がま口塾
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がま口弘美の日記 がま口塾便り


27,2004年9月22日号 
『どんな時に幸せを感じるか』      
 我が家までの、ほんの100メートル程の坂道にも秋がきました。カンナが頭をたれ、曼珠沙華に紅色をバトンタッチしています。天上の華とも言うそうです。どんな野の花でも幸せな時は幸せに、たまらなく寂しい時は哀しげに映ります。幸せは天上にあるか天下にあるか・・・今回は、12人の12色の幸せを賑やかに貴方とともに。(初参加は4人!)
 

●昨日たまたま久米宏さんがしばらくぶりにテレビに出ていた。「私がテレビに出たら、幸せだなって思って戴ける様な人になりたい」って言った。私も気に入った人が出た時に幸せだなって思う時がある。そう思う人は最後までコメント聞いたりして『あーあ、幸せだった』って気分になる。大江健三郎さんなんかがテレビに出ているのを見ると『ほんとだほんとた』ってとってもいい気分になる。あまり自分が幸せって思わない方。小さい幸せは孫が生まれて、小さな子がそこにいるって幸せだなって感じる。

 旅をする時に予めこことここって決めた所に行けた時幸せ。他の人にとってはそこは何でもない所かもしれないけれど。写真を色々持って来た。例えば、チェコのユダヤ人墓地。ほんとに小さい所に無造作に倒れ掛かりそうに20万人くらいの墓地がある。ツアーでは避けている所だけど、そういう所へ行けた時は幸せ。台湾映画の「悲情城市」のロケ地の喫茶店。台湾の一番南のキュウフンという所へ私と友達と汽車で行った。誰もいなかった。
 ベトナムの戦争資料館にあった武器の破片で作った「母」というタイトルの像。これは全部武器でできている。(へーえ)かなり有名でもツアーでは行かない所。地下トンネル要塞のクチトンネルも行きたい行きたいと思っていた所。中には病院もあって手術もした。(へーえ)すーごい細い所でここで皆生活した。ここの上に枯葉をおいて、皆ザポーンって入った。
 

 これはミーハー(笑い)第三の男の並木道。(最後のシーン!)これも電車に乗ってそれーって行った。これはハイデルベルグの哲学の道。京都の哲学の道はここを参考にした。(へーえ)ここも誰もいなかった。すごくいい所。これはカール・マルクスが世界で初めて公団住宅をウィーンに作った。(いつ頃?)ヒットラーが入った頃だから1919年くらい。(現在も住んでるの?)何キロにもわたってある、世界で初めての公団住宅。自分で行動して、行きたいと思っていた所へ行けた時『生きてて良かった!幸せ!』って感じる。
 
●今、遠い所から来たばかりで時差呆け中。ノーテンキなので、寝る前とか美味しいもの食べる時とかが幸せ(笑い)。海外駐在中で、色々な所に行く機会があって、素晴らしい自然にふれた時は幸せ。(どこから?)カナダのトロントから(ウワァ!騒然)。
 この度はシカゴで用があって、そこから直接日本に来て、幸せの逆だった。シカゴで切られた。(えーっ!)ファスナーを合わせてガチャンと鍵をかけるスーツケースで、鍵だけ切ってくれれば800円くらいの損害で済んだのに、全部切られていたのを家に着くまで気がつかなかった。クシャクシャの紙が入っていて、セキュリティの為にそうしたのでご理解をと書いてあった。預ける時には何も言わなかった。UAと全日空の両方に聞いたけど、免責事項のようだ。(空港員がスーツケースから盗んでい事もあるってね)(ヘーえ!)それで苦情が殺到しているらしい。洋服と土産だけなので、鍵はかける必要は無かったのに習慣的にかけてしまった。(もう使えないの?)鍵の部分は根こそぎ切られたから鍵はかけられなくなった。一人争った人がいて、120ドルくらいの弁償があるってニュースをやっていたような気がするが、そういうニュースの後は、そうする人がドッとふえるかもしれない。

●まあ、でも、これだけの人がそういう事を知っただけでも幸せだね。(爆笑)
●自爆テロは女性だったでしょ?(あーあ)だから、女性のチェックが厳しくなった。友達夫婦は、ご主人はスッと通ったのに、女性だけストップ。ものすごく念入りに調べ、私もズボンのベルトまでひっくり返して見せろって言われた。(へーえ)(嫌な世の中になったね)・・という訳で、全然幸せな話ではない(爆笑)。
●禍を転じて福としましょう。

●子供が小さい頃はちょっと朝、自分一人だけ早起きをして、『誰も起きて来ないで、もう起きてこないで、起きて来ないで、私を今からずーっと一人にして』って感じで、コーヒー飲んだり、新聞読んだりしているのが幸せだったかなって思ったけど。大きくなって子供どうしで話していて、こづいたり、「何言ってんだバカ」なんて言ってるのを遠くで見ている時に、ちょっと幸せかなって思う。でもちょっとこっちに向かって「おっかー、どうたらこうたらギャアギャア」って言われると、もう、あっちへ行っててってなるんだけど、遠くで見ているときは幸せっ・・・て感じじゃなくて、微笑ましいって感じかな。私が思い当たったのはそれくらい。

●私はまだ子供が小さいので一日中バタバタ。子供の送り迎えをしたり仕事もしたりしていると、1週間が慌しく過ぎちゃうので、金曜日の夜に皆が寝静まって、夫も寝静まって、お風呂から出て、ちょっとビールでも飲みながら・・・すごく下世話なんだけど、「探偵ナイトスクープ」という(笑い)関西系の番組を見る。ホンワカしたくだらない日常の事で、あんまり真剣な悩み相談じゃないけど、それを見ていると『平和に1週間が終わったなあ』って感じがする。毎日必ず、一つや二つ小言を言うことがあっても、皆が健康で『ああ、何とか金曜日まで来た』って感じ。それが今、私の一番の幸せかもしれない。こういう所や色々な所で話したりするのも楽しいけど、心がほーっとする所、時間が幸せかな。
  
 今4年生の女の子がいるが、二人で「誰も知らない」という映画を見た。子供と一緒に見るのは、ちょっとショッキングなところもあるかなと迷ったけれど、帰宅してから娘と話をす事が出来たので、彼女の成長が嬉しくなっちゃって、それが私にとって最近では幸せな事だった。

初めて来たけど(緊張してる?)皆がこんな風に順番に話すとは思わなかった。(後からフリートークになるよ)テーマは分かっていたけど、あんまり考えてなくて・・・
●皆、たいしたこと言ってないでしょ?(大爆笑)(拍手)そんなものよ幸せって。
●皆さんの話を聞いていると、まず、土台の所で今の自分の生活が一応、それをよしとしているかな?そういう所があって、色んな場面場面で『あ、幸せだな』って感じているようだ。私はまだ、その土台の所がガタガタフラフラしているかなっていう感じがある。

●幸せに感じた時って過去形だったら、あのシーン、あのシーンってあるけど、現在形を含むと何かなって迷う。
 過去のシーンのたくさんあるうちのもの。子供が二人乳幼児でフルタイムで教員をしていた時、その頃保育施設は充分でなく、ましてや乳幼児を預かってくれる所なんて無かった。毎日新聞の投稿欄に「もうすぐ二人目が生まれる。どなたか昼間子供を面倒見て下さる方はないか」と書いたら、応じて下さる方が沢山あった。書類で3軒に絞って(ヘーえ!)候補を選んで、実際にそのお宅に行って見せて戴いて、お世話になる事にした。朝夕送り迎えだが、1週間仕事を終えて、1人子供背負って、1人手をひいて、もう片方の手は帰りにスーパーで買い物した荷物をぶら下げて・・・。帰って来るとものすごく充実感があった。その中でも、帰り道の真正面が西を向いていて、大きなお日様が真っ赤になって沈む所を子供と見た時(ウワーッ!)『ウワーッ。いいなあ!』って、一番強く思い出す。

 受験戦争に勝って第一志望の大学に受かった時でも、そんなに嬉しいと思わなかったし、結婚式の日だってそんなに嬉しいと思わなかった。(爆笑)溢れるような喜びとか幸せは感じなかった。
 随分飛んで、今は昔の卒業生がクラス会に呼んでくれる。特に今年の夏は、私の初任地の高校の、私が初めて担任した女子ばかりのクラスだったけど、教員としては私だけを呼んでくれた。(皆さんいくつくらい? )60超えてる。(先生と生徒の一番年の差が少ない時だね)。教え子の中には3人孫がいるって人もある。(うえー)(笑い)昔の教え子と交流する機会があると『いいなあ。これこそ教師冥利につきるって事だなあ』って幸せ。
 現在になって仕事を辞めてみると、やっぱりすごいストレスだったなあと思う。今は本当にホッとして、昼間お日様が入る所で、長椅子に横たわって本なんか読んでいる時、『ああ、これが幸せかなあ』って思ったりする。(拍手)

●私は子供の時から親から「幸せちゃん」と言われていて(ヘーえっ!)何をやっても幸せに見えるらしい。事実、やっぱりすごくたわいない事で幸せを感じる幸せな人間で、だから、ストレスもたまらないし、だから、大きな事も何も出来ない。ほんとに大したもの食べなくても、お腹いっぱいになれば幸せと思うし、それこそバッチイ話だが、出してしまう物出してしまうと幸せだし(笑い)、仕事がビアノなので、思った音が出れば幸せだし、子供の顔を見たら幸せと思う。ビアノの教え子の子供達の顔を見ていても幸せ。
 本当にバカみたいな幸せ人間で、向上心もないと色々言われるけど、すごく大きな事をやり遂げた幸せはきっとものすごく大きなものだろうと思う。でも、そういう経験はない。ただ、日常的なものを幸せとして、50何年も生きてきた。

●子供が小さい時病気にかかったので、健康である事が最大の幸せだなと思う。自分は健康だけど、子供がずっと病気だったので、健康がないと幸せでないなって思う。体ではなくて、心の病気になった時がやっぱり一番辛い時期かな。それが治った時っていうのが私のベースにあって、毎日の小さな事が今幸せに思える。

 今は、夢だった犬を飼って、ペットショップで犬に出会った瞬間も幸せだった(笑い)。散歩しながら犬自慢をする(笑い)。(洋服着せてないでしょうね)着せてない。(爆笑)それが最高の幸せ。今、ちょっと躾がよく出来てないので、あまり自慢できないけど。私の場合、犬散歩じゃない。犬散歩。今、空き缶を投げると拾って戻ってくる。(その時犬を離さない?)ジードといって長い・・(私犬きらーい)(爆笑)ご迷惑おかけしています(爆笑)。缶を拾って戻ってくる時の顔が最高。最高の幸せ。(ラブラブね)特に雄なので(爆笑)。娘二人なので、最愛の息子。

●2年ぶりにがま口塾に来た。ここは2年前とちっとも変わらなくて、やっぱり来ると幸せ。幸せって人から見られて幸せっていうのと、自分から感じる幸せって違う。この夏、とうとう50の大台に乗った。数年前から50になったら自分を変えてやろうと思っていたがなかなかいい方法が見つからなかった。たまたま本で、「中年男がぐれる」というのがあった。『あ、べつにぐれてもいいんじゃないかな』と思った。(笑い)ぐれるをどう定義するかは別として、ちょっとこの辺で自分の為に自分の好きなことをする事にして、4年程前から、、かつて中学校までやっていた拙いビアノを始めた。
 
 当初は苦痛だった。やっぱり指は動かないし、譜面も老眼で見にくい。来てる人達は、初めての人もいるし、年齢も様々。上達しようというより楽しんでいる。30分程度の練習時間だけど、1年に1回発表会をする。そうすると皆顔つきが真剣になる。私も最初の発表会の時は、何十年ぶりかでものすごく緊張して冷や汗が出た。(小さい子も一緒?)小学生から。先生が当初、若い男性だった。(ウォー)(笑い)そこに魅かれてやって来た人もいて、これもぐれてる一つだなと思った。仲間がいるって居心地がいい。ズルズルと続いて今年4年目。最初の先生は今、海外に留学中で、今度の先生も若い女の先生で私たちの方がお母さんって感じ。つい先日も発表会があって・・・ぐれるのもいい。他人の目が気にならなくなる。それまで、やっぱり‘自分は見られている’というところで非常に窮屈な思いをしていたけれど、下手でも良いじゃん!。舞い上がっててもいいって。(50過ぎたおかげよ)(笑い)そうかもしれない。(もう一つ上へ行ったらもっと楽よ)(爆笑)

 連れ合いが、私に輪をかけたぐらい(ぐれてる?)(笑い)共同生活の出来ない人なので、それがこの年になったら、逆にこちらが要求してた事の方がむしろ向こうにとっては非常に苦痛で、自分のペースっていうのがあるんだなって。今もちょうどプラハに行っている。この人はこういう生き方なんだなって。自分もやろうって。(笑い)ここに来るとそういう鋭気をもらえる。

●長男が今、インドで日本人学校の教員をやっていて、インドのストリートチルドレンを何とかしたいと「ボイス」という支援団体に参画している。それで私にも何かの機会に皆さんに声かけをしてほしいと言ってきた。困ったなと思って多方面に社会活動をしているTさんに相談したら、Tさんのお母様のCDRが完成した発表会があるので来たらと誘われた。(注:参加者で購入戴いたCDRの売り上げを「女たちの戦争と平和資料館」と「ボイス」に寄付)
 
 その時に「がま口塾の受付」というのがあって、何だろうと気になって、家に帰ってもまだ気になって気になって(笑い)、それで今日、やっと来た。
 息子の所に主人と20日ばかり滞在して、私もインドの子供の状況をまのあたりにした。その時に私達って本当に幸せなのだと思った。家の孫達もこういう所で学ばせなきゃと思うが、3人の息子の嫁と友達のように仲良くしていてとっても幸せ。インドの嫁は毎週必ず欠かさず「お母さん、お父さん元気ですか」と電話をくれる。その時に『ああ。幸せだなあ』と思ったりする。
 私は何の特技もないし、学歴もないが、趣味でパンを焼く。朝、今日はパンを焼こうと思うと夜までやってしまう。その時に好きなクラシック音楽をかけていると、なんて幸せなんだろうと思う。1日焼くといっぱい出来るので、知り合いの方たちにさしあげるが、その時にもう、この世に無い幸せを感じる(はーあ)。音楽聴きながら粉をこねたり成型したりしているのがね。(戴いた方も幸せね)

 主人は頭が薄い。頭髪が話題になった時、3男の嫁がはっきりした性格で「お爺ちゃんも〜〜」と言って、すぐ気がついて「お父さん、すみません。私嫁でした」って言った。(笑い)本当にさりげなくそれを言ってくれた時、いい子だなあと思った。息子のMと一緒の時も「私と結婚してMちゃんほんとに幸せね!」とか、私達の前でもくったくなく言う。そういう時、本当にいい子だなあと思って幸せ。次男がアメリカにいるので、治安が悪い時だから、安全にしてくれているといいと思うぐらいで、本当に幸せ。喧嘩せず仲良くしている時も幸せ。喧嘩するとすると、すごく腹がたって、こんな不幸ないと思うけど(爆笑)(一緒!)

●自分の人生は幸せだったと思う。でも、不幸だと思った時もある。一番近い幸せは、先日孫が来た時。孫はいないけど、ホームステイしていた留学生が結婚して、お嫁さんと幸せに暮らしていて、子供が生まれた。朝鮮族で、しばらく延吉の実家に預けていて、先日迎えに行って帰ってきた。「いないいないばあ」ってやると、「キャッキャッ」って笑う。(笑い)涙が出るくらい嬉しくて、何回も何回もやって幸せだった。あの笑顔は、私に対しておべっかでなく、嘘はない。朝鮮語で育っているから言葉は通じない。お父さんは中国語しかできない。私は日本語。でも、笑顔は一緒。

 私特有の幸せば、やはり、評価された時は嬉しく幸せ。評価される事はあまりない。本を出版しても、出版社は売れる本じゃないと思っているし、感動する本じゃないという事は大抵の方が言い、伝えていかなくちゃいけない大切な本だとは言われる。私も出版したという幸福感はない。仕事としてマイクの前に立って失敗しないで出来た時はめっちゃくちゃ幸福。夢中になって話して、終わってふっと気付くと拍手。こんな時幸せ。歌手じゃないから歌は歌わないし、スポットライトも要らないけど、マイクがある所で一生懸命仕事をすると幸せ。

●若い時は変化がある事が幸せだと思うでしょ。例えば、明日の朝になったらこの天然パーマが直毛になっていたらどんなにいいだろう・・・なんて(笑い)そんな事ばっかり考えていた。何も不幸じゃないのに今日と違う明日が来る事を求めていたけど、この年になると、手紙で「お変わりありませんか」、近所の人に会って「お元気ですか」と慣用句の様に使う、あの言葉がしみじみ幸せだと思う。もう今日と一緒の明日が来るという事は何もなくて幸せ。親が病気だとか、連れ合いが亡くなるとか、この年になると、孫が風邪ひいたとか、自分でない事の変化が多くて、どこからもそういう便りが来ないのが幸せだと言うのは、惨めなのか、幸せなのか分からないけど、変化がないのが一番幸せかなと思う。

 「テレビに出る事で皆が幸せに思ってくれれば」という話が出たが、AジャパンのCMに一度も出会わずに1日過ごせると、ああ今日幸せだったと思う。(え、どんな?)(保険のCM) リリーンと電話が鳴ってお母さんが息子に電話をかけてるの。「あなたも親になったのだから、いい保険があるから入りなさい」って。くどい、レベルの低いCMをやる。日本人の知識レベルをどう考えているのかと思う。あのコマーシャルに一度も出会わずにチャンネルを回せた時は幸せだと思う。(爆笑)(そんなに見たくないの?)分かりました、もうっていうの。あれでどれだけ儲かっているのかしら。(すっごく儲かってる)あれだけ流しても採算が合うって事は、入る方にとってはちょっと考えざるをえないんじゃないかな。

●Aよりはいいかなって思って見てた。(サラ金の?)
●私の行く美容院の隣がA。あんまりな格好して行くと、Aへ行くかなと思われると思って(笑い)、いや、それは偏見ね。「犬が雄で幸せ」と言ったけど、私は美容院で男の人にされるとすっごく嫌。(笑い)(どうして?)何か恥ずかしくて。私の幸せはこんなささいこと。
●安心した。私だけがこんなバカな事で幸せを感じているのかと思ったら、以外と皆さん日常的な事で幸せを感じている。(うん)(そうそう)私だけパープリンかと思ってた。(皆さんパープリン)(爆笑) 

●犬の種類は何?
●ウェルシュ・コーギー・カーディガン。コーギー見た瞬間に、私の飼う犬はこれって決めた。(へーえ)コーギは尻尾を小さいうちに切る習慣。家の子はカーディガンでちょっと種類が違うので尻尾がある。切るのは動物愛護の意味から外れていると思って切らない人もいる。元々は羊を追いかける牧羊犬で、羊に踏まれないようにと切る。(ヘーえ!)でも、今は切る必要が無いのに、お尻が可愛いと言って尻尾を切る。(へーえ)。今、3年目、人間で言えば20歳くらい。

●どんどん年とるね。私、孫が生まれた時、すごく可愛いと思ったけど、悪いDNAがピッピコピッピコ(爆笑)・・楽しみなんてもんじゃないわ。
●若い精気をもらえるからいいけど、老犬になってくると何となくね。

●母は昔人間で、人に尽くして尽くしてという暮らし。それで人に感謝されていればいいけど、何にも感謝されていない。私は人に見返りを期待する生き方ではなくて、自分の好きな事をやろうという意識で暮らしてる。

●お母さんが尽くして、その幸せが貴女に来てるよ。(笑い)私はもう夫もいないので、毎朝10分お経を上げている。神様は100でも200でも話を聞いてくれるそうだけど、仏様には今の幸せな姿を見てもらうだけなんだって。だから、お願いしてはいけないっていうから、今までどおりの生活をしているから安心して下さいと、丈夫な体に生んでくれて有り難うと言う。
 片親で育った鍵っ子だったので、私は結婚したら一歩も家から出ないお母さんになった。社会参加もせずに子供一辺倒で生きてきたから、今、トロントだ、インドだって聞くと、井戸の中の蛙どころか、蟻んこの穴の中の蟻。(笑い)でも、こうやって、そうなりたいと思ってやってきたし、子供もいいと言ってくれるので、それはそれでよしとしようと思っている。
 先日婿が旅行に誘ってくれた。私の旅行は天国への片道だけだと決めているので(笑い)断ってから反省した。もうちょっといい断り方をすれば良かった。がま口塾以外はひたすら家の中。でも近所の人達が「あの人が留守のはずがない」と寄ってくれ、お話の会場になっている。若い時に碁会所がやりたいと友人に相談したら、「葬式の付き合いばっかりになるからやめな」と言われた。(笑い)もっと若い人とつきあいなさいと言われ、ここへ来た。

●若いでしょ!(若いでしょ!)(笑い)
●川柳に、今は80が還暦、古希が100だってあった。古希祝いは断って100歳を子供と一緒に祝おうと思っている。老いの道は険しくない。(最初の頃と全然変わらないわ)最初から年とってた?(爆笑)。家でラジオをしっかり聴いて耳はダンボよ。それでテレビも見て、あのAJの保険のCM(爆笑)うっるさいっていうの。(爆笑)。人生で何をやってきたのでもないけれど、それ自体が幸せの元だったなあと思う。外で働いている人、スーパーでレジを打っている人、誰でもすごいなあと思う。夕陽を眺めて充実感が・・って聞くと『その時、ご主人はどうしてたの?』って私なら聞く。(爆笑)
●主人は仕事。
●今の子だったら家事分担ね。

●朝陽や夕陽見るのって幸福感あるね。(うんうん)
●夕陽の方が目が痛くない。関東大震災の前の日はすごく夕陽が奇麗だったっていうけど(へーえ)。毎日夕陽見ながら怖いの嫌だから珍しい空にならないでよーって祈っている。濃尾大地震の時も何週間前に、すっごい見たことのない空だったって。(へーえ)
●幸福の中に不幸が潜んでいるってことかな。
●皆立ち直るね。その時は死んでしまいたいと思うほどなのに。あ、私、救助犬が助けに来ると嫌!犬が嫌いなので、死んだ方がいい。(爆笑)(注:騒然として聞き取り不能)
●どうしてそんなに嫌いなの?

●昔、犬が原因で死にかけた。犬がきたので、怖くて線路に飛び込んだの(ヘーえ!)。犬にぼわれるよりは幸せだと思った。(へーえ)私、道で遠くから来る人がだんだん分からなくなっているけど、犬だけはどんなに小さくても分かって、必ず遠回りして歩く。石を3個持って歩く(爆笑)。(目を合わせなきゃいいのに)私、何にも悪い事していないのに。犬がいなかったら健康の為に新聞配達したいのに。
●私も実は犬が嫌いなの。
●洋服着せておんぶして歩いている人いる。年とったからって。
●そうしている人にしたら、それが幸せなんでしょう。(そうそう)
●私は小さい時、犬が姉妹のようだった。本当に犬と一緒で幸せだったよ。
●癒されるよね(どうぞ癒されてください)(爆笑)

●私が犬で一番嫌なのは、天下の公道を歩いているのに、いきなりワワーンって吠える事。心臓麻痺起すのではと思うくらいショック受ける。犬を子供のように可愛がっている友人が犬の事を話す時「家の子は」って言う。(笑い)先日遊びに行ったら、犬の為のブランド物のカバンがある。エレベーターの中は隠さなければいけないので。次に行ったら、犬専用の傘をパリで買って来たって言う(爆笑)。実演して見せてくれた。
●そういうのは、愛護の観点からはどうなの?自己満足だよね。
●犬の靴は必要ない(歩きにくいよね)彼が幸せな様に私はしてやりたい。(彼だって!)(笑い)
●自分が幸せでも相手は不幸だってことだね。

●アテネでは、犬が放し飼いでとても心配していたね。そしたら本当に犬みたいな人間が出てきて、マラソンのじゃまをした。
●パリだって犬の天国。糞の始末しなくてもOKな所だからいっばいいる。
●ドイツも遠くから見ると奇麗だけど、散歩に行くと、いっばい落ちている。
●小さい時、犬は芯まで全部毛だと思って触ったら、背骨がゴツゴツしていた。あれから私は犬が嫌いになったと思う。見た事と違う怖さ。でも、もっと幸せの事を話さなくちゃね。案外身近にあって幸せ知らずでいるよね。こうじゃなかったら幸せなのにとばっかり思っている。(夫がもっと理想的な人だったら幸せなのにとか)(ヨン様のようにとか)

●ここへ来る前に、私は人前で話せないタイプなので、躊躇したけど、ここへ来れた事がまず幸せ。(オー、良かった良かった)(拍手)長男が今、インド。次男が4年間アメリカへ行っていて、このあいだ帰国した。今度は三男がインドの南のバンガローレの方に転勤になる。次男はあまりアジアが好きでない。三男と長男は何が何でも外国で暮らすならアジアの貧困な国を見たい。三男の嫁は3歳半の子供がいるので、長男のいるムンバイよりはいいらしいけれど、衛生面で心配。そんな夫婦の会話を孫が聞いている。5年生の次男の孫が、3歳の三男の孫に「インドなんかに行きたい?」って聞いた。そしたら
「インドなんか行きたくないの。でもパパに誘われちゃったの」(笑い)って答えた。それを聞いたとき、その言葉が可愛くて、ああ、子供でなきゃ言えない事だと思って、とても幸せだった。

我が子を育ててる時は、そういう幸せを感じる余裕がないのね。一生懸命だったがケンケンケンケンと子供に対してた。むしろお勤めをしていたお母さんの方が、少しの時間で密接に過ごしてる。(量より質って所あるかもね)私は子供のそういう細かい所に喜びを感じてあげるお母さんでなかった。

三男の事を嫁は、昔からの夢が今回成就するのだから、私は目を瞑ってでも想いをかなえてあげないといけない(優しいね)その代わり、3年行って帰ってきたら、私の事をいっぱい聞いてもらうと言っている。三男は家族に申し訳ないと気遣いながら、でも自分の夢は叶えたいと思いながら暮らしていると思う。孫が言った事はもう少し余裕を持った時に教えてやりたい。
●ちょっとした言葉が心に残って幸せになったり傷ついたりするものね。
●長い目で見れば、子供達にとってはプラスになると思う。インドの南はとても豊かで高級住宅地もあるよ。

●ムンバイはとても過酷な所。朝早く空港へ行く時、道路の両脇にねずみ色の袋のようなものがずーーーーっとあるので何かなと思ったら、皆、人がそこで寝ている。(子供も大人も?)そう。赤ちゃんなんか真っ裸でおかれている。両親も一緒に私達に物乞いをしてくる。次男の孫は幸せいっぱいに、幸せ以外知らないで育ったような子。インドへ行くなんて考えられないらしい。先日NHKでマザーテレサの事をやっていた。おじいちゃんが「見なさい」と言うと、孫はそんな怖いの嫌だって言っていた。この子はどう育っていくのか。頭を悩ましている。

日本は豊かさに負けている。幸せの中にいて、路上で寝なければいけない人達の幸せを、私達は取り上げている。中国でも皆が日本人のようにトイレットペーパーを使い出したら地球がもう1個要る程のパルプを使う事になる。(使ってますよ、今は)でも、13億人が使いだしたら。先進国と言われる所が豊かさに溺れてやがて逆転する。

 北朝鮮の映像を見ても、私が小学生で終戦を迎えた時と・・(全く一緒ね)。中村区から東山公園までトラックが落として行く石炭を拾いに、遊んでいる子は皆リュックをしょって往復歩き。ジュース一杯な
し。お昼のお弁当もなし。ふかしたお芋くらいは一つずつ握らされて。靴だって今の子供は軽くて足にいい靴だとかって、ちっちゃい子でも、その子その子で好きな靴。あんな頃は、お下がりの靴でしかも右と左が違う。色が違っても破れていなきゃ平気だった。だから、物が出て来て与えられる時の感激が違う。その逆を行く恐ろしさは考えていかなきゃいけないと思う。

●本で読んだけど、例えばこうだって思ってみても、貧しい時代の事って知らないもの。

そんな時代に片親で、末っ子で、兄達は学校の事ばかり考えて勉強していて、一番何の知識もない私に用事を言いつけて「あそこで今日、配給があるからとってこいよ」とか。そういう時、不幸だとは思わなかった。言われた通り配給を貰って来れば、、皆がお芋にありつけるのだと思った。うどんも長いものであると認識をもったのは、小学校6年生の時。それまでは、麺の折れたのが配給になっていた。小学校3年生の私がそうやって七輪で料理を作っておくと、お勤めから帰った母は私を叱った。今日の予定の食材はどうなったかなどと。それから3キロくらい歩いて農家まで行ってカボチャをわけて貰ってきたりした。
 
 今の報道で北朝鮮がいかにも珍しい国みたいに言うけど、私達だってあんなのを潜り抜けて来たんだわと思う。田舎の人達と物々交換。晴れ着とか、父がもうじき戦争になるからと買い込んでおいた毛糸とか・・・父は仕込んでおいて亡くなってしまったけど。そういうのを両手に持って娘さんのいそうな所に行って交換した。娘の花嫁姿の為にととっておいた物を、身を切られる思いで出すのを、「その辺のジャガイモでも」ってくれる。それでもこちらは頭を下げて貰って来た。あの着物の数々、農家の人たちはどうしたのかと、この頃ふと思う。そういうの知ってる?

●知ってる(笑い)私の兄も配給を楽しみにしていて、姉の為に今度はピンクの長靴を手に入れたよとか言って、印象に残っている。昭和20年代。

●行列に子供が並んでいると、けなげに見えるらしく(ほう)子供で得した。白いエプロンのお母さん達が並んでいて「まあ、可哀想に」ってパンの耳なんかを下さった。今なら馬鹿にされたと思うけど、素直に「嬉しい!」って平気で貰ってプライドも何もなかった。だから、今、年金の不足を言う前に、庭にトマトでも作って食べろと言える。満ち足りた生活に慣れて、幸せ知らずというのは将来怖い。貧困地区を見てくる事はすごく良い事。

●SARSの時、がま口塾で、皆さんにお願いして救援活動した。ある家族を対象に選んだ。11人の家族で8人SARSで入院、3人亡くなった。そこを訪ねた時、どういう顔をしたものかと思っていたが、実はその人たちの方が幸せではないかと思った。家族がすごく仲が良くて、毎週末一緒に食事をしている。次々感染して病院に入って行く時、「生き残ったものが子供達を育てていくんだ」って約束しあった。老いた両親と若いお母さんの3人が亡くなったけど、今、約束通り皆仲良く残った子供を育てている。悲劇の中でも幸せそうな家族。小屋のような家で、どうぞどうぞと勧められる椅子は夜寝るベッド。


 この開けっぴろげな幸せって何だろうと思った。こちらの方が良い生活をしているという思い込みで行くから、プライドを傷つけないようにと気を配るのだが、レストランでの食事会で、男の人たちが、自分のできる料理を目を輝かせて言う。今度ぜひ来てくれ、作ってあげると言う。日常的な小さな事で喜びに盛り上がった。日本ではありえない。あの「幸せ」は何だったんだろうって、今も私はひきずっている。

●援助している国の子供達の目の輝きと日本の子供達の目の死んでる事。よく聞くね。必死で生きている。
●「一番幸せな事、一つ何にする?」と言われても、私達は具体的にない。勿論病気の人が元気になりたいというのは切実な事でしょうけど、あと「何?」って言われてある?
●お金とか・・(笑い)(それはきりがない。)

●私は物がない時代を全然知らない。物がなくて困った事がない。(へーえ!)でも、有り難いことに私の祖母は100歳で生きている。もう一人はついこ前、90何歳かで亡くなった。だから、そういう話は聞けたし、両親はインドや色々な所に行くのが好きなので、私もパキスタンに行ったりしている。バブルの時代に皆がヨーロッパに行っている頃。日本で当たり前に思っていることが当たり前じゃない。例えば、家に帰ったら必ず手を洗おうって言っても水道がない国は手を洗わないし、何が清潔かっていうのは、国によって全然違う。

 パキスタンの山奥に、単なる観光で行ったけど、その村の人達は、自分達の村が奇麗だって見に来てくれると喜んでいる。民具でも、見て見て!って、家の中に連れてってくれる。箱みたいなベッドに絨毯一枚。でも、清潔。すごく奇麗に掃き清めてある。その時、私は清潔、住み心地がいいって何かなあって考えた。インドで路で寝ている人も見た。でも、自分が家庭をもったり子育てをしてみると、手を洗わないって事もそんなに大した事でないと思う。夫は手を洗わないと怒るけど(笑い)世界の中には色々な事があるし、色々な時代もある。「今」の「それ」が絶対でない。そんなに厳しい事言わなくても楽しいし、すごく幸せだなって思う。

●東京湾に江戸時代の古代コレラ菌が眠っている。地球温暖化で水温が上がって生き返る時が来るって。清潔好きな生活で免疫力がなくなっているので人類は滅亡するのではないかとテレビでやっていた。清潔志向はいいけれど、日本人がもっとも早く死ぬって。ナイル熱をおこす蚊もいる。今、日本は亜熱帯の入り口まで来てしまっている。
●日本人は潔癖症に近い生活だから、免疫力がだんだん退化している。私はズボラなので生き残る。(笑い)
●ズボラって大事。グレるって話があったけど、ちょっとマイナスの事も体験しないとね。暮らしは昇ったら降りる。私達は皆幸せすぎる。

●大変な時代を知っている人が必ずしも謙虚でない。慣れちゃうのかな。あるツアーに参加した時に、ホテルの水道が3時間断水するって聞いた。そしたら、80くらいの老夫婦が日本人の添乗員に怒鳴りこんで、3時間トイレが使えないのはどういう事だって訳。部屋のトイレがダメだったら、公共の所もあるからって言ったら、「もう帰るから金返せ」って怒ってる。この人達って生まれた時から水洗便所があった訳ないだろうにと思った。私だってボットン便所知ってるんだもん。たかが2~3時間の事、融通を利かせる事ぐらい出来るだろうに。若い日本人の担当者を怒鳴りつけて「分かった。もう立ちションベンでも何でもしてやるわあ!」(えーっ)。

●地球上の皆がこうだったらいいけど、人々の犠牲のもとに私たちの幸せがある。私の友達でも、いっぱいいる。今、花が咲いたみたいな人。お昼のランチに行くと、回り皆女の人。私は罪悪感を感じる。家なら、私なりのおもてなしができる。私は、昨日栗きんとんを30個作った。(うおーっ)この頃、栗をあげても皆、面倒臭いような顔をするって、私の所に持ってくる。家でお茶をしたら、誰かが塩昆布持って来るし、お茶持って来るし、本当に幸せだった。お客様は、神様、お金払ったからいいだろうっていうの、私は嫌。

●ゴミでも。ジュースのビンなんか、全部同じの形の国がある。ラベルが違うだけでリサイクルが簡単。日本は企業によって違う。統一すると潰れる会社がある。ゴミが増えることわかっていても止められない。
●スチール缶とアルミ缶でも、どっちかに統一したら、どっちかの業者が潰れる。
●どんどん作る会社があるから、どんどん消費する。地球をどんどん汚していく。
●業界の族議員の反発があるから国で統一できない。
●戦争しないとやっていけないアメリカのような国。一歩手前に日本もなっている。

●カナダで独特の幸せってない?(寒いんでしょ?)
●冬は長いけど。トロントは南たが、夏も湿度が低いので快適。寒い時も部屋の中は日本より暖かい。アメリカはちょっと行くと警戒しなきゃいけないような感じがあるけど、カナダはのんびりしている。(スーツケース切られない?)ない。アメリカは神経質になっている。
●ボーリングフォーコロンバインでやっていたけど、カナダは銃暴力がないって言ってたね。
●銃は一応持っているので、10年前と比べればちょっと危険になって来ている。フィリピンに夫が単身赴任していた時は、日本人はいっせいに見られて目立つ。でも、カナダはそんな事は全くない。めずらしくない。中国パワーがすごくて積極的。私はいつも間違えられて話しかけられる。
●中国でフランス語を勉強した人は皆トロントへ行く。もとフランス領だから。
●トロントは大都会なので英語だけど、ちょっとケベックへ行けばフランス語が1で、英語が2。両方話せる人がたくさんいる。

●北朝鮮から中国に渡ったりするのもちょっとイメージがわかない。ここから岐阜県境、(笑い)ここから岐阜弁になるのかなあとか(笑い)思うけど、国境の間ってどうなるの?
●ナイアガラの所で行けるけど、手続きや審査に時間がかかる。一種の偏見か、やはり日本人だとより時間がかかる。でも、アメリカほどカナダは人種差別はひどくない。

●イタリアやスイスはお買い物の為に安いからって簡単に国境を越えて行く。フランスも煩くない。今はユーロだし。それはできない?
●ドイツの境界のアルゼスは新鮮な魚貝類はフランスに行った方がいいって、ドイツから1時間か2時間で行けるので、買い物に行く。でも、EU統合前から、ヨーロッパは比較的煩くなかった。
●スペイン人がポルトガルに買い物に行ってた。断然安い。

●接している所は国という意識じゃなくて、一つの経済圏見たいな物流の動き、人と人の動きははたえずあって、人種差別もある。我が家がドイツにいた時、子どもはドイツの地元の学校に行っていたので、娘は男の子達に釣り目の真似をされ、中国人かって言われた。たまたまアイスランドの本当の僻地に出張で立ち寄ったら、中華料理の店があった。(スゴーイ)(笑い)中国人のパワーをすごく感じた。

 私達が町にいた時、そこに住んでいる日本人は10何人しかいなかったけど、繁華街には中華料理店が2軒もあった(笑い)。それだけでもほっとして、よく行った。従業員は決してドイツの人たちと交わらない、中国語だけで話している人達だけど、流動的に人はイタリアだろうが、スペインだろうが入ってきているのは事実。だから人種
差別はあまりないけど、ある年齢の方に聞くと、「日本人は安心できる」って言う。日独伊(三国同盟!)(爆笑)

●洋画が私は見られらい。洋服が変わると、さっきの主人公がどれか分からない。(あーあ)皆一緒の顔に見える。だから、あちらから見れば、私達も一緒ね。
●逆に言えば、私達が洋画を見た時、金髪で目の青い人たちが英米人なのか、ヨーロッパ系か分からないのと一緒ね。憧れるという意識が作用しちゃうのかな。でも、子供はそこの壁を乗り越えると何でもない。娘のクラスには、インドやロシア、韓国の子もいたし、地元の子もいたし、むしろ、教育の中でそういうのを教えたいというのもあるので、年齢が小さければ小さいほど経験は良い。

●日本でも色々の国の子がいて、今はクラスに4人くらいはいる。チェコ・ハンガリーへ去年行った。とにかく中国人旅行者がものすごく多かった。(中国が国策で出してるの?)去年SARSでどこも出られなかったから、その反動で全部ヨーロッパに来たらしい。

●国境で思い出したけど、中国と北朝鮮の国境の川にかかる図大橋を歩いた。皆が脱北する所。真ん中に線が引いてある。(川に?)橋(笑い)。1人ではもちろん行けない。軍の若い兵士がついてくる。真ん中で「ここ、越えていい?」って訊いたら「いいよ」って笑った。だから、ちょっとだけ超えた(笑い)。北朝鮮の人は、川のむこうに幸せがあると思って、橋の下の川を渡るんだなあと思って兵士に聞いたら何人もいるって言ってた。中国側からも商売の為に色々な人が出入りしてる。今は携帯電話が国境をこえて活躍する。幸せ・不幸せは誰が決められるものでないけど、幸・不幸の想いが交錯している所だと思った。

●ピースポートに1週間乗った。3ヶ月はとても時間もお金もないから。仕事を辞めた無職の若者か、退職した高齢者しかいない。私の年齢は5%いだった。高齢者は態度がデカい。人数も多いので、気が大きくなるのかもしれない。さっきの高齢者のトイレのクレーム事件はこの時のこと。(普通の観光旅行じゃないのに?)昔のイメージは日本軍の侵略した後の見学とかだったが、最近は薄まって、観光旅行になっている側面がある。ずっとその船に乗りっぱなしってお婆ちゃんもいるんだって。

●ピースボートの運営自体、そういう事で収入を得ようとしてる。    

●乗らないとNGOで赤字をかぶる事になるらしい。今回は史上初の大人数だった。(何人?)900人って聞いたけど。(うわーっ!)目玉が、オリンピックの開会式にあわせるというもの。もう一個は9.11にニューヨークに着くっていうの。両方を入れたので、そういう目的で乗ってる人が多かったのかもしれない。やっぱり3ヶ月暇がとれる人ってそういないよね。(無理無理)(80歳くらいになって3ヵ月も我が家を離れて船に乗るなんてすごい勇気あるね)。独り者で何回目か回っている時に相手を見つけた人もいる(爆笑)幸せだよ。(お荷物だよ)(爆笑)
●これで終わりです(爆笑)

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<メール参加とファックス参加>

今が幸せ、とか、この瞬間が幸せなんて普段感じていない自分に気がついた。そもそも”幸せ”の定義って何か。幸せ=幸福=心の満ち足りたさま、って辞書には。 
 心の満ち足りたさま、分かる。その状況は多々ある。と、言う事は日常的に幸せな場面にいても、それを意識していない訳。幸せの度合いはいろいろ。おいしいものをいただいている、ささやかな幸せから、物事が思い通りに運んだ、中くらいの幸せ、心にわだかまりがなく、健康で平穏無事に過ごせる事、これが一番大きな幸せか。幸せを意識しないから、感謝の念も希薄になっている自分に気がつき、反省・・・。

●信頼できる仲間たちと、ゆったり お喋りができるとき。それでも 話題が深刻なときもあるけど、お互い支えあってるっていうのがうれしいなと思う。

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〜安全・安心な子供たちの未来のために〜愛知大会 
10月17日(日)14:00開演です。(於愛知大学、名古屋車道校舎3階 コンベンションホール)

Mr.Tom Mauser, コロンバイン高校で子息を射殺された。
(マイケル・ムーア監督の映画「ボーリング・フォー・コンバイン」に登場)
砂田向壱氏 ニューヨークで子息を射殺された.(銃器製造会社相手に裁判勝訴)
Mr.Cory D.Howell, YOSHI基金11回生の (高校生で日本留学中)

など、ユニークな講演です。お近くの若い方々にもお声かけ戴けましたら幸いです。
アメリカの安全に関わりのある方、関心のある方、お時間がありましたら、
ぜひご参加ください。 通訳はキング牧師の研究で知られる、
元名古屋学院大学学長の梶原寿氏です。

『私は「戦争」から生きて帰った』 阿部要著 坂東弘美編 について◎合同出版(03-3294-3506)8月15日発売。定価;1470円。
*全国の書店または合同出版で。全国の図書館でも注文できます。

<がま口塾今後の予定>

10月29() 思わず言ってしまった失言」 
11月23日(火・祭日)「 誇りとは」
12月22日(火)「片づかない家・落ち着かない家・大型ゴミ」

午前10時~12時 時間厳守・土産厳禁・出欠連絡不要。どなたでもご自由にどうぞ。

〒468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457
坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp 
がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/