がま口塾
がま口塾ってなーに? CDロム・本の紹介
がま口弘美の日記 がま口塾便り


26,2004年7月23日号 
死ぬまでにしたいこと、三つ』      
 
 セミがジージー。からすがカアカア。噴出す汗。『あいよ、分かったよ、こんな暑いのに誰がおしゃべりに坂道登って来るかってんでしょ!』。覚悟は決めておりました。私1人でも何とかなるさと。でも、ちゃんと7人の参加。感激しています。巡る季節を思い通りにすることはできません。やりたいことを三つやってから計画通り死ぬ事もできません。今日集い、今日生きて話し合ったという事が、とてつもなく貴重な事だと思っています。    

●年休をとって来た。10年ぶりくらいにがま口塾に参加することができて、すごく嬉しく思っていたのだけど、テーマを考えたら悩んだ。やりたい事は色々あっても、それが果たして死ぬまでにやるトップスリーなのかどうかよくわからない。友達たちとも話したが、みんな「ないよね」「いきなり言われても分からないよね」と言う。それで「がま口塾でどういう話が出るか聞いてきて」という事になった。(笑い)

必死で考えた。行きたい外国へ行くという事も、死ぬまでにやらなければいけない事とはちょっと違うなあと思う。とりあえず、5~6年くらい前からずっと思っていた事は、もう一度大学へ行って勉強したい事がある。それが今、私にとっての一番大きな目標。お金とか時間とか、(笑い)色々物理的な問題でまだ気持ちだけで実現していない。近々やりたい事では、今娘がアフリカのセネガルにいるので、いるうちに行きたい。でも、とても暑いので、ちょっと気温が下がる頃でないと体力が持たない。実現が不可能に限りなく近い夢としては、私はいずれ田舎に帰らなくてはならない。その時に敷地だけはあるので、子供の本屋さんをやりながら、皆がたまり場的にお茶を飲んだりする・・・そんな事ができたら、私は田舎でも、きっと生きていけると思う

セネガルの一番涼しい時はいつ? 
1月と2月。ちょっと気温か下がって多少、夜何かをかけて寝ることができる。(協力隊?)そう。娘は去年大学を卒業したばかりで専門はなく、体力だけが勝負(笑い)。農村に入って女性の自立支援のような事をする。染物やったり、石鹸を作ったりみたいな。娘のメールによると、毎日村々を訪ねて、道を歩いている事が仕事に繋がるそうだ。色んな人が話しかけてきて、こういう事がしたい、こういうものが欲しいという事になるので、それが仕事になっていくそうだ。(フランス語圏?)片言の現地語でやりとりしている。

●モロッコなんかはとても暑いけど乾燥してる。名古屋にお嫁に来た方が、とんでもない名古屋の夏って(笑い)。あちらは過ごしやすいそうね。
●私ケニアに1ヶ月くらい夏にいたけど、本当に高原の軽井沢のよう。

●私はケニアは1週間ぐらいいたが、あそこはカラッとしている。でも、セネガルは今45度くらい。(うわーっ!)だから、夜はタオルに水を浸してそれを体にかけて寝る。(えーッ!)。今は井戸水も飲んでいる。そうでなくては暮らしていけない。一杯の水を汲む事が女の人にとっては重労働。

●そういう事に若い方が関わっている事を聞くと嬉しくなるね(そう!)

●でも、私達の世代のように頑張らなくっちゃみたいでなくて、さりげなくやっている。

●今日のテーマは、これは外せないと思って、1ヶ月くらい前から張り切って考えた(笑い)。まず、私は自然葬で死にたい。墓も今ある所に入るのではなくて、散骨にしたい。(法的にいいの?)ある程度規制はある。骨が大きいと砕かないといけない。私はどこに撒いてもらうか、それを死ぬまでに決めなければいけない(爆笑)。それを見つける事。身近なところでは、聞きたい歌手のコンサートには、心残りのないようにすべて行く事。今行きたいのは、ゴスペラーズと平井堅。なかなかチケットがとれないし、情報も入ってこない。もう一つは夢だけど、3~ 4年前から着物から洋服に直すリフォームを始めた。(今日のもそう?) そう。自分が関わっているリサイクルに繋がる事なので、気に入っている。着物が破れていたり、汚れていたりしてすごく苦労する。作品はだいたいお嫁に行っちゃう。今は自分でためておいて気に入ったのを、できたら個展かなんかで発表したい。(ワーッ!拍手)これはかなり夢に近い。

●私も考えちゃった。考えても出て来ない。何か参考になる映画見たり、本を読もうかなと思っても、月日は流れちゃった(笑い)。映画か本を参考にしなきゃいけない程度のものしか私にはないのだという事が分かった。そういう自分を発見して情けなくなって非情に今日ここに来るのが気が重かった。主体性のない事だが、皆さんの話を聞いてから考える。

●その悩んだという事、すごく分かる。私も悩んですごい落ち込んだ。三つがパッと出てこなかった時に、じゃ、私の人生って何なんだって(そうそう!)思っちゃうよね。旅行がしたいとか色々あっても、本当に最後は私は何がしたいんだろうって。

●情ないよね。何が食べたいとか、あそこに行きたいとか気軽なものだったらいっぱいあるんだけど。ああ、それだけの人生なの、私って、ってね。

●私は、私の為のテーマかって思った。(おーっ!) 実は4年前に癌の手術をして、その時悪い所全部切ったから大丈夫と言われた。今、人工肛門で身体障害者手帳を持っている。

2年後に肺に転移している事が分かった。右肺の下三分の一を切除。ところが又だいたい2年後の今年の6月転移がわかって手術した。退院したばかり。(えーっ!)右肺が小さくなった。痛みもまだある。

入院してベッドの上で二つ考えた。やっぱりどういうふうに死ぬかという事。もう一つは治ったら何しようという事。三つあるとしたら、まず最初は身辺の整理。ごく一部は大学祭のバザーに出したけれど、自分の物がどのように処分されるかと思って見に行ったら、屑の山みたいに売られていてガッカリした。私はスーツなんかをちゃんとハンガーにかけて出したのに。皆あさっていて、スーツも上下あっちこっちにバラバラ。本も今古本屋に持って行っても要らないって言われるし。どうしようもないものは資源回収に出すけれど、とても処分しきれないものがある。私は何でもとっておく主義だから(笑い)結婚以来のもの、一切捨ててない。(えーっ!)ひょっとしたら将来役立つかも知れないと思って。例えば浴衣で作った子供のオムツ。今、そんなの、紙オムツで使わない。子供の幼稚園の時のお絵描きのもの(笑い)も捨てかけても、とうとう捨てられなかったもの。だけどもこれも処分しなればいけない。衣類・書類・本など、早く処分しなればいけない。贈答セットで買えば数千円するようなものが2~300円っていう所へも、捨てるよりいいと思って持って行った。でも、まだある。ケアハウスみたいな所に住むようになったら、本当にゼロに近いくらいにしなくちゃいけない。身の回りの処分と整理が一番目。

 二番目は、行きたい所へ行き、見たいものを見るという事。元気になったら又旅行したい。今回も入院を前にして、アイルランドに行ってきた。アイルランドに最初に行った時にホームステイした家を訪ねた。参考までにその時の写真。14年前に赤ちゃんだった子が、今回行ったら高校生。(へーっ!)(ほーっ!)そういう家庭が世界のあちこちにある。そういう所を再訪したいと思っている。

 

三番目がやっぱり死に方。葬式をするのかしないのか。どういうふうに埋葬してもらうのかを決めなければならない。実は十数年前に土地だけは永久に借りた。しかしお墓を建てても子孫が続かなければ無縁仏になる。それで墓地は返し、33回忌まではきちんと法要し、後は永代供養してくれる□□寺にお願いしようかと考えた。そこは仏教なら何宗派でもいいと言っているのです。ところが普段仏教のことなんか全然無関心な夫が、自分の家は○○宗の△△派だからそういうお寺がいいって言い出した。(爆笑)でも、今、調べても適当な所がない。それが今、早く片付けなければいけない事。この三つ。

 もっと元気だったらやりたい事がいっぱいあった。シルバーボランティアで世界のあちこちに行きたかった。ケニアに行った時もむこうの孤児院と係わりがあって、ケニアの子供達を援助する会に入っているから。時々機関紙が送られてくる。

●若い時に仕事をしながら色々な事に関わってきたのね。すごいね。

●だから、それがダメになってしまったし、さっき勉強したいと言われたが、私が大学院に入ったのが45歳の時。(へーえ!)定年退職したら、今度はイギリスの大学院へ行きたいと思っていた。それもこの体では無理になり、夢が二つ潰れてしまった。

●身辺整理はわりとやっている。引越しが多いので、荷物は作らない。夫も立派な分厚い英語の辞典でも「あんまり使ってないんじゃない?」なんて、あっさり捨てる。父親が亡くなって掃除に行った。物があると言う事は残された者には大変で、トラックで7~8台分のものを捨てた。(うわあ!すごーい)(騒然) 施設に入った母に後から「あれはどこにいったっけ?」って聞かれてドキッとした事もあったけれど、兄弟で整理した。何でもとっておく両親だった。私も5年後は名古屋から引っ越して、狭い所に住む予定なので、本当は捨てたくないけれど、整理を始めている。

 それと行きたい所に行くという単純なこと。娘が来年スコットランドに行くので、その時は行くことにしていて実現しそう。世界で行きたい所を数えたら、あと10いくつある。(笑い) 行けない時期があるものね。手紙のやり取りをしている人の所へ行きたい。

 新聞の「癌と生きる」という記事で、『夜と霧』というアウシュビッツを体験した精神科医の本の話を読んだ。人間の価値は三つあると言う。創造価値、体験価値、態度価値。創造価値というのは、死を宣告された時には、やりたい事が出来なくなる。存在を否定される価値。それはもう、いかんともし難いけれど、残る二つ、体験価値と態度価値は、じゃあ、こことここに行こうとかもう食べたい物を食べようとか、会えなかった人に会おうという事。態度価値は、そういうふうに決まったら、私はいかに生きるか、自分にいいようにきちんと残す。そこでどんな態度をとるかが残された人の記憶に残って影響する。後者の二つは自分で維持できる。私はこの中の「行きたい、食べたい」などという「体験」しか思い浮かばなかった。1年くらい外国で暮らすような事をしてみたい。

 アウシュビッツで生き残ったフランクルの本を読んだばかりの時に、こういう記事を読んで、創造価値はどうしようもないけど、他の二つはできるので、ぜひそう人間らしくしたいと思った。

●三つに絞りきれずに優柔不断なまま、おまけに遅刻。来るのもどうしようと思いながら来た。(笑い)どうしようかな、バスに乗ってから考えよう、地下鉄に乗ってから考えよう、塩釜口で降りる気がしなくなったら通り過して(爆笑)・・こんな気持ちで来た。絞りきれないのは、日々の生活にけっこう満足しているというか、抑圧された部分がないのかな。自分で決められない部分で状況が変化していく。その中で、引越しの問題が出てきた。来年の春には子供が2人とも外に出て、夫と2人になる。夫の勤めに近い所に引越しできる。かつ名古屋の両親に近い所か・・最近住宅情報誌を研究している。リセットする事で新たな出会いや場が生まれるので、前向きに考えれば、チャレンジとしてやってみたい事でもある。でも、色々な事に今とても充実しているので、リセットする事に未練があるとも言える。ムニャムニャしてる。

三つに絞った時に、外国に住みたいとか、もう一度学び直したいとかある。毎年ちょっとずつ思いながら、一回は大学の時の成績証明書を取り寄せて、願書を取り寄せた時もあるけれど、延ばし延ばしにした。自分に問い返した時、本当に行きたいという気持ちに固まっていない。短期的にはワッとあるれど、何がしたいという、これからの生活を一変させてもやるだけの価値があるっていうのは今、見出せない自分がいる。モヤモヤして絞れていない。

●一つは父の本を出版する事。二つ目は生き抜いて90歳になったらディスクジョッキーになって、言いたい事をバンバンしゃべりまくる。三つ目は、標高6656メートルのチベットのカイラスに行きたい。何の宗教も持っていないけど、その聖地と言われる所で1ヶ月くらい暮らして限界を極めてみたい。

 まず、第一。父が孫のために書いた手紙をこの815日に出版する事になって実現しそう。便箋に343枚のこれが実物。孫が学校の宿題で「どうして戦争はおきるのか」って出て、おじいちゃんに聞いて、それの答えの手紙。(実際にあるのね)親不孝な娘で、子育てにバタバタしていた時は、これを本にしようなんて考えた事もなかった。20年前に書かれたもの。写真もどうしてこんなにあるかというくらいある。最近の世界情勢にかんがみ、もう一回考え直して、若い人たちにこれを伝えなければいけないと思って、ある賞に応募した。一等になって、100万円ゲットして、出版も楽勝の予定だったが、(笑い)外れてしまった。その出版社から、外れたけれど本にしないかと誘われ、打ち合わせたらすごい料金が必要だったので諦めた。別の出版社に問い合わせたら、まあ私のヘソクリで何とかなる額になったので、お願いした。でも、突然1ヶ月ほどの間に家族の協力なしで、1人でお金を用意するのは大変で、あと少しを足すのに、アルバイト情報誌を買って、大相撲名古屋場所のお弁当屋さんに行く事にした。1日10時間半、15日間休みなし、立ちっぱなしの労働。「私は戦争から生きて帰った」という題名で、著者の父の名前は仮名。編者が私。

(どこから?)合同出版社。私は500冊引き受けるので、これからどこへでも行って本を売り歩く覚悟。残ったら私の棺桶に入れることになると思う(笑い)

 それで、ご飯をオリにつめる仕事をしながら、ふと考えたら、愛知県体育館は、歩兵第六連隊があった所。77日に盧溝橋事件が起きて、日本軍が88日に北京へ入城し、15日に南京の爆撃を開始する。それで父達に819日、突然の動員が下令。一週間で準備して、5000人以上が名古屋城の東門から出発して、熱田神宮で祈願して名古屋港から行く先も教えられずに出征した。上海戦はものすごく凄絶で、父の大隊では満足に戦えそうな兵は8パーセントにもならない100人ほどしか残らなかったそうだ。大勢の若者が負傷し戦死した。奇しくもその出発した場所で、気がついたら私はしゃもじを握っていた。本当に不思議。(発売日は815日に意図して決めたの?)いや、それも流れでそうなっただけの偶然。(へーっ!)

●有名人に会いたいってのはない?

●・・・全くない。好きな人と会ってどこかへ行きたいってのはあるけど。かなわない夢。

●高いところへ行くための登山などの訓練はしてるの?(全然)(笑い)(酸素ボンべもって・・)

●ユングフラウは4000ちょっとだけど、私は何ともなかった。皆さんはフラフラしてた。 

●そこまでに行くのに慣らす準備が大変ね。

●私、さっき聞いてて『そうか、死ぬ時の準備するのもやりたい事の一つなんだな』って分かった。

●だって早くから準備が必要な事もあるもんね。(だっていつ死ぬか判らんもんね) 身辺はきれいにしておかないと。例えば交通事故なんか、何この人すごーいって・・。

●この間友達が、救急車でいつ運ばれるかも分からんから、私達の年代だと下着も考えなくっちゃという話題で盛り上がった(笑い)。どこで倒れるか分からないので、普段からきれいな下着をつけてなくっちゃって結論は出た(笑い)(それはよく言うよね)

●金目の物を持っていると同じ病院に運ばれても大事にしてくれるそうだ(爆笑)(本当?)(笑い) やっぱりね、ホームレスのような人が運ばれたら治療代払ってくれるかと思うじゃない?

●指輪の一個もしてきれいな格好して倒れなくっちゃ。(笑い)(あんまり考えなかったわ)

●やっぱり大病されて、いつお迎えが来てもいいだけの心構えになる場合のやりたい事と、まだ人生が先どこまであるか・・・私だって90くらいまで生きたいし、人間のやりたい事って同じ事言ったって、すごくチャラチャラしたものにしかならないような自分自身がいる。でも、さっき、創造と経験と態度の三つの価値を聞いて、ちょっと気が楽になった。

●父は90で亡くなったけれど、体力に自信があったから、100歳まで生きる計画を立てていた。(ほーっ!)毎日日記を書く人で、91では何をする、92では何をするって(笑い)この本をここで読むとか、100歳まで、ちゃんと書いてた。ゲーテのこれを読みたいとか、何年の何月までには大仏次郎の「天皇の世紀」を読むとか、今年中までにこれを読むなど。(へーっ)予定通りになったなんて日記に書いてる。それくらいすると長生きするかなあ。

●私の父は自費出版で2冊目を書いている。ここ最近行く度に父の体がしんどそう。無呼吸の症候群が悪化していて昼間もたえず眠気があるし、夜は横になっていても変な夢ばっかり見てよく眠れない。起きてる時、ワープロに向かっても執筆どころじゃない。考えが全然文字に浮かんで来ないって言う。寝る時だけ酸素吸入するようになったら、ちょっとましになって、又執筆活動が再開できたみたいで良かったと思った。一番悪い時は母が「最後は誰と誰に連絡してほしいか*ちゃんから聞いて」なんて私に言い出すし(うーっ)(笑い)どうやって聞き出すのかなあ・・・って。身辺整理っていう話が出たけど、私の場合は両親がいてくれるので、両親がどういう最期を迎えるか、それに私がどう寄り添うかという・・何があって自分が先になるかは分からないけど、順番としては、それが先であってほしくて、しかし、それをどうやったらいいかわからなくて。

●書いておいてもらうのがいいかもよ。こういう風にしたいって。

●書くのが好きだからね。整理もつけすぎちゃってもね。ものを書くっていうのは、今までの事を振り返るって意味もあるけど、これからの人に伝えていくって意味で大切。

●私も書いてなかったら、どこで何をしていたか全然分からなかったし、興味も全くなかった。

●自分か忙しい時に何をしていたか、今になって聞きたくてもいないもんね。

●誰かお友達としゃべっていればいいのにとかって、ちっとも相手になろうとしなかった。書き終わってからボケたので、セーフだった。だいぶ字を忘れた忘れたって書いてる。

出版社の方が、「生きていらしたら、色々聞けて良い本になったのにね」と言われたけれど、・・ということは、いい本じゃないんだなあって(爆笑)。だから、お父さんに今のうちに色々ここはどうだったのって聞いてあげてね。

●でも、まだ父の書いている原稿を見せてもらいたいという想いもないし、一冊目はもちろん読んだけど、父も戦争にこだわりがある。二作目はフィクションなんだけど、色々調べて書いている。自分の体験とは違う。いつも資料の本が山積みになってて「進まない進まない」って言うのを楽しみにしてるみたい(笑い)。でも、一冊目を書き終えた時に、父の生きがいはなくなるんじゃないかと心配したけど、すぐに2冊目を書き出したので良かった。

●私の父親も戦争に行ってるんだけど、戦争を体験した親の子供がもうこれだけの年齢になっているという事をあらためて思う。生きて帰って来たんだから、殺されはしなかったけど、殺してきたわけでしょ。で、そういう体験を一生背負いながら生きていたんだなあってつくづく思う。田舎の一親父だったから、自分で何かを書くっていう事を考えもしなかったし、自分が加害者だったって事を言えず、言いたい事を胸に秘めながら、ただ、黙々と田舎親父を続けて死んだんだなあと、今思うと、貴重な・・・って言うと変だけど、そういう世代に育てられたんだとつくづく思う。だから、我々の世代にやらなくてはいけない事ってあると思うの。きっとね。私達のちょっと後の世代はもう親は戦争を体験していないもんね。

●私は8人兄弟の末っ子で、一番上なんかは、戦争中、北京に行ってるから引き上げてくる時の色々な事情は分かっている。だから聞きたいけど、あまり言わない。私は今、とても聞きたくなっていて、この前も電話した時、日本人学校には通っていた記憶があると言っていた。日本に帰ってきた時の落差がすごくあって、北京ではものすごく広い部屋に住んでいたのに、子供心に『何でこんなに違うんだろう。あの家に帰りたい』って言ったのを覚えているって。私は一番下だから、そういう事を親からも兄弟からも聞かない。今になって、もうちょっと聞いておけば良かったって思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<メール参加とファックス参加>

●まだまだ、そんな事考えたくないわ、と思っていたが、この辺で(お盆でもあるし)真剣に考えてもいいかな、と。ところが・・・これという、したい事が思い浮かばない。まだ大分先だろう、と思う呑気な気持ちの故か、それとも今更これと言って・・・と思う投げ遣り的精神からかな。自分でもわからず。強いて言うならば、と捻り出したのが以下の3つ。

 夢見るような超未来的な事・・・宇宙から地球を眺めたい。(はあ)(笑い)/更に非現実的な事・・・死後の世界を知りたい。(笑い)/僅かに可能性のある事・・・世界各国に短期スティーしてみたい。

 ナンセンスと笑って下さい。10年後にもう1回、同じテーマで皆さんのお話を聞きたい。(笑い

●@台湾で余生が過ごしたい。(ヘーえ!)台中、台南が良い。A倉庫みたいな別棟で若い頃から溜めたCDやテープ、VDなどを毎日聴いたり見たりして、又新しく手に入れたりして過ごしたい。B中国東北地方を2~3年かけてゆっくりと巡りたい。私が死んだら葬儀の出棺の時、「何日君再来」(いつの日君また帰る)で送られ、骨は中国にバラまいて欲しい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●「何日君再来」って李香蘭だったっけ?向こうに暮らしていらした事があるのかな。

CD、1年くらい聴いたらもう飽きちゃうけど。(笑い)

●若いよね、CDっていうのは。私はレコードを聴きたい。いっぱいおいてあるから。

●でも、もう針がないね。いつかやってみたいという気持ちの方があって・・・実現しちゃうとけっこう退屈するみたいで(笑い)

10年ぐらい前、がま口塾に参加していて、人がいつも来てくれて、お喋りしたり、お茶飲んだり、こういう家がいいなあと思った。たまたま借りられる土地があったので、そこに家を建てた時に、一階を全部フラットなフロアーにして、そこでコンサートをやったり、色々な人が集まったりできる・・そんな家を実現させた。最初の1年は一生懸命コンサートをしたり、色々色々企画したりすごく嬉しかったんだけど、本当にそれが夢で実現した途端だんだんだんだんくたびれて来て。(笑い)最近は、今度映画会をするけどぼちぼち。実現しちゃうと「夢」って日常生活ではないにしても、意外と「お仕事」になってしまうかなあ。ヘタに実現しない方が夢はずっと夢で良かったのに・・って事もあるのじゃないか。きっと。(うんうん)

●森の中の素敵な家だよ。(音響効果もちゃんとして?)

●いやいやそこまでは。隣近所にあまり家がないから。(1人で?)そう。最初はいっぱいやりたい事があって、自分がピアノ弾きだから、この人に演奏してもらってとか、一通り自分が声をかけられるような演奏家は一巡りしたら、後が続かなくなっちゃって(笑い)

●やりたい事って変わるね。私も引っ越した時、普通のマンションの普通のリビングを開放して、子供が小さかったから、出かけるより来て貰った方が楽だったので、しょっちゅう人が集まって、それこそコンサートとか講演会とか勉強会を自宅でやってた。だんだん自分が出ていくようになると、会場が公共施設になってきて、又仲間も増えるし、コンサートもホールを借りて企画するようになった。そして他の人もやってくれるようになる。私がやっていた頃は、本当に周りで誰もやっていない時だったので頑張れたんだけど、色々な人がやってくれるようになると別に私が頑張らなくても・・と思ったりして。今度引っ越す時はだいぶ本もたまったので文庫をやって、最初からきちーーーーんと本を整理しなおしてみたいと思ったりする。(ぜひ実現させてね)

●こんどの映画会は「テロリストは誰だ」。これはもともとアメリカで作られたもので、極秘でもスクープ的なものでもなく、この60年の間にアメリカが特に小さい国々に対してどういう事をしてきたかという事を編集したもの。こういう危険な国に追従している日本がどうなっていくかと考えさせられる。アメリカの戦争するほとんどの国は、アメリカに逆らう意思もないしその能力もない国に対して。米ソ対立は確かにあったけれど、それをある意味口実にして、軍需産業を巨大化していったし、その資金源として小さな国を自分の思い通りにして利益をあげるという構造になってたんだなということ。私があまりにも無知だったという事もあるが、非情にショックだったので皆さんに見ていただきたいと思って企画した。(私、伺いたい)(私も)   (詳細は別記)

●夢が実現した瞬間が嬉しいのね。

●そこに行くまでが楽しかったのね。

●そうそう。こうしてああしてってすごく夢がふくらんで。

●着物のリフォームの個展もぜひ実現させてね。

●本当に自分が着物のリフォームに出会えた事だけで夢がかなったかなと思っている。個展が実現して終わったら気が抜けてしまうかもね。

●だから、夢は三つくらい用意しておかなくっちゃね。(笑い)(そうだね)

●私☆さんみたいに生きたい。病気をしても前向きで人生に積極的。

●高校時代お芝居やっていて、今でも見るのが大好きで名演の鑑賞会に入っている。たまたま新聞見てたら劇団員を募集していた。シニアの部も募集していて、年齢が68歳までで経験無用と書いてあった。去年はちょうど68歳前だったので写真と現住所程度の履歴書を送った。書類は通って面接があった。早口言葉とか色んな事をやらされたり(笑い)、台詞を読んで動作をつけてやったり色々あってそれはバスした。(わーっ!)三次試験で、どうもCM出演も場合によってはあるらしく、「どんな役でもいいか」って聞かれて、「アホな役はイヤです」って言っちゃったの(爆笑)。例えば、ブラジャーしてフラダンスみたいな事でも出来るかって聞かれたから。(ダメだったの?)そう。2回目の手術の後で、健康状態も今より良かった。夫が面白いからやってみろって言ったので、朝5時頃来られるかと聞かれた時も、ロケには夫が車で送ってくれるだろうし、いいと言ったのだけど。夫が「馬鹿な役はイヤだ」なんて言えばダメに決まってるよ・・・(笑い)

 もう一つは、仕事を辞めてから何もしていないからと思って、予備校の答案の添削の仕事に、年齢制限が書いてなかったので履歴書に教歴もきちんと書いて応募した。「残念ながらお断りします」と返事が来た。半年後に又、募集の広告が出た。それに「年齢は35歳まで」って書いてあった(爆笑)。そんなの初めから書いときゃいいのに。だって半分の年齢!(笑い)若い高校生を相手にする仕事だから若い人が良かったのね。

●私のした“ご飯盛り”の仕事だけど、アルバイトが10人くらいいた。アルバイトのニュースを見て行ったのは4人で、そのち2人は途中で辞めて行った。人間関係でちょっと怒って。私はしぶとくハングリー精神で残った。以前ガングロのオネエチャンが来たことがあったんだって。それで他の人が、かがんで仕事してたりすると「ババア!ケッがじゃまだあ!」(爆笑) お昼の食事に行こうと誘うと「テメエが行きてえんだろ!」(まーあ)。外で煙草はふかすわで、3日で首になったって。

その「ババア」って言われた方は、聞いてビックリ。73歳。立ちっぱなしで15日間休みなし。(その方は人間関係がうまいのね)素晴らしい。よく聞いたらデパート勤務の人生だったそうで、人あしらいが実にうまい。立つことに慣れていて、退職後は社交ダンスをして、今はフラダンスをされている。(へーえ!)ブラジャーではないけど、(笑い)それこそ華やかな衣装で踊る。写真を見せて貰った。

 とても73歳でできる仕事ではないの。その方の次は私ぐらいで、50代の私がフーフー言う仕事。その方が「来年も又会いましょうね」と言う(爆笑)(ほーっ)。しかも遠いI市からの通い。(毎年?)もう7~8年やってるらしい。名古屋場所の相撲の期間だけ皆が同窓会みたいに集まってアルバイトしてる。挑戦するってこと、すごく勉強させられた。

励まされて、私も絶対90まで生きるぞ(笑い)。病院や施設にフラダンスで慰問するけど、自分より若い人達が車椅子で見てるって。その人の先生はもっと年上。

●変身するっていうのもいいんでしょうね。普段の生活にないものを。

●フォークダンスでもいいしね。私の知り合いも社交ダンスしてる。すごいお婆ちゃまが多いそうだけど、衣装バンバン、お化粧もぬりまくって、ツケ睫毛バチバチ(爆笑)。シャンとすると、本当にすごく素敵なんだって。私もあんな風に年とりたいから、今からするって友達が始めた。

●で、話題といったら「エルビスプレスリーのフォールインラブがね・・・」とか。(爆笑)タンゴのリズムがどうのとか。ちがうね、やっぱり。生き生きしている。☆さんと一緒。

●1ヶ月前に、そんな大病された方に思えないわ。

●そのちょっと前は旅行に行かれて。

●アルバイトも私達の年齢になると難しいね。

●でも、演劇のは気がつかなかった。

●やりたくなったでしょ。(きれいじゃないからなあ)(笑い)(色々な人が要るから)

●レストランの賄いで裏方の仕事だと50代でも健康な方ってあるけど。たいていの仕事は35歳くらい。28までってのも多いね。もうちょっと経験を積んだ人でもいいようなのに。

●皆で集団で仕事を創造しようか。経験集団みたいな。

●女の人が起業するのは、そこよね。雇ってくれる所がないから自分で作るよりしょうがない。(積極的に生きていかないとね)

●さっきの三つの話、「創造・体験・態度」の話は良かった。今回のテーマを考えていて何故自分が落ち込んだのかという理由が分かった。体験はいっぱいある。こんな事がしたいとか、旅行したいとか。で、きっと状態(態度)があんまり分かっていなかったんだと思う。その辺で落ち込んだのかなと分かったような気がする

今、夫の母が体の調子が悪く、気力がすごく萎えている。☆さんのような方が、こういう所に出てきて、すごく元気で意欲的。義母はそれほどひどくないのに気力が衰えている。まわりでどんなに言ってもやる気が起こらない。結局体力がなくなったから出来ないとか、「創造」の部分で出来ない出来ないで、他の体験や状態(態度)もないという、すべてがマイナスでやっている。大病もしていないのに、ほとんど寝たり起きたり状態。

●あれも出来ない、これも出来ないって、出来ない事に目がいっちゃうのね、きっと。

●そうなったのはお医者さんのせいとか(笑い)。この2年くらい訪ねるたびにその話を繰り返し繰り返し言っている。

●周りに甘えられる人がいると、つい甘えるかもしれないね。

●だから、全然違う生き方をしている人がいるんだなって思う。でも、それは口で言ってもなかなか壊れない。若い頃からの生き方もあると思う。

●ボケるのを私達は恐れる。だけど、やっぱりボケたとしても、生き方を反映したボケ方をする。いい生き方をすれば愛されるボケ方が出来るしね。(笑い)

●非の打ち所のない、おっとりした方がボケた時に鬼みたいになるのがあるね。

●それはやっぱり押さえつけていたものが出たのね。

●いい人いい人って言われてたけど本当は言いたい事がいっぱいあった。

●「いい人」を演じていた人がね。

●でも、生きてきたように老いるんでしょうね。

●ある程度言いたい事は色んな所で言うのがいいね。

●やりたい事もやってね。(うんうん)(三つと言わずね)

90になったらぜーんぶ言いたい事言う。(爆笑)(一緒に言おうね!)(爆笑)

90になると差障りが無くなるのね。(年だから何を言ってもいいみたいな・・)

●いい結論が出たね。(爆笑)

 テロリストは誰?」連続上映会 参加費600(400円は版権の支払い分)

810() 午前10:30~13:00   829() 午後2:00~4:30

95()  午後2:00~4:30   915()  午前10:30~13:00 

希望者は天白区八事天道の大西さんへ連絡してください。(052-834-4041)

主催: たかだようこ(きくちゆみ著「デニスクシニッチ」翻訳チーム)

『私は「戦争」から生きて帰った』 阿部要著 坂東弘美編 について

 戦争は、なんでもない普通の人間を、簡単に鬼に変えてしまう・・・

◎合同出版(03-3294-3506815日発売。定価;1470円。
*全国の書店または合同出版に直接ご予約ください。全国の図書館でも注文できます。

坂東が取り扱っています。ご予約受付中。連絡くだされば、坂東から郵送します。

(代金は郵便振込み)。又がま口塾にて直接お買い求め下さい。山とありますので、

坂東からお求めいただきますと助かります・・・。

お話に喜んで出かけます。(遠い所は、勝手乍ら交通費をご負担戴けば有り難いですが)どんな小さな集まりでもけっこうです。中国中央テレビ出演のビデオもありますので、ご希望をお知らせ下さい。

 「国際結婚を考える会」から「国籍選択制度と国籍留保届けの廃止を求める請願書」への署名依頼がありました。1枚に10人分ありますが、1人でもけっこうです。
ご協力戴けます方には用紙と説明文を送りますので、ご連絡下さい。

  http:www.amfe-community.org/ からも取り出せます。

金沢市会員Aさんの知人、金森俊朗先生(金沢市立西南部小学校教諭)講演会のお知らせ

人と自然に直にふれあう様々な実践を試みる。97年中日教育賞を受賞。

2003年に金森学級の1年を追った「涙と笑いのハッピークラス41 命の授業」は

日本賞グランプリ受賞。春日井市会員のYさん所属の愛知作文教育研究協議会が主催。

8月18日(水)9:45~16:00(講演 14:00~16:00 ) 東別院会館ホール3F

がま口塾今後の予定

922 ()「どんな時に幸せを感じるか」  (9月は、すい曜日にします)

1029() 思わず言ってしまった失言」 

1123(火・祭日) 誇りとは」

1222()「片づかない家・落ち着かない家・大型ゴミ」

午前10~12時 時間厳守・土産厳禁・出欠連絡不要。どなたでもご自由にどうぞ。

468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457
坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/