がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り
16,2003年9月25日(号)『心に残った最近の新聞記事』      
 雨の坂道を2ヶ月ぶりに登って下さって、無事9月例会も開くことができました。9人の参加です。やっぱり深刻な事件が続いていますからね。新聞記事は重い内容にならざるをえませんでした。残留孤児の訴訟の記事は昨日の夕刊でしたが、家族の方の参加は迫力ありシーンと聴き入りました。時折大爆笑になるのはいつものごとしですが。
 そしてそして・・・大失敗!皆さん本当にごめんなさい。録音に失敗しました。会話が面白いのであって、要約だけでは、がま口塾便りの魅力は半減。残念です。泣いていても仕方がありませんので、次善の策として出席者全員の方に宿題をお願いしまして、発言内容をメモして郵送して頂きました。それをまとめた痛恨の16号です。出席者の皆さん!優しくカバーしてくださって、本当に有難うございました。トンマな家主をお許しください。


●朝日9/6 be  病床六尺、これがわが世界である。 正岡子規「病床六尺」
 
  今から百年程前、若干36歳で逝った俳人正岡子規の晩年の闘病の記事を読んで、その壮絶な姿に考えさせられた。脊椎カリエスに倒れ、病床六尺これが我が人生と観念し、病床から眺める軒先の風景が、障子をガラス戸に変えたことで世界が明るくなったと喜ぶ感性!!便利が当たり前になってしまっている私たちが忘れているささやかな幸せにふれることの大切さを感じる。当時はヘチマの汁が痰を切る薬として利用されていたようで、軒先に育つヘチマをいとおしそうに眺めていた、その心境はいかばかりだったか。
 百年前というと、いかにも遠い昔のことのように思われるが、人生も黄昏に近づいた私には百年という年月がそれほど手の届かない遠い昔のこととは思えなくなっている。この間に医学の進歩は目を見張るものがあり、ある程度の延命なども可能になっている。果たしてそれがどれほどの幸せなのかを考えてしまう。自然でありたいと思う。 

●朝日9/22  天声人語

 最近ワープロを製造しなくなっているそうだ。ただ書くだけの機能では満足されなくなっているとのこと。反面根強い人気を保っているのが万年筆である・・・我が意を得たりと喜んでいる。とにかく肉筆の頼りに接することが減って寂しく思う私は大の機械オンチ。誰が何と言っても手書きによる通信手段しかできない。少数派ではあるが、胸を張って万年筆を愛用したい。

●朝日9/23 声

 胎児に異常がみられると医師から知らされた娘さんから、そのことを伝えられた実家の両親が始末してほしいという気持ちを持ってしまったが、「そういう子を受け入れることの出切る優しい心の持ち主の所を選んで授かったのだから産む」と言って頑張る娘に何も言えず、結局生まれてきた初孫を、今では皆でいとおしく思って育てているという心温まる話。このすさんだ世の中に何と美しい心のこもった出来事であろうかと思った。

●朝日6/18 7/2 あきらめからの再出発 ルポ・長野の知的障害者施設「西駒郷」 / 脱施設へ 

 今日は懺悔の為に来た。長野で育った私は小さい時から、友達を苛める時、西駒郷へ行けばいい!などと言っていた。何も知らなかった。先回のがま口塾の時、施設で働いている方が、休日に子どもを家に引き取りたがらない親の話をしていた方があったが、脱施設の動きに共鳴を覚えるようになった。
 この問題は、入所者と親の問題というより受け入れる社会が問われる問題と言えるかもしれない。脱施設に向っているのは、全国でも、宮城県と長野県くらいらしい。まだまだ少数のようだ。

 コメント中国残留孤児の提訴のことを話したMさんに出会えたことが大変な収穫だった。裁判には金も手間もかかるけれど、現実には他に手段が無いというのが実情だと思う。何年か前に大学のゼミに社会人として通った時、「信濃教育会と満蒙開拓青少年義勇軍」というテーマでレポートを書いた。私の叔母も「大陸の花嫁」に憧れて、皆の反対を押し切って満州へ渡った1人なので、他人とは思えない。裁判の行方を注目していくつもり。

●☆ 8/16 フェアープレイの風景 プラス・マイナス・ゼロ
 
 サッカーのプロの試合で判定に不平を言ったり、審判を侮辱したりしてイエローカードを出される光景をよく見る。名古屋グランパスでもプレーしたゲーリー・リネカーは、ある試合でみごとなシュートを決めたが、オフサイドの判定を受けた。後に彼にその時のことを質問すると、「あれは確かにオフサイドではなかった。副審のミス。でも、審判はビデオを見て判定する訳ではないので、ときどき間違っても仕方ない」と答えた。「別の試合では、本当はオフサイドだったのにゴールが認められたこともある。シーズンを通せばプラスマイナスゼロ」と。文句を言うだけ損というのでなく、人間だからミスがあるのは当たり前という前提で試合に挑んでいるから、どんな判定があっても、自分自身のプレーに集中することができる。
 
☆ ブッシュ大統領のイラクでの大規模軍事作戦終了を宣言して以後、ドビルパン・フランス外相が月刊誌に書いた「向こう岸」という評論がある。「苦悩と不公正の大海の中にある満ち足りた孤島を容認できるだろうか」と問いかけ、「武力は永続的な解決にはならない、世界は一方の岸だけで生きられないのだから諸国民間の信頼を回復し、両岸の夢を取り戻すことが必要であり、歴史のこだまに耳を傾けようとよびかけている。
 コメント フランスの政治家には詩人や文学者がいて、深い言葉で表現するので心に残るものがある。

 ☆9/25 私達に人権返せ 提訴の残留孤児らデモ 心の声市民に届け 
 
 24日、全国で612人がいっせい提訴した中国残留孤児訴訟。「中国残留孤児に謝罪せよ」「戦時死亡宣告を取り消せ」「戦争反対」のシュプレヒコール。「生活保護を受けると監視されているかのよう。大事に育ててくれた養父母の墓参りをしようと思っても中国へ行けば生活保護は打ち切られてしまう」「祖国を訴えるのは本意ではない。しかし、生活保護を受けなければ生活できない帰国者が多く、中国の養父母の墓参りにも行けない。誤った政策を反省しない日本国を相手に人間の尊厳を守るために裁判を起こした」
 
コメント
私の愛読紙では、残留孤児の問題はよく取り上げている。ハンセン病の事も長期にわたって問題として取り上げていた。各紙よりも意見が言いやすいのかもしれない。 

 ●イラクから米軍撤退を 兵士の父親 中区で講演

 イラクに派遣されている米軍兵士の撤退を訴えるキャンペーンを米国で展開している「声を上げる軍人家族の会」のメンバーのS・クレッグホーンさんが名古屋で講演、「イラクを平和に導けるのは正当なイラクの指導者だけ。軍隊にはできないと語り、日本の自衛隊派遣にも「攻撃の標的になるのは明白。自衛隊員は自分を守るためにイラク人を殺さなければならなくなる。イラクの人の助けには決してならない」と強く警告した。

●中日9/8 しなやか悠悠世代
 
コメント
いつもの朝のように新聞をめくっていたら、知っている人の写真と名前を目にして、とっても嬉しく読んだ。1つのCDR制作に対する情熱と愛情を感じるとともに「パソコンの画面上に・・・」で始る記者の文章力に感服した。この記事をきっかけに、その一週間前の同じコーナー、そして月曜ごとにこのコーナーを読むようになり、中高年世代が色々な分野で活躍していることを知り、一見普通に見えるオジサン、オバサンが懸命に生きている姿に私も力を戴いている。

●中日9/21 未来の主役へ NHKアナウンサー三宅 民夫さん(51)

 「おはよう日本」のキャスターに抜擢されたのは97年から。色々苦しんだ。画家の原田泰治さんに「あなたの話し方は演説みたい。誰か1人に向って話すようにしてみたら」とアドバイスされて、翌日から妻に語りかける様にイメージしたら、声のトーンも落ち、ゆっくりと話せ、表情も柔らかくなった。コミュニケーションの基本は1対1。苦しむことが多くても、他人の声に耳を傾けながら一つ一つの積み重ねを大事にしたい。遠回りのようでも、それが実は目標への一番近道じゃないか。無駄なことなんてない」

コメント
 朝、テレビでよくお目にかかっているので?私が一方的に身内のように思っている方。名古屋についてもよくご存知なので、赴任経験があるのだと思っていたら、何と、名古屋市千種区生まれ、育ち。私も高校時代から千種区に住んだので、より親近感を抱いた。

●中日9/25 愛・地球博 開幕まで1年半

 2005年3月25日から半年間にわたって開かれる日本国際博覧会(愛・地球博)の開幕まで25日でちょうど1年半。これにあわせて入場券販売をスタート。
コメント 大阪万博(1970年)の数年前から建設会社に勤めていた父は単身赴任で大阪に行っていた。万博が始り、和服の母と新幹線で出かけ、大阪で会った時の父の笑顔と、会場で色々説明する姿に新鮮な驚きと興味を抱いたことを覚えている。当時は外国人を見かけることは少なかったので、会場で見かけたり、すれ違ったりするだけでドキドキした。いっぺんに世界を知ったり、未来を考えたり、色々な国の人と出合ったり。
 20世紀は速く速くというイメージ。21世紀は歩みを緩め、ゆっくりいこうよという流れ。現在長久手町に住む者としてシラサギやカルガモが住む自然を大切に守りながら、市民参加型の今までに無い万博としての成功を祈っている。

●新聞はとっていない。インターネットで記事を読む。 「中国残留孤児提訴」

 義母が残留孤児でその息子の妻として日本へ来た。残留孤児は中国で棄てられ、日本に帰っても又、棄てられて、本当に苦しい生活をしている。拉致問題は脚光を浴びて問題にされているが、かつて日本がやったことを思い出してほしい。国策として日本人を中国へ送り、国策として棄てた。多くの中国人や朝鮮人を拉致した。日本は恥かしくないのだろうか。日本は国が保証人にもならず、やっと保証人を得て来日しても、4ヶ月の日本語学習で一般社会で生活していけるはずもない。それでも何とか苦しい生活を忍んできたら、いまや定年などで働けない。生活保護を受けると、養父母に会いに行ったり墓参りをしたくても、観光旅行とみなされて、保護が受けられなくなる。その額にしたって家賃を払えば、本当に食べられないぐらいのもの。
 日本に来ればお金が空から降ってくると思っている日本に来たがる中国の親戚などには、中国で暮らすようにと言っている。自分の生活だけでも苦しいのに、彼らまでの面倒は見られない。日本は温かい国ではない。鬼のような国だ。

●これといって決まった記事は持ってこなかったが、悲惨な記事が多い。新潟の少女連れ去り事件など、人を人と思わない人(皆人なのに)が多すぎる。人は物ではない。心を持ち多くの人に支えられて日々の生活をし、悲しみや喜びを感じて生きているのだということを知らないのか、知ろうとしなかったのか、それとも知る機会がなかったのか。寂しい人が犯罪を犯すのだろうか。
 そんな中で、記者さんの思いが伝わる小さなコラムや、読者の声を載せた欄などにホッとすることができる。がま口塾に行って、様々な考え方の話を聞くことが出来て、今の状況(時間と場所)に感謝している。

●中国青年報 6/18, 7/30, 9/7,生活周刊6/9号 SARS関連記事

 SARS支援の寄付先を北京の各方面に相談した結果、「中国青年報」(中国で、ある意味では人民日報にも匹敵する全国紙)6月18日付けトップニュースで大々的に報じられた、姚一家の支援とすることに決めた。
 7月29日の東京でのチャリティの会の記事は「中国青年報」の東京特派員の蘇さんが書いて、7月30日に報道され、蘇さんが実際の新聞も私に送ってくれた。そして9月6日に北京で贈呈した事は、9月7日に賀カメラ部長撮影の大きな写真入で一面で大きく報道された。国際放送局発行の「世界報」にも、通訳をしてくれた王さんが写真入で記事を書いてくれた。

 賀カメラマンは既に3月から政府に病院内での撮影の許可申請を出していたし、なかなか許可されないので、自分で病院と直接交渉して、院内へ入り、危険をかえりみず、ずっと医者と同じ防護服を着て、一緒に生活しながら撮影を続けた。素晴らしいジャーナリストが中国にいる。
 又、元軍医の蒋氏は、4月3日の中国の記者発表の安全宣言に対し、命の尊さを訴え、毅然と正しい数字を発表すべきだと告発、それはインターネットで世界をまわることになり、政府の4月20日の記者会見となっていった。
 9月6日に贈呈式から帰る時、色々相談に乗って戴いていた蒋氏の家族から、蒋氏の顔がアップになった表紙の「生活」という週刊誌をプレゼントされ、感激した。それには「人民利益高于一切」というタイトルの、SARS報道の詳しい経過が10ページにわたって書かれていた。こういう真摯な人々が中国にいるということや、その報道の力に感動した。

●☆朝日9/10 「絶望から抜け出すために」

 パレスチナの混乱はどこまで広がるのだろうか。無差別テロを含む武装闘争の放棄を掲げていたパレスチナ自治政府のアッバス首相が、わずか4ヶ月で職を投げ出した。アッバス氏は辞任演説で、過剰な軍事作戦を続けるイスラエルを非難する一方、首相への支援が不十分だったとして、アラファト自治政府議長を批判した。
 パレスチナの人たちは、今何を願い、誰を指導者に望んでいるのか。その1つの手がかりは今年初めに実施する予定だった総選挙を行なうことではないか。

 ☆朝日9/10 「連続インタビュー・同時多発テロから2年」

 欧州から見た米国の今。「いかに高尚な理念を掲げても戦争は結局人を殺すもの」ーーー今後の世界に希望がもてますか。「ブッシュが政権にいる限り無理だと思う。

☆朝日9/24夕刊 中国残留孤児訴訟 「国の政策で帰国遅れ、自立困難。」

 24日、国家賠償を求める中国残留日本孤児たちの声が、東京や名古屋の街角に響いた。各地裁での提訴を前に孤児達はデモ行進し、思いを訴えた。昨年12月の集団訴訟の動きは全国に広がり、この日で原告団は永住帰国した孤児の反芻を超える1200人以上に。北海道、大阪などでも訴訟準備が進められている。

 コメントイスラエル対パレスチナの抱腹の連鎖。アメリカのイラク攻撃とその後の戦況など、国際的な暴力から、街の小犯罪に至るまで、近年ますます平和と安全が失われ、人々の心が荒廃してきたように思われてなりません。人間は何と愚かな存在かと思います。
 どの記事と特定できないが、朝日の「連続インタビュー・同時多発テロから2年」の記事で、スペインの作家のフアン・ゴイティソーロ氏が「今後の世界に希望が持てますか」の問いに私ならNO.と答えたくなる。
 そのような絶望の一方でささやかな明るいニュースに感動し、日々の小さな幸せに喜びを味わって生きていければ満足という現在だ。

●中日9/24 「凍結卵で治療前進 不妊から出産2例」

 体外受精させた受精卵を6年2ヶ月凍結保存した後、母体に戻して出産させることや、未受精の卵子を急速凍結して約1年後に解凍、体外受精し、出産させることに札幌市と長野県の病院がそれぞれ成功していたことが分かった。どこまで許されるのだろうと思った記事。
 
コメント
 まず初参加なのに遅れて申しわけない。でも、とーっても面白かった。普段お付き合いのないような年代の方たちのお話は、目からウロコだったり、しみじみーと心にしみてきたりと、とっても新鮮。皆さんの「最近気になった記事」の話が聞けなかったのが残念だったが・・・。

と、大体ぐるっと巡ったのですが、もう後は、フリーフリーフリートーキング。本当に本音と思える話し合いで盛り上がりました。・・・ということで、包み隠さず、到着メールも紹介しますと、

●最近の新聞記事ではないが、ずっと気にかかっている事。北朝鮮拉致事件で、横田めぐみさんが自殺していたと発表された時、めぐみさんのお母様が発言された内容。「めぐみは自殺する訳がありません。そんな弱い子に育てたおぼえはありません」。実際に自殺した子を持つ母親には、とても辛い言葉ではなかったのではないか。思春期に拉致され、異常な環境で生活していれば、精神に異常が出て、自殺にいったても、不思議ではないと思ったのだが。被害者の言葉でも、許されない言葉だと思った。

●SARS支援など、日本にもやさしく、心配する人がたくさんいるのに・・・・・、福岡の一家殺しはお金のためなら、なんでもするというおぞましい若い子という。複雑な気持ちになる。

・・・めぐみさんのお母さんの発言は、政府発表直後の記者会見だったと思います。咽んで言葉が途切れ途切れだったお父さんに代わって、まるでお父さんを励ますようにおっしゃっていたのが、私の印象です。「自殺=弱い子」とは、確かに言えないけれど、私がもし、あの日のあの状況の、あの記者会見でのとっさのコメントでは、口には出すか出さないかは分からないけれど、心の中で、そう夫に叫んでいたと思います。我が子は生きていると信じたいあまりの心が滲んでいるように思いました。
 中国人による犯罪でも、日本と中国での報道の質・量・システム等、いっぱい違う条件の中で、つぎつぎおこる色々な訴訟や事件。確かに複雑な気持ちになります。そして、それぞれのニュースが別途のものではないかとも思ったりします。でも、言いたいことは、ただ1つ・・というか、1つしか言えません。自分の手の届く範囲の中で、自分の得意とすることで、平和へのメッセージをこめながら、仕事をしたり、暮したりすることだけはやっていたいと。そう思っています。

 ※ 次回  10月23日(木)10時〜12時 テーマ『口癖』
      次々回 11月25日(火)10時〜12時 テーマ『嫉妬』 


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