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17,  2003年10月23日(号)  『口癖』      
 1ヶ月がこんなに待遠しかったことはありません。だって先号の誤字があまりにも多かったからです。パソコンでは、訂正してお詫びしていますが、郵送分については、永久に訂正不可能。お笑いくださいね。
 さて、「口癖」のテーマに集ったは8人。メール参加2人。医療現場のお医者さんの口癖から始まって、自分の口癖は自分ではわからないということまでアッというまの2時間でした。家族にアンケートをとったという事前の準備を怠りなくしてきた人もいましたが、人の話を聞いていて触発されて、色々な口癖を思い出した私のような人も多かったですよ。

●最近娘に言われてとんでもない口癖があることを知った。「返事をする時に『「はいはいはいはいっ!』って 言うよ」と言われた。たまたま皆がいるところで電話をとったら「はいはいはいはい」って言ってる。言われてからもどうしても直らずに言っちゃう。人がそんなこと言ってたら耳につくなと思うのに自分が言ってた事に衝撃的だった。ある程度人の話を聞くことが、私の仕事の中にあるので、「はい」と言うべきを「はいはい」と言うのは気持ちに焦りがあったり、相手のことをそこそこに聞いてる現われなんだと思ってる。意識をしていないことを直すのはものすごく難しいなと思う。自分というものは見えないものだ。

 夫は何でもない時によく「要するに」と言う。一緒に仕事をしている者が「はい。要するに〜〜〜」と応待した。何にも話していない前から。(笑い)。意味をとって聞いてる者には聞き辛い。若い人とのずれもある。20代くらいの人は「〜〜していいですか?」をよく使う。許可を求める言葉なのでイエス、ノーで答えることなのだが、例えば相手の名前を聞くのに「お名前を伺いたいのですが」と私達だったら言うところを「名前を聞いていいですか?」って言う。「座って戴いていいですか?」とか。「座ってください」でいいと思う。しょっちゅうそう言う子に聞くと「その方が当たりが柔らかいから」。皆が使っているので耳障り。
 
 コンビニに行くと「いらっしゃいませ。こんにちは!」。いつもどっちかにしてって言いたくなっちゃう。業務上のマニュアルだと思うけど、意味のある言葉を口癖のように言われると辛い。日本語が崩れて行く感じ。自分の意識していない生き方がポンと出ちゃっている場合と、年代で言葉が代わっていくと考えられるが、自分の口癖についてはやっぱりなおさないといけないと思う。相手がいる職業の場合はしゃべると言うことに対して訓練が必要だと思う。 

●口癖は自分ではあるとは思わない。人から言われたこともないつもり。強いて言えば「本当に」と言う言葉を最後につけてしまう。「有難うございました。本当に」。『又言った!』って気がつくんだけど「ごめんなさい。本当に」とすぐ言っている。念をおしたいのか、より相手に分かってもらいたいと思うのか、止めようと思っているのだがついつい言っている。失言をしてしまったということはよくある。
 他の人については過剰な敬語がこの頃苦になる。「〜〜させていただきます」。もともとは、相手に許可を求めた結果、お許し願ってやらせていただきますということだと思うけど、そんな必要は全然ないところにも非常に多い。バスツアーに行ったらガイドが「ご案内させていただきます」「国道第○号線を通らせていただきます」(笑い)「△△トンネルを通らせていただきます」。思わず「ええっ!」っと思った。

 退職前の職場での会議でも「□□を報告させていただきます」。「資料配らせていただきます」。なりたくてなったんじゃないのに「ご指名に預かりまして、議長をやらせていただきます」。本当に多い。で、私が「じゃ、報告します」って言うと、何かつっけんどんで、丁寧さ、謙虚さを欠くようにとられてしまいそうだ。
 入院中に看護婦さんが来て」「お熱計らせていただいていいですか?」って言った。(笑い)
私が「嫌だ」と言ったらどうなるか。(つい嫌だって言いたくなるよね)当然のようにさせて頂いてよろしいでしょうか・・・。
若い人の中に、助詞を使う代わりに「方」を使う。「お手洗いの方はあちらです」「お買い物の方は後で」〜〜は、〜〜をでいい。「レジの方お済みになりましたか」あたりをやわらかくしているのか、苦になる。

 要するにという例がさっき出たが、「いわゆる」をやたらに使う。長島さんなんかもそうだけど(爆笑)全く必要ないのに。小泉さんが、中曽根さんと宮澤さんのこと「それはご当人の問題でしょう」「本人に任せます」ばかり。自分の意見をはっきり言ったらどうだと思う。
●JRの踏み切りだけは違った。でも、あれは首相が指示する仕事じゃない。(そう!)肝心のことは丸投げで小さなことを指示する。

●1人暮らしなので、何が口癖かわかんない。昨日胃が痛くなって病院に行った。自分では前の経験から十二指腸潰瘍になったなと思って行ったのだが、医者が「すぐ検査します。胃カメラです」って言うので、どうしてお医者さんて「すぐ検査」したがるんだろうと思った。(笑い、何かあるといけないから医者はすぐ検査って言う。僕は検査と言われるストレスで更に潰瘍が悪化する。予約しなかったので2時間半待たされたあげくだった

 みんなこんな風で文句言わないのか?いい先生に見てもらうにはいい患者を演じて流れに乗ってやっていかないといけないのだろうかと痛烈に感じた。心細い時に心理的サポートを看護士さんに求めてもダメ。ものすごい患者さんで流れ作業でやっているので、いちいち温かい言葉をかけてもらおうという根性で来てたらやってられない。平気で「癌ですね。貴方が何ヶ月か前に来なかったから手遅れでこうなったんですよ」ってしょっちゅう聞こえて来る。(へーっ)
 病気があって入院を長期にしなければいけないけど、プライバシーは保たれなくて、最悪。そう思う自分は間違っているんだろうか。皆は順調にやっている。ぼくは、自分の思ったことを言う場所がない。あんまり悔しくなったので、今日がま口塾に来た。お医者さんは、こういう時にはこういう言葉と決めて口癖のように言っているので、恐怖を感じている。がま口塾で共感してもらえたら、少しは救われてありがたいなと思う。

●医者とは波長があるよね。色々なところに行くといい。誤診もあるから、私は3〜4回くらいグルグル回って手術を決定した。医者にそう言ったらすごく嫌味を言われた。(そうでしょう。それがいやでね・・・)
●セカンドオピニオンなんて聞きにくい。(そこに行かないつもりならいいけどね)
●一ヶ所だけで「はい、そうですか」は嫌だったし、誤診もある。同級生が医者に嫁いでる。医者はすぐ手術したがる。夫も医者なのに癌で死んじゃったって。彼女も受診したら「癌です。余命1ヶ月」「はい。何もしません」って、今も生きてる。私のことも「手術が間違いだったかもしれない」って。(爆笑)自分が「生きる!」という意志をもつことが大切だっていう。
●私でさえ、友達が「ほんとに癌だったの?」って言う。(うんうん)
●自分の強い意志がいるね。選択の問題。
●ネットに経歴を載せている医者もいるけどまだ不十分。(経歴じゃ判断できないよ)僕は難病患者の会に入っていて、400人ぐらいいるので、そちらからも情報を貰っている。でも、あう、あわないの個人差がある。

●口癖の話だけど、私は1人暮らしが長かった。1日中誰とも話をしないで終わることもあり、夕方銭湯のおじちゃんにお金出して「こんにちは」と言うだけとか。ひとりごとが多くなって、愚痴や溜息を壁に向って「だよねえ」などと同意を求めたり、「もう嫌になっちゃう!」とぶつけてみたり。いまも、たぶんそういうことをしてると思う。家で仕事をしているのでそうなりがち。子どもが帰ってくると「何言ってるの?」。自分の口癖は気がついてないけれど、人の口癖は耳についてよく分かる。
 夫は私がダラダラ話すのが待てない。で、口癖で「要は〜〜なんだろう!」とくる。すごくせっかちな人。私に対してだけでなく、他の人にも言っている。私はそこに至るまでの思いを言いたいのに言えない。それが積もり積もって何十年という感じ。私も子どもからみれば、きっと口癖がわかってると思う。気がついてしまうと耳に残って言ってやりたくなるね。

●ここに来る為に家族に「私の口癖ある?」って聞いたら「何もないよ」と言われた。困ったなと思った。最近、私は生き方としてたくさん「ありがとう」を言おうと思っている。山の会のメンバー。山へ行く時家族が「蟻1匹踏まないでね」と言う。たぶん蟻も虫もいっぱい踏んじゃってるから、どんなことにも「ありがとう」という気持ちで過ごしたい。家族に対してもムカムカすることは多いけれど、親切にしてくれた過去のことを思い出してとにかく「ありがとう」を口癖にして生きていきたいと思っている。(すばらしい)

●私もやっぱり家族にアンケートとった(爆笑)。とにかく家庭では「わーっ!」「ぎゃー!」。名前を呼び間違えたり、テレビに「うんうん」とうなづいたり「違うよ!」と言ったり、大した言葉を発していない。口癖にも色々あって、守る気もないのに言ってるだけの口癖がある。例えば小泉さんの「改革!改革!」。(笑い)(そうなんだあ!口癖なんだあ!)(すごい納得!)私が住んでいる町にも「優しい町づくり」というスローガンがあるが、優しくない町だからか?(笑い)自分でも「痩せたい」と言っていてもそのわりには実行していないとか。やっぱり言葉が上っ面。心底想いと一致したところで発する言葉であればちゃんと受け止めたいと思うのに。

 私も想いをこめた「ありがとう」とか「おかげさま」を口癖にしたいと思っている。知らない人とでも声をかけることができたらと思うけれども、最近は声をかけ辛くなってきている。人とあまり関わらないで、ある程度距離を保つ傾向に世の中がなってきているのではないか。日本語の乱れの問題や医療の面も、根本的に何か重なっていることがあるのではないか。自分のせいにしたくない。判断を他人に委ねて何か起きた時に責任転嫁できるようにする。「〜〜はどうですか?」と一見聞いているようだけど、断定しないということ。

 ボランティアで電話相談しているけれど「死にたい死にたい」と言ってくる人とか「この世の中間違ってる!」としょっちゅう文句言ってくる人がある。その言葉の持っている意味をもっともっと考えていきたいなと思いながら接している。人に対して「頑張って!」と気軽に励ます言葉というのは、今落ち込んでいる人にとっては負担でしかないと聞く。「頑張ったね」とか「すごいね」と、その人を認めるような言葉をかけたい。無責任な励ましは人のためにならない。認めてあげる言葉が口癖になるような世の中だったら救われる人が増えるかな。最近この近くで起きた4歳児虐待殺人事件。お子さんは「お兄ちゃん怖い怖い」って言っていただろうし、お母さんに甘えたい甘えたいと言ってただろうに。色々なサインを発していただろうに殺されてしまったのは、寂しい、哀しい。

●家族かお隣の人に「私の口癖ってなあに?」って聞いてくればよかった。(笑い)なくて七癖というからあるのでしょうに。ただ1つ自分では、話している途中で、本当のことなんだろうけど、つい「嘘っ!」って言ってしまう。(あーあ)(そうそう)(笑い)。年をとったら、テレビを見ながら「うんうん」とか「違う」って言っている。口癖かな?夫の口癖はよく分かる。会話をしているとすぐ「まあ、あのー」。最初は黙っていたけど、最近は「ホラ、言った!」って言う。

 医療では私も気になっている。痔が痛くなった。近所の外科・肛門科へ行ったら、即答で「あなたの痔は4時40分の痔ですから(え?角度?)(笑い)ひどい。即手術しなければいけません」。私はそういうつもりで行ったんじゃない。生理のあとで、ちょっと痛かっただけなのに入院が2〜3週間だって言う。一応「わかりました」とだけ言ったら、その時にもう薬の山。その日の夜別の病院へ行ったら「わかりました。大したことありませんね」(笑い)その場で軟膏を1本処方して戴いて「様子を見てください」。2〜3日で治ってしまった。だから、医者は何ヶ所か回らなければいけないと思った。

 「私、肺炎だと思いますから入院させてください」と言った時、「それはできない。とりあえずレントゲンをとりましょう」。1週間ぐらいで症状は治ったが、忘れたころに電話がかかってきて「お話したいことがあるので来てください」。もう健康でそんな必要ないですと言ったものの、行ったら「肺癌の疑いがあります。検査だけしましょう」。・・・1年たった今も何ともない。健康診断もおかしいなあと思うことばかり。

●私は個人病院に何年か勤めていたことがある。分かったことは、医者っていうのは薬を出したがる。薬を出せば出すほど、病人にすればするほど儲かる。出来高制。その頃老人医療は無料だったから、患者負担にならないので、老人はいいカモだったと私は感じた。『こないだしたでしょう』と思っても全部検査。老人も医者の言いなり。いいお医者さんが早く治しても、それに報いる制度になっていないから、下手なお医者さんがダラダラ時間をかけて治すと儲かるシステム。だから、欧米に比べて日本はものすごい薬を出す。手術をさせたほうが儲かる。

●今は制度が変わって医薬分業になっているから、薬で儲からなくなっている。検査で儲かると思っている人はしているかも・・・。(〜〜の疑い・・とか上手に病名つけるし)
●健康な状態で行って「おなかが痛い」って言ったら、適当に薬くれるでしょうね。(嘘言ったらだめだよ)実験

●色々訴えているのに「あなたの気のせいですよ」とは医者はなかなか言えないよね。あたりさわりのない薬出したりとか気休めの薬とか。
●何科に行っていいか分からない時、指導してくれる科ができたそうね。いきなり精神科も行きにくいし・・。
●総合診療科だと思う。概念としては最近の考え方。(いいですよね。)そっちにまわしてもらえばね。

●医療不信。僕はひどい虐待の体験があって、個人の開業医のレベルでは限界だと思ったのである大学の精神科に受診した。「あなたのように元気な人が入院するところはどこもありませんよ」と言われた。他府県を当たって静岡に行って言われたのは、最低でも1年の入院。PTSTの複合的なものが分っている専門家が少ない。一方では笑われ、一方ではすぐ入院。しかし入院したもののいきなり薬を大量に飲まされて、朝起きようとしたら、壁にぶつかってふらふら。字も読めない。看護士さんに訴えても医師の指示だからととりあわない。オネショも6回くらいした。それで又名古屋にもどってきて、又今苦しい。どこにも話を聞いてくれる人がいない。希薄、一律、マニュアル化。ぞっとしてまっくらな世界を見たって感じ。救いがたい社会システムの中で生きていかなければならない。今日はこういうことを話せてとても良かった。有難うございました。嬉しいです。

●私も今日ここへ来て本当に嬉しい。(ありがとう)・・・ごめんなさい(涙ぐむ)。電話相談してても、虐待で苦しんでいる電話があっても私たちができることは、例えば家庭相談所の電話番号を紹介するぐらい。その人の名前も聞けないし、こちらが会って何かしてあげることもできない。でも、紹介先でもほっておかれたりする。児童相談所の人も頑張ってるんだろうけど、いろんなケースがいっぱいあって職員の人手も限られている。実際何かおこっちゃったら責任追及の声があがる。まわりの人が批判することは簡単。当事者はどうやって一つ一つのケースに関わろうかというのは、とても慎重を要することだし大変なことだと思う。児童相談所ばかり責めるのも酷だと思う。精神を病んでいる人からの電話でも、実際に現在カウンセリングを受けているという人が、そこでちゃんと聞いてもらえないという気持ちを抱いていて、1日に何遍もかけてくる人がいる。その人たちに罵声を浴びせられて、相談員の方もまいってしまったりとかしながらやっている。でも、電話で繋がっている間だけでも何か誠実に答えてあげたいなと思いながら、でも、これは、もしかしたら「作話」じゃないかと疑う気持ちも芽生えてくる。実際本当に同じ人が同じ声で大人だったり、中学生になったりとか(ふーーーん)色々なバリエーションを持っていて、相談員も経験豊かな人がいるので、相談員に応じて話を変えてみたりする。そういうのに翻弄されながら未熟なボランティアをしているが、誠実に応えたいという気持ちが空回りする。無力感に襲われる。

 基本的には、まず自分が「生きてるっていいな!」っていう思いで生きていたいし、言葉にならなくてもどこかでそれが伝わっていったらいいなって思う。お医者さんだってひどいお医者さんがいるかもしれないけれど、あきらめないでいたら、どっかで、もしかしたら素晴らしいお医者さんに会えるかもしれないから、希望だけは棄ててほしくない。Mさんがどういう思いで今まで生きていらっしゃったかお会いしたばかりで分らないが、これからいいことがあるようにって祈っている。(ありがとうございます)会ってお話するっていうのは、言葉だけじゃなくってこうやって他のものをお互いに発しながら繋がれるので嬉しいな。

●今、少年犯罪が多い。最近農作物を盗むっていうニュース、あれは、どう考えてもとんでもないこと。心が貧しすぎる。少年犯罪や子どもの教育をどうするかって問題になっているけど、私は1つの側面はお父さんが家にいないということだと思う。お父さんが6時7時に家にいる家庭ってほとんどないと思う。世界の中ではそういう国も少ないと思う。夕食をお父さんがいっしょに食べない。心の教育や学力といわれるけど、子供たちが満たされないとか、すさんでいるということは、大人があまりにも忙しすぎるということ。
 
 男の人達は病気がたくさんあってストレスで病院へ来る人が多い。聞いてみると10時、11時、12時の帰宅。1ヶ月に休みが1回もないとか。あるいは仕事がない人。失業率は高い。フランスの労働組合が闘争で労働時間を勝ち取ったというニュースを聞いた時、日本ではその倍くらい働いていると思った。教育問題だけいじっていても何にもならない。家にはお母さんと子どもだけ。男の人は帰って来ても疲れはてて、母子と対話する時間も心の余裕もない。
 以前の住まいでは、お隣が証券会社の方というのが2回あった。お父さんが毎日12時に帰ってくる。土日の休みは只々寝る。それが30代。大人の働く形態があまりにも厳しい。お父さんがちゃんと6時に帰るという政治をしていかないといけないと思う。私も仕事をしていて、祭日で重なって休みがとれるとやっぱり生き返る。休みもなく働く人生を送っている国民のいる国は健全な子どもが育たない。子どもの愛国心を育てるとか、そんなことではない。

●男どころじゃなくて、今、うちの娘は朝10時に出て、帰るのは毎日12時過ぎ。会社で育てるってこともせず、入社したその日から即戦力を求められる。それができないと「他にいっぱいいる。どうぞご自由に辞めて」という感じ。だから我慢して働く。リストラするからどんどん人数が少なくなってそれで同じものを回さなくてはいけないから、1人の労働量は増える一方。欧米のワークシェアリングって考え方がない。不思議。

●皆お金が欲しいばっかりじゃないですよね。時間がものすごく欲しい。
●競争で勝つにはリストラ。日産のカルロスさんもあれだけのリストラをすれば当然だという成果。
●コストをカットするのがもてはやされている。
●郵便局の方が入院して半年休んだ。その人は給料全額出て1年休めるそうだ。定年過ぎてもお給料は下がっても又働けるというシステムがあるとか。公のところは随分保護されているんだなと思った。
●官民の差がどんどん広がっている。
●公務員は、明日会社が潰れるという発想がない。裾野の人はものすごく一生懸命働いているけど、上・・。
自治省から必ず部長として天下ってくる。予算をもらえなくなると困るので、来て欲しいとも。矛盾がある。

●生涯学習センターも校長の天下りを受け入れるシステムになっている。安いパートの女性のほうがよほどテキパキと仕事をする場合があると聞いた。社会教育課なのに。あまり仕事しなくても給料をもらえる人達と、電話相談等の仕事を、真剣な気持ちでボランティアでしている人達がいる。

●私の知り合いの牧師さんも電話相談をされているけれど、「死にたい死にたい」と言うだけの電話を受けるって・・・。大変な仕事。小泉さん呑気にしている場合じゃない。

●テーマにもどりますが、「年だわあ」「昔はこうでなかった」とか心の中でしょっちゅう言っている。口癖。何でも「すごいー!」で片付けちゃう。(笑い)どのようにスゴイのかとっさに表現できるように普段から研究していればもっと豊かな言葉か話せるのに。昔、車を買った時、セールスマンが「逆に言うと」という言葉を口癖のように使っていたのが、今でも忘れられない。論理的だと思って使っていたのだろうか?ちっとも内容的には逆のことを言ってなかった。でも、口癖って言うのは、言うことで自分が自分を癒しているのならいいのかなと思う。

 国の口癖っていうのもあると思う。中国へ行くと「メイヨウ」という言葉がすぐ耳に入る。「没有」と書き、無いという意味。あっても即座に「メイヨウ」と言う時がある。他の大事な人にあげるために「有る」のであって、私には「メイヨウ」。(へーえ!)もう一つが「メイパンファ」。「没方法」と書く。(しかたがないってこと?)こうしようよとか建議するけれど、「メイパンファ」。住んでいるうちに自分もそうなっちゃった。そうすると相手とうまくやっていける。「そうじゃないよ!なんとかしようよ!」っていうとうまくいかなくなってしまう。一緒にとにかくまず、「メイパンファ」と嘆きを共有するとコミュニケーションがうまくいく。この国ではしかたがないってことをあいつはよく分っているということになる。(分る気がする)国家のことだから「しょうがない」と言いながら、ものすごく巧妙に生きている。そこがすごい。日本はけっこう必死に真面目にコソコソ言葉を探して生きてるようには思う。

 お父さんが夜7時に帰っている家庭が少ないという話は、本当にもっともだ。しかし、中国では、7時になっても帰らないお父さんの方が少ない。国営企業では特にそうで、9時に出社、11時にいったん家へ帰って昼食と昼寝。2時に出社して、4時退社。お父さんは元気いっぱいに市場に買い物に行って、生きた鶏なんかの品定めをして、家で料理の腕をふるう。羨ましくて感動した。民族の口癖というのは、感じた。

●指圧をする中国の人に、仕事場に皆の寝床があるって聞いてびっくりしたことがある。日本人は寝ないからいかんって。(笑い)そして、日本人はおかしいって言う。日本の会社で朝、30分遅刻するとすごく怒られるって。(笑い)前夜飲んで、朝起きられなくて遅刻しても中国ではOKだって。(笑い)話し合い以前の問題。認識が全く違う。幸せな人生。私達だって昼間寝たい時があって、ちょっと寝たらとても気持ち良くなって又働きやすい。
●計画経済から市場経済への上手な移行がないと日本のようになっちゃうね。
●でも、何千年と育んだ民族性はそう変わらないと思うのでどんなふうに変わっていくのか・・・。 
●私の職場の人は国連の試験に受かってイタリアの食料事務所に配属になったけれど、やっぱり4時間しか働かないから嫌だってWHOに変わっちゃいましたよ。(年令もあるね。若い人にはちょっとね)でも、定年すぎてそのいいかげんさがいいっていう人もあるし。国民性とどこで妥協点を見出すかってこともあるね。

●家の母は79歳でデイサービスに行く。そこに「有りがたや有りがたや」としょっちゅう言っている人があるんだって。お年寄りになってそれが口癖になっているってことが素晴らしいと思う。年取ると身体も動かない頭も回らない、全てがうまくいかないでしょ?家の中ではちょっとお荷物。そういう発想はいけないけど。どこかへいく時も行く直前になるとトイレに行くとか。トイレもものすごく遅い。でも、お年寄りが「ありがたい」と口癖にいう社会にしていかなければいけないし、自分も言えるようになりたい。
 私も45歳くらいになってから、座る時に「やれやれ」というようになった。(どっこいしょ!とか)(笑い)母からやめて欲しいと言われた。私がバタバタして最後に座って「やれやれ」と言うと、すごく嫌味だっていう訳。で、母にそう言われてすごく辛い。私は言うことで自分を慰めているのか、言いたい。「言わせて」と本当に言ってしまった。すると私が座ると母もいっしょに「やれやれ」と言うようになった。やっぱり自分を慰めている言葉で言わないでいたいけど、どうしても言いたい言葉。

●妊娠中は「どっこいしょ」が出ちゃってあれを言うなと言われても、あれは出てしまう。(言わせてって感じ)
●私も山登りしてるけど、いつのまにか「ヨイショッ」って言ってる。そうするとホッとするっていうか、段差のきついところは救われる。
●家の亡くなったおばあちゃんのことを思い出した。夕方になるといつも毎日「今日も1日テンコロリン」(笑い)。今にして思えば、今日も1日暮れました。やれやれという意味だったんじゃないかと思うんだけど。

<メール参加紹介>
●私の口癖というよりは、いつも寝る前に主人に言う言葉。[お父さん大好き!お休みなさい。」。50歳に数年で手が届くおばさんがと、笑われるかもしれないが・・・・・。ある時幼友達とこの話しをしていたら、[よくそんなこと言えるね、私は嘘つけないからそんなこと絶対に言えないよ。」と言われた。毎晩のことなのでただの挨拶に過ぎなくなっているものの、私自身も自然に出てきた言葉だったし、主人もまんざらでもなさそうで、これからもずっと続くと思う。

●(へーーーーーっ)(ほーーーーっ)皆言う?(いわなーい!)
●私言われる。(いっせいに・・うほーーーひえーーーっ!)(すごい!)いまだに夫に毎日。メールでも、大好きだよって。私もなるべく言うようにしてるけど、どっちかって言うと、私はすぐ「ありがとう」と感謝を言ってしまう。
●子どもをいい子に育てたかったら、夫婦がお互いにVIPになりなさいって言うね。(VIP?)うん。一番大切な人として扱うってこと。典型的にやっているのね。
●でも普通サ、結婚するとVIPじゃなくなる。(笑い)釣った魚には餌やらない。
●夫が帰ってこないとどうしても女性が家を取り仕切るので、女性上位になる。11時12時まで帰ってこないとお母さんが決定してしまう。お母さんも大変。

●だから、夫が子供との距離のとり方をしらない。母親は一日の全部を見て、こどものベースにあるものを知っていて子供のわがままが理解できる。今にして思えば、私がそこをフォローすべきだったかと思うが、夫は私に対しても嫌な思いをさせる時期があったので、私もフォローしたくなかった。子供とお父さんの関係を例えば私が「お父さんがいないのは、お父さんの仕事が大変だから」とか言うべきところ「又今日も遅い。こんなに待ってるのに」って言っていた(笑い)持って行き方。
●昔は地域のコミュニティがうまくいっていたと思う。よその子でもご飯食べさせたり・・・。今日本ではそういうのがなくなっているんじゃないか。山小屋に若い人が外人と一緒に来た。「こんにちは」も「お先に」も「さよなら」もとうとう最後までなかった。言葉を何も発しなかった。

●Mさん!大好きだよ!(えっ?えっ!誰が?)私が・・・(笑い)って言うと、気持ちいいかなあ?
●口では言われても実感できる時間がない。今、1人暮らしの、家賃の安いひどいアパートに住んでいるけど、上の階のおじさんが先日救急車で運ばれ亡くなった。そしたら隣のおじさんがそこにあるエアコンやテレビをみんな貰ってきた。部屋のものを持って行ってもいいけど、部屋を片付けるという家主との契約だったそうだ。僕も体調が良くないので、僕が死んだらそうやって持っていかれるのかと思った。(笑い)本当に情ない、悲惨な中で生活している。もうちょっと生活のレベルをあげたい。その1つとして今日はここに来た。
●逆に自分で口癖作って暮らしたら?
●「ああ。もうだめだ!」ってしょっちゅう言ってますよ!(笑い)カウンセリング機関で言われたことは、時間を共有する体験をたくさん積むことが大切だってこと。最初から最後まで皆といっしょにいること。勉強する講座はあるけれど、温かみを感じることはできない。がま口塾へ来て、皆さんの笑顔が見えて嬉しい。伊勢湾台風時代のひどいアパートに住んでいて、ネズミも大きいのが出ると、自分もそれくらいの価値しかない人間だと思えてくるから、結局自分の頑張りがたりないから、元気になれないと自分を責める。そうじゃないと言ってくれる家族も友人も親戚もいない。だからそうやって言ってもらえると嬉しい。

●農村育ちの母がいつも口癖のように言っていた、その節々から感じていたことは、農家の「嫁」とか「嫁と姑」とは辛いものだということ。例えば私が「よっこいしょ」とか「どっこらしょ」って言うと「女がそういうことを言うと離縁されるよ」。お嫁に言ったらそういうことを言っちゃいけないのかなと思って育った。
。夜になると、「あーあ、寝るほど楽があるものか」。母の幸せって寝ることかって思った。お日様が出ている時には幸せは無いんだって。でも、この年になるとよく分る。1日が無事に終わって1日生きられたという幸せが。「なんまんだぶなんまんだぶ」も分る。目に見えない誰かがいつも傍にいるって感覚もある。1人だけって思わないでね。

●コンプレックスPTSEという病名で、ものすごく色々なことに反応するし、ものすごく苦にするって言われる。いくらそう言われても実感が湧かない。温かい言葉が素通りしてつき抜けて残らない。いつも寒々と凍りついた中を1人で歩いている感じしかない。自分の中に問題があるんだと思う。「さよならだけが人生さ」と言って自殺してしまった子のことなど心にこびりついていて苦しくてしょうがなくて、催眠療法で治療したりした。もっと哀しい人達の死を抱えてブルブル心は震えているのに、僕は元気を演じた。誰も聞いてくれない。苦しいと言えば、薬が大量に出される。結局僕は14歳から37歳まで、情緒障害児として薬を飲み続けた。家庭も悲惨だったけれど治療の傷つき体験もひどかった。

 根本に僕は医療にも不信感がある。それで、今、優しい言葉をかけられても、僕に届かないかもしれない。でも、医療のグループワークで話しても1人の持ち時間は少ない。こんな気持ちですっていっていく所がどこもない。医療機関や保健所では医療機関を変えたらどうかと言う。町内会長さんに行くと、市会議員さんにお願いしてということに・・・。ここは、テーマをもってお話ができて、気持ちを打ち明けられて、共感もしてもらって、今日はすごく嬉しかった。有難うございました。(しーーーーーん)。電話相談員の方の気持ちも聞けてすごく嬉しかったです。そういうのがすごく癒された気がしまた。テーマからはずれてごめんなさい。(涙ぐむ)

●口癖というものが、そういう深いものをもっているってことでしょう。
●私は病院で仕事をしている。その病気についてはよくわからないけど、たぶん生い立ちからきてる。それぞれの科でそれぞれの対応をするけれど、やっぱり精神科の中のカウンセリングの部分がすごく弱いなって気がする。ほんとにおなかの調子が悪いとか、説明がつかない痛みが続くとか、最終的にはストレスから心のケアをしなければと思ってそちらにお願いするけど、ほんとに哀しいけれど、うちの病院でも、精神科の先生はとても貧しい。私も自分が関わった方でカウンセリングに行ってもらおうと思って話をしたら1年待ちだと言われた。今、必要なのに。とんでもない。そういう部門はものすごく弱い。患者さんが絶対いて、この患者さんにはたぶんそっちからのアプローチがいいと思うのにできない。

 病院での扱い方については、フィードバックしたほうがいい。ほんとに良い医療機関になりたいと思っている所にとっては大事なこと。改善できる所はしていったほうがいい。私の病院では、投書箱があってガンガンすごい。実名で言われる。名前は消されているけれど、定期的に回覧で回ってくる。

●私の行った病院では、それに対するお医者さんの回答まで掲示してあった。
●そういう所がなくても、受付などにおいてきてもいい。意見を求めている病院もある。どこの病院も経営がなりたっていないから赤字に近く、有る意味で患者のとりあい、競争になっている。
●お医者さんも看護士さんも忙しいから・・。立場も難しいし。
●最低限の人数でやっているから間違いも起こるし。実際に足りない。(しーーーーん)
●宴もたけなわでそろそろ・・・(爆笑)終わります。(笑い)

<メール滑りこみ参加>
●母83歳、軽いアルツハイマーと診断されている。ある時はごく普通、ある時は極めて異常な言動をとる。その母の口癖は「目が悪いからね」。つい先ほどの出来事が思い出せなくても、1時間前に会った人がわからなくても、財布を忘れても、眼鏡の置き場所を忘れても全て、「目が悪いからね」。 脳神経科のお医者さんによると、この言い訳で、自分を守ろうとするんだそう。脳の海馬の部分の萎縮が進んでいても、どこかで自分を正当化しようとする能力が働いているんだそうだ。自然に出た言葉か、それとも衰える脳で考えた言葉か、娘としては、とても悲しく聞こえる母の口癖。

 <塾長の口癖>「誰かテーマ応募してくれないかなあ・・・手紙参加ないかなあ・・・」

ずっと待っているんですけれど、応募がありません。このままだと「がま口塾」は閉鎖!もし存続を願われる場合は、「こんなことを話しあって欲しい、話し合いたい」というテーマを塾までお寄せ下さい。手紙での(テーマについての)お喋り参加も受け付けています。

がま口塾便りを希望されていないのにお送りしている場合があるかと思います。3ヶ月くらい音沙汰が有りません時は郵送を止めますが、お知らせ戴ければ助かります。ネットで見て下さっている方も、できれば時々はお便りを下さったり、メール参加をして戴けたら嬉しいです。自由な雰囲気だけがとりえの「がま口塾」だと思っています。皆様のご協力をよろしくお願いします。読み物ではなく参加物。皆さんのお喋りで成立っている「がま口塾便り」です。

がま口塾は手土産厳禁・時間厳守。(意志ある遅刻は可)誰が来ても来なくても自由。出欠の連絡も要りません。ありふれたマンションのリビングで、毎回ジャンケンで司会を決めて、10時から12時まで自由に話し合っています。お友達をどしどし誘ってご参加くださいね。

<来年からのテーマを緊急大募集!>

11月25日(火)

嫉妬

12月23休日

贈り物考

1月22日(木)

  2月24日(火)

3月18日(木)