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29,2004年11月23日号 
『誇りとは』      
 秋晴れの気持ちの良いお天気でした。めったにしない祭日のがま口塾。ゾクゾクと思いがけない人たちが玄関に現れ、びっくり。12名の参加で、うち男性2人。初参加3人。外国籍の人も1人あって、日本の埃や誇りをあっちこっちからワイワイ。何かの意見に染める会ではなく、本音の会だもんね。

●「日本の誇り」ということでは、日本には世界に誇れる伝統文化がたくさんある。衣食住、私たちの生活すべてに先達の方々の智恵が反映されていると思う。欧米文化に影響をうけて、あまり受け入れなかった時期もあったが、また日本文化が見直されてきていることは、喜ばしいこと。また、言葉も日本人の細やかさがよく反映されていると感じる。それは自然の豊かさから来るものか?日本の自然も誇れるもの。
 
私が最近感じるのは、海外の困っている地域でのボランティアの活動。中村哲さんの講演を聞く機会があり、その15年もの活動の内容には感動した。それ以来「ペシャワ-ルの会」を支援しているが、中村医師は日本人の誇りとも思う。「セーブザチルドレン・イラク」で活動している・小野弁護士や高遠さんなどもそう。私自身は行動には移せないのだが、「支援していくことも国際貢献」だと思い、長い支援を続けたいと思っている。

●憲法の集いに出たが、講演予定者の、加藤周一さんが体調不良で駄目になり、彼の話を聞こうと来てる人が多かったため、欠席とわかるやごっそり退席したので、急遽講演することになった人が講演する前に随分参加者が減ってしまったが、平和憲法を誇りに思うことは素晴らしい。でも、そういうことに声を上げない人も多く、日本っていったい何を誇りにして生きているのかな。

本多勝一さんが、皆が動く方に動くという傾向を日本人は持っているメダカ社会だと言っているが、僕もそう思う。欧米の宗教とか、儒教のようなものに強い規範の意識がないから、これを絶対正しいものとして生きるという強い信念みたいなものがない。私は誇りという言葉はあまり使わないけれど、信念はないといけないなと思う。信念があれば、それを支えにして生きていける。どうも今の日本を見ていると皆の動いている方に動いているような気がしてし方がない。何かいいものがあっても、それを自分のものにしてしっかり自分の柱にして生きて行くという事がしにくい。回りを見て柔軟に生きるというやり方がいけないという事でなく、それはそれで巧く渡って行ける方便みたいなものがあると思う。それだからここまで日本がやってこれたのかな。でも、何かあったときに自分の信念や確固たるものがないというのは非常に不安。

 私は教員だが、指導要領はコロコロ変わるし、現場にああしなさい、こうしなさいというのが来るけれど、じゃ、どうするのかというと、別にやる事はそう変わらない。でも、知らないうちにだんだんだんだん変えられちゃうという怖さがある。上から来たものをホイホイとそのまま動いてしまって、あんまり批判的にもならない。そういう所が知らないうちに操られているのかなという恐れもある。今度天皇を国家元首にすると言っているけれど、そういう事でも反応というのがどれだけあるのか。全体的に知らないうちに進んでいって、気がつくととんでもない方に行っているというのを今まで歴史上何回もしている。もうそろそろこの辺で、自分の信念というか、日本はこうなんだ、自分達はこうなんだというのを持つ必要があるのじゃないかなあと思う。

 イラク戦争開戦の時、ニュースステーションで久米さんが「もし信念があれば」と言う一言を言われたけれど、信念や理想があれば、それはいけないと言えるという意味だろうと思ったが、全然そういう事はなかった。それに対する反対の声もめだってはなかったという気がする。自分は信念とか、誇りと言えるものを持って生きたいのだけれど。

自分としては、日本はとても素晴らしい人、素晴らしい考えの人が多いので、読んで、話して素晴らしいという経験はものすごくしている。しかし、「日本には素晴らしい人もいるので、日本は素晴らしい」とはなかなかならない。だから教育の場で愛国心を教えるというのは、ものすごくやりにくい。自分は国を愛していないなあ。国にいる人は好きな人も尊敬している人もいるけれど、国そのものはどうなんだろうとすごく思う。

●「誇り」とう言葉は自分の生活の中で使ったことも見たこともなく、忘れていた感覚。本当に困った。でも、皆の話を聞いているうちに何かなんかいつも話せているので、今日も来た。家の中に埃はたまっているけど(笑い)ここ何十年「誇り」という言葉を使った記憶がない。それでも生活の中から搾り出したこと。10何年か前に夫が飲み屋のネエちんからジャンバーを貰ったら夫にはちょっと小さかった。その頃子供が一歳か二歳で、抱っこして外に連れて行く時にかばんを持つと荷物が増えるので、小銭と鍵だけをポケットの多いそのジャンバーに入れて愛用した。そしたら夫に、「お前はプライドがないんか」と言われた。(笑い)この話しか、私は思い出す事がなかった。お許しください。(笑い)

●私も埃高き女で、今朝も掃除機をかけずに来た。(笑い)自分自身では、そういう事をあまり考えた事がない。憤りを感じてもじゃあ、何をするかと言っても何もしない。そういう自分を棚に上げての事だが、自分の仕事に対する誇りが昔の日本人よりどんどんなくなっちゃっている。大学の先生が女の子の後ろから手鏡で見て捕まったとか、警官の不祥事とか、お坊さんが少女を買い春したとか、自分の仕事に対する誇りっていうのを本当に持っていたら、人間としての誇りももちろんそれと一緒だけれど、自分が営々として努力して築いてきた事を一瞬にして壊してしまう。情けなさをとても感じる。職人さんは、きっちりと仕事を仕上げて、自分の誇り、自分の美学で生きているというのがある。私にそれがあるかっていうと、ないので、恥ずかしいけれど、そういうきっちりした所がどんどん失われていくような感じがして寂しい。

●「誇り」という題から、1ヶ月ずっとテレビ、新聞を意図的にチェックしてきた。けっこう使われている。私は「誇り」という字を見ると、気高く感じる。「日本の代表として誇りを持って頑張って来ます」とか、「ドラゴンズの選手は郷土の誇り」とか、いっぱい使われていた。英語では、プライド。誇りとか自尊心、思い上がり、高慢と言う意味も同じプライドにはあるけれども、プライドというのは、やっぱり驕れる者久しからずで、政治家なんか、郷土の誇りですっていうけど、ちょっと悪い事をすると、その反対。誇りとは、簡単に使っているようだけど、ひょっとして、ある日突然誇れる人でなくなることも往々にしてある言葉。
 
フランス人と文通していると、「お孫さんはあなたの誇りでしょう」と書いてくるが、私は自分の孫は「可愛い」とは見るけど、誇りとは絶対思わない。外国の人は誇りという言葉をしょっちゅう使う。娘が誇りとか。自分は心で少しは思っていても、これは絶対外には言葉として出さない。スイスに行った時、友人が「ユングフラウヨッホ、あそこだけがスイスじゃないよ」と何度も言った。日本人はユングフラウとモンブランを見て、スイスだスイスだって帰って行くのを好まないと。そして、それ以外の何気ないところを、本当に誇りを持って案内してくれた。それが顔に出ていた。自分の国がすごい好きなんだなあと思った。
 逆もあって、フランスの子を京都と奈良に案内した時、私達は、「いいでしょう、いいでしょう」とは言わないけれど、顔はニコニコしている。やっぱり自分の国は好きだけど言わない。客が「いいね。素敵だね」と言うと、嬉しくなる。
 杉原千畝さんは誇れる人だと言われているけれど、決して自分の事を自慢する人ではなくて、「自分のできる事をやっていただけだ」って言っていたと奥さんが言っている。だからわりと日本人はそういう所があって、ワーッとは言葉にしない部分があると思う。自分としては使う事はないと思うけど、日本人として誇れる人は、例えば大江健三郎さんとか、何人かいる。こういう人がいると日本は大丈夫と思い誇りたい。

●自分に誇れるものは全然ない。小さい時から何か賞を貰った事もないし、ノーベル賞も芥川賞も・・(これからですよ)(爆笑)(拍手)。清く生きてきたかと言っても嘘いっぱいついているし、しょっちゅう素敵な男性見るとポーッとして夫忘れて浮気?してるし、悪い事いっぱいしてる。
 
ふと、小さい時の事を思い出した。心の原点かもしれない。小学校の6年生の時に伊勢湾台風だった。今の地震の被災地と全く一緒で、父の工場の屋根が落ちて、海水に水没して、一夜にして機械は鉄屑になって、倒産した。私自身は叔母の家に1ヶ月預けられた。私より小さい従妹が二人いて、彼女達に嫉妬していたのか、淋しかったのか、ある時、叔父が「何でも美味しい物でも買やあ」と言って500円札をくれたら、それを「いらない!」と言って地面に投げ捨てた。叔父も叔母もとても優しい人で、黙っていた。怒らなかった。今の今まで、私のその時のひどい行いが忘れられない。なぜ叔父や叔母を傷つけてしまったかという思い。多分それは、私の中に初めて芽生えたプライドというものでなかったかと思う。「お乞食じゃないよ!」っていう気持ちだった。そういう経験をいっぱい積んで、今の自分があるのかなって思う。

●確かに仰る通り外国人の方が日本人よりプライドという言葉をよく使うかもしれない。私は旧ソ連生まれ。愛国心を育てられた方。旧ソ連は、世界の面積の6分の1ということを誇りに思えと教えられた。子供だと何でも頭にスーッと入ってしまうので、ずっとそれを誇りに思っていた。大人になってからよく考えてみると、自分の面積を誇りに持つことは、逆に恥ずかしいこと。ニーチェが「財産は忘れられた略奪」と書いている。(うーん)自分で取ったり、相手から購入したりするのを広げて、そういうことを誇りに思うこと自体、今は恥ずかしい。ロシアが大きいということは、今はこれっぽっちも誇りに思っていない。

 自然を誇ることは、自然は私達が生まれる以前にできたものだから、それを維持できることは誇れるけれど、そのまま貰ったものだから、誇れることではない。自分の国の誇りは私はたいして持っていないかもしれないが、その国の一部の人たちが行ったこととか、その国の一部の分野、例えば、ロシア文学は常に誇りに思っている。

そういう意味で、日本の方の誇りは何だろうと考えると、ずっと日本で育った私の子どもを見ると、向こうの子供に比べて、音楽感や美術感が優れていると思う。小学生は平均的に沢山の色分けができる。色の名前がとても多い。ロシア語に訳そうと思うとなかなか訳せないほどある。例えば「エンジ色」とか。(うーん)素敵なことだなと思う。外国人から見ると、誇りに思ってもいいと思う。もう1つは日本の方はとても器用。平均的に(笑い)ロシア人は平均的でなく、そうである人とない人のギャップが大きい。私は掃除は上手で家の中にホコリはないけど(笑い)、折り紙は何回教えてもらってもできない。日本の方は、鋏を使って小物を作るにしてもとても素晴らしく、これは日本の方の誇りではないかと思う。

 日本は困った時にすぐ立ち上るのは誇りに思っていいのではないかと思う。が、裏を返すと、一人になると動くのが下手だなと思う。職場では、何かを紙に書いて皆に配るのがとても上手な組織。でも、計画以外の事が起きてしまった時は弱いと気づいた。マニュアル通りに動くのはとても立派。何か急に起きた時にはパニック状態になるのが多いと思う。個人主義ではないと言う事が大きいのか・・・。個人の責任に任せるのが少ないのかな?
 
私の個人的な意見は愛国心を育てる必要はないと思う。自分の国を誇れる事はその国自体が素晴らしいのなら、自然に湧いてくるもの(笑い)。(その通り!)そうじゃないなら、無理やりに上から教えても、子供が右見ても左見ても、「あ、そうじゃないな」と気がついたら逆効果だと思う。私は日本人じゃないけど、平和憲法をとても誇りに思っている。素晴らしい憲法。実は自分の国の憲法を知らない(笑い)これは、自分の国に対して失礼。ロシア憲法は一般的には手に入らない。日本の憲法は知っている。とてもいい憲法だと思う。これを何とか守りきれないか。特に九条は堂々と誇った方がいいと思う。イラク戦争を支持したのは全然誇りに思っていない。日本はけっこう平和で好きだけど、あれ以来歯車が狂った様に思う。個人的に落ち込んでいる。

●国籍は日本でないの?
●ロシア。崩壊した時に国を選べといわれたが、出国した所が自動的に国籍になった。ただ1つ日本の国に文句を言いたい(笑い)。国籍をとらないと住民票に載らない。(へーえ)税金も年金もちゃんと払っている。未払いではない(笑い)。家族として存在しないので、子供が気にしている。
●住民票に載らないと、父子家庭や母子家庭になる。某福祉事務所が、父親が外国人の家庭に、母子家庭の申請をしなくてもいいかと言いに行った話がある。
●私は勿論日本人でないと住民票に載らないことを承知しているが、例えば追伸みたいな所に外国人の母とか、何々国の母が同住所に同居しているという欄をつけてほしい。
●それはおかしいね。

●日本のボランティアは大勢いて素晴らしい。ロシアにはあれだけ大勢のボランティアはいない。ただ、さっきの外国人の問題になると、何かが起きて避難生活を強いられると、住民票通りに支給がされると私は存在しないので、何ももらえない。(ああ!そうかあ!)そういう時、コンビニへでも盗りに行こうかと思っている(爆笑)(税金払っているのにねえ)まあ、間接的に日本の国籍をとりなさいということ。(職業は?)面白いことに仕事には何の差し障りもない。国家公務員などは勿論ダメと思うけど。

●ブラジル人の子供が多くなって、私も学校で担当した。あの人たちは実は皆日本人の血が入っている。(日系人ということで入れた)日本人の血が入っているから、就職できる。就職の条件で完全なブラジル人はダメとか、日系のブラジル人は就職を普通にしていて、一般的な職場に勤められる。血が入っていないと無理。留学生の特別枠はどこの国でもOK。とにかく受け入れについて非常に厳しい。
●フィリピンの方も多いのですが、あれは日系じゃないか?(工場なんかは本当は日系じゃないとダメでしょう)
●工場や会社には勤められない。

●不法ってことになるけど、現実的には日本には不法労働者がいっぱいいる。
●配偶者の身元保証があれば会社でも受け入れる。
●それも結局日本人とつながりがあるのでOKということ。純然たる外国人はダメという、すごく閉鎖的。
●ボランティアは素晴らしいけりど、これは一種の家族主義。家族だから助ける。募金もすぐ集まる。裏表。もしいっぱいよその人を受け入れて、多民族になった時に、果たして皆いっぱい助けられる環境が作れるかどうか。難しいと思う。
●そういう事のベースは1つは土地が狭くて、資源が少ないので日本人自体が仕事のない人がいる。
●どんなに募集しても日本人がすぐ辞めちゃって(3kの仕事ね!)(そうそう)外国人しか来てくれない現実がある。
●友達は女性で組立工場で働いている。日本方のがなかなか行かないので、いくらでも来てくださいと言われる。日本人は誇りがあるからああいう仕事はしたくないのか?
●.担当者が離島まで行って募集してもアパートも用意して歓迎会までやっても一週間後にはいなくなっていた。だから、日本人を募集してもしょうがないので、日系人に来て貰うしかないと言うのが実態らしい。

●難しいテーマ。どうしてこの題が私達にとって難しいのかというのが又1つの問題(爆笑)(問題が問題)。家族で1年アメリカにいた時に、初めて外に対して「日本人はある種の素晴らしさを持っている」という事を強く意識した。何に対して自分の居所、日本に対して誇りに思ったかと言うと、家の中に日本の香りがほしいので、すごく大きな藍染ののれんを飾ったり、日本の陶器を飾った。それがあると安心。そういうものをやっぱり誇れる。日本の美しいもの、又は価値のある、大切なもの。「こういうものはアメリカにはないだろう」という想い(笑い)。アメリカにはアメリカであるんだけど、アメリカより歴史は古い。伝統的で歴史の中で大切にされてきたもの、そういうものが自分達の誇りになると思う。
 
息子が留学している。時々1週間ほどの休みがあって、学校の寮を出て、一般の家庭にお世話になる。受け入れ先のファミリーのお母さんにお礼の電話を恐る恐るかけたら、息子がすごく独立していると言って「You must be proud of him」あなたは彼を誇りに思うべきだと言われて『ふーん・・・』。日本人は、ひとり立ちして、自分でしっかり地面に立っていること自体が、日本の中にいるとやや弱いのかな。だから、プライドというものは、外に対して、又は外から日本を見た時にも使う。自分の中でも、ちょっと混乱している。
 
私は多分、義務教育としてごく普通の教育を受けたと思う。社会的な事が本当に苦手。よくわかっていない。日本は歴史を教える時に近代を抜かしてしまう。あれは意図的か?(初めから教えてると時間がなくなっちゃうから)(入試に関係ないからって・・・)それはおかしい。最初に現代史と日本史、世界史という風にやるべきだと思う。でも現代史の見方が定説にならない。そこを教えるのが難しい。今動いている訳だから。そこを知らないと、外へ出た時にすごく恥ずかしい。日本人が当たり前に知らなきゃいけない所をスポンと教育で抜いておいて、恥ずかしい状態でひとり立ちをさせる。それ自体がとっても恥ずかしいことだと思う。18歳で高校を出た時、ちゃんと日本の中でも、世界の中でもひとり立ちができるだけの、最低限の智恵を持っていなければならないと思う。そこを抜かした教育が人間をすごく不安定にする。とんでもないことをやっているような気がする。

 全く話は別だけど、高校生の女の子が地下鉄の電車の中でお化粧するっていう、考えられない事がある。自分の恥部を見せている事に関して無関心。ある種の人間の最低の社会的ルールを外れている。最低のものをもっているって言う事が1つの誇りになると思う。最低のラインが下がっている。
 
今、社会がコンビニ化している。仕事で接する人をみているとよく分かる、たいてい男の人は10時から12時まで働いて家へ帰って12時で、それから食事して、朝は6時か7時に起きて行く。これは人間の生活ではないと思う。そういう生活を許してしまっている。昔は正月にデパートがやっているっていうのはなかった。そこでまず、労働者の生活を破壊してしまっている。コンビにを家族でやっている人を知っているけれど、3交代で生活が狂ってしまって、誰かが不健康になっている。これはたぶんアメリカの発想?(笑い)儲ければいいっていう。

デパートもマーケットも、昔は6時だったのに、今は10時くらいまで(ジャスコは11時)(24時間になった所もあるよ)。私も行ったりして便利だなと思ったりして(笑い)村上春樹の短編を読んでいた時、イギリスかフランスかな?日曜日、祭日は休み。徹底して皆がわかっているからそうじゃない時に必要なものは買ってくる。それは人間の最低の生活を守るルール。今の日本状況はすごく甘やかして、人間を怠惰にしてしまっている。そういうことを許している政治。労働者がむちゃくちゃな生活をしていても労働組合の力が全然ないし、労働者が団結してこういう生活は嫌だって言えばいいけれど、

●一方で開いてて良かったと思う自分達もいるわけでしょう。(笑い)
●でも、それでそんな生活を強いられている労働者がいるって思ったら、それくらいは我慢できる。なければないでできる。買いに行かなければ物も少なくなる。
●働いている人も日本の生活は給料が高いと思う。実際はパートやアルバイトの人が深夜労働の方が時給がいいから辞めない。
●都会のコンビにだったら24時間開いていても利用する人はいる。山の中のコンビニでも、本部が決めたことをいっせいにやらなければいけないので、12時から5時は絶対人が来ないので、オーナーは閉めたくても閉められない。
●人間の生活が破壊されて、他のものに支配されてしまっている。最低限のものを守っていくという規範を、日本人がきちっと持って、大切なものがあるっということを言うべきだと思う。日本人は本当に余裕がなくて、満足感がない。

●初めて参加した途端、先生の難しい憲法の話で(爆笑)、憲法についてどう思いますかってふられたらどうしようと思って(爆笑)困った。「誇り」は普段全然使わない言葉だし考えたこともないテーマ。小さい時から欧米への憧れが強くて、家族で海外旅行に連れて行ってもらったりして、すごく外国人になりたい思った(笑い)
学生の時も髪を金髪に染めて(笑い)父親に怒られたりとか、当時流行っていたカラーコンタクトを買ってきて、金髪に合わせて入れた。(笑い)今、海外に住んでいる姉も、たぶんそういう外国への憧れが強かったと思うが、姉は絶対髪を茶色に染めたりはしない。長い黒髪。外国に旅行に行っても私達は、髪を茶色に染めても、どう頑張っても日本人。韓国に行った時サッカーのワールドカップの前で親日感情を感じた。顔が小さくて足が長い白人に憧れたけれど、日本人としての自分をもう少し大事にしていかないとな・・と最近は思うようになった。動きにくい着物などは嫌いだけど、これからはきれいな黒髪で、きれいな日本人で、着物が似合うような女性になりたいなと思っている。
●学生時代しかできないから一度だけって、娘が金髪にした時、主人がメチャクチャに怒って一夜にして元に戻させた。(笑い)(父親はイコール不良みたいに思うものね)。

●「誇り」っていつ頃から使い始めたんだろう。もともと日本にあった言葉なのか、どの時代ぐらいから使われるようになったのかなあと思った。それは「誇り」という意味がピンとこないからであって、外国の「プライド」を訳して「誇り」としたのか、どうなのかなあと。それが分かったら『ああ、なるほど、そういうことか』って思うだろう。(なるほどネエ)(誰がいつ、どの世界で言い出したのか)(うんうん)

●平安時代の物語には誇りって出てこないよね。源氏物語なんか。
●ない。多分福沢諭吉かな。(訳したの?)彼が明治時代に講演などで外国の言葉を大量に日本語にして使った。(漢字としてはあったのね)漢字は輸入ものなので。誇りは和語。ちょっと分からない。(元からいかないとね)無常の思想だから、日本人は自分の意識というのはあまり強くしないというのが主流だったと思う。(なるほど)無常っていうのは時が経てば何もかもゼロになるという思想だから、さっきの歴史の話もそうだけど、近代の事は教えないけれど、前の事は教えてるかと言うと、実は全然教えていない(爆笑)

●アンケート調査によると、日本の学生の歴史は暗記科目。でも、韓国の学生は考える教科だって。私達は「イイクニ作ろう」とか(そうそう)(笑い)ただ覚えて、鎌倉とどっちが先か後かそんなことばっかり。
●ドイツでも近代中心。

●私の子どもは普通の県立高校で、カリキュラムを見ると、現代社会は1年生しかない。なのに体育はしっかり3年間ある。個人的に疑問に思った。日本の方はただでさえ世界一寿命が長いし(爆笑)(充分元気!)そのお陰か、日本は体育にすごく力を入れている。旧ソ連には運動会はなかった。全員参加ということは一切ない。選手だけ。運動会は日本で初めて見た。(ウッソー!)(へーエ! )。子供の時、自分の学校で運動会に出たことない。運動会をしている子供を遠くで見たことはかすかに覚えがある。自分で走ったり、一緒に綱引きしたりと言うことは一切なかった。ある意味では、いいでしょうけど、多少疑問に思っている。

日本の学校の体育は多すぎないか(笑い)。現代社会の事、若い人はあまり分からないのではないか。(私も分からない)(卒業しても分からないまんま)よその人として気がついた事は、世界の地理も日本の方は少し弱いなと思う。言っては失礼だと思うけど(どんどん言ってください)。例えば、テレビから言語が流れる。自分は知らない言語だけど、全く知識がなくても大体分かる。『あ、これはスペイン語系かな』とか。なのに、夫を含めて子供達はそれにはとても敏感ではない。「どうして分かる?」って言う。もしかしてら、アメリカもロシアも多民族国家のせいかもしれない。色んな言語が耳に入るから、言語に対する恐怖感が多少はある。(日本は島国だから)私も島国現象かもしれないけど、国境を越えるという意識はあまりない。言語教育に力をいれたらいかがかと思う。

●言語に対する恐怖感ってどういう意味?
●英語などを習う時期が遅いと思う。(あ、日本人がってこと?)ハイ。私も向こうではロシア語だけだったが、ただ、英語を習うのはもっと早い。日本は先進国でいろんな意味で素晴らしいと思う。誇りに思っていい。これは消費社会の裏でしょうが。でも、外国人を見るだけでも、何か引き下がる。(あるある)特別扱いするのもよくないと思う。さっき欧米人に憧れると仰ったが、アジア人には憧れるって聞いた事がない。黒人とか。
●外国人というと、白人のイメージよね。(そうそう)(子供の頃は特にそうだった)
●ベトナム人にはおそらく憧れない。外国人でも私は背も低いし、足も短い。(笑い)個人的に色んな人が揃ってる。
●本当はベトナム人とか尊敬しないといけない。戦争に一度も負けた事がないからね。(笑い)
●大きなアメリカを相手にして戦った。

●昨日、南アフリカのゴスペルを聴いてきた。色んな職業の人達が、夜100人ほど集まって練習している、そのうちの選ばれた13人、女性7人と男性6人が来た。すごい響きだった。(マイクなんかなくてね)自分達の歌を聴かせたいという気持ちがビンビン伝わって来た。がま口塾の会員も5人程いたので、「これって明日のテーマになるよね」って話していた。民族衣装もどんな体型の人にも似合っていて素敵だった。
●最後に国歌を歌ったね。誇りって感じ。
●ソエト等の民族差別を受けてきた地区の人達。歌う事で自分達のプライドを保って来たというのか。アンコールでウイシャルオーバーカムを歌ってくれて泣けてきちゃった。最後に国歌を歌うので起立してくださいと言われたので、皆で起立して聴いた。私、外国へ行って、「今から君が代歌いますから起立してください」って絶対言わないもんね。「眠らないで下さい」って言うかもしれない。(爆笑)あれこそ誇りなんだろうな。多民族に色んな誇りがあるってことがあまり意識できない。島で育ったからかなあ。
●絶対それはあるね。陸続きじゃないっていうのが。

●多分、誇りにするものって強いものとか、美しいものとか、素晴らしいもの。日本の教育の中で、大事なものを伝えていくという視点、愛国心ではなくて、日本の伝統・・芸能や美術を皆がよく知っているって事が、日本人としての誇りじゃないかと思う。それは国の宝物でそれを皆が共有するってことはすごく大切だと思う。
●そう言えば、小学校でお琴をするって・・・。それはすごい表面的な事でしょう。だから、琴を教えている先生が仕事が増えて良かったって言ってる。

●君が代っていうのは、私は歌詞も強制的に歌わされるのもあまり好きじゃないけど、例えばオリンピックの時にある種独特。イギリスやフランスの国歌が流れる中だと全然異質のもの。(静寂だよね)あれ?こういうのも1つの価値かなって思った。良し悪しは別として個性的。韓国や中国の国家もどっちかというと、欧米的じゃない?パッと聴いた時、カッコいい音楽。日本のは雅楽?
●明治政府が西洋音階を輸入した時に依頼して、江戸時代の歌謡につけたと思う。だから、歌詞と曲があっていない。別々に意味を知らずに作っている。普通、歌詞の流れに合わせて曲ができていないといけないのに。(詩は最初からあったの?)お祝い事があると、皆で酒の席で歌った歌謡で、別にも天皇の歌ではない。(君って、天皇じゃないの?)言ってみれば、冠婚葬祭の時に喜んで歌ったもの。
●君っていうのは、必ずしも天皇じゃないのね。

●古今和歌集で使われていた時はそうだったけど、でも、明治政府になってそれを利用した。天皇に転用した。(戦争に利用したのね)
●非常に知れ渡っている歌詞で都合が良かった。(元々は誰のこと?)宴会の中で中心になっている主役のこと。その人が店を建てたとか、結婚したとか、家族や親戚一同のお祝い事があった時に、平安時代から皆で歌った歌。明治政府が学制をしいた時に富国強兵を目指して、さっきの体育の事とか、今の学制が今の教育制度の元になっている。(なるほど!そういうことなんだ)基本的には変わっていない。(だから体育も)富国強兵の為、国民を統制するのに必要だったから。当時のカリキュラムを見ても、体育とか、科目の割合が今とほとんど変わっていない。
●だから体育の日があるのね。(あれは東京オリンピックのなごり)でも、それを国民の休日にする発想が、私の国にはない。あんなのない(笑い)

●私は体育が苦手なのに教えている。(笑い)体育はどうしてもビシッとさせないとできない。ちょっとゲームを皆でやるにしてもいっぺん、全員をこっちに向かせないとできないから、集団行動をしないと、どんな楽しい遊びのような事でもできない。だから、重要視される。別に軍隊教練なんかしている訳じゃない。日本人はそういう事を重視していて、企業へ行ってもラジオ体操する。おそらく明治時代の考えがずっとある。
●それをやりたくないと断れば問題?
●皆が同じ事をするという安心感。(そこにいる事の安心感があるから)
●皆がラジオ体操する事は良い事だと思う。あれは一応体のあちこちを全部動かすようにできてるんでしょ。そういう事を朝やっている所を通るけど、大事かなって思う。集中した仕事をしがちだから。
●その時間に一斉にやらなくてもいいことでしょう。そこらへんが日本人の変な所。

●便利なものには乗っかっちゃってもいいかなって感じ。
●誇りがないというか、皆が一緒にやっていると言う事だけが拠り所。もし、1人やらないとなると、チェックになるでしょう。今、君が代、立った立たなかったってやってて(東京都ね)馬鹿みたいなことだけど、皆がやっている時にやらない人がでると、共同体が不安に陥る。基本的に皆一緒にやりたいというすごい力が働いている。
●それ、共産主義の理念だと思う(爆笑)そういうの、やりやすい。

●新聞記事を読んで、目から鱗と思った事がある。背の順に並ぶというのね、あれは、お国ではどう?
●.背の順。ソ連の教育はそう。
●背の低い人はいつも劣等感を植え付けられている。私は小さい時から当たり前と思っていた。これも軍隊の行進の時凸凹しているとみっともないって事からかと思った。
●面白いのは、普段は小さい順に並ぶのに、運動会の時だけは、大きい順。大きい子を前にした方がカッコいい。
●息子は小さくて、列が乱れると「お前がシャンとしないから後ろがぐじゃぐじゃになる」って言われるって。
●私は背が小さくて前ではなかった。一番後ろ。旧ソ連は体育の時も高い方から並んだ。私は一番後ろ。でもいいです。好き勝手ができる。(爆笑)後ろにいると前で言っている事、どうでもいい。ソビエトの教育は必ず人を並ばせてやらせる。
●軍隊は世界中一緒じゃない?
●学校でもそう?学校は違うよね。
●北朝鮮のマスゲームは恐ろしいくらい。

●アメリカは始業式とか、終業式がない。並ぶってことがない。何にもなかったねって言ってた。その時、日本人できちっとした家族の方がいて、こういう学校はしまりがない・・ような事を言っていた。いつ楽器が始まったかわからなくて、いつ終わったか分からないうちに終わったっていうのもいいと思った。卒業式だけはあったが、普通日本だと嫌になるくらい練習させられるけど、なーーーんにも練習しないで、先生がパッと渡して、パッと受け取って帰ってそれでいい。皆がそういう風。何で日本は一枚貰うのにあんなに練習するのかなあ。
●やっぱり厳粛な雰囲気が必要なんでしょう。(そういう文化)

●アメリカの学校では、まっすぐに並ぶなんて発想は全然ない。クラスもない。同級生という概念がない。授業を自分でどんどん選択して個人で組み立てるから、何年何組っていうのがない。知人の息子さんが運動会の時に何回も練習するのが嫌で、並ぶ時に先生に「今からやるんじゃないのに、どうして並ぶの?」って訊いて怒られた。(全くそう)全く彼は正しい事を言っていると思う。今日やる訳じゃないのに。納得できない子供がいっぱいいる嘘っぽい感じ。

●何事も全部訓練したい。それを磨きぬくことで文化を創ってきたから。お茶とか。しょうもないことでもものすごく磨いて洗練させる。レベルが上がる。能でもそうだけど、小さい動きを徹底的に磨いて文化を作り上げていくってのが多い。短歌や俳句もそう。そういうのが津々浦々まであってたかが卒業式じゃない。式というのは、一種の厳粛な芸能。だから、芸能というのは、磨いていかないと芸能にはならない。
●本当の、例えば踊りなどの芸能というのは1つの様式をずっと刷り込んでいく。それは世界共通だし、たいそうでも1つの技をすごく体に刷り込ませないとダメ。ただ、出来上がったものは、楽しいし美しいけれど、式は誰も楽しくない。楽しくないことのためにそれだけ一生懸命やるっていうことはよくわからない。
●卒業式は楽しくなくてもいいんだよね、きっと。
●そうだろうね。

●子供の卒業式に出たら、卒業証書授与の時に、ある男の子が、貰った後に、クルンと回って校長先生の横に並んで、自分でカシャッって携帯で撮ったの。校長先生は退任って聞いていたから『ああ、校長先生はあんなことまでされて喜んだだろうなあ。まあ、いいよね』と思った。でも、次の日にその子は呼び出しを食らって学年全員の先生に2時間説教。「とんでもない!何でお前はあんな事をやったんだ」って事だったらしい。そんな事は絶対あってはならない事なんでしょう(見た事ない)。脚本にないことをやったらダメでしょう。
●高校なんかでもだいぶ違う。近くの高校の体育祭を見に行ったら、皆アイスクリームを食べながら、もう全然自由。それでも1つのものがちゃんとできるから、何にも先生達言わない。何?これ高校?って感じ。高校によって差があるのかな。(私立?)いや、県立。任せても最後までやれるって先生は見てる。

●もしかして優秀な高校じゃないか。日本の場合、優秀な高校だと、基本的にいい子たちが来ているから(笑い)先生は生徒に自由にやらせて任せる。成績が悪いと、何を隠そう、うちの子が行った高校は校則が厳しい。(髪の長さとか)色も。でも染める。
●そういう学校だから行きたいという子もいる。一番上の辺りにいる子たちは自由で、下になるにつれ超厳しくなる。一番低い辺りは又自由になる。上昇志向があるから。エリートというのは回りが思っているだけで、自分達は思っていない。自分がエリートだっていう意識は日本ではあまり育たない。総代生でも自分はエリートだとは思っていない。回りが言っているだけで、「オレはエリートだ」って言っている人はいない。
●いや、言わないだけで心の中では思っている。そういう文化(笑い)。優越感がけっこうある。

●エリートっていうのは、もっと高いもの。エリート意識は持っていないと持ってないとまずい(じゃ、エリートって何?)自分がいないと日本はどうなるかという意識を持っている人。欧米にはそういう人はいっぱいいる。自分がいなければ国は動かないとか。自分が国を支え、経済を動かしているという本当のエリート意識。自分はそういう家系に生まれたからそうなるとか。イギリスなんか特にあると思う。道の掃除をする人達は民族が違う。階級が輪切りにできるように決まっている。
 
誇りの話だけれど、60年代に小学生で、自分が誇りに思っていたのは、日本人は世界の色んな事を知っていていいなあという事。ロシアでもフランスでも本が欲しければ、どこでも手に入るし、世界で一番情報が入って、物をよく知っていて、高い、広い観点で物が見られる。やっぱり戦争に負けたせいで、視点・視野が広くなったのだと思っていたのだけれど、今は全然違う。私が子供の頃に思っていたようにはならなかった。皆本を読まなくなってしまった。「戦争と平和」「アンナカレーニナ」「静かなるドン」とか全部読んだ。
●そんな分厚い本、今の子は読まない。

●「ジャンクリストフ」とかあんなの、皆読んだけど、今の子は読まない。音楽も昔はカンツォーネもシャンソンも世界中の音楽を広く聴いていた。今はロックばっかり(そんなことはないでしょう!)(笑い)全般的に世界中の音楽をも楽しむという感じじゃない。かなり自分の好きなものばかり聴いている。自分を含めて。昔は中学生でも好きなものが合っても一応広く聴いていた。映画にしても漫画にしても、今の子たちは自分の好きなものだけになった。これじゃ、世界を公平に見られる国という誇りが持てないんじゃないかと思う。
●私も60年代小学生だったけど、そんなこと思ったことなかった(笑い)

●運動ができなかったので、本ばかり読んでいた。その小学校がたまたま名古屋市の図書館の研究指定を受けている学校だったので、名古屋の中では一番本が充実していた。1年生の時には岩波少年文庫が全部揃っていたし、図書館のどこに何があるか全部覚えていた。
●□少年はそうだっかもしれないけど(爆笑)、他の小学生は今の子供と同じであまり読まなかったかもしれない。
●そうでもない。図書館の時間というのがあったし、授業の中に入っていた。図書館はいつも満員だった。(へーえ!)(その学校がじゃないかなあ)(指定校になると、途端にそういうことに力を入れる)(あーあ、指定校ね)(笑い)そういう成果もしれないけれど、今、家から本を提供してくださいというと、その頃の本がどんどん来る。文学全集とか百科事典とか、60年代に皆がどっと買った物。60年代は本棚にどこの家も並べていた。
●応接間はそれが1つのステータスだった(笑い)。父なんかはそういう時代に育ってきた人だから、活字をすごく大事にする。私達の子どもの頃は本自体が貴重品で、どこでも買えるものではなかった。

●小学館の日本百科事典は毎月家まで持って来た。あれ、何百万セットも売れた。当時のベストセラーは硬い本ばかりだった。知識を継承するという傾向に国全体があった時もあった。
●私の国も日本も一緒で、本を読まなくなった傾向があると思う。皮肉なことに活字に強い優秀な方がコンピューターゲームを作ってしまったじゃない。(うーん)インターネットを考えた人、馬鹿じゃない。結局それが普及してしまって、文学に対するとり返しがつかない事になってしまった。確かに。しょうがないかなあと思う。
●あれって日本が発明したんだっけ?
●コンピューターゲームはやっぱりアメリカでしょ?
●ゲームは任天堂じゃないかな。
●国会でも、やってたね。課会議中にピコピコ携帯のゲームやってた。(国会議員がやってたの?)(へーえ!)前は寝てたし、今はゲーム。税金でしょ!(笑い)
●だから、楽天の社長なんかはすごいんでしょ。要するに「時の人」ね。

●さっき日本人は地図をあまり知らないと言われたけど、日本人は、それでもまだ知っている方だと思う。アメリカ人はほんとに自分の周りのことを知っているだけで、ひどい。ここにアメリカの方がいないので言うのだけど(笑い)。中高生の時、ペンパルと文通したけど、新聞記事を送ってきたのを読むと、どこの航行でダンスパーティがあったとかというローカルな話題だけで、世界情勢はなかった。友人がアメリカに行って無料のコンピューターとか語学など、アダルトスクールに行ったらすっごく楽しくてはまってしまった。ファーイーストの意味が分かったって言った。(地図でね)地図で、日本だったら日本が地図の真ん中にある。アメリカの地図だと本当に東の隅っこにチッとあるだけなので、日本で地図を買ってきて欲しいと言う。その学校の先生に見せるため。
ヒスパニック系の人とか、ベトナムとか、いろいろな人と友達になったと言っていた。アメリカはそういう所が懐が深く、退職した先生たちが教育にあたっている。幾つになっても色んな視点からものを見るってことは大切だと思う。誇りという言葉がいつ頃からあったかという事を言われたが、私は「誇り」なんて、当たり前というところから話始めたのに、その前提から言ってもらってハッとする。皆さんの意見を聞くというのはいかに大事かと思う。

●日本人としての誇りだったら、やっぱりまず、憲法だと思う。今、とても怪しくなっている。平和主義に関連するけど、武器輸出三原則も崩れようとしている。小泉さんになってから、グッと方向が曲がった。何とか憲法の原則を守りたいと思っている。よく憲法の改正に反対と言うけど、「改正」に反対する人はいない。「改正」という言葉は止めた方がいい。せめて「改訂」とか「改悪」はちょっときついかもしれないけど、憲法改正に反対する人はいない。その改正の中身の何が正しいかということをはっきりさせないと使ってはいけない。
 
次は、例えば、イチロー選手がアメリカで大活躍すると愛知県人として誇りに思いましたってよく聞くけど、私はそれに対しては思わない。イチロー選手が今のような存在になるのに私が何か何百分の一でも関与しているならそう言えるかもしれないけど、郷土意識的な「誇りに思います」は、私は言えない。嬉しいとは思うけど。
 
個人に振り返って何か誇れるものがあるかなあと思うと、誇りがあると思う事があっても、すぐ『でも、そんな事誰だってやっていることじゃない』と思ってしって平行線をたどる。まあ、でも、振り返って、その場その場では精一杯やってきたなあってことは思う。誇りって言うのは、生きている時の一種の支え、基盤みたいなものだなあってこの頃思っている。

●イチロー本人が言えばいいんだよね。
●そう。せめて育てた方がね。技術面にしろ、精神面にしろ。
●イチローは言わないね。単なる通過点ですって淡々としている。あれがカッコ良いんだけど。外野ばっかりが誇りに思っている。
●憲法の話とかすればいいのにね。(笑い)

●でも、その小泉さんが当選しちゃうって・・・首相になっちゃう・・・そういう風なものが結局日本人なんだなあと思っちゃう。本当にどうしてなんだろう。(でも、国民なんだものね)結局はね。

●私日本人じゃないけど、小泉さん、あんな戯言よくも言うね(笑い)。ごめんなさい。(いいよいいよ!)次の日から話題になるべきだと思う。うちの子供が言っていた。学校で先生が子供に訊く「子供が遊んでいい所はどこですか、その定義を述べなさい」と。子供は「遊べる所が遊んでいい所です」(爆笑)と答える(そうだよ!)(その通りだよ!)学校ではそういう答は許されない。先生に怒られるかもしれない。でも、それを1つの国の総理大臣が堂々と言っている。そして一般的に社会の反応がない。

●私はマスコミがもっと言っていいと思う。
●マスコミも一般の人も自分の国のことだから、もっと気にするべき。一国の総理大臣なので。国会中継好きだが、聞く度にどうすればいいかと思う。
●マスコミのナレーションは馬鹿にしたような言い方をする。でも、その程度。

●小泉さんの時の答弁を見ていたけど、「ニタリ」と、すごい冷笑。
●してやったりという笑いをする。いつも言ったあと。
●出だしがアイドル的扱いで悪かったのかしら。
●中高年のおばさんが支持してね。
●日本は同じ事を大きい声で100回言うと、その通りになる。(爆笑)
●100回言えば、嘘でも真実になってしまう。
●大きい声で言えばいい。内容はどうでもいい。(断定できるから)そのほうが好かれる。

●日本の場合、先生とか立場もある。そういう人の発言は絶対的なので、何言っても許されている。
●それに言葉の内容自体皆信じていない。言葉の意味が軽いので、「こんなの何を言っても・・・」という気持ちがある。「口で言ったことみたい」とか、そういう言葉に対する尊厳とか、そういったものが薄い。だから「口でああ言ったけど、裏では・・・」とすぐ考える」。「口ではああ言ったけど本当は・・」といつも思っている。料亭政治だから、議会や公の場で出てきた発言というのは、嘘だと思っている。皆が帰って食べに行って、そこから本当の会議が始まる。皆そのことを知っていて、皆の前で言ったことは茶番としか見ていないのでまともにとりあげない。(いやー、それではねえ)(絶望的!)明治以来ずーっとそう。薩長の頃から。やることは裏で、誰も見ていないところで取り決めをしてきたので。
●じゃ、料亭のお上さんの存在が大きいということね(笑い)

●こないだのアメリカの選挙で二つに分かれちゃったね。ある、イラクで兵士だった息子が死んでしまったお母さんが、「大統領が何を誇りに思おうと、私の息子は帰って来ない」と言っていた。誇りってこういう風に使うのだと思った。あなたの誇りは私の誇りではありえないと。アメリカははっきり意見を述べる。日本の場合、これが料亭でしか言えない・・・のか・・・。
●皆あきらめているというか、そういうもんだと思っちゃっている。
●言わなきゃいけないね。

●質問。どうして言えないの?ソビエトはある意味では、今の北朝鮮みたい。公然と言うと逮捕されたりとか、強制収容所へ送られたりと言う事があった。日本の方はそういう恐れがないと思うけど。

●いいえ。ある。日本は世間というものがある。(悪い)反対することは世間を捨てること。世間を捨てる事ができる人しか本当の事が言えない。(ますます絶望的)(笑い)どんな床でもよその国のことなら言えるけれど、自分の世間に属することになると、非常に難しい。隣近所の井戸端会議から始まってすべてにあると思う。面と向かって非難するというのは、非常に難しい風土になっている。

どんな職場にも、その職場の世間があって、グループにはクループの世間がある。そのお互いの世間というのは、重なる所もあるし、離れている所もある。他の世間を非難しても、自分達の世間のことは絶対に非難しない。その代わり世間の中で失敗しても、他の人が守ってくれる。責任は世間の責任であるので、誰か1人が失敗しても、その1人の責任は問わずに、うやむやの状態にしてしまう。誰の責任かという時に、「責任」がたらい回しになって知らんうちに時間がたって消えていくというのが日本の「責任」の処理の仕方。だから、普段悪口は言えない。そこから抜けるのはやっぱり危ない。なかなか誇りにならんけど、そうやって身を守ってきた。
●だからラジオ体操を自分だけやらないなんてできない。村八分にされる。
●昔の5人組もそうでしょ。(もともとあるものを巧く利用した)連帯責任。
●国防婦人会っていうのがそうだった。(古い話になってきたね)女の人も戦争を応援する。
●でも、今はだいぶね、私の住んでいる所では、転勤族が多いから「ラジオ体操どうしますか」って回ってくると、「うちは遠慮します」ってはっきり言う。回りも言わない。そういう風にはなっては来てる。

●ちょうど大統領選挙の時にアメリカにいた。皆自分の家の庭先に、ブッシュかケリーか、旗をたてて表明している。(信じられないよねー)日本だったらそんなことできない。ああいう点ははっきりしている。
●さっきのボランティアに行くって言うのもそうだし、皆が助けあわなきゃッてこともあるけど、甘えあっているのではないか。ある意味では。(そうかなあ)そういう面もある。いいところも勿論ある。
●私は伊勢湾台風の時助けてもらったというのが原点になっている。1~2年は、救援物資の衣料で寒い冬を過ごした。兄の同級生の高校生が、いの一番に助けに来てくれて、倒壊した家の片づけ等をしてくれたって母が今でもいつも感謝して言う。そういう人間の持っている優しさみたいなもの、パッと動いてしまうものは、自分は大事にしていかなくちゃいけないなと思っている。

 ただ、お乞食の話に戻るけど、高校へいけないかも知れないというほどの窮地にたった時、未婚の男性が「僕がお金を出してやる」と言った。カーッと腹がたった。有難うって今なら飛びつくのに。(笑い)私はそんなくらいなら高校へなんか行かなくていい。中卒で、自分で働いて世間で勉強できるって考えた事をはっきり覚えている。私は私、あんたなんかの世話にはならんぞっていうのが中学生で思っていた。

どんな子でも、日本人であっても外国の子であっても人間としての誇りっていうのは、持っているのではないか。愛情をかけられ、何が正しいかちゃんと教わって育っていれば、誇りと言うものは誰にも備わっていくのではないか。北朝鮮みたいになると、将軍様が誇りになってしまうけど。自我に目覚める前に、何か人間として大切な、柔らかなものを育てていかなければいけないと思う。人間としての目覚めはいつから?

●いや、まだ目覚めていないけど(爆笑)。ソ連の教育から抜け出そうとしたのは、向こうにいた頃から。反対派の本を読み始めた頃。ソルジェニーツェンとか。その時は旧体制だから、一晩だけ読んでもいいとかって借りて、こっそりと一晩だけ読んで、又次の人に誰から来たか言わずに渡した。その時は色々考え始める。親は普通の労働者。本当は労働者の国家なのに、よく見ると私達の親は、とんでもないどん底の暮らしをしてお金がない。外へ出られない。日本だと、さっきはアメリカにいらしたとか、色んな外国に行った事があるって話が出たが、外国へ行くって事自体不可能だった。私は家族で初めて外国に出た。それも結婚で。結婚しないと外へ出られないような世界。中にいながら考え始める。矛盾が多すぎるから。上から教えられていることと実際がぶつかる。ただ、今の日本のように世間は怖いから、私達は世間じゃなくて、体制が怖かった。友達としか親友としか語り合えないけれど。(最近は変わってきた?)もう、勿論 だいぶ変わった。
●日本の戦前はそんなふう。(ファシズム)
●「天ちゃん」なんて言ったら大変だった。(不敬罪)(笑い)肉声を聞いたのが敗戦の時が初めて。

●今、北朝鮮をある意味で、面白おかしく映像化して言っているけど、(笑ってるけど)(一緒だよね)(そうそう)
●私もそう思った。公然と言えないからマイク向けても言わないと思う。それで、きっとキムジョンイルを誇りに思っていない人がいっぱいいると思う。言わせているだけ。(言えないだけ)(うんうん)

●さっきの色の事だけど、アメリカやオーストラリアの人達と話していると、何故沢山の色を教えるのかって言う。アメリカでは色はそんなになく大まかだって。日本ではどうしても24色があって全部英語が書いてある。子供はそれを覚えたいと言う。ところが向こうの先生達が来て「要らない。こういう無駄な事を覚えるんだったら別な事をしなさいと言う。朱色とか、エンジ色とか、若葉色とか、私達にとってはすごくきれいな言葉がたくさんある。でも、英語圏の人にとったら要らない。「肌色」は私達はペールオレンジっていうけど、それ自体が違う。(肌の色はいろいろな人がいる)だから、最小限度の12色覚えたら後はいらないと頑なに言う。
 
日本人は臨機応変じゃないって言うのもあったね。私もアメリカの15歳くらいのお子さんと、こちらのそれくらいのお子さんとキャンプに行ったとき、日本人の子で足を遊具にはさんでしまった子がいた。私達はどうしようかって言った時、パニックで、まずここの責任者を呼んでこようとした。大の大人がいるけど、責任者を呼んできた。その責任者も「ウーン」って困っている。その時、アメリカからやってきたお子さんが、ちょっと棒を貸してくれと言って、いとも簡単にそこの間に棒を入れてスッと抜けた。普段から対処ができている。勉強より遊ぶ訓練がボーイスカウトなどでできていたのだと思う。こういう事が大事なんだなって事が何回かあった。そこら辺が日本と違って、大人だなあと感じる。日本でもそういう事が必要だと思う。勉強だけじゃなくて。
●でも、相変わらずマニュアル頼りなんだよね、私達。
●でも、今、その勉強の基礎学力が落ちているって言われている。どうしたらいいの?

●日本人は11時頃まで働くという話。東京に会社があっても、東京には住めないから、私達は埼玉に暮らした。朝6時半に出ないと間に合わない。それが7年くらい続いた。土日に子供が父親と顔をあわせるという生活。名古屋に来てすごく近くなって、これが人間の生活だって思った。本当に。
●知人も今、これが続くと欝になるので、会社を辞めさせようかと言っている人がいる。学校を出た奴隷じゃないかと思うほど働いている人がいる。

●私は30年鬱。気がついたのはお産の後。19年4月生まれ。父は20年5月に死んだ。母の里で成長し、学校は一学年34人で9年間、一緒。小学校に入ってから虐待を受けた記憶がある。私は常に「私の家じゃない」と思っていた。変なプライドがあったのだろう。小学校で習った憲法の「子供は人間として尊重される」というような言葉を強烈に覚えている。子供は守られるべきだということ。私は何だったろう。
 小学校6年の時に骨髄炎をした。大人になってわかった事だけど、精神的なストレスから来たものだった。農業を手伝っていたのに、できなくなって、自分の居場所がなくなってしまった。中学の3年間はギプスをして松葉杖の生活で体操をしていない。学歴のない母は私を高校に通わせるため、一生懸命働いた。自由に泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑うのはとても幸せ。私は生きていく自信がなくなるような就職をした。奨学資金まで貰って頑張った私の高校生活は何だったんだろうと、仕事は一ヶ月で辞めた。友達の誘いでユースホステル活動に入った。編み物を勉強して知事賞ももらって、とても充実した青春を送ることができた。結婚して4人子供をもうけ、一時は生きていられないと思ったこともあるが、この春子供が全部片付き、こちらの世界に戻ってここまで出てくる事ができた。(拍手)(笑い)(本当によく来て下さった!)

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●名古屋、栄のランチタイム、値段で勝負のチェーン店続出で熾烈な競争が進んでいる。24時間営業して、家賃、光熱費、人件費払って、あの値段でやれるなんて。どんな材料を使っているのか恐ろしくなる。うちの店はカウンターだけの丸見えの店。どうやって作っているのか、タネもしかけも分かってしまううどん屋。健康で明るいだけがとりえの私が言うのも何だが、食いしん坊で誠実なオヤジ、コヤジか作るうどんはうまい!
自分達が食べてうまいと思うからお客様に出せる。お客様に「うまい!」と言わせたい一心で、毎日汗かき、恥かき、頑張っている。そう。うちの誇りは、うまいものを出すこと。これからも食文化を大切にしていきたいものだ。

●堂々と胸を張っていることだろう。ここ血液内科は白血病だの、悪性リンパ腫だの、血液やリンパのガン病棟。重症で亡くなる時は輸血された血液が下からすっかり出てしまったり口から吹き出したり、文字通り血にまみれていることもある。もちろん私たち患者が直接見ることはないが、看護士の処置の様子から察してしまう。患者の誰もが、突然のガン細胞の変異でそんなひどい症状になる可能性を持っている。でも、皆明るいのだ。
 
この病棟に入るきっかけは、ほとんどある日突然にだ。胃や肺なら暴飲暴食をしたとかタバコを吸うとか原因が思い当たるだろう。しかし、ここは原因不明。宣告されると先ず「何も悪いことをしていないのに」と嘆くようだ。「何も悪いことはしていない」「後ろ指をさされることはしていない」。この気持ちが死と隣り合わせにいながら堂々としていられるのだろうか。
 
留学中に白血病と分かり帰国。今はドナーが見つかり、骨髄移植を待っている彼女は、翻訳の仕事がしたいと点滴しながらコンクールに応募しようとワープロを打っている。子どもの時か
ら脳腫瘍で手術を繰り返し、血液もガン化している彼女、中学卒業以来懸命に働き、母を楽にさせたい願っている22歳。テレビや雑誌のグルメ情報で盛り上がり、旅行しようと決め、明るく前向きに生きている。 「後指を指されることはしない」というこれまでの生き方に自信を持てるのだろう。このゆったりした時間の中で、病気を受け入れ、自分を肯定していけのではないだろうか。それこそ自分の誇りと言える。多分誰もが「誇り」という大仰な言葉で自覚していないだろう。人間テいい。素晴らしい!人間万歳!

ちなみに看護士さんたちも「誇り」を持って仕事をしている。プロ意識ということか、患者への気配りがすごい。熱っぽい患者への氷枕もその必要とすることに応じて氷の量を変えてくれたりした。健康な時には見えなかったことが見えてくることがある。神様が、人生や人間について、ゆっくり考えなさいと命じられたのだと思っている。

●若い頃(中高生)単純に多少特技があればそれが「誇り」になり得た。能天気だった事もあるが、勉強などが不得意でも「特技」のみで誇りを持てた時代に中高生だったのは幸せだったと思う。その後、「特技」をを生かして専門家のはしくれになってからは、その特技が仲間内では「特技」にならず、注目されるほどの力もなく、何も誇る物がない時代が続いた。
 
 そして花の50代。若い頃、美貌を誇った人も高学歴を持った人も同じようなおばさんになって生活に充実感をもっている人は少なくなって来た。私は馬鹿でブスでとひけ目を感じながらもそれこそ馬鹿の一念で1つのことをやり続けてきて、毎日楽しんでいるし、満足している。たいして収入にならないし、社会的な評価が高い訳じゃないけど、ひとつのことをやり続けていて、充実した生活を送っているというのが、今の私の誇りです。
●「誇りとは」というお題は自分にとって大変難しいもの。思わず意味を辞書で調べると、名誉がでてきたのでまた調べると、「社会的に認められること、能力や行為についてすぐれた評価を得ること」などありました。そういう意味で誇りではないかもしれないが、自分に好意的に大事にしてくれる人を誇りに感じている。何故なら自分のような無価値な人間を受け入れてくれるからだ。私にとって誇りとはそういったすばらしい人々のことである。

●なんとも難しいテーマ「誇り高く生きたい」とか、「誇りを持って」とか、目標として使う言葉としては、気高くて、美しいと思う。国の誇り、わが町の誇り、母校の誇り、実際に使える例としてはこの位かな。直接自分とは関係が明確ではなく、何をした訳でもないけれど、何か自慢したい時に無責任に使える言葉。自分レベルでは、「誇りです」なんていうものがない。今後、例えそれらしきものが出来たとしても、「私の誇りです」などと軽軽しく口に出せないと思う。「私の誇り」は自分1人で感じていればいいもの。「誇りとは」 生涯追求していくものでいい、と思う。


12月22日(火)「片づかない家・落ち着かない家・大型ゴミ」
午前10時~12時 時間厳守・土産厳禁・出欠連絡不要。
どなたでもご自由にどうぞ。

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