|
18,2003年11月25日(号)『嫉妬』 |
参加者ありました!3名も!(自分も入れてなのに、この無邪気な喜びようは如何なものでございましょうか。はっはっは)。かなりの雨で寒かったもんね。無事集った3名で、じっくりおしゃべりしました。メール参加も電話参加も手紙参加もあって、この冬初めて焚いたストーブのように、あったかいがま口塾でしたよ! ●あーんな日本語の分からない人嫌い!(爆笑)言葉が重複する。いい人とか思えない。眼中にない!(笑い)心の狭い自分が嫌だったけどコラムニストも言ったからいいの。 ●うん。記者がイチローにそういう質問をしたことがある。笑って「僕は力で勝負」って言った。ますますイチローは横綱だと思った。松井が悪いんじゃない。メディアが悪い。 ●嫉妬心がない。(ほんと!?)羨ましいとは思うけど妬みとは違う。いい車に乗っててとか、いい家に住んでてとか、いい仕事しててとか、あんなことができて・・それこそイチローや松井はとてつもなく羨ましいのだけど、それは嫉妬の対象にならない。(かけ離れすぎてるよね)(笑い)僕の望んでいることは些細なこと。 ●競争の対象になるから嫉妬するかもしれない。僕はそこから下りてるところがある。若い女の子に今度「嫉妬」ってテーマで話し合うよって言ったら「面白そうですねえ!」ってメラメラ燃える眼で言ったので(爆笑)、今日は女性のドロドロした気持ちを聞いてみたいと思って来た。(ごめんね、こんなおばさんで)いやいや(笑い) ●私は変なものに嫉妬する。引っ越したばかりの時、隣の家の電話の声に嫉妬した。遠い地に引っ越して誰も友人から長距離電話がかからない。話す手だてがある人に嫉妬したの。聞こえよがしに話してるとさえ思った。先日は電信柱のてっぺんに止まって「カアカア」鳴いているカラスに嫉妬した。あんたは上から私を見て笑ってるんでしょ!って。 ●そういえば彼らはどうやって死ぬのかな。死の姿見せないね。 ●山へ行くと傷ついた鳥がいつも休んでいるところがある。人が入って行くと逃げる。又行くといつも同じ場所で横たわっている。ああやって傷つけられない所に身を隠して死んで行くのかな。(鳥達も嫉妬してたりして・・・) ●カラスも人間に嫉妬して、いいな雨のかからない家にいて・・・(笑い) ●嫉妬してる時って何か自分がイライラしてる時。(そう。自分に力がない時)男女の嫉妬の類もあったがもう卒業した。 ●そうそう。そういう意味で年をとるって有り難い。生々しいことから遠ざけられて。 ●まだ、経験してないからどうしよう。(恋愛?)そう。 ●男女の嫉妬は経験するといいよ。(苦しいよね。辛いこと)うん。辛い。1日中そのことが頭から離れなくて。相手をどうやってやっつけてやろうという思いばっかり。 ●だから、好きにならない方がよかったなあって思ったことある。夫とは何回も別れたいと思った。でも、夫に悪い所がないから家庭裁判所に行ったら負ける。敵は毎日決まった時間に帰宅。真面目ならいいってもんじゃない。友達のご主人は午前様だと言ってブーブー。私は夫の忘年会が待遠しい。(笑い)私、淫らなことができない。毎日結婚て何だろうって・・・。こんなにも背負い込んで身動きできないものかって。忘年会に行っても実家の法事に行ってもほとんど食べない。料理が乾いているって。家で食べるっていうから、私はカーッ。又家へ帰ってから作るのお!残ったもの貰っていってチンしたいくらいなのに!(笑い)入院中も家庭料理を運ばせた。(男のあり様に嫉妬したんだ) ●<手紙参加>「嫉妬」。まず第一に、この文字を見る度になぜ2文字とも「女偏」なの?と腹が立つ。漢字を作ったのは男なのだと改めて思う。「嫉妬」は、 愚かなる男の嫉妬と言えば、シェイクスピアの『オセロ』が思い浮かぶ。部下の奸計(この奸も女偏とは!)に為す術なくはめられ、最後は妻を殺し、自分も死ぬという悲劇。当事者でないから、冷たく批判できると言われればそうかも知れないと思うが。 幸か不幸か・・・いえいえ大いなる幸と言わなければならない。私は結婚して45年、嫉妬に苦しめられた事はない。私の母も夫の母も明治生まれの「女を囲うは男の甲斐性」「据え膳食わぬは男の恥」の倫理観、道徳観の時代に生きた夫を持ってそれぞれ悩み、苦しんだ結婚生活を送った。そういう両親を見て育ったことが、大いに影響していると思う。両親が反面教師だった。 ●その時代の女の人が男の人に絶対服従をやってきたつけが、そうあってはならないと育てた、今の、女に迎合するような甘い男になってきた。でも、女偏がつく字に恨みつらみが多いね。(言われて気がついたわ)男偏のつく字はすくないね。甥ぐらい?女が操られちゃっている。女なんかまあ、こんなもんだって。 ●地位や権力、才能等の優越に対してってことだが、昨夜の「ニュースステーション」で、ケネディの暗殺者については諸説紛々だが、実はジョンソン副大統領が犯人だとする、証拠をあかし、かつてのジョンソンの弁護士が書いた本が出版されたって。 ●どうしてジョンソンなの? ●歴史というものは嫉妬が引きずる。嫉妬が時代を作っているかもしれない。 ●みっともないね。こういう嫉妬。根深い。ダイアナ妃の死も。大奥の嫉妬物語もある。どんな世界にも嫉妬はある。昔、私は自分にないものが何でも羨ましかった。自分が表現できないものが。自分のできの悪さも情けなかった。何でこんな風に生まれたのだろうと。でも、人から見たら、丈夫さとか粘り強さが羨ましいと言ってくれる良い物を持っているのに、何しろ、若いころは、人が持っているものが羨ましかった。 ●若い時は成績も1点2点で嫉妬した。 ●ちょっと嫉妬について勉強しないといけない。嫉妬をしてる人の話聞いて。(?仲のいいカップル見て嫉妬しない?)あ、今日地下鉄で若い女性見ていいなあと思ったけど。(笑い) ●若い時はゆとりがない。ライバルが良い仕事をするとたまらなく妬ましい。 ●独身の娘の友達から、娘に結婚式の招待状が来ると複雑な心境。うちの子にもこういう日がくるかと羨ましくなる。休日も遊びに出ない娘を家において、バスツアーの集合場所に行ったことがある。その場所には、むせ返る様に若い人達がデイトしたり、賑やか。それを見てもう元気がなくなり家に帰ってしまった。外ではしゃいでいる若さに嫉妬したんだと思う。帰ったら娘がびっくりして「どうしたの?気分が悪いのなら私が料理してあげる」。それが嫌で帰ってきたのに。 ●阿修羅のごとくのこと、『婦人公論』で読んだばかりなので、観たいと思う。 ●欲望がないと嫉妬もない。(そうそう!) ●婿は「寛大」が歩いているような人。娘は婿と結婚したことで、今まで世の中の羨ましかったことが、全てなくなったって言う。ちょっとした事で娘がクヨクヨ言うと、どんなに疲れていてもウンウンと聞いて、全部聞いてから、「大きな宇宙のちっぽけなことで悩むんじゃないの。僕を見てご覧。こんなに頭に毛がなくても平気で生きている」。(爆笑)娘が恥かしがってかつらをつけるように言うと、「かつらをつけてることがそんなに素敵なことなの?行く末皆こうなるって教えてあげればいいんだよ」。絶対隠さない。娘は今、その禿げに感謝している。『あの人がふさふさの髪だったら、他の女性にとられてた』って。(爆笑)。チビ・ブス・ハゲの三大要素も考え方次第で愛すべきことになる。 ●その方はきっと嫉妬なんてしたことないね。 ●いや、きつい環境で生育し、それに耐えて1人だけで生きてきた。自分は人とは違うということだけを・・・虐待で絶えず殺されるのではないかという恐怖があった。(反面教師にされたの?すごく穏やかにみえるわ)怒りの感情がまだ麻痺している。馬鹿にされ、けなされても、『どうぞ』って譲ってしまう。(嫉妬も麻痺してるんだ!)そう。 全体的に感情が麻痺してる。でも、このところセラピーにでると、表情がでるようになったって言われる。感情が戻ってきたんです。これがうまく進めば嫉妬に狂えるかな?(じゃ、嫉妬できたらいいね!)がま口塾へ初めて来たのが、ちょうど1年前。あの頃はここへ来るだけでも呼吸困難で辛かった。今は体力が回復して元気になってきた。これから嫉妬できるのを目指す。(笑い) 「何も感じない」ことで今の辛さを生きのびるという自己防衛を、虐待された人はする。能面。泣きもしない。笑いもしない。感情を取り戻す練習をして、最初に戻る感情は恐怖感。(ひえーっ)人が怖いって思えたら、おめでとう!って言われる。そうやって回復して世間に出て行った人は何人もいて、それなりに適応しても、生きる虚しさを感じている人はいっぱいいると思う。安全に話し合える場が必要。 ●あなたのお母さんを育てた人は? ●今まで命があって良かったね。(偉いねえ)(何かに守られたね) ●告白すれば、子供が桁外れに遅い就職をして、やっと「お子さんはどんなお仕事されていらしゃるんですか?」に答えられるようになった。よく「うちの子滑り止めに××高校受けといたの」なんておっしゃる人あったけど、その高校へ必死に入った子の親だと、惨めで悲しくて嫉妬で辛くなる。人にはそれぞれのスパンがあると思って慰めてきた。 ●あ、それ僕嫉妬する。(ナニナニ?)僕は特殊な家庭に生まれて人並みのことが何もできないけど、このごろ周りがちょっと見えてきた。競争で嫉妬はしてないけど、その世界にいつかは行きたい行きたいと思って憧れている。(嫉妬があって良かった!) <メール参加> ●ホームページを簡単に作成できる方を羨ましく思うと共に、軽い“嫉妬”を覚える。ハンドルネームに堂々とURLを出してみたいものだ ●私の心に長く根深く居座っている嫉妬の気持ちは妹への嫉妬。母としたら父・舅・姑からの関心が薄い妹が気の毒らしい(それでも、私は息子に恵まれなかった家で、長男代わりに見られていただけ。長女としての私の姿の向こうに、長男を夢見られていた)。家の中での自分の姿に重なるのか、母はとにかく妹を気の毒に思い、甘い。一番受け入れて欲しい母から、根本的に受け入れてもらえない自分を感じていて、イマダに自分にとってはしんどい。 最近は私の息子への接し方が、妹への接し方に思えて、自分との関係の違いに耐えられなくなってしまう。息子に嫉妬するなんて情けないのだけれど、今年は正月から長年の恨みを口に出してしまい、母との気まずい1年・・・。1年がそのまま終わろうとしている。あぁ、正月の帰省、どうしよう・・・。 あとは、息子の成長に一喜一憂。この一喜一憂の中にも他の子、他の家庭と比べた嫉妬とか、そういった感情の行き来があったと思う。この3年、のびのびとした幼稚園に関わって、だいぶ他に翻弄されない自分になってきた。が、来年の息子の就学、明日就学前検診を前にして、どこか、自信のもてない自分がいる。就学するのは息子なのに・・・。「私は私」が、もう少しもてたら、こういう嫉妬とかの気持ちは減るのかなぁと思っている。 <電話参加> ●プライベートなことだから言えないが、嫉妬には苦しんだ。これは人間の本能だと思う。嫉妬が色々な形に変る。これがなかったら幸せだと思う。 どんなグループに入っても嫉妬がある。習い事、上下の関係、皆がわきまえていればいいけれど。 <突然の夜の部> ●幼い時、可愛い従姉妹がいて、「Sちゃんは可愛い」と誰もが言った。私のことは誰もそう言わなかった。小学校の時はRちゃんが可愛いと言われた。 保育園の時、ケンちゃんという人形と一緒に腹話術のおじさんが来た。演じ終わって、おじさんが「ケンちゃん、じゃ、皆にさようならして箱に入って帰ろうね」と言う。ケンちゃんは「イヤ!僕、あの子と一緒に箱に入る」と言って、Sちゃんを指差した。腹話術の坊やまでSちゃんが可愛いのだと思ったら嫉妬心でいっぱいになったことをハッキリ覚えている。小さい時からまるで行事のように私は可愛いと言われなかった。 子供の頃から、よく育ち、よく鏡を見る子だった。(爆笑)そして嫉妬からSちゃんやRちゃんや周りをいじめ倒した。「可愛くないのか、私は!」。可愛いと言われた子は皆おとなしかった。「おとなしくないのか。私は!」。その結果、私は開き直って表現する癖がついてしまった。 嫉妬というのは高度なものだと思う。姉はまつ毛がクルッと曲がっていた。まつ毛にマッチ棒を乗せて目を瞑っても落ちなかった。私はマッチ棒がそもそも乗らない。(爆笑)自分が認められないことで嫉妬に燃える。 ●人間は問題が問題として見えないときが苦しい。ここに問題があると確信に触れた時には前向きに明るくなれる。対処の方法が見える。
|