちろん。癒されたい時は空も星も木も鳥も雲も見るけど、やっぱり本に求める。(私は最終的には本)でしょう?仏教だったり、キリスト教だったり、宗教関係の書に手が行く。(私もそう)何か救われる。

●最近友達になったのが牧師さん。今、沖縄に住んでいるサイコセラピストの近藤裕さんと言う人に癒されている。「うりずんの家」という癒しの家を沖縄で開いている人。ほんとに落ち込むと、この人の本を読んで、もう1回頑張ろうといつも思う。その人の話を牧師さんにしてたら、だーっと教会の二階へ駆け上がって10冊くらい近藤さんの本を抱えてもどって来た。まさにその著者で、クリスチャンで牧師とのこと。
 私は4年前に大腸癌になった。治療法を考えた時、たどり着いたのが、川越市の帯津先生の病院。この人に会うためにこの病気をもらったのかと思うほど素敵な人。気功道場もあって、ドクター、検査技師、看護士、色々なスタッフがいる。セラピスト、心理療法士と言われるスタッフもいて、お話をする部屋もある。Oさんというスタッフは高校の体育の教師をやっていて、直腸癌になって命がないと言われて、生還された。私が検査入院した時に、ドクターと看護士さんと、セラピストと、そのOさんがみんな一緒に回診に来た。必要な時に必要な人がサッと話をする。みごとだと思った。

 セラピストの方に、ゆったり工房が法人をとるのに、自分はどのように関わったらいいかなど、私の状況を全部話して相談した。「あなたの力だったら法人はとれるでしょう。でも、体が引き換えになるよ」と言われた。バランスをとりながら、病気と向かいながら、社会的な活動をどうやって組み合わせるの?と。本当に人間をトータル的に見て、どうしたらいいかを示してくれる病院。この人がその病院の一番最初のセラピストだったということも分かった。牧師さんが、今度日進市で近藤祐さんを呼んで講演会やろうって仰った。会わせてあげると。
夢を持ったら、絶対それは実現する。

 ユイマールというのは、自分が困った時に助けてもらった分で、ちょっと自分が元気になったら、又次の人を助けてあげる。それをずんずん回して皆が幸せになっていくという沖縄の言葉。そういう名前の作業所かあって、今度のゆったり工房の沖縄旅行はそこの作業所と合同で行く。(何歳くらいの方たち?)26歳から64歳。
安定している時は私達と全然変わらない。

●どうしてそういう人が発病するの?
●それは糖尿病になるのと同じように、脳の疾患で、結局精神分裂病というのは、統合失調症。普通皆さんストレスを感じている時に大脳皮質からドーパミンがパーっと出ている。すると神経伝達物質でピッピッとドーパミンを繋いでいく。普通はそういう受け皿がある。でも、優しい傷つきやすい人達は私たちが1だけ感じるストレスを10くらい感じてしまう。だからシナプスという神経伝達物質が間にあわない。漏れてしまう。その部分が幻覚とか幻聴とか妄想と言う形で表れてくる。
 1952年に抗生新薬というのが出来て、ずいぶん日本の精神医療も良くなってきたけれど、今飲んでいるのは、ドーパミンを抑制する薬。副作用でパーキンソン病になりやすい。パーキンソン病はドーパミンが抑制されているから、逆に出てくる病気。だから、そういう色んな病気と言う風に捉えていけば、たまたま癌になる人もいるということになる。
●でも、世間的にはそうじゃないね。糖尿病とか腎臓病とかとは違うという風に・・・
●だから、正しい病気の理解が欲しい。(遺伝は関係ないの?)全く関係ないとは言えないでしょう。もともと持っている脆弱性に、何かの要因が複数的に関わった時に発病する。そういう芽を持ちながら、発病しない人もいる。

 人間は心理学的には3つの型に当て填められると言われている。躁鬱気質、癲癇気質、分裂気質。みんな持っている。精神分裂になる人は分裂気質を持っていて、何らかの要因が重なった時に発症していく。癲癇もそう。プレッチマーと言う人は全ての人間はこの3つの素因を持っていると言った。でも、現実は、そうじゃなくて、わがままだとか、色々言われる。今は精神疾患の中でも、人格障害、神経症、パニック障害とか色々ある。それを一緒にされているから誤解がある。統合失調症の人は本当に可愛い。
 メディアを騒がせていくのは、多分統合失調症以外の精神疾患を持った人達。池田小学校の事件は多分妄想型の人格障害だと思うが、ああいう事件が起きると、ゆったり工房の人達は、自分達も疑われてとても辛いと言う。(あーあ!)
 
 私はメンバーに言った。「事件を起こした人は病院にもかかっていなかった、回りにも彼を理解してくれる人がいなかった、行き場かなかった、だからああいう事件を起こしたけれど、あなた達は、ちゃんと病院にも行ってるし、薬も飲んでるし、理解してくれる人もこんなにいる、こういう作業所にいる人達は逆にそういう事件を起こさないと言う風に、裏をついていきなさい」と。だから、こういう作業所が必要なんだと言っていけばいいんだと。堂々と生きようと。地域に帰ってもケアーがなければ、すぐ再発しやすい病気。皆優しい。私達の方が癒される。

●私は名古屋市の児童施設で働いていた。18歳までだけど、実は上は40歳近い。なかなか重度の施設がない。(夜勤もする大変な仕事ね)。寮舎によっては逆に可愛くて癒されることもある。ダウンの子は本当に可愛いから癒される。暴力のある寮は大変。いや、暴力という言い方はおかしい。(表現が暴力なのね)ストレスの発散の形。
●喜怒哀楽がすべて暴力。そういう表現の仕方。
●私の家の近くにその学校があった。年に1〜2回お祭もやるでしょ?行った。ただ、どういう施設かってことが地域の人によく分かってないよ。私もわからなかった。
●コロニー、村にすると失敗だね。地域とふれない、知的障害者の隔離になってしまう。
●最近は地域の人もボランティアに入ったりして、地域との接触をだいぶ大切にするようになった。

●普通の人と触れる機会がいかにあるかが、普通の感覚をどれだけ早くとりもどしていけるかってことになる。
●私も仕事をさせてもらいながら、こういう施設があっていいのかどうかといつも思っていた。(えっ!)だって、昔は全くなくて、親と子や色々な周り見てたでしょ? そういう施設が出来たがために親にとってもほんとにいいのかな。つまり、いったん入れちゃったら、誰だって家庭に戻したがらない。家庭指導が月に2回当てられているけれど、それがだんだん月に1回、そのうちああだこうだの理由がつけられて、たまにしかやらない家庭も出てくる。(普段は泊っているの?)そう。それで家庭へ土日などに帰るわけ。
●親が帰して欲しくないってわけ?それとも本人が帰りたくないの?
●親が帰ってほしくない。精神疾患もそう。入院していたら、帰ってきたら困ると言う人もいる。

●老人問題も一緒じゃない?
●そう。一緒。家族以外にケアがあれば助かる。家族だけでみなさいというのもきつい。
●皆が少しづづゆとりがないと、やってあげようという気持ちになれないからその家族も自分の人生を生き、そういう人達もその人達なりの人生を生きて、そこがうまく合った時に皆が幸せになれるってことじゃないかな。誰かひとりが頑張ったところで結局無理心中になる。一人一人、その人なりの人生があるからね。一づつのゆとりがほしいね。
●思い出しちゃった!老人看護。イライラして自分がこんな人格だったのかと思った。私の恥部になっている。
●私もおばあちゃん4年間やって性格ゆがんだ。(ゆがむよね。家族病理だもん)今でもトラウマになってるかもしれない。
●それで、何に癒されるかっていうと、「言葉」なんだよね。親族か誰かの。「1日代わってあげるからどこかへ行ってらっしゃい」とか。ゆとりよね。(絶対必要!)1時間でもいいの。「大変ね毎日」の一言でもいい。でも、自分がそういう経験をいっぱい積むと、人が苦しい時に分かってあげられるからいいね。(共感できるとね)
●私はヘルパーやってる。ほんとにお年よりは大変。寝たきりの方はまだいい。痴呆症で元気で徘徊する方は本当に大変。介護人てたいていお嫁さんがやっててたいてい病気になる。
●障害者の親も癌の人が多い。もうギリギリのところまで頑張ってるから。家族とのトラブルもある。病気の人を相手にしている仕事故に、家族もゆがんできているんだなと思うことがある。ゆとりをもってつきあわないといけないなと思えなかった時代は、とても苦しかった。私もゆがんでくる。

●沖縄は家族も行くの?(行く)ボランティアも?
●いける人はね。最近ゆったり工房は週に1回作業ボランティアの支援が入っている。私は頼りないけどボランティアの代表。
●天白区のユイマールといっしょに沖縄のシークワーサの収穫に行くというのが第一の目的なの。愛知県は民間の精神病院が多い。抱え込み。あなた達の年金をすべて病院が面倒みますよという制度。そういう中での私達の活動は異端児。沖縄は逆に民間病院がない。公立病院しかない。愛知の文化が生んだもの。
●さっきから聞いてると愛知の文化はあまりよくないね。(笑い)私北海道だから。(笑い)
(私奈良)(私宮崎)(私長崎)(私佐賀)(私長野)(私静岡)・・・(あれ?私だけ愛知?)(爆笑)
●偉いよ!この文化の中でこういうことやってるんだから!(はい、ヨイショ!)(大爆笑)
●癒された!(笑い)宮崎の人穏やかだもんね。(南国だもん)
●佐賀の人は真面目。くそ真面目。(玄界灘だもん)
●熊本は激しい。(火の国だもん)(県民性があるんだ)
●長崎は人がいい。全然出世ができなくて、人が良いだけ。
●静岡もおだやかだよね。(気候が関係してるね)
●函館だけど、大陸的って言われる。
●北海道は結婚式も会費制だったりしても拘らない。
●でも、北海道は離婚率が高いって言うよ。(爆笑)(あなたは悪い方へ悪い方へ考えるねえ!)いや、だから考え方が新しいからじゃない?私長野から名古屋に来た時、こんな平らなところがあるのかと思った。

●長野は癒しそのもの。日本の中でも木が多くて一番癒されるところでしょう。
●何故そこで育ったのにそうなの?(笑い)
●たまに行く人はそれでいい。癒しになる。厳しい自然の中だと(どこ?)伊那谷(あーあ!)。暮らしとなると違う。(それはそうだよね)でも、名古屋にいると、何だか合わないところもある。
●私の友人が去年亡くなって、伊那谷に投げて欲しいと遺言したので、来年の3月に伊那谷で散骨式をする。(何故伊那谷?)ゆっぱりそこが彼が一番癒されたのでしょう。(へーえ)伊那谷は日本の宝だと思うよ。
●そんないい所を嫌いだなんて。(笑い)
●だから、たまにはいいの。本田勝一の出身地の近くの出身だけど。
●私は疲れた時、ただ、ボーっとするために伊那谷へ行く。人と話して、こうやって共感出来る時は良かったと思うけど、できない時は(あるあるあるあるある!大合唱!)話す元気も(ない!ないないない!)(笑い)ね!そういう時は本に頼るか、もうそういう所に行って心をきれいにするしかない。(分かる!)ひとり旅する。どんなに人が好きでもそういう時ってあるよね。

●人が好きだから、疲れるんだよね。好き出ない人は疲れないと思う。(そうかもしれない)(なるほどね)
●休息したいの。(してよ)
●私も休息したいけど怖くて休めない。休息するとかえってその反動がきて、もっと疲れることが分かっているから。頭では、休みたいなと思っていることが分かっている。
●気持ちじゃなくて、体が休息の時だなって思う。(ああ。)(病気と付き合いながらだもんね)でも、先生はやってることで免疫力を高めているよって言ってくださる。ただ、疲れた時に休める協力体勢だけは作っておきなさいって。止めたらもっと自分が傷つく。途中で放り出すことになるからね。その傷つくってことが、とても免疫力を落とすんだって。(ああ!)
 感動が人を変えるっていうけど、その感動とは喜怒哀楽すべてでしょう。怒ることも免疫力を高めるんだって●へーっ!じゃ、たまには怒ってもいいんだ!(そう!)いつも穏やかに穏やかにって思っているんだけど。
●喜怒哀楽のエネルギーが又新たなエネルギーを生んで人を変えていく大きな原動力になっていく。(ああ、先週怒って良かった!)(笑い)まッいいカーになってはいけない。

●日本人は和を壊したくないからあまり怒らない,。表現しないと思わない?中国の人とかは違うでしょ?
●うーん、もうすごい。怒る。はっきりしてるよ(笑い)
●大陸的な人はそこが違うね。(私は中国のそこが好き)(私も好き)中国に気功で毎年行くけど、中国に行って女性が凛として美しいなと思う(そうそう!)たまたま気功をする人が精神的なもので筋があるのかもしれないけど。
●両面あるでしょう。神戸の大地震の時、冷静だった日本人が話題になったよね。中国では多分無理だよ。

●神戸の文化だったからでしょう。14、5年前、日本福祉大学の学生が長野のスキーへ行く時に、バスが信濃川に転落して37人亡くなった事故があった。その時、援助の仕方がとてもうまかった。皆福祉を学んでいるから。だから、遺族が癒された。日本全国から来ていた死んだ仲間達にクラスメートたちが、2〜3人でグループに分かれてお葬式に全国へ散って参加した。「悲しみを越えて」という本を出した。皆あの時のことを考えると、福祉の職場でどんなことがあっても頑張れると言っている。それは福祉大の文化が育てたものだと言える。ここも、この文化があってこんな話ができる私達は幸せだね。
●これこそ癒し。すごく贅沢な時間だね。

●私は幼稚園で働いているけれど、幼稚園の子を集めて保育をするのではなく、未就園児が対象なの。今けっこうお母さん方が悩んでいたり、苦しんでいたりする。公園に行っても遊び相手がないとか。そういう話が私はずっと気になっていた。保育園は20何年勤めたけれど、それをちょっとやめて、公立の保育園のお手伝いをしていた時、私の今までやってきた仕事は、保育園の中の子供を育てるってことよりも、お母さん達がストレスが溜まっていると、それが絶対子供に顕著にあらわれるから、お母さんの気持ちをほぐしてあげる事だったなって感じてた。
 
 今の所もたまたまキリスト教で神父さんがやっている所だけど、そこでシュタイナー教育を初めてやろうということで、お手伝いすることになった。職員で来て欲しいと言われたけれど断って、コーナーだけ引き受けて、お母さん方と子供さんと集える場所を私は提供したいと申し出て、ボランティアの形で去年から始めた。1年間で10人くらい集られた。今年は口コミで増えてきて、今、20数人になっている。ダウンの子を連れてみえるお母さんもいる。自閉症とか多動児とか、おもちゃを投げつけたりの暴力的な子に悩んでいるお母さんとか、普通の方もいる。チャキチャキのおばあちゃんが連れてくることもあって、多動児の子がつまみ食いすると「これ!あんた!」(笑い)とかビシッと言う。そういうおばあちゃんも今、貴重だよね。(そうそうそう!)そのおばあちゃんも「私よけいなこと言って、あの子に負担かけてるかしら、ごめんね」と気遣っている。一度、あんまり言われて、その子がおばあちゃんの背中をバシッっと思いっきり叩いたことがある。私は「今の子は怒り慣れていないから、切れちゃったんですね。でも、怒ってくださることも大事なことですよ」と言った。その子のお母さんも「有難うございます」と言った。そういう色々な人の輪がやっと出来て来て、今やっと軌道に乗ってきた。

 でも、しんどい時もある。おやつも家で手作りして持っていく。食べてる時って子供の至福の時だから、それでお母さん方も癒される。インスタントコーヒー用意して「お母さん方もこんな時はゆっくりしてね」と言う。それも全部自腹。自分が動けば動くほど、頑張れば頑張るほどお金も要る。で、アルバイトでベビーシッターをして、そこで頂いた分をそこに回してた。家庭的にも要ることがあってすごく苦しかった。こんな苦しいこともうダメかと思っていた時、ロードシックスの宝くじで3等が当たって77万円入った。(すごい!拍手)(神様偉い!)(じゃ、私も買おうかなあ)(爆笑)おかげで10数万円はおやつ代等にしようと計画がたてられた。さすがに神様ありがとうと手を合わせた。いつもここ一番の苦しい時、神様が助けてくださるの。いつも何かに私は支えてもらっている。
 幼稚園の方も経費としてとって下さいとおっしゃっていたけれど、経営が大変なことは分かっていた。「いいえ。私が頑張りますから」と言った次の日のことだった。もう一軒、三好でシュタイナーをやっているマザーハウスにもボランティアで行っている。そこが遠くて2000円交通費がかかる。それも自分持ちで行っていた。でも、それはあまりに申し訳ないと言って、行く度に3000円お年玉袋にくださる。経営が大変な時に3000円も下さって私は本当にありがたいと思って、差額の1000円を大切に使いたいなと思って、それでロードシックスを買っていた。(えーっ!)(素晴らしい!)(拍手)(すごーい!)(メチャメチャいい話だね!)

 お母さん方が少しでも癒されることが、子供達に還元されると思って(そして社会へ還元されるでしょ)素直にそれを使わせてもらっている。さっきのお話に比べれば、私の苦労なんて微々たることだけど。

●感動しちゃった(何人か涙ぐむ)。
●自分のできる範囲でやればいいんだなって思ってやっている。20年間職場で苦しい時もあったけれど、でも、あれが私の土台になって、それをお母さん方に今、伝えていける。私の辿り路だったと今、思える。公立保育園の保育の現状を見て、初めて、もう1回勉強し直そうと思って勉強した。今の所も基本的に親子で来て、ただお菓子を食べて自由に遊んでいるだけでいい。まわりをシュタイナー的にふわっと飾っているけど、お喋りをしているだけです。でも、だんだん広がって、お母さんひとりだけで「私が来たいんです」といらっしゃる場合もある。私は場を提供しているだけ。
●でも、そういうところがあるっていいよね。私達の時、なかったもの。
●何とか教室って言うと、「はい!皆で何か遊びましょう!」。そんなんじゃなくて、本当に子供たちが遊んでいる中で自分の子どもを見つめられて、社会性も一緒に育てていく。
 園からf無償では悪いからと言われるので少し戴いている。お母さん方も、先生だけにやらせるのは悪いからといって、代わりばんこにだんだんおやつを作ってきてくださる方が出てきた。今風のお母さんがそういう風に変わっていってくださるというのは、ほんとにありがたい。

●ゆったり工房の活動もメンバーだけでなく皆が変わった。
●感動が人を変えていくんだね。
●今日は感動したあ!勇気をくださって皆さん、ありがとう。又やっていける。(こちらこそ!)
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