がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り

22,2004年4月27日(号)
高齢になったら誰とどんな形で住みたいか?』      

 まるで台風。服や手やカバンを濡らして次々と会員が玄関に現れました。よもや9人の出席となるとは思ってもいませんでした。「天候が塾の存続に関わったらいかんがね、と思って出かけたけど、先輩諸氏がしっかり塾を支えてくださってて、どえりゃあ安心したぎゃあ。」とは若手会員の弁。もし本日のがま口塾9人の国家だったら、「自己責任」とか「未納∞兄弟」なんて問題ありえないでしょう。風雨の帰り道も車で「方向が同じなら駅まで乗せてくよ」と言う人あり、思いやりと本音の正直国家。誇らしく思っています。

●正直言って考えた事無い。日々の生活で精一杯。子供が全員成人したりすれば考えられる年になるのか。率直に言うと、今の高齢者はとても恵まれていて、平均すれば、自分の払った年金の6倍くらいもらっている世代だと思う。これが私達になったら、トントンかそれ以下。私達の子供の世代になると絶望的になると思う。あと10年たったら私はそういう事を考えられるだろうか。お先真っ暗じゃないか。

●とても切実な問題。実家の父が95歳で痴呆が進んで施設に入れた。その前は、親が子を殺すか子が親を殺すかの新聞沙汰になりかねない状況。兄は病院に入れたらもう顔も見たくないと言って一度も病院へ行っていない。私にも行かなくていいと言ったが息子が可愛がってもらった祖父に会いたがったので、許しを得て先週会って来た。父は思った以上にニコニコして穏やかに暮らしていた。病院も清潔で明るく、介護の方も親切で満足していた。、「誰も見舞いに来てくれない、お前達が初めてだ」と最後は泣いたぐらいだったのでこれで良かったんだと思った。帰り道、息子に「私も呆けたら、施設に入れていいよ」と言ったら「そんなあ!」と言った。息子は東京に暮らしていてもし万一私達夫婦のどちらかが欠けたら東京へ来て一緒に住めばいいと言う。私は東京へ行く気はない。

 新聞でシニアハウスの記事を見た。娘が親を施設に入れて自分もそこに一緒に住めるという施設で、そこで親を見送ったという経験談と案内が載っていた。(見送った後、その娘さんはどうなるの?)そのままそこに住める施設。(へーえ!)行ってみたら、私の親が入っている所以上に施設が万端。全く普通のマンションの間取りもあり、広さも色々。全く健康な人、要介護の人、色々いて、プライバシーも守られつつ、いざという時は万端に対応してくれる。食事も朝、昼、晩、希望すれば全部出してくれる。自由。私は、ここいいなと思った。ただ、ちょっと遠い。
●そういう施設で、今まで倒産っていうのもあるでしょう?
●ここは全国規模で法律もかなり整備されてきている。宣伝するためではなくて、一つの有力候補だなと思って資料をたくさん集めてきた。今は私は69歳。大病したが年上の夫と何とか2人で暮らしている。今は一戸建ちの家だが、もっと体が弱ってきたらとても自分の家も維持できないと思うので、こういうマンションに住みたいと思う。そしたら一方が欠けても最期まで住めるのではないかと思う。

●今1人住まい。東京に娘が独身で1人住まい。だから、東京にマンションを買うべきか、娘が定年で仕事を辞めたら2人でこちらで住むかと言ってる。自分が痴呆になる図が描けない。今は、ウンチまみれになってでもいい今の家を這いずり回って死のうと思っている。今の環境を脱出するのは苦手。娘と住みたい、娘の家庭に入っていきたいと言っても相手のあること。自分はそうでも、かなえられない希望であることもある。

 私は老いた母をひきとって面倒をみた経験がある。しかし、私は母をひきとった時から親に対する気持ちが変わった。自分の家族に気兼ねをするわけ。30年前の家族の考え方は、息子がありながら末の娘が親を引き取ることは夫や夫の実家に対して、何も言われないけれど、言い知れぬ重圧があった。いよいよ母が弱ってきて、兄弟が交代で自分の家へ連れて行ってくれる時、とてもその日を楽しみにしている夫を感じた。母が帰って来ると憂鬱な雰囲気。
 争いがあるわけでも何でもないのだけど・・・。それを経験したから、家庭を持った子供の所へ来いと言われても行く気はない。大勢の中の孤は寂しい。1人で寂しいのは平気。寂しくなれば、子供や友達を呼ぶ事もできるけれど、賑やかな家族の中で老人の部屋をあてがわれる。孫も大きくなれば自分の部屋を持って、こちらからは、トントンとドアーを叩けない。私の母も我が家に来るのに遠慮し、皆に挨拶もしてきたし、夫も温かく迎えたけれど、母がゾロゾロとだらしなくすごすようになると、何となく不快に思っている様子が感じられる。口に出して言ってくれればいいのに(笑い)。
 だから、家庭を持っている娘の家に行く選択肢は無いが、独身の娘の老後が心配で死ねない(爆笑)。一緒に行こって棺おけに引っ張りたいくらい(爆笑)。どうしたらいいか皆さん助けて下さい。

●考えてみたら、その人がどう生きてきたかによって違う訳で(そうそう)単純に言えば、夫と静かに暮らす。ぎりぎりまでは子供達と暮らそうとは考えない。同じテーマの新聞記事を持ってきたが、この記事では、やっぱり最期まで夫と暮らすという意見と、夫に先立たれた人は、最終的には老人ホームに入って同年代の人と暮らすという意見。身の回りの世話をしてくれて、月1回医師の検診があって、クラブ活動もあるという施設に98歳のお母さんが入っているという人。夫がいるけれど、早く自由になりたいので、仲間が近くにいて付き合える距離にいたいという意見等色々載っている。
 私の父は3時間前まで日記を書いていて90歳で突然逝った。両親は最初から長男夫婦にも一緒に暮らす気は無いと宣言して30年静かに2人で暮らした。母が1人になった時、あまりにも仲が良い夫婦だったので母が問題だった。たまに父母の家を訪ねると二人でテレビの万葉集の番組を見てたりして、娘の私も入り込めないほど2人の世界を楽しんでいた。こういうのいいかなと思っていたので、父が亡くなった知らせを受けて対面した時は11年ぶりだった。(いーーー!!!!ひえーーーーーっ!!!)今後悔している。(電話はしたでしょう?)(笑い)もちろん。本当に問題が無かった。(へーえ)(すごーい!)

●私一日に4~5回電話するわあ(私そんな親要らない)(笑い)本当の自立ね。
●子供も親には迷惑をけていない。80歳の母の落胆ぶりはすごかった。しかし3年はきちんと1人で暮らし、8人の兄弟でうまくローテーションを組んで母を見舞った。その後デイケアを利用したりした。母には変にプライドがある。和裁・お茶・お花、全てできる人なので、皆と一緒にやったらと言っても子供ッぽくなれないので嫌だという。(分かるわあ、それ)(爆笑)少し呆けてきたので、今は皆で相談して施設に入った。ローテーションは組まないで、皆で適当に見舞っている。見舞う子供を間違えたりするが責めない。(間違えた事でプライドが傷つくのね)でも、施設でも色々誘われても「私は結構でございます」(笑い)部屋の中の簡易トイレも絶対に使わない。でも、1人の時よりずっとずっと明るく元気になった。3年目の後半は「皆に迷惑ばっりかけるから死んだほうがいいねー」なんてことばかり言っていた。今は88歳。ただ長い時間そこの施設で会えないので、行った時は近くのホテルをとる。

●誰か1人に負担がかかるんじゃなくて平等だから穏やかなのね。
●長男が全員が全て一緒というやり方(兄貴やれよみたいじゃないのね)経理は一番近くにいる長女。(へーえ)全部長女が通帳持ってそこから必要経費を出している(すごくいい方法)。兄は全部の総括で1年ごとに誰がいつ行くとか計画を作る。両親が80と90になるまで、いることを忘れているくらい迷惑をかけるようなことが、かけてももちろんいいのだけど、なかったことが良かったのかも。父は生前から、みんな仕事をもっているからちょっと倒れても子供達には連絡するなと言っていた。市長選挙に出た時も子供達は立候補を新聞で見て知った。迷惑をかけないという生き方を通した。

●両親はマンションに住んでいて、同じマンションの同じ階に結婚していない40代の妹が(笑い)いて、妹の部屋の猫の世話を親が引き受けたりしている。親の大病がきっかけで、皆で相談して元々妹が住んでいたマンションのある部屋が空いたということで、親が引っ越した。引っ越すには勇気が要る。ふんぎりがつきにくい。当初私は両親の家へ行くと、ホームヘルパーのように張り切ったけれど、ある日母が「そんな事しなくていいから、ゆっくりここに座ってお茶飲もうよ」と言ったことで母の求めているものを知った。今は遊びに行くという感覚で行っている。
 私もサラリーマンの夫で転勤があるかも知れず、なるようにしかならないというところがあり、今から言うと、妹に独身でいてくれて有り難う(爆笑)と・・・。妹が選択した生き方だし。離婚して子供引き連れて親の元で暮らしている人もある。娘の未婚を苦にしていた時もあったけれど、要介護の生活になってふっきれたようだ。
 こうあるべき、こうしたいと思った生き方がどんどん変更しなくてはならなくなった時に、妹の生き方も認められるようになったような気がする。本当に人間の幸せの尺度なんて分からない。妻であるから幸せとも言えないし。独り身だから不幸せという事もない。妹だけには押し付けたくないとは思っている。

 私自身はマンション暮らしで、来年からは子供も巣立っていくので、夫婦二人暮しになる。どう暮らすかは100%自由になる。夫の勤務がある間は住む地区は限られるが、リタイアした後はどこでもいいと思う一方、けっこう地域の活動をしているので、地域に無縁な夫に比べて、私が意外と仲間と別れるのができなかったりするかなとも思う。今の所にずっといるかも知れないし何でもあり。先日のNHKの「ご近所の底力」で終の住処についてやっていたけれど、(見た見た)どういう人とどういう形で暮らしていくかと言うと、土地に縛られず自由に考えていきたいと思っている。

●我が家の家族がこのまま結婚もしないで全員年をとったらと考えるとゾッとするが、順番に死んでいけばいいのかなとも思う。私は「誰と」をものすごく考えた。結論は出た。愛人と暮らしたい。(笑い)(えーっ!)愛人は、今いないけど、夫とは随分前から愛人でなくなっていて(爆笑)それは夫も一緒。でも夫は私と暮らすのを求めるだろう。ご飯作って掃除する人として。それは悔しい。日本でなくてもどこでもいい。同じ価値観でものを眺め、お金が無くても貧しいものを食べて楽しく過ごしたい。

●でも、愛人と一緒に暮らし始めた途端に愛人でなくなるんじゃないだろうかと思う。(笑い)
●でも、先ほどのように30年間仲良く過ごされた例もある。つまり愛のある生活がしたい。(思いやりでしょう)そう。お互いに尊敬しあえる関係の人と暮らしていたい。(それはやっぱり夫でしょう)(今更愛人といってもねえ)いや、そういう考えは良くないと思う(ガンバレー!)(爆笑)今から、本当の愛を探す。(うっとおしいって、それは)私はうっとおしくないの。
●一息ついて一段落したら、おそらく両方が又考えて歩み寄って・・・
●絵空事だから言ってるよ。(爆笑)いっぺん独りになってみてごらん。
●今の熟年のカップルでそういうのあるよね。仮面のカップル。
●独りになると、植木屋さんも言い寄って気持ち悪い。(大大爆笑)妙に親切。お茶飲みませんかって電話かかってくる。(へーえ!)(そんなの嫌ですって言うだけじゃん)ピンポンピンポンも押して2~3回は来た。(ストーカーだね)包丁研ぎのお爺さんまで身の上話をしだす。(笑い)そんな愛人なんて馬鹿な考え許せんわ(爆笑)。(失礼しました(笑い)(おいくつぐらいの時?)53歳くらいの時。
●愛人という言葉が悪いだけで(愛しい人っていう意味でしょう?)
●そう。一生愛し合える人。息子でもいい。本当に一緒に住みたいという人と住みたいという意味。最後は病院へ行きます。はい終わり(笑い)

●みんなのフレーズ毎にうんうんと頷く部分がある。同居の親が交代でどこかへ行く時にウキウキして、戻ってくる時は憂鬱になるというのも分かる。私の場合は姑。(姑だったら夫に文句言えばいいでしょ)ある意味いいけど、。そういう自分に初めて気付いて自己嫌悪に陥る。今もトラウマになっている部分がある。表面的にはもちろん何もなくて、最期まで看取った。下の娘が2歳の時から寝たきりになった。同い年の舅が60ちょっとの時。乳飲み子を抱えて寝たきりの人を24時間体勢で看ていた(たーいへん!)あまりにも恵まれた環境で生きてきたので、初めて大変な事に出くわし、人生初の試練として頑張ってしまったけれど、体力的に30代前半で若かったから出来た。
 今、舅は81歳。又来るぞという予知があって、今のうちにやりたいことをやっておこうと焦っている。元々家からあまり出ない男。私は出て欲しい(爆笑)いや、私の都合だけでなく、舅の心身の健康という意味でも。昼や午後の4時に起きてきて「お早う」って言われたりするから(へーえ)(ストレスになる(なるよねえ)今朝は珍しくここに来る前に起きて来たので、だから台風なんだって(爆笑)思いながら出てきた。この人の最期を看取らなければ、私の今後は考えられない。私の母も父より先に亡くなったけれど、最期は駆けつけて看取る事ができた。父は一人になったので姉夫婦が一緒に暮らしていてくれる。

●ご主人はあなたのそういう努力に対してどう?
●仲が悪いんじゃないけど、夫は4歳年上の幼馴染。親同士が友達という関係で兄のようで、まさか結婚すると思っていなかった。価値観がかなりずれているので、何か問題がおきると相談しようという気がおきない。姑と舅は姑が寝込むまではとても仲が良かったのに、病気がきっかけで非常に不仲になった。私が介護する段階では最悪の状態だった。介護自体は物理的な大変さなので、我慢できるけれど、病人と健康な人の口げんかなどは耐え難いものがある。それらを耐えて、皆自分で処理してきた私を娘は見てしまって、結婚しないと言う。(他所の家の場合だとそれでいいと言える)(爆笑)でも、それは彼女の選択と最近は悟っている。(ご主人は感謝の気持ちをもっているでしょう)たぶん。口には出さないけど。でも、やっぱり悩み事は相談できない。それは私にも責任があると思う。(相談して腹が立つ時あるよね)(逆に嫌な思いするより楽だよね)(思ったより変わった返事がきたりして)
 だから、老後はこちらの意見に近い愛人と・・・(笑い)ぺ・ヨンジュン様のような方が現れたら私も分からない(爆笑)(絵空事だっていうの!)将来は1人で中国に渡って、そこで生涯を終えたいとか色々ある。それはまずこれから1人送ってから考えようと思っている。
●現実にはそれはあるかもね。
●どんなにいい親ごさんのところでも、娘には舅・姑のあるところにはやりたくないなあという正直な気持ちはある。(難しいね、一緒に住むということは)核家族の方には分からないと思う。

●私は悩みも苦しみもない人生を送ってきた。今も何もない。老後も『えーっ?そんなの旦那と一緒に暮らすに決まってるじゃない』とずっと思ってきた。夫が寝ている顔を見ると『大丈夫。私が必ず看取ってあげるからね』と思えるし、深く考えた事がない。夫は多い兄弟の末っ子で、結婚した時は姑は兄夫婦と一緒に暮らしていた。2年ほどでパタッと亡くなって、舅もずっと前に亡くなっているので、舅姑の苦労はいっさいしなかった。自分の親は父が7年前に癌で亡くなった。弟が東京にいるが、亡くなる時は母がほとんど看た。私も一緒にした。父は最期に「ママー」と言って69歳で亡くなった。癌だったので、病院を転々としたけれど、最終的には自宅。南側の庭の見える部屋で小学校を見上げる位置で寝ていた。父はその学校の校歌を作曲していたので、それも時折聴きながら、寝たきりでも最期の一週間ぐらい分からない事を言っただけだった。
 
 母は今は1人で悠々自適の暮らし。腰が痛いとか目がどうのというけれど、私が週に3〜4回、仕事で母の家に行き、私がご飯を食べさせて貰っている。(笑い)アイロンがけも溜まってくると頼んでしまうと綺麗にやってくれる。母がこれからどんどん体が悪くなってきたら、私が看るしかないと思っている。夫も父の看病の時、夜中に嫌な顔一つせず一緒にかけつけて面倒を看てくれた事もあるので大丈夫と思う。30年以上暮らしている所なので、母がちょっと具合が悪いと、近所の人がおかずを持っていってくれて「何も作らないで朝・昼・晩食べられたの」なんて言っている(へーえ)。体調いい時は故郷へ行って女学校の友達と遊んできたりもする。
まだ壮絶な体験も思いもしていない。

●先ほど紹介のあった老人ホームのことで、さっき「経営は大丈夫か」という質問をしたそうね。
●介護保険が導入されているので、それももちろん使える。税金を使っているので、監査のことも聞いた。沢山払ったのにそこがつぶれちゃったって話も沢山あるものね。
●独り暮らしで10年経った。アッと言う間だったが、くじけながら来た。ホームなどの話はよくよく勉強しなければいけないと私は思う(私もそれは思う)。ホームは経営がしっかりしてればいいことだ。しかし、そこが意外と分からないというのが実情。曖昧なところで、どうすれば私達が被害にあわないで済むか、皆さんがどう考えているか聞きたくて今日は来た。NPOで「福祉Mを作る会」というのがある。「あなたはどこで誰と住みたいですか、老後を考えましょう」という呼びかけのA新聞セミナーに誘われ、ずーっと出席している(私も5月29日に女性会館で会があるチラシをここへ持ってきてる)(へーっ!)
 
 ところが、がま口塾のように自由に誰とどこで住みたいかと話し合えるのならいいけれど、なかなかこういう話し合いは難しい。土地も最初はどこがいいか皆で探そうという事だった。土地を見る会を作ってあっちこっち出かけて見たりもした。考えてみると、そんなにうまくいくわけがない。名目上は連れて行く。(それは作りたい人が自分達でやらなくてはいけないんでしょ)コーポラティブはまだいい。土地を探して道や玄関を共有する。建物は、それぞれの経済状況にあわせて自由に建てる。老後をその仲間で助け合って生きていくという方式。そういうのは私はいいと思っているが、このマンションに限っては色々気付く事が多くなった。(不安?)そう。NPOと言うと皆頭から信用するが、(笑い)私達が中心の様で、実は蓋を開ければ、結局はマンションを売るための戦略じゃないかなと思えてきた。(ふーん)(研究しなければいけないと思う)

 お金だけど、公団と手を組んだのもある。公団というと信用するれど、仕事として作って売るというのであれば、皆がお金と折り合いをつけて正々堂々とやればいい。でも、企業がそれを踏み台にして仕事をしているという側面がある事に、皆が気付いたので、会員が増えないし、すごく複雑だなと思う。じゃ、どこかいい老人ホームが名古屋にあるかというと、勉強すればするほど名古屋にない。(えーっ!)一長一短あると言った方がいいかもしれない。Xは低価格で月々13万~17万円で年金の範囲で親をそこへ入れて家族が見守るには非常に安心。でも、自分達が2000万や3000万払って選択をした後に管理費が9万円。食事が5万か6万。

●独りで10数万。夫婦だと23万。(うわあ!)(インフレになったらもっとあがるでしょう)そう。入居金はだいたい2000万から4000万円(うわあ・・・・)一気に払う。それに毎月の出費ということ。U地区の場合、マンションの上の方に元気な人が50~60軒住み、その下にシニアが住む仕組み。介護保険が利用できるようになったらそこに入る。元気で上に住んでいて、しんどくなったら下に住んで看てもらえるって、もしお金があれば良いように聞こえる。
●3000万や4000万の中には将来の介護の料金も含まれる。(入ってない)
●下に下りても月々15万って言うのは要るんでしょ。
●Tという所はS地区にある。ここはAというマンションが入居が少なく、二軒ぐらいしか入っていなかったのをSという運営主体が関わって入れた。ここに移行保証金というのが書いてある。普通のマンションだったら介護はみてもらえないから外から介護保険で頼んでみてもらう事になるけど、ここは300万払えば下のシニアの施設も使えますというだけで、又お金が要るんだってば。(あーあなるほど!)巧みなの。皆見ただけで決めないで、よく研究しなくっちゃね。(何千万って払うんだものね)

●業者としてはそういうやり方をして埋めようとしているわけでしょ?空いてる所を高齢者向けの住宅に変えて●Sの社長さんが20年くらい前に名古屋でZという(あ、それはもっと安いのね)マンションを建ててケアなしで高齢者だけ住まわせた。それが名古屋に2つか3つあるが、高齢者がいっぱいになっちゃって、U地区の方へ移行させている。企業なので何だカンダと決まりがある。同じ経営者なのでZの希望者がお金を精算したのかどうかよく分からないけれど。そうするとZの方が空くでしょ。で、又チラシが入る。
 私が一番勉強して分かったのは、福祉Mを作る会と言うのは嫌だなということ。(笑い)I地区のマンションも(あれは年末にオープンしたばかりよ)そう。でも、その前に2年くらい研究会をやった。皆で毎月毎月福祉Mを作る会合だと言って。で一二の三でこちらに流れる。見てもないものを契約する。実は一次価格というのがある。変でしょ?一次価格と言うのは何月何日まで頑張って勉強会についてきた者で、迷いながら遅れて契約すると今度は2次価格になる。(上がるの?)上がる上がる。(えーっ!)(煽るんだ!)(万博の前売り券と一緒だね)(爆笑)
●SとそのNPOは同じ母体なの?
●表向きには、理念が一緒だったという説明。本も出されて有名な方が関与されていて、私が気付いたら、養女にしていて家族関係。もっとテレビ出演して有名なT女史の伊豆の友達村と言うのも有名だけど、それはいいとして、名古屋は実は家族で住む人が多い。

●家族でも親子でも友達同士でも住むのは何でもいいって言うよ。
●独り者になった老人が3〜4人で一部屋借りればお金は三分の一でいいの?
●そんなに広くないの。(大きいのは3部屋。バストイレ、台所ついて)
●話を聞いていると、日本の70代の個人資産を鵜の目鷹の目で狙っているように思える。だから、あんまり老人が自分の将来を不安不安と言っちゃいけない。自分が強くならなくっちゃ。(わーっ!)(笑い)私に言わせたら、暮らしてきた環境よりいいとこはない。今そこへかわって行って、夫婦が死に別れて独りになって、そこへ寄ってくる話にろくな話ない。(笑い)だから、人間生まれる時も死ぬ時も独り。そういう意味でちょっと娘のことが気が楽になったわ(爆笑)私は娘を置いて逝く不安があるけれど、あの娘は独身で何の不安もなく死ねばいいのだから、もういい。
 年寄りがグジャグジャどこで住もうと考えるの野暮よ。やってきた最後の、その生活を財産にしなきゃ!近所の力って大きいと思う。今、私は丈夫だから、近所で私は若い人としかつきあわない。お葬式送るの嫌だから。(笑い)私より若いなと思う人と手をつなぐ訳。でもその人たちが皆私より弱いの。(爆笑)全員集めて「今日天婦羅やるからおいで」って我が家を開放する。女のホームレスの人がいると今夜家においでって言いたくなるの。(へーっ)しないけど。今日ご飯作りたくないのっていう人がいたら、「卵どんぶりで良かったら家においで」って言う。独りでも寂しくない。ホームへ行くと、『あの人今までどういう生活してきたんだろう』って井戸端会議が始まる。だけど、今の所なら、恥もかいた、子育てもやった、いいも悪いも全部見せた所で自分が救急車呼べば、きっと周りの人が「どうしたの」って来てくれると思う。(まさにご近所の力ね)それぐらいの事してるもん。してるからして貰えるとも思っていないけれど、そういう意味で狙い定めて若い人。(大爆笑)(拍手)(それもいいよね!)世代が一緒というのも話があってもちろんいい。私は若い人が倒れると助けてあげる事にしてるの。(どこにお住まいなの?来て来て!)(笑い)

●ちょっと聞いていいかな。今の一次価格二次価格っての、もし、私が一次価格で入居して1000万とするでしょ。今度あなたが2次価格ということを知らずに1500万で入居したらどんな風に思う?(複雑だよね)
 シニアの方を1500万で売り出した。入居金500万、後諸々要る。それが入居者が少なかったので、企業としては困るので、800万に値下げした。(えーっ!)それがまだ問題があって10室に限るって銘打った。(煽るんだ)それを出されたら皆知るわけで、じゃあ11番目に来た人は交渉の余地があるかっていうと、そういう時はある。情報だけ知っていたら、大丈夫。だって100万の値下げだったら分かるけれど半値でしょ。(そう!)そういうことが長く研究していると何故と思う。
●そういう所にいる人の幸せな話って流れて来ないことない?ご夫婦で人生の最後はこういう所でと選んで住んでいる方はいいけれど。私生々しい話聞くから。

●MというのはTという大企業がやっている。(あれは待ち人が何百人もいるそうね)今はそんな事もない。やっぱり問題が沢山ありすぎて(Tがやってるからいいと思ってた。私の友達は順番待ちしてる)待っててもいい。(笑い)一度1泊してみるといい。お風呂なんかで入居している人にこっそり聞くのがいい。(なるほど)(一日体験みたいなのがあるものね)言わない人の方が多いけど、中にはこういうことがあるのでって聞いて、4~5人行こうかと思っていた人が止めた。
●まあ、個人差があるでしょうけど。噂が嫌だという人とか。仲良く誰とも開放的に付き合える人とか(そう)

●子供の無いご夫婦で入居されている方がしみじみ仰るには、「親を入れて、後から自分達の行くからと入ったが、どうにもならなくなってからでいい。元気なうちから一緒に仲良くやって気心知れて、気が合えばいいけど、言いたい事も皆自然と言わなくなっちゃって」(あらあ・・・)やっぱり本心で言ってくれてるのかどうか感じちゃうよね。言う人が中に一人いれば、任せとけばいいという風になるのが危険かな。
●家の近くに空き店舗がある。時々パカッと突然「健康食品ナントカ」という、行くと何かがもらえるってチラシが入る。すごーいお年寄りの方達がぞろぞろ集まって(暇なのよ)。そして大抵2〜3ヶ月で終わる。そういうのがポコポコとある。(あれは最終的にはお布団を買わせる)(最初は只で何かをくれる)何かそこまではひどくないだろうけどそれと似てるかなあ。

●ちょっと違うかもしれないけど、あれは、元気には皆さんなるよ。(えっ?)午前中はG町へ行き健康食品を買い午後はF町へ出かけてって、卵1パック10円なんてのに釣られて、一ヶ月のお小遣い皆10万円くらいは持って買っちゃう。
●あれはヤクザさんがやってる(えーっ!)すごく上手。普段は優しくしてもらえないのに、優しくしてもらって最後に30万の布団をポーンと買わされる。それから娘や息子があわてて何やってるの。それでも行きたいという繰り返しね。話聞いてると楽しそうだもの。明日はあそこでやるってちゃんと知ってる。
●年寄りになって優しく「おいでおいで」って言われたら行っちゃうね。
●我が子だってこれだけ年寄りの事で困るんだから。年寄りの寂しさにつけ込んで寄って来る他人様にろくな者はない。(笑い)私達は独り歴十何年だから、自分を守る事を知ってる。

●結局私の結論は、私も経験不足で介護した事が少ないので言えるのかも知れないけど、周りの人が皆娘や息子に世話になりたくない、ならないほうがいいだろうと、そういうのがちょっと多すぎるなと思う。どうにもならなくなったら助けてくれと一言言えて、やっぱり力を得なければ、こういうところに独り入ったって、あんまり楽しいところじゃない、幸せでない。私は最近は心の奥では、もうどうにも頑張れなくなった時はちょっと手助けお願いって言えば、済む事だし、子供達も少しはしんどい事も学びながら次につないでいけばいいことかなあと思う。言わなければしっかり生きていると思い込んでるよね。

●先日下血した。人間いざとなると弱いもので、子供達に「検査に行くけど、何がもあっても大丈夫だから」と伝えた。子供達の慌て方といったら。まだ親のこと思ってるなと思った(爆笑)。結果は顔より腸の方が綺麗(爆笑)子供達が検査がある日まで申し合わせたように順番に電話をかけてくる。それで、ああ、自分から頼むねとか約束しなくても、死ぬ思いで一生懸命我が子を育てたんだもの。看取るということは辛い事だけどしてくれる。だから、私はしてくれて嬉しかった事は皆書き留めてある。コンチキショウと思った事は書いておかない。(笑い)親として素直な気持ちも大切。
 娘が婿と一緒に帰って来ていた時、どうしても必要があって外出した。早めに帰ってきたら、いつもは遠慮して離れの部屋にいる婿達家族皆が私の部屋で大の字になってくつろいでいた。私は自分の部屋に入れなくなってしまった。(爆笑)自分の家なのに。ご飯も食べてなかったけど、食べてきたって嘘言っちゃった。でもいい婿。でも、あんな経験をしながらこれから生きていくのは嫌だと思った。頼るのは自分しかない。きばっていると病気も来ない。近所の人に雨戸が10時に開いてなかったら死んでると思ってって言ってる。他人様とは節操が働くからワガママにならないと思う。最後の最後は素直な気持ちも大切。

●私は実の親でなかったから、ナニクソと思ってもどっかで割り切れた。お父さん、お母さんって呼んでても、それはお父さん、お母さんじゃない。それはどうにもならないもの。かえって実の親だったらもっと辛かったろうなと思う。

●母が最後に入院した時、三度三度食事を運んだ。お粥をもって行ったら母が「ここの病院のお粥は美味しい」と言った。(笑い)今から思えば親子だから言えることなのに、それを「分かった。明日から持ってこんよ」といっさいお粥を持っていかなかった。後悔ばかり。介護者に私を選んだのだから、私の中に文句言わせるかって気があった。
●いくらやっても後悔は残ると思う。
●私はこれもあれも答えだと思う。やっぱり愛人じゃないの。(えっ?)(愛人は他人でしょう)イヤ、愛する人に身を委ねるということ。
●そりゃ私だって、自分の財力にあった所に入居して、皆と一緒に暮らす道も選べる。だけど、どこをどう見てもやっぱり自分の家で、辛くても何でもやっていた方がいいなと思った。
●寝たきりになって自分の身の始末もできなくなったらどうするの?

●そうなったら介護を頼んだり、Aに入れてもらったらいい。Aのようなものだったらこれからもどんどんできると思う。(Aって?)岡山で成功して、医者がやってるとか。特徴は小規模。食事は質素らしいけど、家族が見守ってくださいという。それはお願いしなきゃいけないけど、それくらいはいいでしょう。見守る目くらいは。でも、同じAでも、施設長さんの考えでどんなにでもなっていくので、見学会がある度に出かけて、自分の目で確かめておくのが大切。Aは若い人がやって張り切っている。効率的には、入居者が全部入って順調ということでしょ。(8割くらい入ると経営としてはいいらしい)福祉Mの方はせいぜい30%。(T地区の場合はそれに比べるとかなり済み済みになっている)でも、それも手付けを打ってあるだけ。先日見学会に行った方に聞いたら、真ん中に吹き抜けを入れたのが売りだったけれど、30何階かの吹き抜けなので、上の方は明るいけど暗い。Sは真ん中の階を買い取った。

 別のマンションEも50室くらいでうまくいっていたのに、欲をだして、すぐ次のマンションをK地区で手がけた。地主が土地を提供して、マンションの2階に住んでいる形式。土地を提供というと、どういう印象を皆はもつ?  セミナーでは奉仕活動のように説明された。聞いてると、善意でお値打ちに提供してもらえると思っちゃうんだけど、ある時、名古屋市に半分の500坪を寄付して特別養護老人ホームを建てるとの説明。そして、半分に50室ぐいの小規模のものを建てるということなので、抽選で部屋も決めた。その矢先に名古屋市の許可が下りなかったので大きくするという。(へーえ)
 NPOの会で勉強してきた私達には相談もなかった。決定事項が一人一人に電話で流されてきて、どう思われるかという事だったが、皆、穏やかな人が多かったので流された。そこで、5人くらいでも集まって厳しく言えば流れない。みんな意識が様々だから難しい。思う壺で、大きいのができたが、蓋を開けたら、隣に老人健康保健施設ができることになった。老健というのは病院が経営する。政治の力もからんで許可を貰うのだろう。Kは医者がはいらない。往診。100も老人が入るのにワゴン車も無い。ワゴン車を持てば運転手が要る。経費節減で持たない。会員が聞くと、借りると言う。よくよくみるとマンションの後押しをするものでしかないNPOではないか。施設選びは皆さんよくよく考えて欲しい。

●立派に施設を作ってもポンポン閉鎖になっていくのは机上の論理と実際のことが違うんだね。若い人を手なずけるのならともかく、これだけ人生経験してきて、酸いも甘いも噛み分けて苦労して生きてきて、個性もガチガチにこうなっちゃったのを(笑い)一つ屋根の下に集めて和気あいあいと暮らさそうと思う、その考えが甘いなと思う。

●このあいだNHKの「ご近所の底力」を見てたら「楽しいですよー」ってやってた。
●そういうところが楽しいと思える人もあると思う。十人十色だから。うちの団地は600軒ぐらいだけど、もうこんな年ばっかり。用心にもならない。そこここから出てくる人みんな白髪頭ばっかり。(笑い)息子さんが一緒に住んでいる家は1割あるかないか。そこの孫が遊ぶ相手がない。友を求めて隣の団地までって感じ。町というものは、色々な経験をしながら練られて練られてできていくものだと思う。
 外国の、例えばイギリスなんかだと建物を壊さないっていうでしょ。古いものを大切にする。日本は家まで使い捨て。私が死んだら私の家は全部ゴミ。そう思うと人生ってなんだったのかと思う。今までは家を継ぐという考えがあって、よりよくしていこうとやってきたものが、手を入れるのが馬鹿らしいと思うような暮らし方になってきた。もっと日本人は考え方を変えて、今あるものを大切にしていかないといけない。ああ、ああいう考えがわいてきたからここにこういう建物を建てよう、自分ひとりで心配になったからこの家捨ててあっちへ行きましょうってのはいけない。もっと若い時から、人間は頼るものが無い事を教育していかなければいけない。

●私もしみじみ思う。孤独です。で、孤独でとまどっちゃいかんと思う。
●孤独と思えば孤独だけど、自由だと思えば自由。
●これでいいと思わなきゃ、生きていけんなあと最近思う。
●何が寂しいって、ふと、話しかけようと思うと相手がいない。その時に味わう孤独というのは並たいていではない。だけど、それは乗り越えなくてはいけないもんね。(ね、辛いけれど)子供に話したってそんな事分からない。
●そうそう。最後に一つ私、こないだ娘に腹がたったことを聞いてもらって終わりにしたい。(笑い)夫の命日がきたので、いつもなら、自分でお花の支度はする。娘が買ってくると言うので頼んだ。そしたら仏花のゴム切っちゃってさしたから、下が開いてしまって花がチャラチャラ。私の想いは10年目だから、けじめをつけてもうちょっと大きくて豪華に取り寄せの花でもいいと思っていた。(法事じゃないでしょ?だったらいいじゃん)法事じゃないけど私の気持ちがすまない。カーネーションとカスミソウの花束。お嫁さんだったらもっと腹がたつよね。(笑い)仏壇用の重みのある花を買ってきてほしかった。(買ってきただけ可愛いじゃない)そう?そうかなあ。
●それ言ってちゃ、子供に頼れないって! 子供が傷つくような事言っちゃダメ。やってくれた事を褒めとかなきゃダメ。
●人間ってそういう風に思おう思おうと何度思ってもできない。いう人がないから言いに来たの(爆笑)
●言えばいいのよ!
●.仏様はけっこう喜んだかもしれないよ。可愛い娘が買ってきてくれて。(爆笑)
●そんな事に拘るなんて、それが不思議でしょうがないわ(大爆笑)
●自分の気持ちなんだろうね。こうあらねばならないというのかな。
●最近は仏花でも、カーネーションをお花屋さん自体が入れている。(ああ、そうなの?)時代が変わってきたんだなあと思う。時代にあわさなきゃいけないこともある。(そう?)(この後、笑いに次ぐ笑いで聞き取り不能)

●娘5人いるから、母が『誰々はこういうのがちょっと・・・と思っても言わない』って末っ子の私に秘密を言う。同じ娘でも色々個性があるから、『言っちゃいけないことは言わずにありがとうだけ言う』って母は言う。(笑い)
●言わないと、もって行き場がないじゃんね。ほんとにもう!って思って。
●人間なんてもろいもんね。娘の家族が遊びに来て、料理は感謝して食べてくれるけど、食べ終わったら、さっさと個室へ家族で入っていく。デザートでも出してやろうとコンコンとドアを叩く気になれない。やっぱり孤独は平気。(そういう心境になるの?)

●でも、さっき話そうと思ってもそうだそうだと言ってくれる人がいないと言ったでしょ。そういう人が一緒にいてくれたらいいでしょ?(そう!)
●でも、愛人が家族だったら、娘にお父さんがいる時、あんなにイヤだイヤだって言ってたがねとパンチ喰らうから私は要らない。強い事が財産だと思う。母に意地クソ悪く健康に生んでくれたことを感謝してる。(笑い)
●そうだよね。私は自分で言うのも何だけど、少し優しいところがある。(爆笑)何度この優しさを要らないと思ったか。夫がいなくなって生きて行くってことは大変。やっぱり意地が悪くてもきつい人の方が生き易い。優しいことは生き辛い(ああ。なるほどね)よく言うじゃん、好きな事やればいいって。それさえ大変なんだってば。今、皆は束縛があるから何かあれば自由な事やりたいと思ってるでしょ。(そのうちが花だね)そう。(爆笑)(今苦労のない人は将来怖いよ)(爆笑)夫婦は先に死んだが勝ちよ。
●優しく強くあればいいよね。(しめやかさもね)自分の意見とか、大事なところではピシッと言って。そういうものを含んだ優しさ。そうすれば何かあっても生きられる。(結論が出たね)
●では、これで終わります。

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●昨年の夏に父を送り、残された老母を見ていると、老後をいかに暮らすべきか、 自分自身の問題として、急に現実味を帯びてきた。いろんなシミュレーションをする必要がある。
1、健康であるならば、夫婦2人で住む事がベスト。考え方が相反することも沢山あるが、お互いにいたわり合えるようにならなければ・・・ 今から、訓練の必要を感じる。
1、どちらかが病で倒れれば、介護付、2人で入れる老人ホームがいいな。 (相当な資金を準備しなければ。計画倒れの可能性大)入れない場合はどうしよう?今のところ良い方策が思いつかない。
1、1人残されたら、自分で動ける限りは1人暮らしを維持していく。動けなくなったら、どうしよう。子供達の世話にはなりたくないと強気でいるのだが、と言っていい案が浮かばない・・・どうにでもしてくれ・・・後は野となれ山となれ・・・あー、母の生き様そのままだ。何の教訓にもなっていない!人生後半に向けての計画の立て直し、設計の練り直しが必要。そして、何よりも考えに真剣さが足りないことが分かった。
 
●私は75才一人暮らし。好きこのんで一人で暮らしているわけではない。婚期を逃してしまい独身でいただけ。ですから誰とどんな形でなんて考える事も出来ない。あの〜 強がりで言うわけではないけど一人暮らしは煩わしくないし自由で良いもの。今の世の中便利に出来ているから、不便はない。淋しい時はパソコンに向かい誰かにメールする。ニ胡も一人で楽しむ。 散歩はいやなので太極拳に通っている。
 楽しみは探せばいくらでもある。不治の病を宣告されたら延命工作をしないように尊厳死協会にも入っている。後は神様だけが知っている寿命に従うだけと思えばこの世は天国。 少しは私の意見お役にたつでしょうか?

●今まで、本当にやりたい事って何だろうと考えていた。そんな時今回のテーマで、「高齢になったら誰とどんな形で住みたいか」と、テレビでグループリビングの存在を知り、これだ!と思った。
 一人で暮らしたい、 子供に迷惑をかけずにと思っても、寂しい時、病気の時、心細いなと思うだろうけど、第二の人生を考えたら、お互いの気持ちを話し合えたり、頼らず、でも少し頼って(協力し合えて)でもどんな問題がある?丁度7月に、日本女子大学で、「老後の暮らしーグループリビングの選択」と言うテーマの公開講演会があるので申し込んだ。こんな気になったのもがま口塾のお蔭。
 家を建て替える時、普通の住宅、二世帯住宅とか考えるより、幾つかの個室や共同部分のスペースとか、今までとまるで違った形での生活。考えたらとても楽しくなった。もちろん、自分ひとりの考えで、義理母が元気の時には、変えられないだろうけれど。それだけに、第二の人生のためにも今からやる事沢山。 

●理想としては仲の良い女友達と集合住宅に住みたい。それぞれ自分の部屋を持って時に回り持ちで食事会を開いたり旅行に行ったりしたい。でも、現実は夫と暮らす事になると思う。もうそろそろ施設に入る事も考えなければならないと思う。色々な施設を訪ねて条件のいい所にしたい。自分が死んだ後の事を考えると夫が独りぼっちになるんだなあと思い涙が出てくる。女の人は横のつながりがあるので寂しくないと思うけど、男の人は縦社会が長いので一人ぼっちになりやすいと思う。だから私は夫を見捨てる事はできない。独りになった時に女友達と住みたいと思う。

 
●昨秋姑を、今春里の母を亡くし、気が滅入っていた。姑は主人の弟に、里の母は私の兄に任せてきたので最終段階にもこちらからは一切口も手も出せなかった事が後悔を残した。母達の状況を踏まえてみると、自分の将来も結局あのようになるのかなと思わざるをえない。
 自分自身の希望(息子や孫と大きな屋敷に住んで、私達は離れに。食事は時々一緒)or(気心の知れた友人達と海を眼前にした高原の半田舎の老人ホームで病院やホスピスに隣接し、ペット同居も可、絵をずっと描き続けながら、時々ピアノも弾けて・・・コーラスも出来て・・・)はあっても、もろもろの制約が加わって結局現実から逃れられず、同居家族(同居できればまだいい方で)の意のままに早めに入院させられるでしょうね。
 既に老化現象で体のあちこちが痛くなってみると、夢を語るより、とりあえず足元から、手近な何かにすがってなるようにしかならない、自分で自分の体が意のままにならないから、なし崩し的に医師や家族の都合に従わざるを得なくなって終わった母達を思うと、何とかもっとその人らしい最期が迎えられなかったか、胸が痛みむ。 老人として、快適に長く生きるってつくづく難しいことだと痛感する。

●一人になったら一人で・・それも寂しいことかな。今、周りの先輩達を見ながら自分を強く鍛えておくことかなぁ。それと好きなこといっぱい見つけておくこと。細くとも繋がっていたい。自分の意志で選択したい。

以上です。読んでくださって有り難うございました。お疲れ様でした。もし宜しかったら感想を聞かせてくださいね。